お嬢様の嫁入り

ぺんぎん

お嬢様の嫁入り

「私、結婚するの」


 喜びに満ちた声と、蕩けるような笑顔。


「おめでとうございます、お嬢様」


 儀礼的な祝福を述べた。


「ふふ、ありがとう」


 お嬢様はうわべだけの祝辞を気にする様子もなく、品よく微笑んだ。


「先日、お会いしたばかりなのだけど、とてもよい方でね」

「それは、本当によかった」


 心からそう思った。目の前にいる主人は、貴族階級の中では名門に位置する、社交界では華と呼ばれる程の令嬢だった。だが縁談を受けようにも、本人が気に入る相手でなければ夫にしないと公言し、数多ある縁談を断り続けていた。もはや無理に嫁がせるか、はたまた婚期を逃してしまうかと、彼女の親族のみならず、使用人にさえ噂される始末だった。


 彼女に仕える俺は周囲から説得を幾度となく促されてきた。俺の言葉など、彼女に届きはしないのに。


「婚儀の日取りをいつ頃に?」

「半年後よ」


 令嬢の輿入れにしては、随分と早い方だった。本来であれば、1年から2年かけて、花嫁の準備を行うものだ。それだけ相手が彼女を求めている証なのかもしれない。


「寂しくなりますね」


 心にもない言葉を口にした。


「ふふ、ありがとう」


 分かっているくせに、彼女は先程と同じ言葉を繰り返す。


「でも、大丈夫よ」


 何故か得意げな顔をして、


「だってあなたも一緒だもの」

「······は?」


 思わず彼女の顔をじいと見つめてしまう。


「何を、仰っているのですか······?」

「事実だもの」


 常と変わらない笑みを浮かべたまま、首を傾げてみせた。


「むしろ、何か問題でもある?」

「あります」

「どこに?」

「お嬢様は嫁ぐ身の上です」

「ええ」

「俺は、」

「『僕』」


 柔らかい声には有無を言わせない圧力があった。


「言ったでしょう? あなたの見た目に似合うのは『僕』。『俺』なんて似合わない」

「······っ」

「そうでしょう?」

「······ええ、そうでした」


 深々と謝罪の意を述べた。


「『僕』が間違っていました、お嬢様」

「ふふ、いいのよ。間違いは誰にでもあるもの」


 どの口が。声には出さずに、毒を吐く。自身を『僕』が似合うと思ったことはない。目の前にいる主人が『俺』の口調を変えさせたのだ。


 『俺』から『僕』に。ぞんざいな物言いを、丁寧な言葉遣いに。彼女が気に入るよう、全て、完璧に。彼女は満足そうに、『僕』を侍らせた。


 屋敷のみならず、令嬢達のお茶会に、貴族達に招かれる社交界に。彼女の側にいる『僕』は好奇と嫉妬、噂の格好の餌だった。彼女はそんな噂など、気にも留めず、あるいは気付く様子もなく、『僕』を側に置き続けた。


「それで、」


 お嬢様は長椅子に腰掛け、品よくこちらを見上げてきた。


「何が問題なの?」


 主人が椅子に座ったにもかかわらず、従者が立ったままなど非礼だ。だが、とても跪く気分にはなれなかった。だから、立ったままでいた。


 せめてもの抵抗だった。


「お嬢様はご存じのはずです」

「何を?」


「僕がお嬢様の『愛人』だと呼ばれている噂です」


 幼少期、両親が急死した俺は、孤児院で一時期過ごした。だが、どの孤児院だろうと決して上手くいかず、転々としていた時。


 目の前にいる彼女に拾われたのだ。


 最初は疑いもしたし、感謝もしていた。

 だが、彼女に連れられて、礼儀作法を叩き込まれ、社交界やお茶会に侍られていく内に。


 感謝は消え失せ、嫌悪しか残らなくなっていく。


「僕はお嬢様の従者であって、愛人ではありません」


 好奇と嫉妬がない交ぜにされたあの眼差し。直接言われた品のない言葉の数々。反論した上、否定した。だが、いくら否定しようが、肝心の当事者の一人が肯定を匂わせば噂は一気に燃え広がる。そう、彼女は俺以上に噂の標的になったのだ。彼女はそんな噂に対しても、心の底から満足そうに微笑むばかり。


