君は希望、そして絶望1

 過去でテレンシア歌劇団がジの国に来たのは現在ジが呼んだ時よりももっと後だった。

 その時ジはまだオランゼの掃除事業にも雇われていなくて当時台頭してきていた平民の商会に雇われていた。


 と言ってもはした金でなんでもやらされる使いパシリで働いているのに生活は少しも楽にならなかった。

 ただ生きているような状態で夢も希望もなく死んだ目をして言われたことをこなしているだけだった。


 少し前に王弟との内紛が片付いて景気が戻ってきた。

 更なる景気付けのために建国祭を開催すると公表されて周りはいろめき立っていた。


 ジにはそんなこと関係ない。

 むしろ建国祭ということで忙しくなるので嫌だったぐらいに思っていた。


 商会長は野心家だった。

 建国祭に乗じてより自分の名前を売って事業の拡大を図ろうとしていた。


 そこで思いついたのが劇を開くことだった。

 裏側がいかに金に汚い人であろうとも表向きにクリーンで良い人であれば商会の名声は高まる。


 劇団を呼んでも直接的に商品は売れないが名前が広まって人々の間で話が広まれば商品購入の機会は自ずと増える。

 ただ言っても平民出の商人。


 高い劇団を雇えもせずツテもなく、どんな劇団がいいかも分からない。

 同じような考えの人はいるので国内の主要な劇団はもう押さえられてもいた。


 国内にいる劇団じゃ効果は見込めないと思った商会長は国外に目を向けた。

 テレンシア歌劇団はちょうどその時南側の諸国で名前が広まりつつあった劇団だった。


 特定の拠点を持たず依頼があればそこに赴き公演をする流しの劇団で商会長の求める劇団にピッタリだった。

 移動する劇団なので依頼をするのに居場所を捉えることに苦労はしたみたいだけどなんとか呼び寄せることには成功した。


「あなたは……どうして目を腫らしているの?」


 ただ商会長はケチでもあった元々移動をする劇団なので宿がなくても場所があればそこに泊まることは出来る。

 宿ではなく、今は家が立っていない土地を安く借り上げてテレンシア歌劇団はそこにテントを設営して泊まることになった。


 そしてその世話係としてジが派遣されることになった。

 無言でテントの設営を手伝うジ。


 年が近そうだと女性が近づいてきた。

 艶やかな黒い髪、優しい光をたたえる黒い瞳、透き通るような白い肌。


 変わらずソリャンも歌劇団のエースだったがそれに負けず劣らずの二大エースとなっていたミュコである。

 ちょっと声をかけてみようと思ったらジの左目が腫れあがっていたので気になった。


「殴られたんですよ。


 仕事が遅いってね」


 なんてことはないようにジは答える。

 良くあること。


 ちゃんと仕事をしていても言いがかりをつけてまで文句を言ったり殴ってきたりする。

 これはなんで殴られたんだったかなと腫れた目をさする。


 理由も思い出せない。

 何が遅れたわけでなくて難癖のように文句を言われてそのまま殴られたようだったと思う。


「そうなの、結構酷いわ。


 ちょっと冷やした方が……ごめんなさい」


「い、いえ、急で驚いたものですから。


 こちらこそ申し訳ありません……」


 腫れを良く見ようとジの髪に手を伸ばした。

 触れられてジが驚いた表情を浮かべて飛び退く。


 予想していなかった大きなリアクションにミュコの方も驚いてしまう。


「す、すいません……」


「あ……」


 ミュコの目すら見られなくてジは俯くようにしてその場を立ち去った。


「なんであんな態度取っちゃうかな……」


 報告のために商会に向かうジ。

 心配してくれただけなのは分かっているが動揺してしまって距離を取ってしまった。


 その後も目も合わせられず逃げるようにしてしまった。

 もうちょっとちゃんと話せたのではと落胆してトボトボと歩く。


「失礼します。


 テレンシア歌劇団についてご報告に参りました」


 さらに数年後には無理に事業を拡大しようとして潰れることになる商会に入る。

 わざわざ商会長に報告することはなくそこで働く商会員の1人に報告する。


 ゲッと思う。

 何人かいる商会員の中でも嫌なやつしかいない。


 ジの左目を殴ってくれたクソ野郎もその場にいた。


「おう、どうだった?」


 そのクソ野郎がジの前に来る。

 比較的古株らしくて色々と好き勝手やっても誰も文句を言えない。


 元冒険者とかで体格もいいのでそうしたところもつけ上がる要因になっている。


「テントを設営しまして宿泊は問題ないようです」


「……それだけか?」


「はっ?


 いや、それだけですけど……」


「おいっ!」


 クソ野郎はジの胸ぐらを掴む。

 大人になっても貧弱な体格のジは容易く持ち上げられる。


「何か要望とか必要なものとか聞いてこなかったのかよ!」


 そんなこと言われたってとジは思う。

 だってただテントの設営を手伝ってこいと言われて行ってきただけなのになぜそこで必要なものがあるか訊ねてくるのだ。


「も、申し訳ありません……聞いてきませんでした」


 でも今はクソ野郎の言うことの方が絶対。

 不満を押し殺してジは謝罪する。


「チッ、気の利かねえ奴だ。


 だからテメェはグズなんだよ」


 クソ野郎が顔を近づけてくる。

 酒臭い。


 こいつ仕事前に酒を飲んでいたな。

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