後編

 一人っ子だと思ってずっと生きて来た。


 私が『お父さん』と呼ぶ人とは血が繋がっていないことは知っていたけど、別に気にしたこともなかった。物心ついたときには『お父さん』はよくウチに遊びに来ていて、週末もしょっちゅう一緒に出かけていたし。三人で旅行だってしたこともあって、小三に上がった頃、『結婚したい』とお母さんに言われたときも大して驚かなかった。すんなり受け入れられた……どころか、『あれ? まだカゾクじゃなかったんだ』と驚いたくらいだった。

 実の――なんて言うのは嫌いだ。血の繋がりのある……所謂『生物学的な父親』は、私が一歳になる前に母と離婚して、それから音信不通。もともとおめでた婚だったらしく、結婚自体も想定外。お互いに『仕方なく』といった……かなりネガティブな結婚生活だったらしい。そんなもの別れて当然だ、と思うし、早々と別れてくれて良かった、とも思ってしまう。おかげで私には、優しくておもしろい『お父さん』がいるのだから。


 そう――私は満足していたんだ。


 仲の良い『お父さん』とお母さんがいて……大好きな幼馴染のアキちゃんがいて。

 幸せだった。

 幸せだったから、『お父さん』の前の父親のことなんて気にならなかった。どうでもよいことだった。だから、別に詮索しようとも思わなかったし、わざわざ調べようとも思わなかった。


 でも、あの日――高二に上がる前の春休みのこと。

 突然、彼が現れた。

 いつから待っていたのやら、家の門の前で私を待ち構えていたその人は、私によく似ていた。顔も背丈も、服の趣味さえも……もはや他人とは思えなかった。ひと目会った瞬間に親近感が湧いて、第六感とでも言えばいいのか、ピンと来るものがあった。


『初めまして。――そうです、僕がおにーちゃんだよ』


 ヘラッと笑って、開口一番そう言い放ったその人こそ、桐沢奏。私の生物学的父親が離婚したときに引き取り――その日、初めて存在を知った――生き別れの双子の兄であり……それから約二週間後、『皆の弟』という謳い文句で鮮烈なデビューを飾り、日本中を沸かせることになる五十嵐奏太だ。


『で、どうだった? 番宣!?』


 スマホの向こうから聞こえてくる声の、なんと楽しげなこと。きゃっきゃとして、愛嬌たっぷり。同い年とは……まして、数分の差とはいえ、『兄』とは思えない。


「うん。良かったよ」とベッドに寝そべり、天井を見上げながら答える。「お兄ちゃん、ちゃんと可愛く映ってた」

『やっぱり? 角度も考えて映ってたからね!?』


 つい、苦笑が漏れる。

 どうだ、我を讃えよ――な、この傲慢な感じ。巷にはまだバレていない。

 五十嵐奏太といえば、まるで天使のような無垢な可愛さ。笑う声は涼やかな風鈴の如く、ぽろりと流した涙は真珠のよう。ぷんすか怒れば、閻魔大王も悶絶する。――世間で評されるそれは、全て計算尽くで作られた虚像であり……その実体はコレだ。


 かなり図太く計算高い自信家。それがこの半年で私が知った桐沢奏である。


『由鶴にも今度、教えてあげるね。骨格とかも似てるしさ……可愛い角度もきっと同じでしょ』


 得意げにそんなことを言われ、「ふぇ」って気の抜けた声が漏れた。

 その瞬間、ぽんと頭に浮かんだのはアキちゃんで。

 由鶴はどんな角度でも可愛い――なんて鼻息荒く言うアキちゃんがありありと想像できてしまって、かあっと顔が熱くなる。

 いや……いやいや……!? 何を勝手に妄想して照れてるの、私!? 言われてもいないのにー!


『どした? 何モフモフ言ってんの?』

「も……モフモフなんて言ってないよ!」

『あ……もしかして、例の幼馴染のこと考えた?』

「うええ!?」


 ぎょっとして飛び上がるように体を起こしていた。


「な……何を……何言って……!?」

『図星か。やっぱ、双子だね。絆感じちゃうな』なんておどけたように言ってから、あからさまにため息を吐くのが聞こえた。『まだ、好きなの? あのゴリラのこと』

「『まだ』ってなに!? ――て、ゴリラとか言わないで!」

『ゴリラじゃん』

「ゴリラじゃないから!」


 ああ、もう……失礼極まりないよ。こんなんなら写真なんて見せなきゃ良かった。いや、それ以前に『好きな人がいる』なんてことも話すんじゃなかった。

 思わぬ『兄妹』の存在にすっかり浮かれて、いろいろと打ち明けすぎてしまった感が否めない……。

 まあ、きっとそれはお兄ちゃんも一緒で。だからこそ、こうして『五十嵐奏太』らしからぬ――万が一にも巷に知られたら痛手となろう――暴言も吐くのだろう。


「言っとくけどね、お兄ちゃん」と私はベッドに座り直し、一旦、気を落ち着かせてから切り出す。「お兄ちゃんが『ゴリラ』と呼ぶその人……春野暁雄くんのこと、私は大好きなんです。もうずっと小さい頃から片思いしてるの」

