4-1.待たせた

「うわぁっ!」


 悲鳴を上げながらシオは地面に転がり懸命に避けた。

 直後にモールドラゴンの尖った口先が迷宮の壁へと突き刺さり、砕けた岩の破片や土が覆いかぶさってくる。それを払い除ければ、自分の方を冷たく見下ろすモールドラゴンの赤い瞳と目が合った。

 怖い。脚の震えが止まらない。けれどもシオはモールドラゴンから目を放さずに、壁にもたれながら立ち上がる。

 目を離せば、その瞬間に背後から喰われる。その直感にしたがっての行動だったが、それはあながち間違いでも無かったのかもしれない。モールドラゴンはゆっくりと口を壁から引き抜き、そして存在を品定めするように、あるいは実力を警戒するように慎重にシオを覗き込んでくる。


(こいつの知性が高くて良かった……)


 肩で息をしながらシオはそう思った。敵モンスターが警戒するほどの実力は、自分にはない。悔しいけれどそれが現実だ。もし普通のモンスターだったらこうして警戒なんてされずに、即行で頭から噛み砕かれていただろう。

 もっとも、知性が高いからこそこうして自分たちは穴に落とされてしまったのだけれど。


「はは……」


 皮肉な状況に思わず乾いた笑いが漏れた。

 その行為をモールドラゴンがどう判断したのか知る由もないが、モンスターが目を離し、シオは視線を追った。そこには、もう動かなくなった仲間の姿があった。

 遭遇してそう時間をおかず、彼らはモンスターにやられた。最初の一撃で一人、逃げ出そうとして二人目、そしてシオともう一人はしばらく窪みや細い通路を利用しながら何とか逃げ惑っていたが、ついさっきやられた。残っているのはシオ一人で、辺りには濃い血の匂いが漂っている。それがシオに強く死を予感させて、今にも心臓が張り裂けそうなくらいに苦しかった。


(アレニアは――)


 ちゃんと逃げ切れただろうか。そんな極限の緊張の中でふと、幸運にもモンスターに気づかれなかった同郷の彼女のことを思い出した。

 普段からコンビを組んでいて、二つ年上の彼女はシオの世話をお節介なほどに焼いてくれている。たまにからかわれ過ぎてケンカもするが、国を脱出して以降、彼女には感謝してもしきれないくらいお世話になっている。

 どうか助かっててほしい。そして、自分もここを生き延びて再会するのだ。

 こんなところで、こんなところで死にたくない。シオは強く奥歯を噛み締めた。死んでしまったら、何のためにヴォルイーニ帝国を脱出したのか。なんのために母さんが犠牲になったのか。自分を生かしてくれた母さんの決意想いが無駄になってしまう。

 だからなんとしても生き残る。短剣と銃を握りしめたその時、様子を窺っていたモールドラゴンが動いた。


「■■、■■■ッ――!!」

「っ……!」


 雄叫びを上げて口を大きく開ける。口内に真っ赤な火球が作り出されて薄暗い迷宮を、そしてシオの顔を朱に染めた。

 炎のブレスが吐き出される。高速で眼前に迫ってくるそれを、シオはかろうじて横っ飛びでかわした。

 未だ熱の感触が顔に残り、火傷したようなヒリヒリとした痛みが走る。けれどそれを気にする余裕はない。


「■■ッ――!」

「このぉっ……!」


 シオより二周りも三周りも大きいモールドラゴンの影が覆いかぶさる。鋭い爪を振り下ろし、切り裂こうとしてくる一撃をシオは銃と剣を交差させて何とか受け止めた。

 けれども受け止めきれない。正面からの力比べは愚策とシオも分かっている。だから力を受け流そうとしたが、爪がしっかりと剣に引っかかったためにそれもできず、力任せに地面に叩き伏せられた。


「ぐぅ……、っ!?」


 衝撃で頭がグラグラしながらも見上げる。

 すでに目の前に巨大な口が迫ってきていた。無意識に体が反応し、地面を転がって避ける。シオの肩をかすめてドラゴンの口が地面へ突き刺さり、軽い痛みを覚えながらも今のうちに、とシオが立ち上がろうとした。

 その時、彼の腹を凄まじい衝撃が襲った。

 何かが腹部のプロテクターを破壊し、シオの体がゴムボールのように大きく弾き飛ばされた。そして壁に叩きつけられ、その場に崩れ落ちる。


「あ、あ……?」


 何が起きたのか。理解が追いつかなかったが、こちらへ向き直ったモンスターが嬉しそうに振っている尻尾を見て思い至った。


(そうか、尻尾……)


