生命
空飛ぶ鯨のような怪獣。それを取り囲む船団の一隻に、まだ幼い男の姿があった。師と共に甲板に立ち、隣に並んだ怪獣を見つめる。凹凸の激しい体表が、壁のように立ちはだかっていた。
「どうだ?怖いか?」
視界が体表に覆われた所で、一斉に砲撃が開始される。その爆音に思わず両手で耳を塞いだ。急所を探るようにあらゆる部位へと撃ち放つ。部位ごとの再生速度の差異も、コアを探る重要な手掛かりだ。
「生捕りは無理だな」
剥がれ落ちる肉片を、何度か目視で確認した。遥か遠くに見える地面へと、肉片が衝突する頃には、大きく土埃が舞う程の加速度を得ていた。
だが、この程度の損傷進度であれば、簡単に再生されてしまう。早急に、コアを破壊してしまうのが最良と言える。それに大人しく砲撃を受け続ける訳でも無いのだから。
「……あの船壊れる?」
尾鰭に相当する部分で、他の一隻を叩きつけた。回避すべく旋回の途中だった為に、船の中心部に直撃して黒煙が立ち上る。それに堪えて、どうにか蛇行しながら戦線を離脱した。
「この怪獣の死体を使えば補修出来るかもな」
その後もコアを特定すべく、奴との攻防が繰り返される。幼少の彼には随分と壮絶に映ったが、今や事細かな情景は覚えていない。それが、しばらく続いていた。
「よし。お前が撃て」
男は、この日初めて銃に触れた。何度も補修された跡があり、不恰好に思えた。しかし重みは確かなモノで、握りしめると思わぬ汗が頬を伝う。
「コイツの有効射程は80m程度だ。弾は連続で6発。……少し外しても許してやるが、奴の身体に弾を残す事だけは避けろ。餌をやるのと同じだ」
あの巨体であれば、体内に弾が残留する事もあり得る。それを利用され新たな変化を遂げてしまえば、最悪の事態に陥るだろう。
「期待してやる。文字通り俺の右腕になれ」
複数の船で拘束していたが、縄が遂に引きちぎれた。次は岩肌のような体表では無く、牙が生え乱れた口内が迫り来る。必然と中心の喉奥も近づく。
「おい、やっぱり絶対に外すな。許さんぞ」
船の半分程度が口内に収まる。装甲がひしゃげてしまいそうで、悲鳴のような音を立てた。お陰で中心の黒い喉を、しっかりと見据える事が可能だ。
「……痛っ!!」
発砲時の指南を十分に受けていないようで、怪我をしてしまうが、弾自体は正確に射出された。赤い雨が降り注ぐと、船員達は歓声を上げる。
「言っただろ?アイツら怪獣は神じゃ無い。バカでかいだけの生き物だ」
ここまでならば比較的に爽快な夢で終わるが、男はいつも問い掛けてしまう。
「じゃあ、お前の旅を終わらせたアイツは何なんだよ」
こうして重い瞼を上げても尚、視界は妙に雲がかっている。ここは霧に包まれた森の中だった。
「……クソが」
少し視界を上にすると、白狼のような怪獣と対面した。距離は僅か数メートル。頭で状況を理解するより前に、脊髄反射で銃口を向ける。
「待って。」
彼女が男の前に立ち塞がり、この怪獣を庇う。そんな腹が立つこの声も、そろそろ聴き慣れてきた頃だった。
「今、私達が生き残れた理由を考えてよ」
「…………」
太陽を直接見ることは出来ないが、次第に傾いている事は分かる。いざとなれば、この狼を囮にして夜を明かすつもりだった。
「それで、どうしてこの怪獣さんは、私達の事を襲わないのかしら?」
白狼は、同じ方角を見つめ続けて、何かを座して待っている。人間に対する敵意は無いようだ。それどころか、彼女曰く、自分達を他の怪獣から助け出してくれたらしい。
「まだ襲わないと決まった訳じゃねえ」
火に照らせれて、返り血のついた犬歯を眺めた。2人は何も把握出来ていない。
