第9話:酒池肉林

 相も変わらずこの街はクソッタレている。身売り、薬剤、暴力、搾取、その他諸々。道徳という道に全力で中指を立て、倫理観などゴミクズ以下の存在価値でしかない、人権と尊厳以外なんでもある街、九龍市クーロン・シティ。毎日が宴だと言わんばかりに、至る所で頓痴気騒ぎが見受けられる。まるでこの街は、肥溜めに集まった屑共のバーゲンセール。九龍市クーロン・シティに骨を埋めれば、毎日退屈することは確実にないであろう。ショッピングも、娯楽も、食事や酒でさえも。

 どこの場所でもどんな存在であっても、美味い食事と酒というものは、いつだって心躍らされる。空腹を刺激されるスパイスのきいた香り、程よい明りに照らされ、見た目だけでも良いものだとわかる肉や魚、野菜たち。それらをさらに引き立ててくれる豊富な美酒の数々。どんな時でもどんな心情であったとしても、心が躍らないことはない。それはここ、九龍市クーロン・シティに生きとし生ける存在たちも例外ではない。つまりは───街の絶対的な権力者である四皇の彼らとて、同じなのだ。



【第9話:酒池肉林】



 変わらぬ日常、変わらぬ客層、変わらぬ仕事、その他諸々。しかし一つだけいつもとは違ったことがあった。それはどの場所でも、理不尽な怒りを覚えるほどのであるということ。今すぐにでもすべてを投げ捨てて、泥のように眠りたい。もしくは何も考えずにどろりと溶けてしまいたい。つまりは。しかしここで休暇日をまた設けたとしても、後々面倒なことになるのは目に見えている。そう、例えばゆえに、住民のフラストレーションが溜まりに溜まって爆発して、地獄の後処理をせざるを得ない、だとか。自分に関係ないことの片づけで余計な労力を割かれるのは、何よりも勘弁願いたい。かといって連続で来る客たちを片っ端から消していったり、職務を放棄してどこかへ消えるというのも、後々自分の首を絞めることになる。主に事後処理とかで。

 ならばもうこの繁忙期を乗り切るしか術はないのだが、そんなくそ真面目な道を進むほど、彼ら四皇の頭は。では、どうするか。それは至極簡単なことであった。


「もう店は終いだ! 知らね!」

「今日はもう閉店です。おかえりください」

「賭場? ないよー! おやすみ!」

「帰る」


 早期退勤、もしくは早めの店じまいをして、浴びるように酒を飲む。かつ、たった今仕事が終わった暇になった四皇で集まって、バカ騒ぎをする。それだけだ。





「やっほうからくり

明明メイメイ? 今日集まんのはお弓んとこじゃなかったか」

「ついでに頼んでたやつもらおうと思ってー」

「……あー、アレか。そこにあるからもってけや」

「わぁい」


 教会を閉じ、バカ騒ぎをするための食材やら酒やらを手にした明明メイメイがふらりと立ち寄ったのは、すでに閉店して扉も固く閉じられていた、ヨロヅノカラクリヤ。そこで店の金で仕入れた上等な肉やら酒やら、とにかく美味いものを陳列している棚からとっていく店主に声をかけた。声をかけられた雑貨屋店主からくりはそちらを振り向き、やってきた来客に対し怪訝な顔を浮かべる。すぐさま明明メイメイが目的のものを告げると、気怠そうに一点を指さし自らの作業に戻る。示された場所にあったあるものを見つければ、明明メイメイは顔を輝かせてそれを手に取る。満足そうに提げていたカバンにそれを突っ込むと、からくりのそばに駆け寄った。


「何持ってくの?」

「生ハム原木とチーズの塊と……紹興酒しょうこうしゅに伊勢海老と、それからえーと、麦酒ビールと予め冷凍保存しといた小籠包……くらいか」

「少ないね?」

「まあな。持ってこうと思ってたやつ、大半が食っちまったからな」

「誰だろうねー」

「オメーなんだよこの前の休暇日に来たと思ったら大半食いつくしやがって」

「それほどでもぉ」

「ほめてねーよドアホウ」


 にこにこと笑う明明メイメイに対し、軽く小突くからくり

 彼らが言っているこの前の休暇日、というのは、四皇全員で旧九龍城に訪問をした後に突然設けられた日のことだ。旧九龍城で起こった出来事が、あまりにも体力を削られるものであったため、疲れ果てた四皇たちの一声で急遽街全体に発令された時のことであった。





