地球(3) 懐かしい姿

 質屋の営業は朝の10時からだそうだが、蕎麦屋の主人から連絡があったらしく、俺達がその店を見つけた時には、入口の扉が半分だけ開いていた。


 俺達が店に入って店主に金塊を見せた時には、

「さすがにこんな大きな物は買い取れませんよ」

 と言われたが、シーナがバッグから取り出した電波カッターで、金塊をプリンの様に切り取った時の店主の表情は、まさに鳩が豆鉄砲を食らった様だった。


 その時に店の金庫にあった現金は800万円程だったが、店を営業してから現金が足りないと困るというので、360万円分を買い取ってもらう事になった。


 この時代の良いところは、台帳に偽名を記載してもバレない事だ。


 身分証は無いが、それは金塊の重量を少し多めにしてやる事で許してもらえた。


 この時代は、少々問題があったとしても、人情で何とかなるのが良いところだ。


 いずれ身分証も偽造するつもりだが、この時代は免許証も磁気など無いただのカードだし、保険証などは三つ折りのただの紙だ。


 身分証の偽造など、いくらでも出来るだろう。


 しかも、この時代はインターネットも無い。


 情報源が少なすぎて、少々の事では俺達の存在が世界中に広まるなんて事は無いだろう。


 とはいえ、いつまでも偽造の身分証では行動に制限が出る。


 なので出来るだけ早く外務省や運輸省の人間とコネを作り、賄賂を支払って俺達の公的な身分証を作らせる必要がある。


 そう、この頃の日本は、賄賂で何とでもなる時代だったのだ。


 全ての情報が紙で保管されていた時代だ。


 資料の紛失など日常茶飯事だろうし、いくらでも新たな身分証を作れる筈だ。


 俺は360万円分の紙幣を手にし、電車の駅の方へと向かって歩いて行ったのだった。


 ---------------


 富士宮駅に着いた時には正午を回っていた。


 富士宮駅は国鉄の駅だ。


 民営化してJRという名称になったのは1987年。


 まだこの頃は国営の鉄道だった訳だ。


 とりあえず新幹線の駅まで行きたいと思っていたのだが、みんなは歩き疲れた様で、昼食がてらどこかで休憩しようという事になった。


 行き交う人々がチラチラと俺達の姿を見ている。


 この時代は東京の渋谷あたりで「ロックンロール族」や「カラス族」なる者が流行していた時代でもあり、俺達はどちらかというと「ロックンロール族」みたいに見えている事だろう。