「ちょっと!どこ行くの?」
何かを認識した男は、十数メートル程歩いて霧の中へと溶け込んだ。すると間もなく、怪獣の血飛沫が、篭って聞こえた。
「まるで環境に適応出来て無いな。刃物一つで回収出来た」
造作無く抉り取ったのは、小型怪獣のコア。それを懐に仕舞い込みながら、現状の考察を試みる。
「近頃、ここら一帯の環境が一変したんだろ。大型同士の争いってトコだな」
「強い怪獣なら一個体で、自分の好きなように環境を作り替えるって……そんな事出来るの?」
2人の旅路を辿ってみると、もうそれなりの長さになっていた。
「そうだな」
怪獣の体液を体に染み込ませて、夜を明かしたあの日々も、激しい痛みに耐えながら逃げおおせた、あの一日も。どれも彼女にとって耐え難い思い出になっている。
「生きたまま作用出来る奴も居れば……死体になって影響する奴は居だろ」
そんな中での数少ない、美しい思い出の一つ。怪骨生物群集の息を飲むような風景は、今でも鮮明に覚えていた。
「もしも前者なら、ソイツをぶっ殺せばこの迷宮から抜け出せる……かもな」
少女を眠りにつかせた後に、思慮に耽たとしても、この迷宮から抜け出す安全な策は思い浮かばない。ただ、土を枕に、空を見上げた。
「めんどくせぇ……」
霧がかかる上空から、点々と輝く微かな光がここまで届いている。時折その星々の光が遮られ、点滅をしているようにも見えた。
「おい、起きろ!」
星々の下を通過する飛翔体。その影から発声された有機的な咆哮は、僅かに大地へ届いていた。
「まさか相手から出向いてくるとはなァ!!もう少しで出られるかも知れねぇぞ!!」
男は好戦的な態度で、銃を取り出した。白狼は空を震わすような咆哮で威嚇する。怪獣同士は、強力なコアを渇望し合うものだ。
「なんだ!?」
相手は、大型の怪獣だった。地面へ急降下を始める。150メートル程離れた場所に着地して、地響きを起こす。土埃は舞うが、すぐに霧と混じり合った。
「これだと、お互いに相手の姿が見えないわよね?銃持ってるし、おじさんの方が有利じゃ無い?」
もし、あの怪獣がここの環境を作り替えた元凶ならば、そういう訳には行かない。
「何をしてくるか知らねえが、ここはアイツに有利な環境になってる筈だ」
周辺にムチの様にしなる音が鳴り出した。遅れて、小型達の断末魔が聞こえ、霧の奥が少し赤みがかっている。
「なんだ?」
二人と白狼の方へも、触手は迫り来た。青く光沢のある体表。その先端は針のように尖っていた。人体ならば容易く貫けるだろう。
「なるほどなァ!!」
この状況下、銃での対処は効果が薄い。荷物の中から伸縮式の槍を取り出した。迫り来る触手を、その槍で受け流す。あまり長くは続かないだろう。
「堪えろよ!!庇いきれねえからな!!」
近接戦闘を想定した武器で、大型を相手取るのは難しい。加えてこの槍は利便性の為に、耐久性が少々犠牲になっている。
「どうやって俺達の居場所を認識してやがる!。目視も嗅覚も無理だ、音も特段届きやすくは無え……」
コアを破壊しない限り、この防戦は終わらない。しかし今は、本体へと近づく事すらままならない。
「ーーーーーー!!」
そこで白狼が、一際大きく喉を揺らした。耳鳴りが起きる程の高音だが、時々それが途切れている。その間にも、喉元自体は揺れ続いていた。
「な、なんなの!?うるさい!!」
触手はその音に過敏な反応を示し、長く動きを止めるに至る。そして白狼は作り上げたその隙を突くべく、大型の本体へと駆ける。
「高周波か」
