君は希望、そして絶望6

 ただファンであるだけでは飽き足らずなんとその貴族子息はミュコに求婚までした。

 当然に断ったミュコだったのだけれど甘やかされて育った貴族子息は初めての失恋にひどく歪んだ感情を抱いた。


 一旦は諦めたかに見えた貴族子息は父親に泣きついた。

 この貴族もまたタチの悪い貴族であった。


 ミュコを手に入れるために一肌脱いだ貴族はとんでもないことをした。

 ある日いきなりニージャッドや一部の劇団員が逮捕された。


 ありもしない罪をでっち上げて無理矢理みんなを逮捕させて、そしてミュコを自分の邸宅に呼びつけた。

 自分のものになれば父親や劇団員を助けてやると言い、そして貴族子息は歪んだ感情のままミュコを自分のものにしようとした。


 ミュコは貴族子息に抵抗し拒絶した。

 それでも止まらない貴族子息。


 ミュコがその時に何を考えていたのかは分からない。

 でもミュコは力づくでものにされることよりも自ら命を絶つことを選んだ。


 剣舞のための剣。

 血で汚れることがなく、人を楽しませるためのものだとミュコは言っていた。


 それなのに、ミュコは、その剣で、自らの胸を突き刺した。


「俺は……どうしたらいいんだ……」


 助けることもできずミュコはそのまま息を引き取った。

 貴族は証拠隠滅を図ろうとしたけれど偶然ミュコのファンにはその貴族よりも格上の貴族がいた。


 ミュコが亡くなったことや劇団員が逮捕されたことを知って不審に思い調査に介入した。

 そこで貴族が強権を振るってミュコをどうにかものにしようと不正を犯していたことが明るみに出たのである。


 貴族は不正行為で罰せられ、貴族子息はミュコの殺害で逮捕された。

 捏造された罪なのでニージャッドたちはすぐに釈放されたのだけど帰った劇団にミュコはいなかった。


 ニージャッドはすっかり落ち込んでしまった。

 こんなことがあっては劇団も続けられず、テレンシア歌劇団は解散することになった。


 もうそうなってからだいぶ時間が経ってしまっている。

 ミュコの後を追いかけることも考えたが今更自分で自分を手にかけることもはばかられた。


 貴族子息は獄中生活に耐えられなくて病気になってそのまま死んでしまっていた。

 恨みに思う相手もとっくに死んでしまっては何を糧にして心を支えればいい?


 体を引きずるようにしてジは家に帰った。


「フィオス……フィオス……」


 ジはフィオスを呼び出して抱きしめるように顔に押し当てる。

 ほんのりと冷たいフィオス。


 次から次へと溢れてくる涙はフィオスの中に溶けていき、嗚咽する声でプルプルとフィオスは揺れる。

 クソ野郎の言う通りかもしれない。


 ジはミュコのことが好きだったのかもしれない。

 剣舞を踊ることも楽しかったがそれ以上にミュコとの間に繋がりを持てることが嬉しかったのかもしれない。


 明るく前向きで、優しく美しい人。

 底辺にいるようなジに対しても常に柔らかい笑顔を浮かべていた月のような女性。


 そんなミュコでさえ自ら命を絶った。

 泣きながらいつしか寝てしまったジ。


 いくら追いかけてもミュコに手が届かず、いくら声を出そうとしても声が出ない。

 ひどい夢まで見ても目は覚めて変わらぬ現実が続く。


 悲しみで胸がいっぱいになっても腹は空き、涙が溢れても喉は渇く。

 死ぬことばかりを考えた。


 どうやって死のうか。

 このまま寝転がっていればそのうち死んでしまえるだろうかと考えた。


 訪ねてくる人もおらずただ部屋の中で起き上がる気力もなくて倒れ続けていた。

 日が上り、日が落ちて、時が経ち、胸に後悔と無力感が広がる。


 涙すら枯れ、フィオスが頬をつつこうともジは動かなかった。

 目をつぶればそこには剣舞を舞うミュコの姿があった。


 このまま会いに行こう。

 厳しすぎる現実を生きていく必要などどこにもない。


 目を閉じて月の女神となるミュコを思い浮かべ、全てを諦めて、何もしないで死んでいこうと思っていたら突如としてミュコの声が聞こえてきた。

 何と言っていたのかは覚えていない。


 でも生きなきゃと思った。

 ミュコは剣舞を絶やさず伝えていくことも必要だと言っていた。


 そのうちに誰かに伝え、人を楽しませるこの剣舞を残していきたいと語っていた。

 今ジが死んだら誰がこの剣舞を守るのだ。


 絞り出すように最後の涙が流れ落ちた。

 ミュコが死んでも、ミュコの意思や思いまで殺してはならない。


「フィオス……?」


 ピタリとフィオスがジの頬にくっついた。

 ほんのりと冷たく、まだ自分が生きているのだと実感させてくれた。


 とりあえず喉が渇いたので水瓶を覗き込んだ。

 少ない水に映り込む男の顔はひどい顔をしている。


「生きるよ……」


 水瓶に言葉が落ちて水面を揺らす。

 死人は何も言わない。


 でもミュコが生きていたらジが死ぬことは望まない。

 こんな姿であることも望まない。


 きっと前を向いて生きてほしいと言うはずだ。

 苦しくても歯を食いしばって生きる。


 ミュコ、君は絶望を与えた。

 夢と希望に溢れ力強く生きていても死んでしまうことがあるのだと深い傷をつけた。


 でもミュコ、君は希望だ。

 君と過ごした日々は今でも色がついている。


 これからの人生が灰色に色を失ったとしても、この思い出だけは色褪せない。


「……ありがとな、フィオス」


 ずっとそばに居てくれた友に感謝する。


「生きるさ、恥ずかしくても泥に塗れても俺は生きる。


 ミュコの分まで」


 若返って様々なことを考える中でもちろんミュコのことも頭にあった。

 むしろミュコのことは早くから思い出して考えていた。


 だから回帰した後のジは誓った。

 この人生において絶対にミュコは殺させない。


 どんな手を使っても助けてみせる。

 だが劇団を止めることなどできない。


 いきなり現れてもう旅の劇団をやめてくださいなんてことも言えない。

 ミュコが有名になることも止められはしない。


 いつかミュコはシュレイムドールを守るを完成させて、美しく成長し、有名になってしまう。

 なら有名にしてしまえばいい。


 過去よりももっとずっと有名になれば誰も簡単には手を出せなくなる。

 例えジの手の届かないほど高く遠い存在になったとしてもミュコが無事であるならそれでいい。


 この人生ではミュコに幸せになってほしい。

 ミュコは希望で絶望で、でもやっぱり希望だった。

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