 服装もこのままでは良くない。


 ミリカも行き交う人々の衣装を見て目を輝かせているし、どこかデパートがあれば衣装を新調したいところだ。


「何だか、あそこから美味しそうな匂いがしますね」

 とイクスが言った。


 イクスが指さした方向を見ると、なるほど確かに洋食屋がある。


「あそこで休憩がてら、昼食にしようか」

 と俺が言うと、みんなは嬉しそうに「はい!」と返事をして店に向かって歩き出した。


 店の扉は当時としては珍しい自動ドアで、ドアの前のマットが敷かれた板を踏む事で扉が開く仕組みのものだった。


 店に入ると主婦らしき3人組が一つのテーブルを使っている以外に客は居なかった。


 俺達はまた3つのテーブルに分かれてメニューを見る事にした。


 とは言っても、メニューを理解できるのは俺だけなので、ハンバーグ定食を3つと、エビフライ定食を3つ、そして唐揚げ定食を3つ注文する事にした。


「ここは朝に行った蕎麦という料理の店とは違った感じですね」

 とイクスが店を見回しながら言う。

「ここにも映像モニターがあるのです。何を言ってるかは分からないけど、何だか楽しそうに笑っているのです」

 とシーナはテレビ画面に映る昼の番組を見ている様だ。


 ティアは何やらデバイスを操作している様で、じっとテーブルを見ながら黙っている。


 ガイアとテラはキョロキョロと店の中を見回しながら、二人で会話を楽しんでいる様だ。


 ライドとメルスは窓際の席に居るが、窓の外を走る自動車や、時折空に見える飛行機の姿を見て二人で話し合っている様だ。


 あいつらにとって、ここは新たな発見の宝庫に違いない。


 どこの星に行っても新たな発見ってのはあるものだが、地球は既にある程度の文明が発達しているし、それもプレデス星の技術とはまったく違うベクトルで発展してきた。


 テキル星の文明と比較すれば、地球の文明ははるかに進んでいると言えるだろう。


 やがて料理が運ばれてくる。


 俺には唐揚げ定食、ティアにはエビフライ定食、シーナにはハンバーグ定食を。

 ライド達の所にもハンバーグ定食とエビフライ定食が置かれ、残りはイクス達のテーブルへと運ばれた。


「ごゆっくり」

 と店主がそう言うと、ティアが店主に向かって

「アリガトウ、イタダキマス」

 と言った。


 俺が驚いてティアを見ると、

「どう?ちゃんと話せてたかな?」

 とティアが俺を見てそう訊いた。


「ああ、すごいぜティア。ちゃんと話せてたよ」

 と俺はそう言いながら、「昼食が済んだら、みんなにこの国の言葉を教えないといけないな」

 とみんなに向かってそう言った。


 みんなは「はい!」と元気に返事をして

「いただきます!」

 と手を合わせてそう言うと、運ばれた料理を食べ始めたのだった。


 --------------


 食後のコーヒーが運ばれた後、俺はデバイスで日本語のレクチャーを行う事にした。


 全ての日本語を教える事は出来ないが、日常会話に使いそうなものを、プレデス語から日本語に訳していき、その情報をみんなに送った。


 こうしておけば、デバイス内に作られた各自のアバターが、自動で翻訳を学んでくれる。


