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 VDは人気急上昇中のメンズユニットだ。

 YouTube登録者数は100万人間近。10代女子に絶大な人気を誇り、インディーレーベルから5曲リリースしている。無所属ながらその影響力は無視できず、いよいよ芸能事務所が獲得に乗り出したという噂もあった。

 往来を歩けば芸能人のような扱いを受けるメンバーの、人気の中心にいたのがK1ケーイチだった。彼に恋人がいるなど誰も知らない。未加との交際がバレればスキャンダルは間違いない。しかも未加は既婚者だ。


 会うのはホテルや会員制の飲食店に限られた。だが29歳にして大手企業の課長を任される未加にとって、その手の隠れ家を押さえる手段と財力はいくらでもあった。

「みーちゃん、なんかあった?」

 K1は一貫五千円の握り寿司を口に放り込みながら恋人をうかがった。「なにもないよ」と誤魔化しながらも、わずかな違和感に気づいてくれた彼に感動した。

 歳の差を気にせず愛してくれる。身体の相性もいい。将来性もある。なにより彼といれば毎日が刺激的だった。若者たちのアイドルを独り占めする優越感もあった。

「今日は撮影だったの?」

「そう聞いてよー。カラオケで98点出るまで帰れませんって企画でさ、そんなの無理だよねぇ。リーダーでも93点だったね」

「けーちゃん上手いのに」

「歌? 音声加工に頼ってるから。音源は90パー加工だね」

「そうなの?」

「ふつうに考えて踊りながら歌えるわけないよ。そんなのマラソンでオリンピック出れるってー」

 いつも明るいK1に救われる。元気をもらえる。ブツブツ呟きながらカウンターテーブルに突っ伏した彼はとてもキュートで、頭を撫でたらゴロゴロと猫の真似をした。

 ――ほんとうに、この人が好き。

 つらいことも彼となら乗り越えていける。

 でも正直怖かった。

 もしアレ、、が来ないって打ち明けたら――?


「みーちゃん。いつもありがとね」

「えっ」

 彼がやんわりと微笑んだ。

「みーちゃんが支えてくれたからVDはここまで来れたよ?」

「なに急に」照れ臭かった。

「まだ登録者が1万いないころから俺らに投資してくれた」

「それがもうすぐ100万人だもんね。メジャーデビューも夢じゃないよ」

「そのことなんだけどさ」

 彼は未加の手に自分の右手を重ねた。

「100万人ライブやりたいんだ」

「わぁ……すごい!」

「今までよりでっかいハコで。2000人キャパでやりたいねって、メンバーと話してる」

「できるよVDなら」

「ここで成功すればメディアの注目もぐんと上がるし、グループとしてもっと上に行けると思うんだ」

「うん。わかった」

「だからね、みーちゃん」

「お金のことは心配しないで」

「……いつもごめんね。ありがとう」

「メジャーに行ったらけーちゃんにおごってもらうから」

「約束するよ。またこの寿司屋で」

 引き合った唇が静かに重なった。カウンターの大将は包丁を研ぐ振りをしてさっと目を逸らした。


 その夜は一層激しかった。キングサイズのベッドがキィキィときしむ音が薄闇に溶けて、欲望を吐きだすさまは飢えた獣だ。

 疲れ果て、シャワーも忘れて眠った。

 夜は苦しみをやり過ごす時間。仕事からも夫からも切り離されたこの空白のとき、きまって浮き上がってくる過去がある。

 ばぁばの夢。

『あんたたちに未加を育てる資格はないッ! もう二度と顔を見せるんじゃないよ!』

 ――ばぁばの声、懐かしい。

 強い女性ひとだった。

 未加のヒーロー。

 ――そんな人を、私のせいで死なせた。

 当時ばぁばの体調がよくないのは知っていた。

 でも不良ワルの先輩が開いたパーティーがたのしくて、仲間たちと浴びるように酒をあおり、無断外泊をくり返した。意識がなくなるまで酔っ払い、名前も知らない男と寝た。ただひたすらにたのしく好き放題暴れていた。虐待されていた10歳の自分が手に入れたかったすべてが、そこにはあった。

 三日ぶりに帰るとばぁばが床に倒れていた。名前を叫んでも微動だにしなかった。

 翌日、病院で息を引き取った。


 人生に失敗はつきものって? じゃあ大切な人を死なせてしまった失敗はどうやってつぐなえばいい?

 許してくれる相手はこの世にいない。だから自分を呪う以外にできることがないのだ。

 "私がちゃんとしていれば"

 "ばぁばを気にかけていれば"

 "電話の一本でも入れていれば"

 "もしも"が未加の心をむしばんでいく。

 だが未加のヒーローは、死の間際にすら未加の味方だった。

『ごめんなさいごめんなさいごめんなさい――!』

 泣きじゃくる未加に希望を残した。

『未加ァ、もう苦しまんでいい。アンタはもう十分苦しんだ。人生は自分だけのもんだ』

 動かない手で未加の頭をさすりながら。

『大丈夫、大丈夫』

 彼女の言葉がその後の人生を変えた。

『今度こそ幸せになれ……。信念に従って生きろ』

 泣きながら決意したのだ。

 ――死んでも幸せになってやる。


「みーちゃん」

 目を開けるとすぐ側にK1のきれいな顔があった。寝起きでも崩れないんだなぁと。純然たる若さがまぶしい。

「平気?」

「なにが?」

「うなされてた」

 彼の親指がそっと未加の涙をぬぐう。

 心配されるほど泣いてたのか。

 あんな夢見せるから。

 私の呪い。

 それは祖母の願いに反して今もまだ身体の内にある。

 備えつけの時計の針が午前4時を通過した。秒針はあてつけのようにとろとろと進む。夜はまだ終わってくれない。

「ばぁばの夢」

 頑張って笑顔を作った。

「私のせいで、死んだ……」

 でも言葉にすると感情がぼろぼろとこぼれてきて、止まらなかった。

「唯一人の、味方が」

 彼の手が首の裏に回されたと思うと強く抱き寄せられた。いつものハグとは違った。背中に繊細な指が食い込む。痛いほどに強く。

「みーちゃんはかっこいいよ」

「そんなんじゃない」

「ブレない人だ」

「ちがうよ」

「大丈夫」

 はっと顔を上げた。同じ言葉を夢で聞いたような気がした。

「俺がみーちゃんの味方だから」

 このときの気持ちをどう表現したらいいのか。社会で成功しても博嗣と結婚しても消えなかった"重り"。

 今なら空も飛べる気がした。

 決めた。

 この人と生きていこう。

 今日まで怖くて確認できなかった。ちゃんと打ち明けて、一緒に病院へ検査に行こう。

 でもその前に、つけるべきケジメがある。

 VDのK1にふさわしい人間に。

 薬指の指輪をそっと外した。

 彼が不倫スキャンダルに巻き込まれることだけは、絶対にあってはならない――

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