『諦めなよ』

「最後まで聞いて!」


 ぴしゃりと言って、私は深呼吸。真剣な面持ちで壁を睨みつけながら告げた。


「私の髪が肩まで伸びたら……私、暁雄くんに告白します!」


 しばらくの間。電波が途絶えたのか、と心配になるような静寂があってから、


『はあああああ……!?』


 おそらく日本中で私しか聞いたことはないであろう、『皆の弟』こと五十嵐奏太――もとい、我が兄、桐沢奏の絶叫する声がスマホの向こうで木霊した。


『ちょ……ちょっと……待ってよ、由鶴!? 告白って……本気!? あの……マッチョゴリラに!?』

「マッチョゴリラってなに!?」


 そりゃあ、マッチョだけど。鍛え抜かれた、あの鋼の肉体がまた頼もしくてたまらないけど。いつか、思いっきり抱きつきたい所存ですけども。


『ぜ……絶対、認めねぇからな!?』

「ええ……なによ、『認めない』って!?」

『五十嵐奏太は日本国民全員の『弟』なの! そんな俺の未来の『弟』があんなマッチョゴリラなんて……俺はもちろん、日本が許さない!』


 み……未来の弟……!?

 リンゴーン、リンゴーン、とどこからともなく荘厳な鐘が聞こえてくるようだった。神々しい光が注ぎ込むチャペルの中で、胸元ぱっつんぱっつんなタキシード姿のアキちゃんが手を差し伸べてくる――そんなが脳裏に浮かんで、はわ〜、とたちまち胸がいっぱいになる。


「そんな……未来の『弟』だなんて……気が早いよ、奏お兄ちゃんったら〜」

『あ……由鶴、お前……今、想像してるだろ!? 頭の中で、マッチョゴリラとリンゴーンリンゴーンしてるだろ!? ダメだからな!? 俺に『妹』がいる、てだけでも結構なスキャンダルなのに、ましてマッチョな『義弟おとうと』なんて出来た日には、俺の『弟』生命に――』

「はいはい。大丈夫だよ。五十嵐奏太は不滅のアイドル。永遠の『弟』だよ。――じゃあ、そろそろ切るね」

『いや、ちょっと待て、由鶴! 早まるなよ。お前の髪が肩まで伸びるまでに、俺が必ず、ゴリラの皮を――』


 ゴリラの皮……? なんのことだろう、と思いつつも、私は容赦無く電話を切った。

 今に始まったことではないのだ――。

 好きな人がいることを明かしたときから、お兄ちゃんはこんな感じでやたらと突っかかってきて、難癖ばかりつけてくる。なんでなのか、と思ってたけど……結局のところ、アイドルとしての体裁を気にしていたわけね。

 『わたし』の存在も事務所と一緒に必死に隠しているみたいで、私も口止めされている。(だからこそ、アキちゃんにも言えずにいる!)それくらい、『弟』としてのイメージは五十嵐奏太には重大、てことなんだろうけど……正直、皆、実の妹がいようがいまいが、どんな義弟ができようか、気にしないと思うんだよね。

 まあ、お兄ちゃんはアイドルとしての自分に誇りをもってるし、自信家だけど努力家だ。多岐のメディアにおけるありとあらゆる『弟』像を研究し、ファンのための徹底したイメージづくりを欠かさない――らしい。些細なことでも、ファンの夢を壊すようなことはしたくない……のかもしれない。


「『皆の弟』やるのも大変だな」


 ぼそりと呟き、ふとスマホに視線を落とせば、メッセージアプリに通知が来ていた。

 アプリを起動してみれば、新着メッセージが。しかも、アキちゃんからだった。


 ハッと息を呑む。


 そういえば、アキちゃんから鳩の絵文字が来て、驚いてたところにお兄ちゃんから電話が来て……既読スルーしちゃってた。

 ごめんね、アキちゃん――なんて心の中で言いながら、トーク画面を開けば、


 ――今、家の前だ。話がある。


「ふぇええ!?」


 奇声を発し、ばっと瞬間的にベッドから飛び降りていた。


   *   *   *


 なんだろう、突然? わざわざウチに来て、『話がある』って……なに!?