 実際に会話をする時にも、デバイスに表示させた日本語を読み上げる事で、相手はまるで、当人が日本語を話している様に見える事だろう。


 発音は確かに難しい。

 プレデス語と日本語では口の動かし方が全く違う。


 俺でさえ発音がカタコトになる程だ。


 だけどさっきのティアは、俺の発音や相手の言葉をきちんと理解していた様にも見えた。


 やはり、何においてもこいつらは優秀なんだと、改めて思ったのだった。


「よし、じゃあそろそろ行こうか」

 と俺が言うと、みんなは頷いて席を立った。


「オ会計ヲオ願イシマス」

 と俺が言うと、レジに居た若い女が伝票を受け取って、ジーガシャンと音を立てながらレジを打つ。


 そうだったよな。この時代のレジはこんなんだった。


 電子制御式じゃなくて、機械式のレジだったんだ。


 ガシャガシャ、チーン。


 とレジが軽快なベルの音を立てて数字が表示される。


「5400円です」

 という店員の声に、俺はポケットから聖徳太子が描かれた1万円札を1枚出してトレーに置いた。


「4600円のおつりです」

 と言っておつりを手渡される。


 伊藤博文いとうひろぶみが描かれた千円札が4枚。岩倉具視いわくらともみが描かれた500円札が1枚。そして100円玉が1枚だ。


 この頃はまだ500円玉が無かった。


 確か500円玉は1982年に発行された筈だから、今から見れば、来年に発行されるという事だろう。


「アリガトウ」

 と俺は礼を言い、レシートを受け取って店を出た。


「すっっごく美味しかったのです!」

 店を出るや否やシーナが目を輝かせてそう言いながら飛び跳ねている。


 随分と地球の重力にも慣れたみたいだな。


「さあ、ここから電車という乗り物に乗って別の駅に行く。そしてそこからは新幹線という電車に乗って、この国の首都圏まで移動するぞ」


 富士宮駅にはキップの自販機は無い様だった。


 窓口で駅員に

「三島マデ大人9マイ」

 と俺が言うと、駅員が機械印字したキップを9枚手渡してくれる。


 運賃を支払ってキップを受け取った俺は、改札口に居る駅員に9枚のキップを手渡すと、駅員は全てのキップの端に特殊なハサミでM字型の切り込みを入れて返してくれた。


 懐かしいな。

「キップ切りのおじさん」なんて、子供の頃以来だ。


「さあ、これで中に名入れるぞ」

 と俺はみんなに声をかけながら改札口を通ると、みんなも俺に付いてくる。


 改札口を過ぎると、目の前がホームになっていた。


 俺が壁に掛けられた時刻表を見ていると、ティアも俺に並んで時刻表を見ながら、

「あと6分で電車が来るって事?」

 と俺に訊いた。


「おお、さすがティアだな。その通りだ」

 と俺は言いながらティアを軽く抱いて頭を撫でてやる。


 ティアは嬉しそうに顔を赤らめ、

「なんか、周りに人が多いと、少し恥ずかしいね」

 と言って照れ笑いをしていた。


「そうだな。この国の人々は、あまり人前でスキンシップをとる文化は無いからな。だけど、見た目が違う俺達は、彼らにとっては外国人みたいなものだ。文化の違いくらいは許容してくれるはずだぜ」


