外伝:とある女将の昔話

 昔昔、とある旅館に1人の娘がおりました。大きな大きな旅館の次の女将となるべく、言葉を覚えて間もない頃から、それはそれは厳しく育て上げられました。歩く足の間隔、お辞儀の角度、背筋の伸ばし方、指し示す指の揃え方、言葉遣い、そして自然な笑顔。それらは全て、将来旅館の女将となる為に必要なものでした。そして同時に、生きていく上での技でした。しかしそんな厳しく、泣くことも許されない日々に、娘は段々と嫌気がさすようになりました。学校には行かせて貰えず、友人という友人も出来たことがない。それどころか、同年代の子供と遊ぶということも知らない。常に旅館という名の家に閉じ込められ、継ぐための勉強という名の仕事をし続けるだけの毎日。旅行などで家族で旅館に宿泊する子供たちを見て、娘は心底羨ましがりました。何故、私は一息つくことすら許されないのだろう。私とて思い切り外で遊びたいのに。好きなことをしたいのに。

 やがてとうとう溜め込んでいたものが、ある日の母親からの行き過ぎた説教をキッカケに爆発しました。娘は突然言葉を発さずに、懐に隠していた短刀で、母親に馬乗りになってにしたのです。完全に息絶えても、今まで溜め込んでいたものを発散するように、何度も何度も、何度も何度も滅多刺しにしました。やがてそれまで母親だったものがなった頃、娘はピタリと手を止めます。そして壊れたように、狂ったように、高らかに、笑いだしたのです。

 その後、父親も、きょうだい達も、祖父母も、何もかもを滅多刺しにすると、宿、旅館を火だるまへと変貌させました。



【外伝:とある女将の昔話】



「……終わってもうたなあ」


 火だるまになったかつての旅館を見つめる。しかしその目には悲しさも憂いも何も無かった。あるのはようやく自由になれたことで味わうことが出来た、開放感だけ。だがそこに喜びというものはなかった。

 彼女は全てが憎らしかった。生まれた時から定められていた人生のレール、そのレールを敷いた両親や祖父母、関係ないと言い張り自分に無関心なきょうだい達、そしてそんな旅館に泊まり満足そうに笑顔で過ごす旅行客。それら全てが、彼女にとっては憎しみの対象であった。なぜ自分だけがこんなにも窮屈な暮らしをしなければならないのだろう、何故こんなにも自由という自由が与えられないのだろう。長いこと旅館で修行と銘打った仕事をしてきたが、既に心も体も限界が来ていた。今ここでやらなければ、死んでしまう。

 そう思ったゆえの行動だった。最初に喉を切っておいて正解だったな、なんてことを思うが、これだけの火事となってしまった以上、そして服には返り血がべったりとくっついてしまっている以上、1人でも見つかってしまえば大変なことになる。早くここから立ち去ってしまおう。そう結論づけた彼女は、べたべたになったむき出しの短刀を手にしたまま、そのままどこかへとふらりと姿を消した。

 翌日の新聞には大きく、『老舗旅館の惨劇』と言う文字が、変わり果てた旅館の写真と共に一面を飾っていた。





 どれだけの時間を歩いただろうか。人気のない、かつ薄暗い場所を選びながら彼女はひたすらに歩み続ける。目的地など、そんなものは存在しなかった。ただただ気が済むまで、果ての果てまで、彼女は足を動かし続ける。勿論、血でべたべたになった短刀はむき出しのまま手に握られており、返り血で染った着物を、崩れたとて直すこともしなかった。彼女にとって、この行動は最早意味を為さなくなっていた。何故ならばもう彼女を追うものなど、知っているものなど、とうの昔に居なくなっていたのだから。もし万が一いたとしても、残っていたとしても。すべてをかなぐり捨ててまでしつこく今の彼女を追いかけてくる者はいないだろう。それほどまでに、今までの彼女は閉鎖的な環境で生きてきた。


「……腹ァ、減った」


 ふと、彼女の腹の虫が鳴る。かなり長い時間、休むことなく歩き続けてきたのだ。どうしたって腹は減る。しかし悲しいことに、今の彼女は食料という食料を持ち合わせていない。あるのは手に握られている、赤黒く染まった短刀のみ。これが素材でできているのならまだしも、正気を失ってでも刃物を食う気狂いはこの世に存在しない。否、もしかしたらそんな気狂いはどこかにいるのかもしれないが。