 モールドラゴンの尻尾が短いために気にしていなかったが、それでもドラゴン種の尻尾だ。無警戒のところに喰らえば、大ダメージは免れない。それを今の自分が証明している。

 口の中が血で充満する。全身がバラバラになったようで、けれども寝ているわけにはいかない。

 死にたくない、死にたくない、まだ、死にたくない。その思いが彼を無理矢理に突き動かす。胸の奥に熱を感じて無意識に手で押さえ、シオは涙で滲んだ視界で敵を見据えた。

 だがドラゴンが彼を慮ることはない。弱った獲物を捉えようと再び突進してくる。シオは力を振り絞り地面を蹴って避けると、モールドラゴンの顔目掛けて風魔導を放った。

 近所のお姉さんに教えてもらっただけの初級魔導だけれど、視界さえ潰せれば逃げるチャンスも生まれるはず。果たして、その狙い通りに風魔導はドラゴンの目に命中した。

 しかしシオの魔導の威力では目論見通りにはいかなかった。小さな傷こそつけることができたものの、分厚いまぶたを貫くことはできず、ただいたずらにモンスターの怒りを駆り立てただけだった。


「■■■■ッ――!!」


 咆哮が空間を揺らし、振動がシオにその怒りを伝えてくる。

 威力の上がったブレスが再び放たれる。もう何度目か分からない不格好な避け方でシオはそれを避ける。しかし体勢を立て直すより早く、ドラゴンは接近して爪を振りかぶっていた。


「っ……!」


 シオは咄嗟にそばに転がっていた何かを引き寄せた。

 それは仲間の死体だった。臨時で組んだだけだが、それでもつい数十分前までは楽しく共に探索していた仲間だ。

 けれども今のシオにそれを気にする余裕など到底あるはずもなかった。盾にした仲間の死体が爪に切り刻まれ、血しぶきがシオのまだ幼い顔を赤く染める。

 まだ熱の残る血を浴びながら、シオは自らの行為を恐ろしいものだと感じていた。死体とはいえ、仲間を盾にするなんておぞましいことだ。

 それでも。


(なんとしても――)


 生き残る。たとえ仲間の死体を犠牲にしようとも、構わない。絶対に、生き残る。ひたすらに強い生への執着が理性を、倫理を押しのけて自身の行動を肯定する。


「うおおおぉぉぉぉぉっっっ!!」


 胸の奥に熱を感じ、今度はシオが咆哮を上げた。湧き上がる衝動に押され、彼は――前へと力強く踏み出した。

 魔導で威力の底上げされた銃弾を放ち、同時に風魔導で牽制する。ドラゴンを傷つけるまでには至らないが、うっとうしそうに身を捩ると尾撃や爪の攻撃を繰り出してくる。が、Cクラスの探索者とは思えない動きで攻勢に出るとシオは、ドラゴンの頭上付近まで飛び上がった。そして――

 

「喰らえぇぇぇっっっ!!」


 短剣を突き出し、柄からそれがめり込む感触が伝わってくる。

 吹き出す血と頬に伝わるその熱さ。今度こそ敵の目を突き刺すことに成功した。


「■■ッッ!?」


 ドラゴンの悲鳴が上がる。シオは敵を飛び越して着地すると、大声を響かせ暴れるモールドラゴンに背を向けて走り出した。

 作り出した千載一遇のチャンス。シオたちが落下した広い空間から抜け出し、生き残るために懸命に走った。

 地面に滑り込む。そうしてシオは、人が一人通れる程度の出口から飛び出した。


(やった、助かった……!)


 いつもと似た迷宮内の光景に安堵の息が漏れた。シオの全身から疲労が吹き出して一気に力が抜ける。

 けれどその瞬間、シオが飛び出した出口の壁が吹き飛んだ。

 散らばる瓦礫の隙間から覗くのは、片目に短剣が突き刺さったモールドラゴン。そいつが、無事だった方の目を一際怒りで真っ赤に染めてシオを睨みつけていた。


「■■■■■■ッッッッ――!!」


 これまで以上に敵意のこもった咆哮が階層中に響き渡る。そのあまりの迫力に、シオはただ巨大な敵の姿を見上げるしかできなかった。

 自身に振り下ろされる鋭い爪を、呆然と眺める。もうまもなく自分は貫かれる。明確にその未来が理解できる。だというのに、あまりに現実味がなかった。

 そして――本当に現実となることはなかった。

 どこからか飛来した何かがモールドラゴンにぶつかって衝撃音を立て、その体が吹っ飛んでいく。

 その様子をシオは訳がわからないまま見送っていたが、ふと頭上に何かが浮かんでいることに気づいた。


「待たせた」


 スカートをはためかせ、義足から魔素を噴き出して浮かぶ少女が短く告げる。

 いつかも助けられた少女。シオが知る唯一のSクラス探索者。

 ノエルの姿を認め、シオは今度こそ間違いなく自分が助かったと確信したのだった。



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