後方彼氏面するあいつ
後方彼氏
その言葉は主にアイドルのファンに用いられ、前方で必死に応援するのではなく後方でまるで彼氏かのように静かに応援している者を指す。
字面だけでどんなタイプかパッと想像がつくのもそうだが、どことなく「他のがっつくファンとは違う自分」を揶揄する雰囲気が醸されているのが面白い。考えた人はコピーライターに向いているのではないかと思う。
実のところ、この後方彼氏面をしている人を見たことがない。女性アイドルのファンではないので、実際に後方彼氏面する人がいる場を知らないだけかもしれないが。
形容する対象がいるから新しい言葉は生まれるのであり、実際に目にしたこともないのに自ら「後方彼氏面」という言葉を口にするのはおこがましい気がする。
かといって実例を見たとしても、言葉の響きに潜む一種の加害性(ファンのあり方をどこか貶めるような)を感じ、頻繁に使うこともためらわれる。
知ったとしても自分には縁遠く、積極的に口にはしない言葉というのは誰しも多数知っているだろう。私の例で言えば「ネットワークビジネス」だとか「ねずみ講」だとか「仮釈放」だとかの言葉は、意味こそ知っているが自らに当てはめて使うことはなかったし、今後も使うことはないと願いたい。
「後方彼氏面」もこのカテゴリに仲間入りし、私の脳の言語を司る分野の片隅でひっそりと存在し続けるのだろうかと思っていたある日、衝撃的な出会いをした。
まさに、後方彼氏面という言葉がふさわしい存在と出会った。
彼は生身の人間ではなく、ゲームの世界に存在する。名を明かすと、「リングフィットアドベンチャー」のリングだ。
「リングフィットアドベンチャー」はご存知の方も多いだろう。ニンテンドースイッチのゲームソフトで、筋トレをしながらゲームの世界を冒険するというアレだ。コロナ禍ではステイホームのお供として爆発的に売れ、一時期はどこも品切れだった。昨年手に入れることができ、今も細々と続けている。
リングは主人公の相棒で、名の通り輪の形をしている。プレイヤーが使うリングコンというリングフィット用コントローラの化身みたいなものだ。様々な能力を持っていて、プレイヤーを手助けしたりアドバイスをくれたり、合間に「輝いてるよ!」「いい汗かいたね!」と努力を誉めてくれる。この声掛けが自己肯定感を上げてくれると好評だ。実際励まされる。
ただ、リングは一緒に筋トレをしているわけではない。あくまでトレーナー的な立ち位置なので、キツイ運動をしているときに明るく声掛けされると「お前もこの苦しみを味わえや……」と思うことがないわけではない。相棒と言っても「ゴールデンカムイ」の杉元とアシリパのような共闘する相棒でもなければ、「相棒」シリーズの右京さんと歴代相棒の面々のような関係性でもない気がする。
リングは能力を提供し、プレイヤーは冒険を進める。プレイヤーは筋トレになり、リングはプレイヤーが冒険することが自らの目的に近づいていく。ギブアンドテイクの関係に近い。相棒ではなくビジネスパートナーでは……? と思いながらプレイしている。ビジネスライクな関係にならないのは、リングの熱意とプレイヤーへの優しい声掛けのおかげかもしれないし、「リングというビジネスパートナーと一緒に冒険しよう!」のコンセプトでは人気にならないだろうという任天堂の英断によるキャラ設定のおかげかもしれない。
話がそれた。後方彼氏面の話に戻る。プレイヤーはリングコンを駆使してフィールドを飛んだり跳ねたり走ったりしてゴールを目指すのだが、合間のリングによる声掛けがとても「後方彼氏面」に見えるのだ。
たとえば、プレイヤーがリングコンを押すと、ゲームの世界では空気砲が発射されフィールドに点在するボックスが破壊できる。すると、アイテムが獲得できる。
アイテムを手にするとリングが「うん、いいよ!」と言ってくれる。この「うん、いいよ!」の言い方が、なんだかとっても後方彼氏っぽい。「いいぞ」や「その調子だ!」といった口調だとどうしても選手を応援するコーチ感が出てしまうところを、距離の近さが上手くぼかして彼氏っぽくさせている。
あと、ボス戦に向かうまでの道のりはなかなかハードなのだが、途中でリングが「休憩しなくて大丈夫?」と心配そうに声をかけてくれる。これもまた私には絶妙に後方彼氏っぽいと思えてしまう。
本来の「後方彼氏面」の構図には、頑張るアイドルと、後方で彼氏のように見守るファンがいる。頑張るのはアイドルであり、ファンは一見するとただ何もしておらず、少し上からアイドルを見守っている雰囲気だ。もちろん陰ではアイドルを応援するために努力はしているのだが、彼氏面するときはその努力を見せない。
リングもまさにそうだと思った。自分は筋トレをせず応援に徹しているが、彼は彼で時にスムージーを作ってくれ、時にプレイヤーに翼を授けてもくれる。だが応援のセリフを口にするとき、彼の努力は見えない。見事な後方彼氏っぷりだ。それでいてリングの印象は爽やかな好青年であり続ける。なんという絶妙なキャラクターなのだろう。
私が後方彼氏面に弱い人間だったらとっくにリング推しになっていた。キャラクターの設定を練った方と声を当てた声優さん、双方のプロフェッショナルな仕事ぶりのたまものだと思う。
ゲームキャラクターの彼には躊躇いなく「後方彼氏面」という言葉を使えるし、何よりとっても後方彼氏だ。しかも爽やかで嫌味がない。たぶんゲームの世界のリングは「後方彼氏」という言葉すら知らないだろうし、自分がそう言われていたとしても「僕が彼氏!? なんだか照れるなあ」とか言いそうな性格をしている。なので彼に対しては遠慮なく「後方彼氏面」という言葉を使える。
そう思い至ってからこのかた、友人から「リングフィットってどう? 気になってるんだけど」と聞かれると「楽しく筋トレできるよ! あとリングって奴がめっちゃ後方彼氏面してくる笑」と返答している。思いがけず使うはずのない言葉を使えて少し高揚する。後方彼氏面してくる存在が自分にいるというのもシチュエーション的に面白すぎる。
後方彼氏面という言葉を使ってみたい人や後方彼氏面というのがどんなものかを知りたい人はリングフィットアドベンチャーを買ってみるのもいいかもしれない。あと、筋トレをしたい人もぜひ。
なお、今回紹介したリングの発言はすべて日本語の男性ボイスバージョンでプレイした際に聞ける。女性ボイスバージョンや外国語バージョンもあるが、発言内容が変わるかどうかまでは検証していない。もしかすると後方彼女になったリングもいるかもしれない。試す気になった人はぜひ試してほしい。
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