水の底の戦い1

 視界が目まぐるしく回転する。

 湖に近かったジは当然逃げ切れるはずもなく水に飲み込まれた。


 二度体が大きく流されるような感覚があって上下左右何も分からなくなるほどもみくちゃになって流された。

 水の外に出ようと思ってもどちらが上なのか分からない。


 手を伸ばしても足を動かしても体の周りには水しかない。

 息が苦しくなってきた。


 早く水から出なきゃいけないのにどちらに向かえばいいのかも分からない状況と苦しくなる息がジの判断力を奪っていく。

 口から息が漏れた。


(ここで死ぬんだろうか……)


 伸ばした手は何も掴まない。


(フィオスは無事だったかな……)


 こんな時でもジの脳裏にはフィオスのことがあった。

 きっとフィオスも波に巻き込まれたはず。


 無事であるのならいいのだけどと考えるのが精一杯だった。


(フィオス……?)


 目を閉じる直前、水の中を進んでくるフィオスが見えたような気がした。

 ごめん、と心の中で謝った。


 今度こそ一緒に生きていくと約束したのに。

 もっとフィオスと思い出を作りたかったのに。


 揺れる水に体を任せると悪くないかもしれない。

 ジは沈みながらゆっくりと目を閉じた。


 ーーーーー


「ん……あれ?」


 ぼんやりとした意識の中ジは過去のことを思い出していた。

 酒場での喧嘩。


 1人は死後の世界があると言う。

 敬虔に生きれば天に召され、魂の安息たる地にて休むことができるのだと主張した。


 もう1人は死後の世界などないと言う。

 死ねば終わり。


 天に召されることも死後の世界もなく、神に祈ったところで無駄であると主張していた。

 別にどっちの主張でもいいのだが、程よく酔っ払った男たちは有る無いでの喧嘩になった。


 死んでみれば分かるなどと言って酷い殴り合いをしていた。

 そんなことを思い出した。


 今いるのは死後の世界だろうか。

 聞いていた安息の地ではなさそうだと思った。


「ここは……」


 起きあがろうと手をついて、いつもの柔らかな感触に気がついた。


「フィオス……?」


 どういうことなのか理解できなかった。

 ジはフィオスに包まれていたのである。


 丸く膜を張るようにドーム状になったフィオス。

 これは以前ボージェナルに行った時海の底を探検するのにも行ったフィオスの形態変化の一つである。


「ここは水の底?」


 ブルーに透けるフィオス越しに外の様子が見える。

 ゆらゆらとフィオスの体も揺れ、ここが水の中であることにジは気がついた。

 

 上を見ると日の光が差し込んで届いていた。


「フィオス、お前が助けてくれたのか?」


 もう完全にダメかと思った。

 けれどこうして生きている以上は何かが助けてくれた。


 この場にはジか、フィオスしかいない。

 ならばフィオスがジのところまで駆けつけてこうして包み込んでくれたのだろうと思った。


「……フィオス、ありがとう」


 ジがお礼を口にするとフィオスがプルンと揺れた。


「にしても……ここはどこ……なんだこれ?」


 状況を把握するために周りを確認しようと振り向いたジの目に飛び込んできたのは卵だった。

 大きな卵でジを包み込んでいるフィオスよりも大きくて、コッコたちの卵とは比べ物にならない大きさをしている。


 見たこともない巨大な卵に目を奪われる。

 しかもその表面はほんのりと青く、不思議な模様が走っている。


 ちょっとだけ綺麗だなとすら思える。


「えっ、うわっ!」


 卵という目立つ存在によってジは気がついていなかった。

 卵の上にジを水に沈めた巨大なカメがいて、ジのことを見下ろしていたのである。


 緩慢にも見える動きで頭を近づけてきて、ようやくジは未だに絶体絶命な状況なことを察した。

 剣に手をかける。


 押し寄せる水から逃げる時にちゃんと鞘に収めていたので剣はある。

 しかし今剣を抜いてどうすると思った。


 フィオスの中で剣を抜いて暴れたところでカメと戦うのは不可能だ。

 だがカメはジに襲いかかってこない。


 水に飲まれる前に見たカメの目は怒りに満ちいていたのに今は穏やかでジに対して敵意を向けているような感じがしない。

 なんだかフィオスが揺れているような気がする。


 水の流れに揺れるのとは違ってポヨンポヨンと何かをアピールしているような感じに縦揺れしているのだ。


「……何をしているんだ?」


 カメはじっと見ている。

 その視線の先がフィオスなのか、ジなのかは分からない。


「えっ……え、ええええっ!」


 今度こそ終わりだ。

 急に口を大きく開いて迫ってくるカメを見てジは絶望した。


 食べられた。

 地面を削り取るようにしてフィオスごとジをカメはパクンと食べて、飲み込んでしまった。


「うわあああああっ!」


 転がるフィオスの中でジも転がる。

 フィオスは柔らかく、ある程度の衝撃は吸収してくれるが万能ではない。


 目が回りながらゴロゴロと転がっていってようやく止まった。

 フィオスがジを包み込むのをやめてスライムの状態に戻る。


「……あっ、なんだテメェ?」


 声が聞こえて、ジはクラクラとする頭を押さえながら立ち上がった。

 そこには1人の男性がいた。


「チッ……助けが来たと思ったんだがな。こんなのが来るってことは外で何かあったんだな」


 ジを見て盛大に舌打ちをした男はブツブツと何かを呟く。

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