 しかし幸運なことに、彼女がいるここは海にほど近い場所らしく、時折潮風のにおいが鼻をくすぐってくる。空腹をしばらく我慢して、少し歩いていけば海にたどり着けるかもしれない。そう確信した彼女はぐっと口元を引き締め、ふらふらと不安定な体勢で歩き始める。海にたどり着いたら何を食べようか。そこらへんに放置されている魚でもさばいて焼いて食べようか。それとも海に潜ってそのまま魚を捕って食べようか。もしくは───帰ってきた漁船があったらそこを襲って、収穫を食べつくそうか。嗚呼、そういえば人間も死んでしまえば、所詮は肉と脂の塊であるから、また殺して焼いて食えばいいか。やりようはいくらでもありそうだな。結論を出すと、なおさら歩める足は速くなっていく。早く、早くこの空腹を満たしたい。願わくば美味い物が食いたい。食いたい、食いたい、食いたい────


食いたい食いたい食いたい食いたい食いたい食いたい食いたい食いたい食いたい食いたい食食食食食食食食─────

 

くいたい。うまいものを。たくさん。すきなものを。すきなだけ。すきなように。





 いつの間にやら意識を飛ばしていたようだ。はっと目を開けると、そこは見知らぬ天井。あたりを見回せば、何かしらの研究設備が所狭しと並んでいた。どうやら何かしらの上に横たわっていたようで、体の上には掛布団らしきものがかけられており、その布団を片腕で払いのけると、ゆっくりと体を起こす。あれだけ返り血で赤く染まっていた着物はなくなっていて、代わりに身に纏っていたのは、赤とも橙ともとれるような色合いの着物であった。傍らにはその上から羽織る上着がかけられていて、まるで着てくれと言わんばかりに彼女に主張していた。


「着ろ……ってことやろうなあ」


 ぼそりとつぶやき、その羽織を手に取って着る。多少大きかったが、それが気にならないくらいには上等な代物であった。少しばかり動いても特に崩れることはなく、ちゃんと採寸をして作られたものなのだろうな、と納得する。が、その前にとても大事なことに気が付いた。


「って、なしてウチの着物変わっとるん……? そもそも、ここどこや。なしてウチこないなとこおるん?」


 そうだ。彼女はついさっきまで、近くにあるかもしれなかった海に向かって歩いていたはずだ。自らの空腹を満たすために。それがなぜ、まかり間違ってこんなな場所にいるのだろうか。そもそもどうやってここに来たのだろうか。何もかもが謎でしかない今この状況で、下手に動けば何があるかわからない。それだけは理解できた。ならばどうしたものか。彼女は必死に考える。しかし打開策など考えても何も出てくるはずもなく、長い溜息だけが彼女の口から漏れ出る。

 しばらく途方に暮れていると、小気味いいノック音が部屋に響く。誰か来たのだろうか、妙に間延びした返事をすると、ゆっくりと部屋の隅にあった扉が開かれ、そこから見知らぬ誰かが入ってくる。入ってきた第三者は、起きている彼女を見つけるなり、にやりと口角をあげて口を開いた。


「おはよう。お目覚めは如何?」

「なんや貴様キサン。なしてウチこないな場所おんの? っちゅうかウチになんかしたんか? おん?」

「おやおや元気そうだね。ならばいろいろと長話しても大丈夫そうかな」

「あ?」

「ま。お供に何もないのはつらいだろうからね。お茶でもどうだい?」


 そういうと第三者は彼女が腰かけているベッドの傍らに椅子を置き、どこからともなく緑茶がは入った湯呑を目の前に出す。しかし彼女はそれに眉をしかめ、触れようとはしなかった。どうした?と第三者が聞けば、渋々ながら彼女は口を開いた。


「緑茶、散々飲まされてぶっかけられてん、嫌いやねん。ちゃうのがええわ」

「具体的には?」

「コーヒーがええわ。飲んだことあらへんし。ブラックいうん? そっちがええ」

「はいはい」


 少し笑いながらコーヒーを差し出す。もちろん要望通りにブラックで。おおきに、と一言いうと、彼女はゆっくりとそれを口にする。納得のいく味だったようで、一瞬にしてそのブラックコーヒーを飲み干した。そしてすかさず