 俺はそう言いながらティアとシーナを両腕で抱き寄せて、二人の額にキスをした。


 駅には10人前後の日本人が電車を待っていたが、みんな俺達の方を不思議そうに見ているのが分かった。


 俺が前世で子供の頃は、外国人なんてあまり見なかった。

 たまに見かけたら「外人だ!すげー!外人だ!」とみんなで遠巻きに見ている位だったのを思い出す。


 今思えば、何とも田舎臭い国だったんだなと思う。


 しかしそれも含めて、日本はとてもいい時代だったのだ。


 その時、突然「プルルルルル!」と駅の構内にブザーの様な音が鳴り響く。


「何事ですか!?」

 とメルスが飛び上がって驚いていたが、俺が平気なのを見て「あ・・・」

 と短く言っただけで、すぐに落ち着きを取り戻していた。


「間もなく、1番線に富士行の各駅停車が参ります」

 という駅員の声がしてホームの先に目を凝らすと、遠くから国鉄の電車がやって来るのが見えた。


「あれが電車ですか・・・」

 とメルスが興味深そうに見つめている。


「ああ、電気で動く、鉄の道を走る車だな」

 と俺が応えると、メルスは「なるほど・・・」と唸りながら近付いてくる電車の姿を目で追っていた。


「上にある電線から電気を供給しているのね。わざわざ金属線を使うなんて、随分と原始的なのね」

 とティアはそう言うが、プレデス星の様に、電気が無線で供給できる仕組みなんて、地球上に出現するのは40年近く未来の話だ。


「原始的ではあるが、俺達の技術提供も無く、現地人だけでここまで発展しているのは、すごい事だと思うぞ」

 と俺が言うと、ティアは頷きながら、

「確かにそうね。この星の人類は優秀なのね」

 と言って、電車が止まるのを待っていた。


 プシューッとポンプが空気を放出する音がして、2両編成の電車が目の前に停車して扉が開いた。


「よし、乗ろう」

 と俺は率先して車内に入り、空いている8人掛けの長椅子の真ん中に座った。

 ティアとシーナが俺の両サイドに座り、右の端にライドとメスルが、左の端にイクスとミリカが座り、ガイアとテラは向かいの席に座った。


「扉閉まりまぁす」

 という車掌の声がスピーカー越しに聞こえ、扉がゴロゴロバタンと音を立てて閉まった。


 そして電車が動き出し、富士宮駅のホームを後にしたのだった。


 みんなは車窓から見える流れていく景色を興味深げに見ている。


 車窓から見える景色には富士山があり、富士山は頂上に向かって真っ白な雪で覆われていく。


 運良く天候にも恵まれ、富士山は山頂までが美しく見え、青い空とのコントラストが美しかった。


「あれがこの国で最も高い山なんだ。富士山っていう山だから、みんなも覚えておいてくれ」


 と俺が言うと、

「宇宙船を隠した山ですよね。何とも美しい山ですね。白い岩で出来ているんでしょうか?」

 とライドが興味を持った様だ。


「いや、白いのは雪といって、雨が凍ったものが積もってるんだよ」


「なるほど・・・、この国では、雨が凍って降って来るんですね・・・」

 とライドは不思議そうに言った。


 テキル星にも雪国はあったはずだが、俺達は海を渡ったから雪は見ていなかった。

 プレデス星はそもそも雪なんて存在しない。

 クレア星もそうだ。


 北極も南極も海しか無いから、そもそも人類が雪を見る事など無かった訳だ。


 それに比べて地球は、太陽に対して地軸が傾いているから、赤道から離れた大陸では四季がある。


 日本は北緯35度辺りに位置しているから、丁度良い四季を見られるって訳だ。


 電車はガタタン、ゴトトンと軽快なリズムを刻みながら走っている。


「何だか、この音を聞いていると眠くなってくるわね」

 とティアがそう言った。


 俺もそうだった。この音はどうにも眠気を誘う効果がある様で、シーナなどは既に俺の肩に頭を乗せて寝息を立てている。


「目的の駅への到着まで、まだ30分以上はある。ティアも眠ってていいぞ」

 と俺が言うと、ティアも俺の肩に頭を乗せて

「そうする」

 と言って目を瞑った。


 俺はティアとシーナの手を握りながら、車窓に映る富士山が視界から消えていくのを見つめていた。


 富士駅についたら東海道線に乗り換えが必要だ。

 その後は三島の駅まで東海道線で移動する。


 そして三島からは新幹線に乗って、新横浜で降りる。


 そこから相模原まで移動して、俺の実家の様子を見に行く。


 そこには、6歳の吉田松影よしだまつかげが居るはずだ。


 前世の俺が、子供の姿で元気に遊んでいる筈なのだ。


 この世界が俺の居た過去の地球なのだとしたら、必ず居る筈だ。


 特に何かをしようと思っている訳では無い。


 ただ、元気な姿が見られればそれでいい。


 俺はそんな事を考えながら、いつしか目を瞑って眠っていたのだった。


 --------------


「間もなく、富士に到着します」

 という車掌の声が聞こえて、俺はハッと目を覚ました。


 シーナは既に目を覚まして俺の腕に抱き着いている。


 ティアはまだ寝ていたので、身体を揺すってティアを起こす事にした。


「んん・・・」

 とティアが妙に艶っぽい声を漏らしながら目を覚ました。


 そして当たりを見回して

「もう着くの?」

 と訊いた。


「ああ、次にこの電車が止まったら、そこで降りるぞ。別の電車に乗り換える必要があるんだ」


「わざわざ乗り換えるのね」

 とティアは不思議そうにそう言い、抱えていたキャリートレーを持って伸びをした。


 電車は減速を始めており、やがて車窓に駅舎の姿が見えてブレーキをかける金属がこすれる様な音が響いたかと思うと、電車は駅のホームにピタリと停車し、プシューッと音がして扉が開いた。