 その日疲れた体と精神を休ませているからくりのもとへ、なぜか明明メイメイが連絡もなしに突撃してきたのだ。迎え入れる準備もろくにできず適当に部屋に通せば、何を思ったのか明明メイメイは見たこともない目をして口を開いた。


「おなか、すいた」


 ただ一言、たった一言。のようにつぶやいた明明メイメイのその顔を見て、からくりはただ事じゃないことを確信する。肩をつかみ、しっかりと目線を合わせて問いかける。


「何が食いたい」

「……おにく」

「───わかった。そこの棚にあるやつ好きなだけもってこい。さかき、いるんだろ。飯作れ」

「御意」


 からくり明明メイメイに自身が食べたいものを持ってこさせるように言うと、どこかに控えていた補佐のさかきにそれで飯を作るように指示を出す。するとすぐに明明メイメイが両手にたくさんの肉類を持ってくると、それをぎこちない動きでさかきに手渡す。食材を受け取り、厨房へと消えていった背中を見送って、からくりはふらつく明明メイメイを引きずり、食事の席に座らせた。食事が来るのを待つ間も、目の前に座らせた相手は口を半開きにさせっぱなしで、瞳は虚ろであった。こんな様子の明明メイメイは今までに見たことがない。長い間この街に暮らして、付き合いもそれと同じくらいになるが、こんなにも不安定な明明メイメイは絶対にありえなかった。なぜ今になって、不安定な状態に陥ったのだろうか。からくりは原因となる事案や出来事を掘り起こしてみるが、すぐにその答えは見つかった。


「(昨日のアレか……)」


 旧九龍城へ生みの親たちに直接会った時のこと。明らかに明明メイメイの様子が異様におかしかった。無表情で、何も言葉を発さずに、しかし明確な敵意を持って手にしていた二丁の銃で、自らの親たちに向けて発砲を繰り返す。普段ならば笑顔で狂ったように乱射をしているところだ。明明メイメイがひたすらにかかわりたくない、と言っていたのは、自分たちよりもよっぽど闇の深い理由があるのだろうか。と、そこまで考えて、やめた。自分のならまだしも、他人のそういった生々しい昔話に首を突っ込むべきではない。その昔話に自分がかかわっていないのなら、なおさらである。


「お待たせしました。月餅げっぺいと焼売、油淋鶏に青椒肉絲……プラスして炒飯も作ってみました。飲み物には烏龍茶と紹興酒しょうこうしゅを用意していますので、お好きに」

「結構豪勢に来たな」

「店主殿には胡麻団子を用意しています。どうぞ」

「おお、悪ぃな。サンキュ」

「では、何かありましたらお呼び下さい」

「おう」


 しばらく何をするでもなく待っていると、奥からさかきが配膳車に出来立ての料理をのせてやってくる。一口では入らないほど大きい、蒸籠でよく蒸された焼売。刻まれた長ネギがいいアクセントになり、たとえ満腹であったとしても腹の虫が鳴りそうな香りを漂わせる揚げたての油淋鶏。ごま油で炒められ、ショウガやニンニクの香りがたまらない彩り豊かな青椒肉絲。店で仕入れた品物の中でも一番上等な卵を使い、やや大きめに刻んだ叉焼をたっぷりと放り込んで高火力で一気に仕上げた、パラパラな炒飯。そして花の形に仕上げ、中にはクルミなどのナッツ類や杏の種などをふんだんに詰め込んだ食後のおやつの月餅げっぺい。すべてが確実に美味しいものだとわかる出来栄えだ。さらにどれもかなりボリュームがあり、もはや食卓に並べられたこれらだけで、一日の食事はもうたくさんだと満足してしまうだろう。加えて烏龍茶と紹興酒しょうこうしゅがあるというのだから、もう何も言うまい。

 しかしこれらはすべて明明メイメイのために用意されたものであるから、からくりは適当に茶でも淹れて飲もうかと思っていたのだが、気を利かせてさかきは胡麻団子を特別に作ってくれたという。ほかの四皇ほどの付き合いの長さではないにしろ、本当によくできた補佐である。かといって何かしらを贈るといったことはしないが。


