外伝:とある局長の昔話

 昔昔、ある所に1人の少年がおりました。少年は由緒正しい軍人の家系に生まれ、彼もまた自ら軍人を志し、日々鍛錬を重ねていました。やがてそれは実を結び、青年となった少年は、一国の軍人として前線へと身を投じることとなりました。その後青年は数えきれないほどの戦地へ赴き、そのたびに輝かしい戦績を残していきました。やがて青年は階位をあげていき、国が始まって以来史上最も若くして、大将の地位をその手につかみ取ったのです。彼が主とした徹底した合理的作戦は、部下たちから確かに反発はあったものの、その作戦で必ずと言っていいほど国は勝利を挙げてきたので、次第に反発する人間はいなくなっていきました。

 しかし突然、彼は何を思ったのか、そう思わせる予兆もなく軍を退役したのです。あまりの突然のことに当初は戸惑いの声がほとんどでしたが、代わりに同等の有能な軍人が大将の地位に就くと、次第に話は人々の興味関心から外れていきました。その後、かつて史上最も若くして大将となった青年は、人々の記憶から消え去っていきました。今どこで、何をしているのか。どうして突然退役をしたのか。ある一説では、あまりにも長く続き、当初の目的すら忘れ去られた泥沼と化した戦争に嫌気がさし、最後の抗議として何も言わずに退役をした、というものもありますが、それが真か偽かは、今となってはわかりません。噂の主はもう既に、国から消えてしまったのです。

 青年が消えてからそう間もないうちに、かつて栄華を極めた国は著しく国力が落ち、見るも無残な姿に変わり果てました。



【外伝:とある局長の昔話】



「……これで充分か」


 荷物をまとめ、青年は1人静かな部屋でつぶやく。長年国のため先祖のためと軍人となり、戦地に身を投じる日々を送ってきたが、そろそろ。特に何かしら重い理由があったわけではない。腐った役人たちに嫌気がさしたわけでもない。目的を忘れ、ただただ蹂躙の快感を忘れられずに戦を泥沼化させた部下たちに冷めたわけでもない。何もしないくせに口だけは出す卑しい国民に愛想をつかしたわけでもない。ただ単に、大将という地位に立ち、戦地へ赴いて戦ったり、徹底した合理的な作戦で戦績を残したり、果てはその功績で偉大なる賞をもらったりすることに、のだ。ならばもうここにいる理由はない。幸いにも人生を5回しても釣りが返ってくるほどの金はある。その金を使ってどこかへと旅にでも出よう、と思い立ち、彼はこうして荷物をまとめ、ひっそりと自らに割り当てられた部屋を出る。その際に、を仕掛けるのも忘れずに。


「この国が終わるのも時間の問題だな」


 それだけ言うと、次の瞬間彼の姿はどこかへと消えていた。

 その後、彼が仕掛けた爆弾は見事に爆発し、軍は弱体化、王室も失脚。数多の功績を残した国は次第に腐敗し、機をうかがっていた隣国から滅ぼされた。





 国を去った青年は特に目的地を決めずに、様々な場所を歩き回っていた。かつて軍人として在籍していた国よりはるかに豊かな国へたどり着いたり、逆に経済も何もかもが腐敗した国へとあえて足を運んでみたり。そこで得られた経験は、軍人であった頃より比べ物にならないくらい良いものであった。自らの視界が開け、今までとても狭い世界にいたものだと痛感させられた。それぞれに住まう人々は多種多様な表情を浮かべ、個人の思うように人生を送っている。これが人の営みなのか。こんなにも自由な暮らしを送ってるのか。しかしそれを知ったとしても、今までに戦地で手にかけてきた敵兵を思い、涙することはない。なぜならばそれらは功績のため、国のために必要な犠牲であったからに他ならない。そんなもののためにいちいち感情を割いていたらきりがない。


「……余計なことを考えたな」


 らしくもない。そうつぶやくとおとずれたばかりの国の、いちばん大きな商店の自慢の品であるという檸檬を買うと、それを齧る。口の中に広がる強烈な酸味。だが後から来る甘味に舌鼓を打った。どうやらここの自慢の品は確からしい。檸檬を気に入ったのか、青年はもう一つ檸檬を店員から手渡しで購入する。その青年の姿が物珍しかったのか、店員からフランクに声をかけられた。