「よし、降りるぞ」

 俺はキャリートレーを脇に抱えて立ち上がり、出口からホームへと降りた。


 みんなも俺に付いて降りて来る。


 東海道線の乗り場には、駅舎の階段を昇って別のホームに移動する必要があった。


 俺は一番近くの階段を昇り、南側に並ぶ、長いホームにつながる階段を降りて行った。


 そこには東京行きの快速電車が止まっており、特急の通過を待っている様だった。


「丁度いい、あれに乗ろう」

 と俺が言うと、みんなも俺に付いてくる。


 快速電車と言っても、いくつかの駅を通過するだけで、車両が沢山繋がっている事を除けば先ほどまで乗っていた電車と姿形に変わりは無い。


 俺達は電車に乗り込み、あまり乗客が居ないスペースへと移動して、長椅子に並んで座る事にした。


 こちらは車両の半分くらいを埋める程度の乗客が居た。


 スーツを着込んだサラリーマンが大半で、スーツを見たミリカが目を輝かせてデバイスにそのデザインを記録している様だった。


 車窓から見える景色は、緑豊かな田園風景と、時々住宅地を通り過ぎる。


 更に、5階建て位のビルの姿もチラホラと見える事もあり、その景色を眺めながら俺達は電車の中でじっとしていた。


 他の乗客が俺達をチラチラと見ているのが分かる。


 美男美女揃いの外国人が、ロックンロール族みたいな恰好で9人揃って座っている姿は、この時代の日本人の目には異様に映るだろう。


 だけど、プレデス星人に負けず劣らずシャイな国民性を持っているのがこの時代の日本人だ。


 外国人においそれと話しかける事も無いし、近づく事も無い。


 おかげで俺達はゆっくりと椅子に座る事も出来る訳だ。


 まあ、俺達みんなが持っているキャリートレーなどは不思議に見えるかも知れないが、肩から下げているバッグも服装も、地球上では珍しくも無いデザインだし、まさか俺達が宇宙人だなんて事は夢にも思わないだろう。


