第5話:時間外労働

 今日も今日とて九龍市クーロン・シティは騒がしい。道行く先々で薬やら強盗やら博打やら、はたまた強姦やら。人権と尊厳だけがないこの街だからこそ、日常茶飯事いつものこととして処理される。何をしようが、何をされようが手前の勝手である。そんな街、九龍市クーロン・シティにも、が収容される場所がある。収容所と言うより、と言った方がしっくり来るであろうその施設は、当然の事ながら市の管理局である麒麟キリンが管理していた。勿論セキュリティは想像を絶するほど厳しいものである。だが、そんな厳しいセキュリティを突破してしまう収容者も中にはいるのだ。大抵突破する者は、どこで手に入れたかも分からない特殊なを持っている。その能力を駆使して、今日もまた、収容所から脱出する者が現れたのだ。



【第5話:時間外労働余計な仕事



 けたたましい警報音が、九龍塔クーロン・タワー中に鳴り響く。管理している収容所で、脱獄者が出たことを知らせる音だ。局長である空燕コンイェンはいち早く動き、収容所へと向かう。前回の収容者が脱出したのはいつだったか。また今回もセキュリティを強めなければならないか、などと思いつつ、進む足を急がせる。

 収容所に到着すれば、そこはもう既にてんやわんやの大騒ぎであった。どこから逃げただの、誰が逃がしただの、はたまた誰の責任だの。顔を顰めて空燕コンイェンは口を開いた。


「まず状況を説明しろ」


 その一言だけで場が一気に静まる。そして空気が張りつめる。無理もない、久方ぶりの脱獄者が出て大騒ぎをしている所に、局長の、そしてのうちの1人がこうして現場に来て、自分たちに命令をしているのだ。心の声をそのまま言うのであれば、一目散に逃げ出したい状況であるだろう。だが現実はそれを許してはくれない。ようやく落ち着いたある1人が、手を挙げて空燕コンイェンから目線を貰い、話し始めた。


「は━━━━。まず脱獄したのは、ナンバー538の収容者です。本日2回目の点呼の際に、突如として姿を消しました。脱走の兆候はありませんでした」

「宜しい。セキュリティは起動していたか?」

「無論です」

「そう。セキュリティは確かに起動していた。どんな存在であれ、絶対に出られない様に万全の状態で敷かれていた。……が、その万全のセキュリティを突破して、今回脱獄者が出た。ここから考えられるものはなんだ」

「は━━━━。、でしょうか」

「正解だ」


 空燕コンイェンは満足そうに目を伏せた。その様子の空燕コンイェンに、収容所に配属されていた彼らは心から安堵する。余計な首が飛ぶことは無さそうだ、と。

 収容所はありとあらゆる脱出を防ぐため、のセキュリティが敷かれている。窓は全ての部屋に存在しておらず、仮に壁に穴を開けて出ようものなら、1週間は使い物にならなくなるほどの電流が身体中に流れる。どこぞへと移動する為に外へ出た際、隙を見計らって拘束具を外そうとすれば、外そうとした拘束具で拘束されていた部位が切断される。他にも人権と尊厳がない、九龍市クーロン・シティならではのセキュリティが、この収容所、及び収容者に施されている。、下手な動きを見せる収容者はほぼゼロに等しかったのだが。


「特殊能力で脱獄する収容者……今回で何件目だ?」

「4件目です」

「……セキュリティの組み直しだな」


 近頃、どこで手に入れたかも分からない、を駆使して脱獄する収容者が現れた。通常のであるならば絶対に持つことは無い、極めて非現実的な力。それが特殊能力である。この街では珍しくもないが、その力を手に入れるための代償は、想像を絶するものだ。具体的に言うとするならば、腕1本が無くなるならな部類で、脳の一部分が欠けるだとか、で不死身になるとか、そういった代償がくっついてくる。そんな危険を承知してでも、特殊能力を手に入れたい層は一定数存在するようで、街にはそれらしき存在がちらほらと見かけられる。とはいえある程度の対価を支払い、代償をなかったことにすることが可能なので痛くもかゆくも、というのが現実だが。そこもというべきか。

 空燕コンイェンは額に手を当て、ため息をつく。余計な仕事がまた増えたか、と。まったくどうしてくれようか。しかしため息ばかりついていても、何も話は進まない。そのほかの情報を出せと促す。


「脱獄者は気配遮断、身体透過、加えて影消しの特殊能力を取得していました。ですのでそれらを一切使用できない部屋に収容していました。が」

「鍵を外した奴がいると?」

「可能性はなきにしも、ですね。さらに付け足すとすれば……」


 ちらり、と気まずそうに空燕コンイェンのほうを見やる。しかし彼はそれを気にせず続けろ、とだけ。


「……債務不履行者です」

「この一件はすべて私に預けろ」


 その答えが返ってきたのは、きわめて早かった。





 ところは変わり、ヨロヅノカラクリヤ。今の時期は閑散期であるためか、店主であるからくりは営業時間内であるというのに関わらず、悠々とピザを味わっていた。今日は閑散期だからいつもとは違う、スペシャルなトッピングを注文したようである。にやにやと最後の一枚を取り上げ、口の中へ放る。やはりお弓のスペシャル九龍ピザは美味い。こんな時はこれに限る。満足そうに食べ終わると、油でべたべたになった手をウエットティッシュで拭くと、残しておいたウーロン茶を一気に飲み干す。なんて最高の日なんだろうか。願わくばこのまま1日が終わってほしいものだ。

 しかしそんな願いはすぐに砕け散ることとなる。いきなりけたたましく店の電話が鳴り響いた。一気に顔をしかめるからくりだが、何かしらの品物に関する連絡の可能性もある、無視するわけにもいかないと渋々その電話を取る。