「お客さん、旅の人?」

「……ああ、そうだ」

「へぇ。あれなの? 自分探しでどっかふらふら回ってる放浪旅的な奴?」

「自分探しではないが、放浪旅ではあるな」

「そうなんだ。そういやお客さん、最近噂になってる場所のこと知ってる?」

「何の話だ」

「その様子じゃ知らないみたいだね。実はねぇ、ここからそう遠くないところにさ、とんでもなくヤッバイ場所があるんだよ」


 少し興味を持った青年に気をよくしたのか、店員は嬉々として話始める。曰く、無法者しかいない溜まり場が大きくなりつつあること。人身売買、臓器密売、強姦、暴行、とにかく何でもありの無法地帯であること。そんな場所でも雑貨屋や食堂、そしてなぜか教会が活き活きと開かれていること。段々と人が集まりつつあるのでいずれは一つの街ができそうだということ。多少信じがたい内容は混じってはいたが、それでも青年の興味を完璧に惹くには充分すぎるものだった。その場所はどこにある、詳しく教えろというと、この国を出て東の方角へまっすぐ進むとあると言った。わかりやすいくらいに積み木のようなタワーが建っているからとも伝えてくれ、青年は軽く会釈をするとさっさと店を出て国を後にした。


「……って、わかってんだけどさ」


 そのうしろ姿を見送った店員は、何かを思い出したかのように端末を取り出してどこかへと電話をかける。数コールの後に、第三者の声が耳に届く。


『要件を簡潔に』

「さっきうちの店にアンタんとこの息子さん来ましたよ。例の無法地帯行くらしい」

『ふむ。有益な情報だな、礼を言う。ちょうど手術するための素体を探してたものでな、いいタイミングで来てくれた』

「なあ、ずっと前から聞きたかったんだけど。おたくら何をやってんの? その手術とかなんとか」


 やや嬉しそうに話す電話の向こうの第三者に対し、店員は訝しげに声を低くして尋ねる。その質問にかえって気をよくしたのか、第三者は軽いノリで喋りだす。そこから聞こえた話は、とてもじゃないが信じがたい内容であった。


『人間に強制的に、強力な力を植え付ける手術だ』

「はぁ……?」

『我々は適合手術と呼んでいる。無差別に患者実験台に手術をしているのだが、適合しなくてな。無駄になるから、頭を抱えているのが現状だ。しかしどうだ、我々の息子は軍に入った直後から頭角を現し、そのまま最年少で大将になった。昔から才能はあると確信していたが、あれほどまでに素晴らしく成長するとは思わなんだ。これは適合手術を施さない理由がない。今から準備をする。家内にも伝えておくとするか。君は息子の様子を逐一報告してくれ給え。どうせ君のことだから、何かしら


 全く信じがたい突飛な内容に、店員は理解ができず疑問符が浮かぶばかり。人間に強力な力を植え付けるとか、適合手術だとか、木っ端微塵だとか。一体何の話を聞かされているのだろうか、と思っていたものの、相手からの最後の一言に、店員は息をのむ。と、直後ににやりと笑って見せた。そう、青年が買っていったもう1つの檸檬にはとある仕掛けがなされていた。確かに買われていったものは本物の檸檬ではあるものの、人間の目では目視できない、現在地追跡のためのフェムトレベルのチップが埋め込まれているのだ。いかに一国の元大将といえど、フェムトレベルのチップとなれば気づくはずもない。それをわかっててこの店員はあえてもうひとつの檸檬を手渡したらしい。先ほどまでの青年に対する言動などは、敢えての演技だったのだろう。すべては気づかれないために。


「なーるほど。ようやく何やってるか分かった。ほんっとに話してくんなかったよな。いつだかウチにきて、先の未来でこの写真の息子が来たら教えてくれって。マジ強引だったよね。つか仮にも一国の元大将をそんな実験に使うとか……まあいっか、関係ないし」

『要件は済んだな。切る』

「あいどーもー」


 そこで通話は途切れた。店員はため息をついて店に置いてある檸檬を一つ手に取る。物騒な通話をしていたというのに、店の中は誰も気づかずに買い物を楽しむ客で沢山だ。それはほかの店員も同じで、忙しそうに店内を駆け回っている。