 そうしているうちにも電車はどんどん東へと進んで行き、やがて三島の駅に到着したのだった。


 -----------------


「これはさっきまでの電車とは比べ物にならないくらいに速い乗り物ですね」

 とメルスがそう言った。


 今は三島から新幹線で新横浜に向かう途中だ。


 この時代の新幹線は「ひかり」「こだま」の2種類しか無く、俺達は「こだま」に乗っていた。


 この後は「小田原」に止まり、その次が「新横浜」だ。


 この時代の新横浜は、新幹線の「ひかり」が停車する事になった5年前から街の発展が進み、今ではそこそこ都会になっていた筈だ。


 駅の近くにはショッピングセンターも出来て、俺達の服はそこで新調しようと思っている。


 子供の頃に俺も行った事があるショッピングセンターだ。


 行けばアパレルショップの場所くらいは思い出せるだろう。


 そんな事を考えているうちに新幹線は新横浜の駅に到着し、俺達は駅の改札を出て新横浜の街に降り立った。


 時刻は午後の5時前。そろそろ宿泊場所を探さなければならない。


「とりあえず、今夜はこの街で宿泊しよう」

 と俺は言いながら辺りを見回し、ビジネスホテルを見つけて建物の方へと歩いて行った。


 ホテルの建物はそれほど豪華では無かったが、フロントには黒い蝶ネクタイを締めた紳士が立っており、俺達がエントランスの扉を開けて中に入ると、静かに頭を下げて

「いらっしゃいませ」

 と丁寧なお辞儀をしてくれた。


「3人部屋ヲ1ツ、2人部屋ヲ3ツ、泊マレマスカ?」

 と俺が訊くと、フロントの男は壁に掛けられた鍵を確認して、

「ご用意できます。朝食サービスはいかが致しますか?」

 と訊いて来たが、俺は首を横に振って朝食サービスを断った。


「では、前金で34000円になります」

 とフロントの男はそう言い、俺は代金を支払って、部屋の鍵を預かった。


 俺は3人部屋の鍵を持ったまま、2人部屋の鍵をイクスとガイアとメルスに手渡した。


 部屋は全員が5階になり、俺がエレベーターのボタンを押して扉が開くと、エレベーターに乗り込んだ。


 エレベーターはあまり広く無かったせいで、全員が乗るとすし詰め状態だったが、みんな体重が軽いおかげで重量オーバーにはならずに済んだ様だ。


 5階に到着してエレベーターを降りた俺は、みんなにホテルでのルールやマナーを説明すると、少し離れた所にある3人部屋の鍵を開けて中に入った。


 部屋はそれほど広くは無いが、シングルサイズのベッドが二つ並んで置かれており、他にソファベッドが一つあった。


「ふう、何とかここまで来れたな」

 と俺は深呼吸しながら上着だけを脱ぎ、「今から街で新しい服を買いに行くぞ」

 と言って、デバイスで他のメンバーにも連絡をした。


 俺達が部屋を出ると、他のメンバーも丁度部屋を出て来るところだった。


「荷物は部屋に置いたままでいい。部屋の鍵はちゃんと閉めておけよ。これから街に出て、服を買って、それから夕食を摂ろう」

 と俺が言うと、みんなは嬉しそうに「はい!」と言って俺に付いてくるのだった。


 ---------------


 ショッピングセンターは新横浜の駅を挟んだ反対側にあった。


 俺達はアパレルショップを巡ってそれぞれに合った服を買う事にした。


 俺はスーツを1着とカジュアルな服を2着。ティアとシーナは女性用のスーツとカジュアルな服を2着ずつ。

 メルスとライド、ガイアとテラにもカジュアルな衣装を2着ずつ購入した。

 イクスとミリカにもカジュアルな衣装を購入したが、ミリカには研究用にと3種類程の衣服を購入する事にした。


 ここでの出費は16万2千円。


 これまでに使った交通費や宿泊費を合わせれば、既に24万円の出費だ。


 360万なんて、あっという間に無くなってしまいそうだ。


 残りの金塊も早目にどこかで換金しなければならないだろう。


 俺はショッピングセンターの地下に並ぶ飲食店街へと向かいながら、そんな事を考えていた。


 地下の飲食店街まではエスカレーターで降りて行った。


 みんなはエスカレーターから見える様々な店舗に売られている物を目を輝かせながら眺めている。


「俺達が定住できる住居が見つかったら、ああいった雑貨も買ってやるからな」

 と俺はみんなにそう言っておき、エスカレーターが地下に着くや否や、飲食店街の中にある蕎麦屋に向かった。


 そう、俺が子供の頃によく連れて行ってもらった店だ。


 俺はこの店のカツ丼が大好きで、両親はいつも天ぷら蕎麦を注文していた。


 みんなは俺が迷う事無くその蕎麦屋を目指しているのを見て不思議そうにしていたが、今はそんな事はどうだっていい。


 俺はあの懐かしい味を、もう一度味わいたくて仕方が無かったのだ。


 その店は飲食店街の奥から2番目にあり、店の入口に暖簾のれんが掛かっているのを見て、俺は心底嬉しくなった。


 俺が一番幸せだった子供の頃。


 そのころは、自分が幸せだなんて考えた事も無かったが、今にして思えば、あの頃は夢の様な時代だった。


 平和な日本で、高度経済成長期で、未来に希望を持っている大人の姿に憧れを抱き、「はやく大人になりたい」と子供心にそう思ったものだ。


 しかし30年後の日本はデフレ経済によって少子化が進み、大人は自分の事ばかりで精一杯になって、子供の目には大人は汚い存在に映る。そして、大人になる事を嫌がって、未成年の内に自殺をする。30年後の日本とは、そんな社会だった。若者の死因の統計では、毎年「自殺」が一位を占めていて、第三次世界大戦が起こる前の日本であるにも関わらず、子供達は貧困に喘いで苦しそうな子が多かった。


 俺も大人になってからは「あの頃に帰りたい」とこの時代を何度も懐かしんだものだ。


 だけど今、俺はその時代に立っている!

 あのカツ丼が食べられるんだ!