 もしかして、『♡』マークの件? あからさますぎてびっくりさせちゃった? いやいや、でもでも……『告白する』って宣言はしちゃってるし。あからさまも何ももうないはずだよね!? アキちゃんからの返事だって、謎めいた絵文字は来たけど普通だったし……。

 うーん、分からない。

 何の用で来たのか、分からなくて怖いくらい……だけど。アキちゃんに会える――と思うと、それだけでやっぱり嬉しくて足取りも軽くなる。

 いそいそと一階まで駆け下り、私は勢いよく玄関から飛び出した。


「アキちゃん……!」

「おお、由鶴」


 門の向こうには、さっきのデート(と私は思ってる!)のときの格好のまま――ポロシャツにハーパン姿で――佇むアキちゃんが。ツンツンと立った、さっぱりとした短髪。彫りの深い顔立ちには大らかな笑みが浮かび、がっちりとした体格は相変わらず、逞しくて……思わず、その広々とした懐に飛び込んでしまいたくなる。

 

「ごめんね、メッセージ気づかなくて。待たせちゃったね」

「いや、全然だぞ。気にするな」


 スキップでもして駆け寄って行きたくなるのをぐっと堪え、私は必死に気を落ち着かせてアキちゃんの待つ門まで歩み寄る。


「どうかした……? 話って何かな?」

「ああ……はは」とアキちゃんは頭をガシガシ掻いて、はにかむような笑みを浮かべ、「さっきの……メッセージなんだけどな」


 ちょうど、門を開けて出たときだった。

 ぎくりとして、私は固まった。


 さっきのメッセージって……やっぱり、あの『♡』の件――!?


「え……あ……あれは……その……!」


 あわあわとして言う私の言葉を「ごめん!」とアキちゃんは遮って、きっちり九十度に腰を折って頭を下げた。


「ハートなんて今まで誰にも送ったことがなくて、緊張して手元が狂った! 気づいたときには鳩になっていた!」

「へ……」


 きょとんとして、私は惚けてしまった。

 手元が狂って……鳩になっていた?

 鳩――と言えば。その瞬間、ぽんと頭に浮かんだのはさっきのアキちゃんからのメッセージで。可愛い鳩の絵文字が脳裏に蘇った。

 『さっきのメッセージ』って……私のじゃなくて、アキちゃんの?


「あれは鳩は鳩でも……」と力のこもった声で言って、アキちゃんは頭を上げてビシッと姿勢を正す。「俺のハートのこもった鳩だ!」

 

 その瞬間、きゅううんとハートが締め付けられるのを感じた。


 ぼわんと頭が茹で上がるみたいな熱くなる。自然と口許が緩んじゃって、だらしなくニヤケながら、「そ……そっか、そうだったんだ……」ともにょもにょと言う。

  

 あの鳩はアキちゃん♡がこもった鳩? 打ち間違っただけで、アキちゃんも♡を返そうとしてくれた!? しかも……だよ。どさくさ紛れに確認できちゃった。アキちゃんは今まで、誰にも♡を送ったことがない、て。つまり、あの鳩は実質的にアキちゃんの初めての♡なんだ! アキちゃんの初♡をもらっちゃったんだ〜。


「ごめんな、由鶴。いきなりびっくりしただろう」

「う……うん、確かにびっくりした……けど、嬉しいな」

「う……嬉しいか」

「うん、嬉しい……よ」


 なんだかふわふわとした雰囲気が漂って、お互いにもじもじとしてしまう。


「えっと……それで……わざわざ、そのことを伝えに来てくれた……んだ?」


 目を合わせるのも照れ臭くて、視線を泳がせつつ、そんなことを訊ねると、


「ああ。メッセージでも伝えたが……俺もだ――からな。俺も……由鶴に早く会いたかったからな!」


 電灯が灯り始めた暗がりの路地に、アキちゃんの強張った声が響き渡った。

 ふわあああ、と私はもう悶絶寸前だった。

 心臓がバックバックと飛び跳ねている。身体中が熱くて、今に溶けてしまいそうで……。


 ああ、ダメ。もう……そんなこと言われたら、我慢できなくなっちゃうよ。

 言いたくなっちゃう。この場ですぐに伝えたくなっちゃう。大好き――て今にも叫んでしまいそうになる……!


 でも、我慢しなきゃ。まだ早いもん。

 だって、きっと……アキちゃんのそれは、『幼馴染』として、で。アキちゃんにとって私は『弟』みたいなもの。まだ『女の子』としても見てくれてないんだ。だからこそ、そんな甘い言葉も大声で言えちゃうんだ。


 大好きだ、て伝えるのは――告白するのは、もっと『女の子』として意識してもらってから。私の髪が肩まで伸びたら……。

 それまでは……五十嵐奏太お兄ちゃんを見習って、私も『可愛さ』を追求するんだ。そして、ちょっとずつでいいから『女の子』として意識してもらえるよう、アキちゃんにどんどんアピールしていくんだ!


「あ……アキちゃん!」と私は意を決して言って、アキちゃんをおずおずと見上げる。「今……ウチ、誰もいないんだけど。上がっていきませんか!?」

「へ……!?」


 いきなり……だったからだろう。アキちゃんはぽかんとして固まってしまった。まるで豆鉄砲を食らった鳩みたいに。

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