男も白狼に続いて疾走する。この麻痺がどれほど続くか分からない。二人はただ一心に、本体への距離を詰めていく。
「いけるか!?」
その怪獣、全体的な形状はワイバーンのようで、顔には嘴と蝙蝠のような耳がついてる。ここまで本体の姿を伺える距離まで近づいた。
「……数秒遅かったな」
白狼の胴体には三度、鋭い触手が貫いた。槍の耐久にも限界が訪れて、男の腹部を掠めていた。
「クソが」
そして触手を収束させ、その器官を翼に作り替える。男の投げつけた爆弾を避けるべく、凄まじい風圧を放ち上空へと昇った。
この時には爆発音にも、白狼の発する音にすらも、過敏に反応する事は無かった。
「小賢しい奴だ」
収束が間に合わず、取り残されて蠢く触手。その核を、男は直ぐに貫いた。どうやら奴は、他の怪獣のコアを多数取り込んでいるらしい。
「まあ大型怪獣なら、これは常套手段だがな」
一応の危機は免れたが、問題は解決していない。信頼は置けないが、白狼の力は必要不可欠だった。男はそう理解する。
「ついて来い……って事かしら?」
促されるまま、2人はこの森を歩いていく。白狼の視線が時折、男の銃へと向いていた。
「どうして怪獣なのに、怪我が治らないのかしらね。痛く無いのかな?」
「再生能力を無くしたんだろ。理由は知らねぇがな」
未だ、肉を貫いた穴は塞がらずに、鮮やかな赤色を覗くことが出来る。
「実は怪獣じゃ無いとか……?」
「殺せば分かるぞ」
恩知らずな男を、少女が睨みつけた後。暫く沈黙が続いた。ひたすらに森の中を、決して短くは無い距離を歩き続ける。
「何か居るの……?」
草木の削れる音を聞いて、彼女が沈黙を破った。また小型怪獣が近くに居るらしい。
「あぁ。」
この靄がかった環境は、男達にも少なからずの恩恵があった。ここで遠方を探知する手段は、限定的な周波の音だけ。大多数の怪獣は、それを探知する術が備わっていない。
「通り過ぎたわね」
小型怪獣に襲撃される危険は低い。とても好都合なのだが、彼女には一つ懸念点が浮かんだ。
「怪獣って環境に適応して、身体を作り変えれるのよね?。どうして今すぐそうしないの?」
「肉体を損傷すれば、再生して振り出しに戻る」
怪獣は基本的に、コアから肉体への一方通行。肉体で起きた変化という事象はコアに記憶されない。ただ唯一の例外が……分裂だった。
「だが分裂を利用して……無秩序に変化を繰り返すと、群れてる雑魚同士では統率が取れなくなる」
分裂は進化のように不可逆的なものだった。怪獣の唯一の増殖方法でもある。つまり彼らに発生は無い。
「さっきの奴は、他の怪獣がこの環境に適応する前に、ここら一帯の怪獣を全部平らげるって算段なんだろ」
そんな会話の最中も、足を止めずに歩き続けた。後は壁のような斜面を登り切れば、何かに辿り着くとは信じたい。
「何の跡地だ……」
頂上では、中規模の集団が根を張って、ここに仮設拠点を築いた跡がある。つい最近とは言わずとも、途方も無い時の流れは感じとれない。
「生きてる奴は居ないな」
それでも、大きな手掛かりである事は確かだ。男は造物の内部を観察して周る。高度の影響もあってか、霧の濃度は低いようだ。
「なるほどな。家畜にしちまった訳だ」
内部へは男が一人で潜入した。この霧の薄さであれば、潜伏している小型怪獣に襲われる可能性が高いからだ。そして一つの資料を見つけるに至った。
「コアを弄り回す技術は、まだあったってのか」
この森は比較的遺跡に近い。ここは、派閥争いにより分裂した集団で構成されたものだった。
「気に食わねえが……ここのがよっぽど効率的に視えるがなぁ」