 俺はそんな事を思いながら暖簾を潜り、蕎麦屋の中に入った。


 店の中には12個のテーブルがあり、カウンター席が6名分あった。


 カウンター席は既に埋まっており、テーブル席が4つ空いていた。


 俺は空いているテーブルの一つの席に座り、ティアとシーナが向かい側に座る。


 俺の背後にはイクスとミリカ、ライドとメルスが同じテーブルに着き、その隣のテーブルにガイアとテラが座った。


 俺は注文を取りに来た店員に

「カツ丼9人分クダサイ」

 と注文すると、店員は手に持った伝票に注文を書き込んで

「カツ丼9人前~!」

 と厨房に向かって叫んでいる。


 この店の雰囲気も昔のままだ。


 俺はテーブルの向かいに座るティアとシーナを見て

「ここのカツ丼ってのが旨いらしいんだよ」

 と言った。


「ショーエンはガイアの事が本当に詳しいのね」

「ショーエンだから当然なのです」


 と二人はそう言ったが、俺は

「ああ、夢にまで見た星だからな」

 と言っただけで笑顔で応えた。


 ティアの後ろには黒い喪服を来た中年女性の後ろ姿があり、どうやら子連れでこの店に来ている様だった。


「あらあら、おしぼりを落としちゃったよ」

 と言って喪服の女が床に落ちたおしぼりを取ろうと屈んだ時、俺の目は、姿を現した少年の姿に目を奪われた。


 その少年は年齢にして6歳くらい。


 茶色いポロシャツを着て、美味しそうにカツ丼を頬張っている。


 モグモグと美味しそうに食べるそのほっぺは落ちそうに可愛くて、前髪を揃えた黒い髪はツヤツヤとして輝いていた。


 ・・・俺だ。


 子供の頃の俺の姿がそこにはあった。


 俺は少し腰を浮かせて中腰になり、ティアの頭越しに喪服の女の横顔を覗いた。


 そこには、前世で俺を育ててくれた、母親の若かりし姿があった。


 1981年の3月・・・


 そうか。爺ちゃんが死んで、その葬式の帰りだ。


 学校を休んで葬式に出て、その帰りにこの店に寄ったんだ。


 親父はこの日は居なかった。


 出張で葬式に出られず、親戚からも顰蹙ひんしゅくを買ったと後から聞いた事がある。


「天ぷら蕎麦お待ちどうさま」

 と母の前にも料理が運ばれる。


松影まつかげ、天ぷら少し食べる?」

 と母が松影につゆを付けたエビ天を口元に運んでやる。


 松影はパクリとエビ天にかぶりつくと、モグモグとしてゴクリと飲み込んだ。


「天ぷらも美味しい!」

 と松影が笑顔で言う。


 それを微笑みながら見つめる母の姿。


 そうだよな。


 子供はこうやって笑顔で居なきゃダメだ。


 そうなれない社会なんて、クズに等しい。


 この時は、「いい大学に入れば将来は安泰だ」なんて言われてた。


 実際には社会はそうはならなかった。


 バブル経済が崩壊して、俺達の世代は就職なんて出来なかった。


 俺はこれまで「いい大学に入れれば」なんて言ってきた両親を恨んだ事もあったが、目の前に居る松影の母親の姿のどこに悪意があるってんだ。


 俺はちゃんと愛されてた。


 悪いのは母じゃない。


 俺はこれまでの人生で両親から受けた様々な愛情を思い出し、いつの間にか目頭が熱くなり、目が涙で潤んでいるのが分かった。


「どうしたの? ショーエン」

 とティアが心配そうに俺に声を掛ける。


「ああ・・・、大丈夫だ。なんだかとても、嬉しい気分なんだよ」

 と俺はそう言ったが、涙は次々と溢れ出し、「この国を、守らないといけない。この素晴らしい世界を、絶対に守らなければならないな」

 と、無理に笑おうとしながらそう言った。


 ティアとシーナは真面目な顔で頷き、

「ショーエンの為なら何でもするのです」

「私も同じ気持ちよ」

 と俺に誓う様にそう言った。


 そうだ。


 40年後にこの世界を地獄に変えた奴らは、今もどこかで陰謀を巡らせているのだ。


 いち早くそいつらを見つけ出し、俺が一掃してやる!


 俺は心の底からそう思い、闘志を燃やし始めているところに


「お待ちどう様!」

 とカツ丼が運ばれて来たのだった・・・

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