『そのように見えるのでしたら、喜ばしい限りです』


 彼女は『華』と讃えられ、裏では令嬢の顔を被った『娼婦』と蔑まれる。


 それでも、彼女は否定しない。醜聞を恐れた両親が彼女を別宅に閉じ込めた。本来なら、俺は屋敷を追い出されていた筈だ。だが、追い出した後、更なる噂を恐れて、彼女と共に閉じ込められることとなった。彼女はひどく満たされた顔をしていた。


 一方で、彼女には数多の縁談が届いていた。彼女を後妻に望む者。噂を信じず、正妻として望む者。逆に噂を鵜呑みにし、彼女を側室や愛妾として望む者。彼女の両親である当主夫妻は、彼女にどの縁談だろうと勧めようとした。縁談を纏めさえすれば、噂がなくなるだろうと計算したからだ。


 だが、彼女が両親の許可なく断り続けた結果、彼女と俺の関係を軸とする噂を知らぬ者はいなくなっていた。


 そんな中、ようやく彼女が頷いた婚姻。相手が『噂』を知らぬ筈がない。


「ですが、お相手は噂を耳にしている筈」

「ええ、そうね」

「でしたら、僕の存在など疎ましいばかりではないでしょうか?」


 貴族階級の婚姻など、政略婚が主流。だからと言って、花嫁が『愛人』を連れて、嫁ぐなど醜聞以前の問題だ。


「今からでも、留まるべきかと」


 何より、俺自身彼女の束縛にも等しい命令から解放されたかった。


 彼女が嫁ぐことで、俺自身が屋敷から追い出されようが構わなかった。


「心配いらないわ」


 なのに、彼女はあっさりとこう言った。


「相手には納得してもらったから」

「······は?」


 二度目の間抜けな声が出た。


「納得?」

「ええ」

「お相手が?」

「ええ」

「僕の存在を?」

「ええ、そうよ」


「何故?」


 当たり前だ。当たり前の質問だった。


「何故、納得されたのですか?」

「あなたを連れていけないなら、嫁がないと言ったから」


 恋する乙女のように、瞳を潤ませながら、


「あなた以外愛せない。それでもいいなら嫁ぐと言ったの」


 命令で強いるばかりの唇から、愛を告げられても何一つ響かない。むしろ、胃が捻れそうなほどの吐き気を覚えた。


「相手の方はそれでもいいと仰ったの。それでもいいから、私を愛する権利がほしいと」


 歪んだ相手には、歪んだ愛がよく似合うと皮肉交じりにそう思った。


「だから私は嫁ぐことを決めたの。あなたを連れて」


 勝手に決めないでほしかった。そう言いたいのに、声がまともに出てこない。


「ねぇ、」


 彼女は『華』と呼ばれるに相応しい微笑を浮かべた。


「私のこと、嫌いでしょう?」


 見透かされていた。


「それでもいいの、それでもいいから」


 彼女は俺の腕に触れてくる。


「『愛している』と言ってくれる?」


 自身を嫌う相手に『愛』を囁かれても、『嘘』でしかないと分かるくせに。


「あなたに『愛している』と言われたら、私は世界で一番幸せな花嫁になれるから」


 たとえばここで振り払ったとしても、彼女は俺に何度も愛を強いるだろう。そういう人だ。


「かしこまりました」


 ようやく俺は彼女の前に跪く。


「心から、お慕い申し上げております、お嬢様」


 『愛している』とは言わなかった。知っている筈の名前も口にしなかった。目すら合わせず、頭を垂れたままだった。


「ありがとう」


 空っぽな愛に対して、それでも満たされた様子で笑っている、


「私もあなたを愛しているわ」


 世界で一番幸せな『花嫁』がいた。

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