ここで作られた白狼も、男の持つ銃と同じ、コアの内部に干渉する技術を用いたものらしい。もちろん精度に一線を画す差はあるが、人工的に変化を与え分裂させる点では等しい。違いはその目的が、支配か破壊かという点だ。
「おい、分かっ……」
竜巻のような一筋の線を、空から白狼に打ちつけられた。接触した地面を起点に、濃度の高い霧が辺りに広がる。
「大丈夫!?ねぇ!!」
彼女を庇って蹲った白狼は、背中が大きく抉れていた。この霧を作り上げたのは、やはり先程の触手を持つ怪獣だ。
「ーーーー!」
凄まじい風圧で、大地を抉り、彼女と白狼は吹き飛ばされた後だ。男の姿は近くに見えない。白狼は1匹で戦う姿勢を見せる。
「ごめんなさい。私……」
しかし白狼の現在の状態が、コア自体に定着している保証はどこにも無かった。2匹目のは苦労を目撃していないのだから、変化の後に分裂が行われてるとは限らない。
コアから再度作り出される身体が、全く別の凶暴な怪獣である可能性も否定できない。現状は、二重に危険な状態だ。
「ガァッ!!」
やはり手負の状態では殆ど、争いにすらならなかった。一方的に蹂躙され、身体を貫かれる。白狼は簡単に追い詰められていく。
「もう一人、いたの……ね」
頭を千切り落とされる寸前に、2匹目の白狼が横やりを入れた。あの咆哮を浴びせたのだ。2匹で体勢を立て直す。
「ーーーーー!」
そこからの善戦は確かに見られた。同種ゆえの連携で、何度も傷を作ってみせた。
しかし、再生能力の有無と言う差は大きかった。決定打が無い限り、奴を無力化する事は不可能だ。2匹の傷は塞がらない。徐々に追い詰められていく。
遂に2匹は、地面に崩れ落ちた。
「まって……」
まるで哭いているかの様が、彼女の瞳には映っていた。何度も何度も、白狼の首元を食い千切り、頭を分断していく。
「どうして……なに、してるの……」
奴は飽く無く、肉体的な死を白狼に与え続けた。コアから何度も身体を作り替えさせた。
「いや……。いや!!もうやめてよ!!」
結果は同じだった。既に2匹に分裂した白狼は、人為的な変形が定着した後だ。何度殺しても、作り出される肉体は同じ。
「生きてたか」
背後から凄まじい爆発音が響くと、奴は過敏な反応を示した。やはり大きく動きを止めるに至った。
「俺が殺す」
白狼も全くの無抵抗では無い。奴の身体も抉られて、コアが露出している。駆けつけた男は、正確にそれを撃ち抜いた。
「…………」
取り込まれていたコアが、支配下から解放される。肉体の中で統率も無く蠢き出すので、男はそれも静かに撃ち抜いた。
「お前達もだな」
男は銃を納めない。2匹の白狼は、死を待つように佇む。何をするかは決めていて、何をされるべきか知っていた。
「ねえ……」
3匹の死体を、虚のような瞳で眺めて地面に座り込んでいる。元は一つのコアから分裂した怪獣達だった。いづれは霧も晴れてゆく。
「おじさんは怪獣にも、意思があるって……考えた事ある?」
存外、涙を零す彼女を初めて目にした。男は外面に出さずに驚いている。
「脳ミソがどうとかの事を言ってんなら、ない事も無ぇが……」
彼女は静かに決意した。自分の身上を、包み隠さずに伝える覚悟を。
「私はね……」
その時に上空から眩い光が降下している。明らかな人工物。これに酷似する情景は、男の記憶に深く刻まれていた。彼女は大きく動揺する。
「随分と、大規模な船団だな。未だに活動してる奴らが居るとは」
ゆっくりと距離を縮め、2人を照らして取り囲んでゆく。
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