ようやく恩返し2

 下手に出れば考えてやらないこともなかったのにシゴムは来て早々ふんぞり返り、上から目線で交渉もなくジケに対して言葉を叩きつけた。

 比較的温厚なジケですらシゴムの態度には苛立ちを覚えざるを得なかった。


「……残念ですがその条件ではお受けできません」


 帰れ。

 その言葉をどうにか飲み込んでジケは笑顔を浮かべる。


 イスコも交渉とも呼べない傲慢な物言いに若干目元をひくつかせているが、上司であるジケが怒りを呑み込んでいるのでイスコも我慢する。


「どうしてだ? せっかくこっちが折れてやっているのに」


 あたかも自分の方が上の立場で、仕方なく交渉に応じてやっているかのようなシゴムは驚いたように目を見開いた。

 こんな話に飛びつくと思っているのなら相当舐められたものだなとジケは苦々しい思いだった。


「事情が変わりましたので」


 ジケは毅然とした態度でシゴムと向き合う。


「なんだと?」


「前回の段階でも相当いい条件でした。あれだけでもうちに入りたいという工房があります」


 実際まだ他に声なんてかけていない。

 けれど条件面だけみればかなり良い部類になる。


 加えて今伸び盛りのフィオス商会というポイントもあればもっと条件を引き下げても相手は見つかる。

 シゴムはジケの足元を見ているつもりになっているが、シゴムの方の事情を知っているジケの方がシゴムの足元を見ることができるのだ。


 勘違いしてもらってはいけない。


「わざわざ条件を引き上げてまでお受けする話ではなくなったのです。お帰りください」


 追い返すのかとイスコは驚いた目でジケを見る。

 立ち上がったジケはドアを開けてシゴムに帰るように促そうとした。


「……まっ、待ってください!」


 イスコはシゴムの事情を知らないから追い返していいのかと驚いたが、ジケはシゴムがそう簡単には引けない理由を知っている。

 シゴムは焦った表情を浮かべてジケを制止する。


「……条件は以前のもの……いや、もっと低くても構いません」


 薬の入手先が無くなった。

 さらには薬の販売についても調査が入っていて売ることも厳しくなった。


 金銭的にシゴム商会に余裕はないのだ。

 さらにケライド工房も別に魅力的な工房というわけじゃない。


 ジケは過去のことから商品を先取りしてしまったという恩や後ろめたさがあるからケライド工房を選んだだけでシゴム商会が他を探して売るのも簡単なことではないのだ。

 むしろフィオス商会を逃せば売り先なんてない。


 シゴムが焦るのも当然のことなのだ。

 ジケとしても本気でシゴムを返すつもりはない。


 本来ならばシゴム商会が潰れてそこからケライド工房を拾い上げた方が楽である。

 きっと余計な交渉もお金もいらずにケライド工房を拾い上げられる。


 しかしシゴム商会が潰れればケライド工房も潰れたのと同じことになってしまう。

 一度でも潰れたという不名誉は拭いとることができない。


 気にしない人もいるかもしれないが気にして病んでしまう人もいる。

 シゴム商会が健全なうちに引き受けられればケライド工房も健全な工房として移籍できる。


 違いとしてはわずかなものだがジケなりの気遣いなのだ。

 どうせ潰れるシゴム商会への最後のせんべつでもある。


「イスコ」


「はい」


 こうなると分かっていたジケは引き下げた条件を記載した契約書を用意させていた。


「これは……」


 シゴムは苦しそうな顔で契約書を見る。

 最初に提示した条件の半分程度しか支払うつもりのない内容に言葉を失った。


 これでもケライド工房の規模を考えれば相場通りぐらいである。

 安く買い叩けば買い叩くこともできる。


 だけどそれはケライド工房に対して礼を失した行いとなってしまう。

 シゴム商会に礼儀など通してやる必要はなくとも今後仲間となるケライド工房には礼儀を通すのがジケのやり方である。


「どうしますか?」


 シゴムは非常に難しい選択を迫られている。

 それこそ足元を見るような条件なら怒り出してより優位になるように話を持っていけるかもしれない。


 しかしジケが出した条件はあくまでも真っ当な範囲、むしろフィオス商会の負担を考えればまだ良いぐらいの範囲になる。

 シゴム商会の状況を考えると少しでもお金が欲しい。


 ケライド工房を切り離せばその分雇っている費用も浮くので短期的なお金の面で見れば受けるべき。

 けれどここで受けてしまうとジケに上手くしてやられたような感じがどうしても拭えないとシゴムは感じていた。


「…………分かりました」


 どうするのか長い葛藤があったようだが最終的にシゴムは折れた。

 その場でケライド工房を引き渡す契約書にサインをしてジケは前金を渡した。


「ありがとうございます。良い取引でした」


「……こちらこそ感謝する」


 商人ならばもっと表情ぐらい隠せばいいのにとジケは悔しさをにじませるシゴムの顔を見て思った。


「残りのお金もすぐにお渡しします」


「よろしくお願いします……」


 シゴムは二枚ある契約書の一枚を持ってフィオス商会を出ていった。


「さて……準備しようか。新たな仲間を迎えなきゃいけないしね。それに……きっと面白いことになる」


 ニヤリと笑うジケにイスコはどこまで先を見据えているのかと舌を巻くような気分になっていた。


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