第3話:平和(ピンフ)

 九龍市にも神を信じる者はいる。腐りきった荒んだ街にも、クソのたまり場のようなこの街にも、神を信じる者はいる。それぞれが信じる神は、形も司るものも何もかもが違うが、神を信じているのだ。その神の真の姿がなんであれ、祈りを捧げ、崇め奉る。そんな信者たちが週に1度、多ければ毎日向かう場所がある。それは九龍市唯一の教会。


 名を『平和ピンフ』と言う。



【第3話:教会賭場 平和ピンフ



 教会はいつ、誰が作り上げたかも分からない。いつの間にか作り上げられ、いつの間にか神に祈りを捧げる信者たちが集まる場所となっていった。例えこの世のクソを、下水道で延々と煮込んだ後の残りカスのゴミ捨て場のような街だとしても。多くの人々が集い、祈りを捧げ、また自分たちの生存のための生活に戻るのだ。教会に名付けられたがいつか、自分たちの元へ、この街へやってくることを願って。

 しかしこの教会は実は隠れ藁でしかなく、本来の施設の目的は、ためだけ。ある者は少ない金が大量の金に変わる快楽に絶頂を味わい、またある者はたった一夜にして全てを失い、見るも無惨な形へと変貌する。それがこの教会───否、賭場ピンフの正体。そんな場所をいつの時代からか取り仕切る、1人のシスターが存在した。その名を『明明メイメイ』と言う。


 明明は九龍市を牛耳る絶対的な権力者、『四皇よんこう』の中で最も狂っていると言えるだろう。ただでさえ狂っている四皇の中でも、さらに輪をかけて狂っている。あのからくりでさえ、「イカレすぎてどうかしてやがる」と言い出す始末。それほどまでに明明は狂いに狂っているのだ。どれほどのものかと言うと、他でもない教会をのはこの明明であり、その理由は「人が情けなく命乞いをしてきたり、見にくく地面に這いつくばっている様が何よりも大好きだから」というもの。明明にとって、神や信仰などそんなものはどうでも良いものであり、全ては自らの欲を満たすためだけの場所に過ぎないのだ。しかし、だと言うのにこの教会に足を運ぶ者は絶えない。何故かと言うと。


「大丈夫!苦しかったり辛かったり、そんな思いをした分、もっと安らぎが来るから!」


 持ち前ので、飛び切りの甘言を信者たちに悪意なく振りまくためだ。この肥溜めのような九龍市で暮らしている限り、砂糖菓子のようなそれは何よりも甘い甘い蜜。それを求める者たちが絶えずここに来ているという訳である。明明の一見すると屈託のない笑顔は、この街にはないものが詰まっている、という幻想さえ見せてくれるのだろう。

 しかし、教会に訪れた信者のおよそ半数は、そのシスター明明の甘言と笑顔、そして神への祈りが目的ではない。その教会を隠れ藁にしているへ快楽を求めに来ているのだ。それが、明明の真の正体。


「ようこそ〜賭場平和ピンフへ〜!」


 一定の時間を過ぎると、教会はその形を変え、全く別のものへと変貌する。厳かな装飾は姿を消し、一際目を引く派手なものへと。鳴らされるはずの教会の鐘は、その役割をと変える。そして明明自身も身なりをシスター服から、露出が高い派手なコルセットドレスへと。ともすればを掻き立てられるその格好こそが、明明の本来の姿と言える。そう、明明の本来の仕事は───である。


「本日の〜大目玉はコチラ!!パンクロニウム〜!!」


 今日も平和では明明の楽しげな声が響く。その場に集まったギャンブラー命知らず共は、聞くに絶えない歓声をあげまくる。明明が高く高く掲げたその小瓶の中には、無色透明な液体が入っていた。明明はそれを楽しそうにくるくると手の中で弄ぶと、指を鳴らして賭場の黒服たちに何かを持ってこさせる。黒服達によってその場に現れたのは、ジェンガと呼ばれる玩具だった。


「ルールは簡単!積み上がってるブロックを引き抜いて、ジェンガを最後まで崩さずにいた人の勝ち〜!でもそんだけじゃつまんないでしょ?なのでぇー…特別ルール!このパンクロニウムを〜2本分打ち込んでからやってもらいまーす!」

 

 その言葉を皮切りに、一気にその場のボルテージがさらに上がる。それをニコニコと明明は楽しそうに、見つめるだけ。

 パンクロニウムというのは、筋弛緩剤の一種である。本来は手術のために麻酔として使われる薬剤なのだが、とある場所では薬死刑のために使用されていたりするものだ。通常、用法用量を守っていれば人を助けるための薬剤になるのだが、その枠をはずれると、途端にいとも簡単に命を消し去る凶器になり得る。最悪の場合、投与された者は死の直前まで痙攣や死戦期呼吸にもがき苦しむこととなる。

 利益にならないのにそれを事前に2本分投与し、ジェンガをやらせるという明明の発想は、としか言いようがない。ただただ、人が醜くもがき苦しんだり、みっともなく命乞いをしている姿が見たいだけに過ぎないのだ。


「そんじゃ〜静脈注射してから〜スタートだよ!!ギャラリーは誰に賭けるのかな〜?5000から賭けてね!!」


 明明の一言により、ギャンブラー命知らず共のイカレ過ぎたゲームが始まった。





「よう」

「あっからくり!」


 ゲームもそろそろ終盤、という所で突然の来訪者が明明を小突く。明明はその相手を目にすると、一瞬にして破顔させる。目の前には同じ四皇の雑貨屋店主からくりが居たのだ。明明はからくりに抱きついて、ひたすらに顔にキスをする。それを心底鬱陶しそうに引き剥がすと、からくりは小さな箱を明明に渡した。


「おらよ。ッチ、テメェ相手じゃなかったら70万取ってたのによ」

「ありがとー!」


 受け取って小箱をごそごそと漁ると、中にはまた何かしらの液体が入った小瓶が出てくる。その小瓶にはられたラベルには、『フッ化水素酸』と書かれていた。明明はさらにぱあっと顔を明るくして、からくりに思いっきり抱きつこうとする。しかし既のところで避けられ、危うく転びそうになった。幸い、転ぶ直前で腕をがっしり掴んでくれた為に、小箱が落ちることは無かったが。


「へっへへ、これでもーっと楽しくなるねっ!ありがと!!」

「まーじで悪趣味が過ぎんだろ……大枚はたいてまで見てぇか?なんてよ」


 溜息をつきながら怪訝そうな顔で問われると、明明はやはり屈託のない笑顔で答えた。



「うん!だってそういうのが大好きだからね!」



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