変わりゆく思い出の地
慣れ親しんだ場所がずいぶん形を変えている。
先日、久々に学生時代を過ごした街を訪れた。いくつかの店は姿を変え新しく建物が立ち、逆に建物があったのに更地になっている場所もあった。店舗が駐車場に変わっている場所もあった。自分にとってはついこの間のように思っていた日々が、こうした変化を目の当たりにするとずいぶん時間が経っていたのだなと実感させられた。
アルバイトをしていた店は商業ビルのテナントに入っていたのだが、今やビルすらなかった。その地を去ってほどなくして店は撤退し、数年後には商業ビル自体が営業を終了していた。跡地がどうなったのか気になっていたが、ビルは取り壊されてファミリー向けマンションが建っていた。
変化を目にすると、とたんに前の姿がどうだったのか思い出せなくなる。あれほど毎日出入りしていたのに、だ。
ただ、建物内部――どこに階段があり、雰囲気はどんな感じで、どんな匂いがしていたか――は強く胸の内に残っている。ひんやりとしたバックヤードの空気、段ボールのにおい、トラックが出入りするたびに鳴る搬入口のブザーの音。ときどき思い出しては、そこに連なる思い出を振り返る。懐かしく、同時に寂しくもなる。
ノスタルジーを感じるのも今のうちだとは思う。いつしか記憶も薄れ、思い出せないことが増えていくだろう。
小学生のころに実家は建て替えたのだが、それまで毎日過ごしていたにも関わらず今の私はかつて住んだ家の間取りすら思い出せない。過ごした日々の断片的な記憶はあるが、どういう家だったかもおぼろげだ。
成長につれて行動範囲が広がり色々な場所に行くうち、記憶の止まった場所の思い出が薄れてゆく。仕方のないことだが、なるべくなら写真で残しておこうと思った。少しでも記憶にとどめておければいい。
コロナ禍で多くの飲食店が廃業に追い込まれた。通っていた高校は自然災害の影響で校舎の大部分を建て替え、当時の面影は薄れてしまった。事象ひとつ、出来事ひとつ、時代の流れひとつで街は大きく姿を変える。
今暮らしている街、毎日のように目にする見慣れた光景も、いつか思い出したときに郷愁を抱く日が訪れるのだろうか。
斉藤和義さんの「幸福な朝食 退屈な夕食」という曲に「いま歩いているこの道が いつか懐かしくなるだろう」「このままではこのままです でもそのままが一番かもよ」という歌詞がある。曲調もどこかノスタルジーを感じて好きで、散歩中によく聞く。
今歩いているこの道がいつか懐かしくなる、その未来を思いながらシャッターを切っている。ふとした日常を心にとどめておけるように。
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