「はーいヨロヅノカラクリヤー。何の用だこの野郎」

『なんだ生きていたのか』

「テメェせっかくの閑散期に何電話よこしてんだ空燕コンイェン


 けだるそうに決まりの言葉を開くと、帰ってきたのはいま最も耳にしたくない声。苛立ちを隠さずに返事をすると、電話をかけてきた張本人、管理局局長コンイェンは涼しげな態度でさらに返してきた。


『たった今、収容所で脱獄者が出てな』

「ハァー? 何回目だよセキュリティガバガバにもほどがあんだろ」

『どうも脱獄したのは特殊能力者だ』

「あーいつものお決まりのパターンか。で?なんでこっちに電話してくんだよ関係ねーだろ」

『その脱獄者、貴様のところの債務不履行者なんだが』

「クソオブクソじゃねーか!」


 思わず電話に向かって怒鳴りつける。つまり空燕コンイェンは、収容所から脱獄した債務不履行者特殊能力者を、カラクリヤにも関わることだからと、こちらにすべてをぶん投げるつもりで電話をよこしてきたのだ。しかしそんなことにだれが簡単に首を縦に振ることができようか。からくりはこのまま電話を思いっきり音を鳴らして切りたかったのだが、そうはさせまいと空燕コンイェンが言葉をつづけた。


『言っておくが、このまま電話を切るのなら今すぐ貴様の店に向かうぞ』

「あ? やれるもんなら」

『先月の決算内容に不備がありすぎるのでな』

「チッ」

『で、だ。この一件に協力するのであれば、その話はチャラにしてやってもいい』

「求めてるもの全部話しやがれ、用意してやる」

『話が早くて助かる』


 空燕コンイェンから提示された条件を聞けば、すぐさま乗り気になるからくり。この一件より面倒くさそうなことが代わりに自分の身に来るというのであれば、まだ軽そうなこちらを引き受けたほうがマシだ。そう判断したからこその行動だった。すぐに端末へ空燕コンイェンから送られてきたデータを開き、その脱獄者にあった品物をいくつかピックアップする。それらを店の倉庫から引っ張り出してくると、少し前に便利だからと女将お弓からもらった、なるものにのせて、空燕コンイェンのもとへと送りつける。彼から確認のメッセージが端末に届くと、からくりは盛大なため息をついて椅子に深くもたれかかった。


「はぁ……余計な仕事やらせやがって」


 せっかくの閑散期で、客も少なければクレーマークソ客も来ない、まるで楽園のような1日が過ごせると思ったらこれだ。いまだ苛立ちは収まらない。


「もう今日は仕舞いだ仕舞い! これ以上仕事なんてやってらんねぇわ!」


 意を決して椅子から立ち上がり、店の外に出ていた看板を、に切り替えた。


「こっからは何が来ても営業時間外余計な仕事だ!」





 雑貨屋からくりから送られてきた品物を見て、かすかに口角を上げる空燕コンイェン、と。

 送られてきた品物、というのは、ダース単位のである。確かに気配遮断、身体透過、加えて影消しの特殊能力を持っているとあるが、に関する特殊能力は調べる限りその脱獄者は持っていなかった。居場所さえ特定してしまえば、あとは何らかの形でその墨汁をだけ。前提の居場所の特定だが、そんなものは治安維持街の支配よりたやすいこと。あらかじめ収容前に収容者の体内に仕掛けておいたが発している信号をたどるだけ。たとえ新たに特殊能力を増やされ、すり抜けをされたとしても、瞬間移動をされたとしても。、意味がない。とはいえ特殊能力を身に着けるにはそれなりの代償が伴う。新しく手に入れたとしても、しばらくはまともに動けないであろうし、そもそも手に入れる余力があるかと言われれば、ないに等しいだろう。


「さて。作戦を開始するぞ」


 空燕コンイェンはにやりと笑った。





「オイ、この前送った墨汁代。寄越しやがれ」


 数日後、四皇全員が一堂に会して食事をとっていると、ふとからくりが思い出したように空燕コンイェンに詰め寄る。しかしそれをひらりとかわすと、「決算表」と小さくつぶやいて見せる。その一言にからくりは大きな舌打ちをして引き下がった。2人のそんな様子に、お弓が不思議そうに尋ねてきた。


「2人とも何かあったの?」


 そう聞かれればからくりは心底いやそうに答える。


「収容所で脱獄者が出たんで、それの確保を手伝わされたんだよ」

「あら……久しぶりじゃない? 脱獄者なんて」

「しかもウチの店の債務不履行者。ケッ、せっかくの閑散期に余計な仕事をさせられたぜ」

「それで、その脱獄者はどうなったの?」

になって、収容所に戻されたとよ。空から墨汁がたーっぷり降ってきたらしいぜ」

「ああ、成程。その墨汁、からくりのお店からもらったものなのね」

「代金はこれっぽっちももらってねーけどな!」


 盛大な舌打ちをして、さらに椅子に深く腰掛けるからくり。その様子に空燕コンイェンが口をはさむ。


「先月の決算表はチャラにしてやっただろう。それが対価だ」

「……ケッ!」


 2人のそんな様子に、お弓はくすくすと笑うのみ。と、それまでずっと食事に夢中だった明明メイメイが突然口を開いた。


「てかさー、その脱獄者さー、からくりの店の債務不履行者だったんでしょ?何かしらの処罰はあるよねー、どしたの?」


 その問いに、ちらりとお互いを見る空燕コンイェンからくり。そしてを浮かべて、こういった。



「さてね」



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