「いただきまぁす」

「おう、食え」


 明明メイメイは舌っ足らずにいうと、傍らに置かれていた蓮華を手に取り、まずは炒飯をそのまま皿を持ち上げて一気にかきこむ。おざなりに咀嚼をして飲み込み、一瞬にして空になった皿を適当に置くと、次は青椒肉絲に手を付ける。こちらは蓮華は不向きだと判断したのか、反対側にあった箸を手に取って、恐ろしい速度で青椒肉絲を腹の中へおさめていく。その間、ぽりぽりと小気味いいピーマンやタケノコを食べる音が聞こえてくるが、すぐにそれも止む。たれがたっぷりと残った皿を持ち上げると、大口を開けてそれらを滑らすように飲み込んだ。間髪入れずに次に手に取ったのは油淋鶏。箸で器用に油淋鶏の半分を取り上げると、一気に口の中へ。噛んだ瞬間、じゅわっと肉汁が口の中に広がり、焼けてしまうほどに熱くなる。しかしそんなことはお構いなしに、次々に油淋鶏を食べつくしていく。残ったトマトも残さず平らげ、次は蒸籠の中に入った焼売へ。これがかなり大きいので、箸で持ち上げてそのまま思い切り焼売にかぶりつく。瞬間、熱々の肉汁が飛び散り、対面にいたからくりに多少被害が行き、眉をしかめて一言言おうとするも、それを無視して食べ続ける。じゅわ、じゅわと肉汁が口の中に広がり、さらに空腹を刺激させる。あっという間に焼売もすべて食べきったと思ったら、さらにその次は素手で月餅げっぺいをつかみ取り、一口でぺろり。大量に積まれてあったはずの月餅げっぺいは瞬く間に明明メイメイの腹の中へ入ってく。最後はあらかじめ注がれていた烏龍茶を休むことなく一気に飲み干し、とん、と湯呑を食卓の上へ置く。ふう、と一息つく。


「ごちそーさまでした!!」


 いつもの笑顔を浮かべて、ぱちんと両手を合わせる明明メイメイ。その目の前には見事に空になった大皿が並べられていた。なおこれは料理が運ばれてきて、たった20分足らずのことである。その証拠にからくりに用意された3つの胡麻団子は、まだ1つしか減っていない。これは胡麻団子がかなり大きいものであるという理由もあるが。


「おいしかったー、あの子料理上手なんだねー」

「そうじゃなきゃ補佐やらせてねえよ」

「だよね! 満足満足大満足になったから帰るね!」

「おう、さっさと帰れ」


 ついでのように紹興酒しょうこうしゅも飲み干すと、明明メイメイは調子をすっかり取り戻したようで、見慣れた笑顔でヨロヅノカラクリヤを後にした。


「……さかきィ、片づけよろしく」

「御意」


 すっかり気が抜けたからくりさかきを呼びつけ、目の前に残された空の大皿たちを託す。自身はいまだ残っている胡麻団子を、口いっぱいにほおばり、咀嚼して飲み込み、ため息をついて一言。


「仕入れ増やさねぇとな……」


 店には、ずいぶんとがらがらになった食材の棚が存在していた。





「マジで食い尽くしやがって」

「でも美味しかったよぉ」


 おかげで仕入れ直しなんだっつーの。そうからくりが文句を言えば、明明メイメイはえへへと笑うのみ。そんな話をしているうちに、持っていく食材が集まったようで、からくりは食材を入れた袋をしめて外へと出る。それに続くように明明メイメイも外に出て、満足そうに隣に並ぶ。


「お前は何持ってきたんだ?」

「サメだよ! 生け簀ごと持ってきたの」

「やたらデケェ荷物だとおもったら生きたまんま持ってきたのかよ」

「うん! やりたてがおいしいからネ」

「料理すんの誰だと思ってんだ?」

「お弓とさかき

「……サメはさかきに押し付けとけ。お弓だと料理にするまえに木っ端みじんにしかねねぇ」

「はーい」


 今日の酒池肉林バカ騒ぎは、思った以上に楽しいことになりそうだ。からくりはにやりと笑うと、おもむろに端末を取り出し、管理局局長コンイェンに電話を掛ける。



「よう公僕コンイェン? 今日のメインはだとよ」



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