「もう一杯寄越しぃや」


 ずいっと空になったカップを差し出した。





「さてさて。まずは始まりから話そうか。海辺で倒れている子供がいるって聞いて、保護したのが最初だったかな。ちょうどたまたまプライベートでその近くに出かけていてね、すぐに駆け付けたら君がいた。血まみれだし手には凶器が握られているし、何事かと思ったけども、その日の朝の新聞の一面に載ってた記事を思い出してさ。すぐに理解したよ。それでこれはただ事じゃないなって思って、この施設に連れてきたんだ。まあ研究の治験に付き合ってもらおうってのが本音なんだけどさ。一応それも踏まえて一通りの治療を施して、服も変えて、いろいろと調整して、で、寝かせたってわけ」

「その間ウチにアホなことしとらんやろな」

「うーん、変なことの定義がいまいちわからないけど……ちょっとした手術はしたよ」

「しとるやないか」


 しばらくした後、そろそろ落ち着いた頃合いだと判断したのか、第三者は一息つくと、これまでの経緯を話し始めた。どうも彼女はあの後海に出たはいいものの、そこで意識を落とし、倒れていたらしい。そこをプライベートで来ていたこの第三者が拾い、この施設へと運んできたという。今着ている着物も羽織も、すべては目の前の人物が用意した代物らしいが、そのあとに出てきた言葉で少しだけ許した心の扉を一気に閉める。ちょっとした手術とはいったい何なのか。そもそもそれは本当にちょっとした手術なのか。何をやらかしたん、と少しばかり圧力を込めて言うと、第三者は苦笑いをしながら答える。


「とりあえずまず内臓は取ったよ。全部」

「は?」

「それと、支障が出ないようにちょっと改造させてもらったから、よっぽどのことがない限りは死ぬことはないよ。まあ副作用で目は真っ黒だし口とかから黒い液体っぽいなにかはでろでろ出るけどね。だとしてもかのとくっついているし、君がほかの人間と全く違うことには変わりないから! 脳みそのつくりも何もかも人間じゃないから!!」

「なんちゅうことしとんのや」

「うん、研究のためにちょうどいいサンプルになってもらっただけだよ」

「クソ外道やなホンマ……」


 第三者から出てくる所業の数々にだんだんと鬼の形相へと変えていく。なんてことをしてくれやがったのだろうか。しかもそれらをきれいな笑顔で伝えてくるとは。ただもとより常識といったことがないからこそ、こういうことができるのだろうな、とすらも思った。だがそんなことを思ったとて、何の意味もない。


「で? ウチにそないなことしよって? 何が目的や」

「いやあ実はねえ。この施設がある場所が九龍城っていうんだけどさ。そろそろ限界が来ててね。新しい場所を作ってそこを君らに統治してほしいんだよね」

「はぁ? 何言うとんのやスットコドッコイ」

「えっとねえ、君のほかに終四廃者グレイト・フィーニスが複数人いるんだけど。その終四廃者グレイト・フィーニスたちと街を作って統治してほしいんだよね」

「言っとること変わっとらんやろ何遍言うんや? それしか言えんか? 脳みそホンマに詰まっとるんか? 言語中枢自分でいじくって悪化してもうたん?」

「結構ずっぱり言うんだね君……」

「はっきり言うて何が悪いんボケカスコラァ。っつか何やその終四廃者グレイト・フィーニス言うんは」


 飛んできた罵詈雑言が意外にもクリティカルヒットしたのか、第三者はがっくりと肩を落とす。その間にも彼女からの罵詈雑言は止まず、片手で制止のポーズをとると、さらに飛んできた純粋な疑問に対し、静かに答え始める。

 どうにも終四廃者グレイト・フィーニスというのは、彼女のように何かしらの研究施設において、、強大な力を持った存在のことを言うらしい。彼女のほかにもその手術を受けて人外となった存在は複数人いるらしく、それぞれ個性的な力を手にしているとか。聞けばその手術を受けた人間は、それこそ両手では数えきれないほどたくさんといるらしいのだが、彼女のように人の形を保ち、かつ意識がはっきりとして生きている存在は一握りにも満たないという。つまり彼女はその手術を半ば強制的に受けて、完璧に適合した1人ということになる。運がいいのか、悪いのか。

