名前は読める方がいい
仕事の都合で資格試験を受験する運びとなり、絶賛勉強中である。大学を卒業して早や
試験の特性上、その分野ならではの専門用語やアルファベットの略称が多く出てくる。業務上必要な知識ではあるが普段ひんぱんに接する分野でもない。微妙な立場で臨むため、意味を理解し紐づけしては暗記している。
私はカタカナが苦手だ。アルファベットの略称も全部同じに思えてくる。アルファベットの略称がカタカナで呼ばれているとなお覚えづらい。なのに今回の資格試験ではそういった問題が多い。勘弁してほしい。
たとえば、「As Soon As Possible(できるだけ早く)」をASAPと略し、その読みが「アサップ」だったりするともう面倒くさい。最初から「できるだけ早く」って書けばいいじゃんか、と思う。アルファベットにする意味ある?とひねくれた自分が顔を出して小言を垂れる。
試験では「ASAPはどのような場合に用いられるか?次の4択から選べ」といった感じで出題される。ASAPを覚えていないときはそれっぽい英語を捻り出して一番意味の通ずる選択肢を選んでいる。
試験の参考書も最初こそ「ASAP(As Soon As Possible)」と書いてくれるが、10ページ後には読み手がとうに理解したものと見なして「ASAPの場合は~」と正式名が略されている。そういうときに限って前回の勉強から日が空いていて「ASAPってなんの略だっけ」となり、ページを逆戻りしている。これがけっこうストレスだ。根気強さが求められる。受験料補助と資格手当がなければ早々に匙を投げていたに違いない。
なんでもかんでもカタカナや略語にするのはどうなのかと自分の学習能力を棚に上げて憤りに近い感情を抱く。試験勉強だけではなくビジネス全般にも言える。
グローバル化を目指すという意識は分かる。でも向き不向きがある。日本語の方が圧倒的に理解しやすいのだ。「コンセンサス取った?」と聞かれるより「同意は取れてる?」と言われたほうが分かりやすい。横文字だと和訳して認識するぶん手間に感じる。なので仕事では横文字や略語はなるべく使わないよう心掛けている。
理解する前に「翻訳」のプロセスが入ると気が散る。これは読書でもそうで、外国人の名前であったり、組織名の略語だったりは理解するまで時間がかかる。
先日紹介した『三体』シリーズは人物の大半が中国名であり、かつ中国読みと日本語読みが異なるので(作者の劉慈欣氏の読みが「りゅう・じきん」と「リウ・ツーシン」の2通りあるように)、どちらの名前で読むか決めて読んだ。また、略語も多く慣れるまではやや大変だった。しかしその労苦を差し引いてもあまりある面白さがある小説だ。むしろ、この面白さを体感できるなら読み方など些末な問題まである。
が、アマチュアの小説ではそうはいかない。慣れる前に読むのをやめてしまう可能性の方が高い。
読み方が複雑――いわゆる「キラキラネーム」に類するもの――だったりすると、名を目で認めたあとに「この読みは○○だったな」と脳が理解するフェーズが必要になる。「山田太郎」はすっと脳に入るが、「山田
登場人物中1人がそんなふうならキャラが立って良いのかもしれないが、複数人がそうだとデメリットになるだろう。紐づけ作業が多ければ多いほど脳は小説の世界から現実に引き戻され、それらが堆積して「なんかこの小説読みづらいな」と感じて読まれなくなる。あくまで私なりの推論だが、あながち間違ってもいないと思う。
そんな持論を持っているので、カクヨムに載せている小説の登場人物はなるべく一発でストレスフリーに読める名前を意識している。
現代ドラマ「デリバリーウィル」では、たぶん引っ掛かりを覚えるのはメインを張る島崎
現代ファンタジー「
「万世の轍」は2100年代の日本が舞台だ。その頃の人名の流行りを予測して名付けることも考えたが面倒くさいのでやめ、自らのポリシーに従うことにした。登場頻度の高い主要人物の大半は一発で読めるはずだ。たぶん「河野」を「こうの」と読むか「かわの」と読むか混乱が生じる程度だろう。
ただ、
今後も両作品で複数の新しい登場人物が出てくるが、読んでくださる方々が読書に集中できるよう、ストレスフリーに読める名前を心がけたい。会話文も同じくだ。間違っても
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