「妙なとこに協力しちゃったなあ」


 ひとこと漏らすと、その檸檬に思いっきりかぶりついた。





 伝えられた通り、東にまっすぐ進んでいくと、これ見よがしに積み木のように上へと何かが積み上げられたタワーが視界に飛び込んできた。どうやらこの近くに例の無法地帯があるらしい。その無法地帯に、ただ興味を惹きつけられたから訪れてみたいと思った。たったそれだけで彼はここまで足を運んだ。無法地帯の光景を目にしたらそのあとはどうしようか。そのあとのことなど特に考えていない。せいぜいと軽く考えていた。実は道中、いつも愛用している薬剤を切らしてしまったのだ。紙巻にして、先端部分に火をつけて煙草のように吸うタイプのもので、軍をやめて国を出てからというものの、その消費は激しく、ついに底を尽きてしまったらしい。可能であればその薬剤を手に入れたいと考えていたのだが───そうはうまくいかないのが現実であって。


「誰だ」


 背後の怪しげな気配に気づいたのか、青年は一言大きく声を張る。それに呼応するかのように、怪しげな気配は青年の前に姿を現す。研究者らしい恰好をして出てきた第三者に、青年は眉を顰める。一体こんな奴がどんな用件で来たんだと。

 第三者は拍手をして楽しそうに青年に声をかけた。


「やはり軍人の気配察知は侮れないな……さすがは退役したとはいえ、大国の軍大将をしていただけはある」

「目的はなんだ。俺の身柄か」

「半分正解。正しくは身柄ではなく、君自身の体そのものが目的だがね」

「酔狂だな。何がしたい」

「ここで素直に言うとでも? それに君を必要としているのは私ではなく、他の研究仲間のほうなんでね」

「実力行使か」

「いいや、流石に軍人相手にそんなことできるはずがない。素直についてきてもらうよ」


 そこまで言うと第三者は指を鳴らす。すると一瞬にして青年の周りを囲うようにして、ずるり、と這いずって、明らかに人間ではないが出てくる。それらは青年を囲うだけで、特にこれといった攻撃などはしてこない。しかも気味が悪いことに敵意という敵意が見られないのだ。本来であれば問答無用で携えている刀ですべてを斬り落としているところなのだが、青年は確信していた。こいつはいくら斬り落としたとて、無限にこの人間ではないなにかを呼び続けるだろう、と。つまりはキリがなくなって非常に面倒くさい。ならばどうするか。ここは変に抵抗せずに、素直に従うのが合理的な選択だろう。そう結論付けた青年は、ため息をついて口を開く。


「……どこに行けばいい」

「物分かりが早くて助かるよ。私も頼まれている身なんでね」


 にこりと笑うと、第三者は呼び出した者たちを散らし、青年を背にして歩き始めた。


「頼まれている身……と、言ったか」

「ああ。君がもうすぐここにくるだろうから、連れてきてくれって」

「一応聞いておくが、誰にだ」

「それは着いてからのお楽しみかな」


 それきり第三者は話さなくなった。特に話すことはない、と判断されたのだろう。ならばこちらも話すことはない。無駄に口を開いても余計な体力を失うだけだ。青年もまた口を閉ざして、第三者の背を追いかける。

 彼らが目指す場所には、巨大な城が聳え立っていた。





 巨大な城の内部へと入っていき、上へ上へと昇っていく。その道なりは青年にとっても惹かれるものばかりであった。綿あめ屋のように見せかけた幻覚剤の屋台、くじ引きの屋台のように見せかけた合成ハーブの売店、そこかしこに見える人間の臓物の干物。かつて身を投じていた戦場では見ることはなかった光景が、今青年の視界に広がっている。それだけで、青年の心は踊った。一体ここはどういった場所で、どういった生活が為されているのだろうか。今すぐにでも目の前の第三者を無視して、そこら中の店を片っ端からのぞいていきたい。かなうならば、内部まで隅々と。しかし余計な行動をここで選ぶと、後々面倒なことになるのは目に見えている。自らの好奇心をおさえつけて、目の前の第三者についていく。