 そしてその適合者、つまり数少ない終四廃者グレイト・フィーニスを一か所に集めて、巨大な街を作らせて統治させよう、というのが目的らしい。ゆくゆくはその街に自分たちの研究施設を建てて、娯楽もかねて様々な研究をしたいと目論んでいるとか。話を全部聞いた彼女は最初こそ話のスケールの大きさに理解できなかったものの、かみ砕いて脳内でまとめ上げていくと、とんでもないことに巻き込まれたことに気づいたようで、あきれて言葉も出なかった。そんなことのためにウチは体をいじくられてもうたんか、と。つまりは、1、ということを自慢したいだけじゃないか。もう理解することも納得することも、考えることさえあきらめてしまった。これ以上は無駄だ、さっさと開放してもらおう。そう決めた彼女は、第三者に声をかける。


「もうええわ。さっさと次やることせぇや。めんどいわいちいち貴様キサンの花咲いたバカ話聞くんも

「ほんっとに君滅茶苦茶に言うよね……実兄に対して」

「────あ?」

「いや何でもないよ! ほんっとに何にもない!! だからその短刀はしまってくれないかなぁ!?」

「知らんわ───されるか今全部吐くか選べやクソカス」


 それまで閉ざされていた目を思いっきり開く。下向きの三日月のような形をした口からは、どろどろと黒い液体のような何かが漏れ出ている。その何かは重力に従い、地面に落ちると同時にじゅうじゅうと、いやに焼ける音が聞こえてくる。その形相に恐れをなしたのか、はたまた別の理由か、第三者───実兄はぽつりぽつりと話し始めた。

 曰く、彼女がこれまで暮らしていた旅館の関係者はすべて血のつながらない、全くの他人たちであったこと。本来の親族は皆、この九龍城にある研究施設で研究職をしていること。生んだはいいものの、どうやっても育児に割く時間が取れなかったために、あの旅館に養子として出していたこと。そして時期が来れば迎えに行く算段であったこと。それが実兄から彼女に明かされた真相であった。


「……まさか、こうなるとは予想してなかったんだよ」

「……はぁ、もうええわ。話すことあらへんし。さっさとしぃや次の段階っちゅうの」

「……すまん」

「はぁ? 今更謝るん? つか何に対しての謝罪なん? もうええっちゅうねん」


 どうでもええわ。その一言を最後に、彼女は実兄を後ろにして部屋を出た。


「……すまん妹よ。母親と父親が施設の外で待ち構えてるから、うまく逃げてくれ。俺でも止められないヒト達なんだ」


 予想の中にもなかった謝罪の理由は、もう彼女には届かなかった。





「……」


 さて、そんな忠告ともいえるような謝罪の理由を聞くことなかった彼女は、なにかしらの危機を察知したのか、本来まっすぐ行けば最短で出口にたどり着くルートを選ばず、まったく別の遠回りのルートを選んでうまく九龍城の外へとたどり着いていた。そこは想像に描いていたまっさらな土地はなく、少しばかり人らしき影が集まっている集落がぽつんと存在していた。その集落の中心には、妙に小ぢんまりとした店が忙しそうに動いていた。一体何の店だろうかあれは。遠目で見てみるも、看板らしき文字はかすれていて読めなかった。あれだけ人が集まるのだから、何かしら生きていくうえで必要なものを取り扱っているのだろう。それかよほど珍しい品物を取り扱っているのかそうでないのか。しかし今の彼女にはそれはどうでもよかった。


「ウチも店開いたろかな。やるんなら……せやな、飯屋がええな。食いたいしなぁ。せや、そうしよ。食堂開こか! ほなら適当に空いとる店探してやったろ。なかったら……まあにして塗り替えればええやろ。あーでもこのしゃべり方はアカンかなぁ。言うても染みついてもうたし……せや、1回練習しとこか」


 そういって彼女はこほん、と咳ばらいをすると、すぅ、と息を吸う。死にたくなるほど叩き込まれたを浮かべて。



「───ようこそいらっしゃいませ。大衆食堂……へ」



 これが後に、九龍市クーロン・シティの四皇となる、大衆食堂の女将『お弓』の始まりである。



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