2.変化

その翌日。いつも通りに日常が、この日を境に音を立てて崩れていった。いや、崩れたなんて言い方は本来良くないのだろう。しかし平凡な人生を歩んできた私にとってそれは突拍子もないことだった。上司から、東京への異動を言い渡されたのだ。


 先日、東京本社に勤める部長が来社していたのだが、その部長の目に、何故か私が留まったのだという。特に何かした覚えはないのだが、どうもその時のディスカッションで出た私のアイディアが素晴らしいと絶賛し、是非、本社勤務になってくれとのことだった。


 だがそれはあくまでも建前。実際にはその部署で何人か欠員が出ており、人員を補充したかったのだろう。そこでは今、重大なプロジェクトが動いており、その一員を担ってほしいとのことだ。だがよく聞いてみれば、彼氏がいなくて結婚や妊娠、出産の予定もない私が消去法で選ばれたらしい。重大プロジェクトだからこそ、途中で抜けられたら困るからだ。


 ここ、地方にある支社では比較的ゆるりと働いていてもそこそこの給料が保障されるが、本社では成績次第で大きく変わる。だから私のようなやる気のない人間は、基本的に本社勤務を嫌うのだ。まぁ要するに今回は、貧乏くじを引かされたわけである。上司には奥さんも子供もいるため転勤は避けたいし、私以外の社員は新入社員で実力不足の人や彼氏持ち、結婚してる人が多くいる。そう、この部署で唯一の適任と言えるのがまさしく私だったのだ。


 一応上司にはこのまま支社で働かせてほしいとお願いした。だが、私のようなただの平社員の意見が反映されるほど、社会は甘くない。私が本社に行けば、しばらくここから転勤になる人は出ない。要はみんなのために犠牲になってほしいと言われているようなものだ。元から半分諦めていたため、そう言われると返す言葉も思いつかない。いや、言うだけ言ってみて、ダメなら潔く諦めようと思っていたのもそれ以上上司に意見しなかった理由の一つだ。


 それにしてもいきなり東京とは、ハードルが高い。なんせ私は生まれも育ちも地方。いわゆる田舎者。東京の人混みに揉まれながら生きていく自信がなかった。だがもう決まってしまったことは覆すことができない。否、そんな権利も勇気もない。私がどんなに騒いだって無駄なのだ。そこで私はあることを思い出した。上京し、今はテレビ局で働く幼馴染の児玉誠二の存在を。休憩時間に入ると同時に、誠二に電話をかけた。数回コール音が鳴った後、懐かしい声が鼓膜を震わせた。


「あれ、香織から電話してくるなんて珍しいじゃん。なんかあった?」


 誠二と最後に話したのはもう数年も前。連絡先自体は知っていたが、お互い仕事も忙しく、ほとんど連絡なんてとっていなかった。


「あのさ、私ね、もしかしなくても東京に行くことになったんだよ。」


 なんだそれ、と面白そうに笑う誠二。あぁ、何も変わっていない。東京に行ってしまい、東京の色に染まっていたらどうしようとも思っていたが、記憶の片隅にいた誠二のままだった。私はこれまでのことを相談した。仕事に対する意識の低さや、私が本当に東京本社でやっていけるのか。そして、もし失敗してしまったときの恐怖も。誠二は私が話している間は静かに、黙って聞いてくれていた。本当にくだらない内容だったと思う。だが、誠二は私の言葉に耳を傾け、真剣に答えてくれた。


「お前がどんな風に今の仕事を捉えてんのかは知らねぇけどさ。でも、好きなようにすればいいと思うよ? まだまだ俺ら、これからだし。それに、俺だっているわけだから困ったら頼ってくればいい。俺ら幼馴染だろ?」


 そう言われると、心にかかっていたもやもやが晴れた気がした。誠二はいつだってそうだ。何故かは分からないが、私が迷った時はいつも進むべき方向を定めてくれる。羅針盤のような存在だ。幼馴染とはいえ、誠二は年上。きっとかっこつけて年上ぶってあんなこと言ったのなんて、丸わかりだ。…なんて思ったが、誠二の優しさに免じて今回は何も言わないことにした。


「…うじうじしててもダメだね。覚悟、決めとこ。」


 誠二との電話を切った後、新生活に向けての準備に取り掛かった。

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