 やがてある扉の目の前で第三者はぴたりと止まり、軽くノックをして返事を待たずにその扉を開ける。青年もそれに続くように扉の奥へと入った。

 そしてそこで待ち構えていた存在を目にし、青年は目を見開く。


「久しいな、息子よ」


 青年は信じたくなかった。なぜこいつがここにいる。なぜこいつがこうして目の前で息をしている。なぜこいつが───生きているというのだ。何も言葉を発せずに、わなわなと震えている青年に対し、目の前の人物───初老の男はまっすぐに彼を見据える。そしてまた口を開いた。


「如何した、信じられないか。自らが手にかけた父親が、こうして生きてるのは」

「……何のつもりだ。あの日確かに、貴様はこの手で殺した。だというのになぜここに存在している」


 ようやく言葉を口から発することができた青年は、目の前で余裕そうにふるまっている自らの父親を怒りと憎悪に満ちた目で睨み返す。握りしめられた拳は手袋をしているせいか、ぎちぎちと聞くに堪えない音をたてている。そうだ、確かにあの日あの時、確実に心臓も、脳も、何もかもを斬り刻んだ。もし万が一何かしらで復活、何てこともできないように、それこそ肉団子のタネのように斬り刻んだのだ。その時の感覚や感触は今でも覚えている。そこまでしたのに、なぜこいつはこうして堂々と立っているんだ。それも───人の形を保って!

 青年の父親はあまりの怒りで形相が変わり果てた息子に対し、どこか懐かしむように当時のことを振り返る。


「あの時は再生するまで時間はかかったが、なかなかにいい体験だった。人とは斬り刻まれるとあのように意識も薄れるのか、とな。痛覚もあれほどまでに懸命に働いてくれるとは思わなかったが。さすがにこの世のもとは信じたくない痛みだった。しかしそれも含めていい体験だった。そこは感謝しよう、息子よ。結果としてお前はあの国で最も若くして軍の大将となったわけだが……今思い出してみるとなかなかに血生臭い国だとは思わんか。のし上がる方法が、こととは。もっと良い方法もあっただろうにな。しかしお前はよくやった。実の親を自らの手で殺害し、のし上がる。そんじょそこらの人間では為せないことをお前はいとも簡単に成し遂げた。それでこそ我が一家の長男だ。そんなこともできない腑抜けを育てた覚えはないからな」

「それ以前の問題だ。前々から貴様だけは殺さないと気が済まなかったんだ。随分と歪み切った性癖を患いやがって。……毎日毎日かわるがわる男も女も関係なしに違う幼児やら小児やらを部屋に招いては安眠妨害。挙句の果てにはにまで手を出しかける。そんな人間が実父というのが心底うんざりだったんだ。貴様だけじゃない、周りの親族連中もゴミみたいな癖を患ってやがる。何が誇り高き軍人の一族だ、誇りもなければ誉もない、屑共の肥溜めだろうが! だから当時軍の大将だった貴様を最初に殺したんだ。貴様を殺して大将の椅子に座れば、あとは何をしようが構いはしない。親族も何もかも殺した。全部きれいさっぱり消して暫く軍大将をやってたが飽き飽きしてきたからやめた。これから放浪旅でもして過ごそうかとか考えてたら貴様が今目の前にいる。を呼んだ目的はなんだ、何が狙いだ、とっとと吐け、ド屑が!!」


 あまりの怒りに、語気を荒げる青年。そこまで言い切ると口を閉ざす。代わりに荒い呼吸をしながら、強く強く睨みつける。その瞳の中には常人では宿すことのない激情が燃え盛っていて、あまりの強さに見られただけで燃やされてしまいそうであった。その様子にいたく感動というものを覚えたらしく、父親は思わず笑いを漏らす。そしてまた満足そうに口を開いた。


「やはり素晴らしい成長をしたな……これならば適合手術は完璧に達成されるだろう。そうと決まればすぐに準備をせねばな。少し


 瞬間、ぱちん、という指を鳴らす小気味いい音が鳴ったと思うと、青年の意識は突然闇の中へと落ちていった。





 ごうごう、ごうごうと、何かが燃え盛る音がする。ぱちぱち、ぱちぱちとも音がする。次第に焦げ臭いにおいも鼻孔をくすぐり始めた。何かを燃やしているのだろうということは理解できたが、自分が今どこにいて、どんなふうに燃えている現場を見ているのか、いまだ認識することはできなかった。なぜならば自分は今、自らの力で瞼を開けることも、体を動かすこともできないのである。何かで押さえつけられているのか、それとも人知を超えた場所に来てしまったのか。いや、前者ならまだしも、後者はさすがにないだろうとその考えを消す。が、確かにこの手で殺したはずの父親がああやって人の形を保ったまま生きていたのだから、そういうこともあってしまうのかもしれない。と、すればこれは一体何をされているのだろうか。

