02
VDは人気急上昇中のメンズユニットだ。
YouTube登録者数は100万人間近。10代女子に絶大な人気を誇り、インディーレーベルから5曲リリースしている。無所属ながらその影響力は無視できず、いよいよ芸能事務所が獲得に乗り出したという噂もあった。
往来を歩けば芸能人のような扱いを受けるメンバーの、人気の中心にいたのが
会うのはホテルや会員制の飲食店に限られた。だが29歳にして大手企業の課長を任される未加にとって、その手の隠れ家を押さえる手段と財力はいくらでもあった。
「みーちゃん、なんかあった?」
K1は一貫五千円の握り寿司を口に放り込みながら恋人を
歳の差を気にせず愛してくれる。身体の相性もいい。将来性もある。なにより彼といれば毎日が刺激的だった。若者たちのアイドルを独り占めする優越感もあった。
「今日は撮影だったの?」
「そう聞いてよー。カラオケで98点出るまで帰れませんって企画でさ、そんなの無理だよねぇ。リーダーでも93点だったね」
「けーちゃん上手いのに」
「歌? 音声加工に頼ってるから。音源は90パー加工だね」
「そうなの?」
「ふつうに考えて踊りながら歌えるわけないよ。そんなのマラソンでオリンピック出れるってー」
いつも明るいK1に救われる。元気をもらえる。ブツブツ呟きながらカウンターテーブルに突っ伏した彼はとてもキュートで、頭を撫でたらゴロゴロと猫の真似をした。
――ほんとうに、この人が好き。
つらいことも彼となら乗り越えていける。
でも正直怖かった。
もし
「みーちゃん。いつもありがとね」
「えっ」
彼がやんわりと微笑んだ。
「みーちゃんが支えてくれたからVDはここまで来れたよ?」
「なに急に」照れ臭かった。
「まだ登録者が1万いないころから俺らに投資してくれた」
「それがもうすぐ100万人だもんね。メジャーデビューも夢じゃないよ」
「そのことなんだけどさ」
彼は未加の手に自分の右手を重ねた。
「100万人ライブやりたいんだ」
「わぁ……すごい!」
「今までよりでっかいハコで。2000人キャパでやりたいねって、メンバーと話してる」
「できるよVDなら」
「ここで成功すればメディアの注目もぐんと上がるし、グループとしてもっと上に行けると思うんだ」
「うん。わかった」
「だからね、みーちゃん」
「お金のことは心配しないで」
「……いつもごめんね。ありがとう」
「メジャーに行ったらけーちゃんに
「約束するよ。またこの寿司屋で」
引き合った唇が静かに重なった。カウンターの大将は包丁を研ぐ振りをしてさっと目を逸らした。
その夜は一層激しかった。キングサイズのベッドがキィキィと
疲れ果て、シャワーも忘れて眠った。
夜は苦しみをやり過ごす時間。仕事からも夫からも切り離されたこの空白のとき、きまって浮き上がってくる過去がある。
ばぁばの夢。
『あんたたちに未加を育てる資格はないッ! もう二度と顔を見せるんじゃないよ!』
――ばぁばの声、懐かしい。
強い
未加のヒーロー。
――そんな人を、私のせいで死なせた。
当時ばぁばの体調がよくないのは知っていた。
でも
三日ぶりに帰るとばぁばが床に倒れていた。名前を叫んでも微動だにしなかった。
翌日、病院で息を引き取った。
人生に失敗はつきものって? じゃあ大切な人を死なせてしまった失敗はどうやって
許してくれる相手はこの世にいない。だから自分を呪う以外にできることがないのだ。
"私がちゃんとしていれば"
"ばぁばを気にかけていれば"
"電話の一本でも入れていれば"
"もしも"が未加の心を
だが未加のヒーローは、死の間際にすら未加の味方だった。
『ごめんなさいごめんなさいごめんなさい――!』
泣きじゃくる未加に希望を残した。
『未加ァ、もう苦しまんでいい。アンタはもう十分苦しんだ。人生は自分だけのもんだ』
動かない手で未加の頭をさすりながら。
『大丈夫、大丈夫』
彼女の言葉がその後の人生を変えた。
『今度こそ幸せになれ……。信念に従って生きろ』
泣きながら決意したのだ。
――死んでも幸せになってやる。
「みーちゃん」
目を開けるとすぐ側にK1のきれいな顔があった。寝起きでも崩れないんだなぁと。純然たる若さが
「平気?」
「なにが?」
「うなされてた」
彼の親指がそっと未加の涙を
心配されるほど泣いてたのか。
あんな夢見せるから。
私の呪い。
それは祖母の願いに反して今もまだ身体の内にある。
備えつけの時計の針が午前4時を通過した。秒針はあてつけのようにとろとろと進む。夜はまだ終わってくれない。
「ばぁばの夢」
頑張って笑顔を作った。
「私のせいで、死んだ……」
でも言葉にすると感情がぼろぼろと
「唯一人の、味方が」
彼の手が首の裏に回されたと思うと強く抱き寄せられた。いつものハグとは違った。背中に繊細な指が食い込む。痛いほどに強く。
「みーちゃんはかっこいいよ」
「そんなんじゃない」
「ブレない人だ」
「ちがうよ」
「大丈夫」
はっと顔を上げた。同じ言葉を夢で聞いたような気がした。
「俺がみーちゃんの味方だから」
このときの気持ちをどう表現したらいいのか。社会で成功しても博嗣と結婚しても消えなかった"重り"。
今なら空も飛べる気がした。
決めた。
この人と生きていこう。
今日まで怖くて確認できなかった。ちゃんと打ち明けて、一緒に病院へ検査に行こう。
でもその前に、つけるべきケジメがある。
VDのK1にふさわしい人間に。
薬指の指輪をそっと外した。
彼が不倫スキャンダルに巻き込まれることだけは、絶対にあってはならない――
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