 しばらくそうやっていると、唐突に瞼を自力で開けることに成功する。今まで開けられなかったのがウソのように簡単に開けた。体の自由もある程度聞くようになったので、軽く体を動かしながらさていったい何が起こってるんだと思いつつ、初めて認識できた視界は、。しかもその炎は青年の周りを囲うようにして燃え盛っている。ごうごう、ごうごうと燃え盛り、青年を取り囲んでいる。まるでどこかの国のわらべ歌のように、火の海は青年を囲んでいる。しかしその火は青年を燃やすことなく、ある一定の距離を保ちながら燃え盛っていた。不審に思い、青年はその火に自ら近づいてみる。

 するとどうだろうか、瞬間、食らうかのように火は彼を一気に飲み込んだのだ。


「ッ、───!」


 熱い、熱い、痛い、苦しい、熱い、熱い。今ままで感じたことのない苦痛が、皮膚だけではとどまらず、内部にまで侵食してくる。焼ける、内臓も、脳も、目も、何もかもが焼ける。苦痛はとどまることを知らず、青年を縛り続ける。じゅうじゅう、ごうごう、ぱちぱち、ぼうぼう。様々な音が重なり合って、青年の精神もむしばんでいく。

 だとしてもここで死ぬわけにはいかない。かろうじて残っている己の力を振り絞り、火の海から脱出しようと何とかもがく。遠ざかろうと何度も必死に体を動かす。しかし無情にも炎は燃え盛り続け、運が悪いのかそうでないのか、勢いはさらに動けば動くほど増すばかり。しかし青年はあきらめるという選択肢を取らなかった。ここで死んでしまっては、あの実父の思い通りになるだけだろうと確信していたからだ。かつ、こんな無様に死ぬのは御免だ。力強くそう思った。

 そうやって炎の中で燃やされながらももがいていると、突然火の海がぴたりと消えた。青年を食らっていた炎も消えてしまい、じゅう、と体から焼け焦げた音がする。途端に力が抜け、青年は力なく地面に伏す。


「……」


 声を出そうとしたものの、焼けてしまった喉は機能を果たしていなかった。かろうじて息のようなものが少しばかり出るだけだ。ああ、終わったのか。少しばかりほっとしていると、間髪入れずにまた炎が復活する。今度は彼の心臓の位置が火元らしかった。


「!」


 一気に彼の体は飲み込まれる。が、再びの炎は苦痛という苦痛を彼に与えなかった。それどころかむしろ、ような気がするのだ。この炎は、もともと彼の力であった、と言わんばかりに。つまりこれはどういうことだろうかと燃え盛る炎の中考えあぐねていると、突如として脳内に声が響いてきた。その声は今まで聞いたこともないような声であった。たとえて言うなら、ノイズをありったけきかせたような、耳障りな声だ。


『───愚かよな、人間』


 その声は青年を見下しているかのように、尊大な態度をとっていることが口調などからして分かった。青年は何も答えることもできず、ただ黙ってその声を聴くのみ。


『しかし我が炎に消し炭にされず、形を保ち生き残ったことには称賛を与えてやる。であれば、我が炎を一部くれてやろう。好きに使え、貴様の炎だ』


 尊大なその声は、青年にそれだけ言うと気配を消した。後に残ったのは、一部と言っていた炎のみ。その炎は青年の体を包み込むと同時に、また青年の周りを囲うようにして、音もなく燃え盛り始める。どういうわけか青年の体は一瞬にして完璧に治癒されており、いつの間にか声もはっきりと発することができるようになっていた。青年はひとつため息をつくと、ぐっと拳を握る。


「……上等だ、好きに使わせてもらうぞ。生ける炎クトゥグァ


 はっきりと、明確に、の名前を呼べば、炎はさらに勢いを増してあたり一面を燃やし尽くした。





 次に目を覚ました場所は、連れてこられた場所のままだった。かなり良い椅子に座らせられていたようで、不思議と体への痛みなどはなかった。長いことねむっていたのだろうか、頭がぼんやりとしている。くらくらと頭をかかえていると、今最も顔を見たくない存在が目の前に現れる。その存在は目を覚ました青年を見て、満足そうに笑う。


「おめでとう。適合手術は成功だ。お前は終四廃者グレイト・フィーニスとなったのだ。誇れ、自らの新たな誕生を」


 嬉々として話す父親は、その勢いですべてを青年に浴びせる。耳障りで汚らしい声が重要な情報と共に、口からボロボロと出てくる。曰く、終四廃者グレイト・フィーニスとは、人工的に強力な力を植え付けられ人外となった存在だということ。自分のほかにその存在はほかに3人ほどいるということ。そして今話題となっている無法者しかいない溜まり場で、巨大な街を作って統治してほしいということ。最後に───自らが手掛けた終四廃者グレイト・フィーニスが、、ということ。目の前の父親から放たれるすべての言葉が、青年にとっては煩わしいことこの上なかった。こいつは一体何の言葉を使って話しているんだ。そんなくだらないことに自分をまきこむな。ふつふつと彼の胸の内に、怒りが燻る。止まることを知らず、そのままべらべらとしゃべり続ける父親に対し、彼はついに限界が来る。


「もう黙れ」


 瞬間、ぼう、と炎が目の前の男を食らう。炎は勢いそのままに、男の全身を飲み込むとともに、さらにその強さを増す。燃え盛る炎の中でもがき苦しんでいる男を見つめると、次第にその光景に飽きたのか、それまで座っていた椅子から立ち上がり部屋の扉の前に立つ。


「これ以上は時間の無駄だ。そのまま焼け落ちて死ね」


 それだけ言い残すと、彼は部屋を後にした。それまで達者に口を動かしていた男は、炎が消え果ると同時に動かなくなった。

 そのまま自力で動くことはなかった。





 終四廃者グレイト・フィーニスとなった青年は、当初の目的通り件の無法地帯へと足を運ぶ。そこで目にしたのは、統治者がいないが故に、崩壊しきった治安の集落だった。そこかしこに糞尿が垂れ流されていて、それに構わず薬剤をキメて全裸でパーティーを楽しむ集団。それと同時に開かれている、男も女も関係なくフィーバーする乱交現場。まるで混沌を煮詰めて、濃い部分だけを抽出して形作られたかのような様相に、青年は思わず言葉を失った。ここまで落ち切った場所があったのかと。だというのにその近くにあった教会では無遠慮に鐘が鳴り響き、さらに離れた場所では何かしらの店に忙しそうに人が出入りしている。ここまでよくもまあ人が集まったものだな、と思う。思わず空を仰ぎ、ふう、とため息をつく。


「燃えろ」


 次の瞬間、集落は一気に炎の海にのまれた。青年だけを残し、すべてが燃え盛る。人も、建物も、何もかもが焼き尽くされる。それまでさわいでいた集団からは、一気に悲鳴の大合唱が響いてくる。聞くに堪えない悲鳴だ。もっと静かに死なないものか。

 どれだけの時間、燃やしていただろうか。最早気の遠くなるような時間を、集落の焼却に充てていたかもしれない。そろそろ頃合いか。そう思った青年は、それまですべてを飲み込んでいた火の海を一瞬にして消す。これも終四廃者グレイト・フィーニスとしての力か。思い付きだったのだが、案外うまくいくものだな、と思う。

 火が消え、また全ても焼き尽くされた集落だったものを見渡し、青年はひと息つく。ようやくすっきりした。これが一番合理的で、効率がいい。

 しかしどうも先ほどまでの火の海から、命からがら生き残った者はいるようで、火元である青年を恨めし気に睨みつけていた。だが青年はそんなものを気にしない。むしろ好都合だと思った。なぜならばこれから街というものを作るのに、どうしたって人手は必要となるからだ。いないよりは、少なからずでもいたほうがいい。彼は少し楽しそうに、誰かに聞かせるでもなくつぶやく。


「さて───手始めにまず、水回りから整備をさせるか」



 これが後に、九龍市クーロン・シティ四皇、市管理局局長となる空燕コンイェンの始まりである。



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