殻を破れ4

 命をかける無茶なんてしたくはないけど場合によっては決断せねばならない時もあるだろう。

 運命を壊すのは楽なことじゃないとエスタルに言われたので無茶になるようなこともやることがあるかもしれない。


「まあ困ったらいつでも頼ってください。


 私はあなたの味方ですよ」


「ありがとうございます、オロネアさん」


「そこはお母さんと呼んでくれてもいいんですよ?」


「ちょっと呼びそうになりましたね」


 優しい声と言葉にお母さんと呼びそうになる。


「ふふふ、もう一押しですかね」


 なんやかんやとジのことを諦めないオロネア。

 話は終わったので解放となってジは学長室を出た。


「おっ?」


 学長室を出ると壁に寄りかかるユダリカがいた。

 卵を両手を抱えて口元を卵に押し当てるように床を眺めていたユダリカはジが出てきたことに気がついて顔を上げた。


 思い詰めたように心配していたユダリカは無事に出てきたジを見てホッとした表情を浮かべた。


「あっ……えっと」


 そうだ、名前も知らないんだとユダリカは思った。

 ジの方はある程度ユダリカのことを知っているけどユダリカが知っているジのことなんてほとんどない。


 昼だって近くに座っているのに何を食べていたのかも思い出せない。

 少しユダリカは己を恥じた。


 少なくともジは敵でなかった。

 ずっとそのように敵対もしない態度を取っていたし必要以上にしつこくすることもなかった。


 ユダリカが警戒して、敵なんじゃないかと思い込み、壁を作っていた。

 せめて名前ぐらい聞いておいたってよかった。


 敵であっても何も知らずに拒否だけしてるよりはその方がいい。


「俺はユダリカ・オルドゥードル。


 その、お前の、名前は?」


 改めて名前を聞くのが恥ずかしくてユダリカは顔が熱く感じられた。

 だけど恩人は恩人なので名前は聞いとかなきゃ。


 知ってるだろうけど人に名前を聞くならまず自分から名乗る。


「そうだな、ここで自己紹介してもいいけどもうちょい落ち着ける場所に行こうぜ。


 まあ……中庭でいっか」


 今ならユダリカを殴った少年たちも来ないだろう。

 ジはスライムを、ユダリカは卵を抱えて中庭に向かった。


 他の生徒は騒ぎなど知らない。

 何人か中庭のベンチでくつろいでいる子はいるけど相変わらず中庭には穏やかな時間が流れていた。


「改めて自己紹介だな」


「お、おう……」


「俺はジだ。


 家名もない、ただのジ」


 ニコニコと名前を名乗ったジ。

 一体どんな家の子だろうと緊張の面持ちだったユダリカは固まった。


 家名もない一文字名前。

 それが意味することは子供でも知っている。


「そ、俺は貧民だよ」


 けれど今のジは貧民であることを恥じたり隠したりすることはない。

 貧民だとか貴族だとかそんなことどうでもいいのだから。


「……やっぱり貧民だとダメか?」


 驚きに固まるユダリカの顔を見て少し寂しそうにジが微笑む。

 忘れがちだけど一般的な貴族における貧民に対する偏見は根強い問題だ。


 ユダリカも生粋の貴族であることを考えるとジのことをよく思わなくてもしょうがない。


 しかしジという名前だってもらった大切な名前だ。

 みんなが呼んでくれる、ジの名前だ。


 いつか誰かに名前を付けてもらうことはあるだろうけどきっとジという文字は名前の中に入る。


「い、いやいやいや、別に貧民だからとか、そんなんじゃない!」


 慌ててユダリカが否定する。

 驚いて固まったけどそれはジが貧民であることに良からぬ考えがあったからではない。


 ただただ驚いたのだ。

 貧民だからと差別するようなつもりはなくても何かを生み出す平民や貴族とは違って何もできないと言われることが多い貧民。


 育った土地柄貧民をあまり見るものでもなかったのでシンプルに貧民だとダメな人ぐらいの印象だったのにジは自分よりもはるかに出来た人だった。

 それにアカデミーに貧民階級の子供がいるなんて聞いたこともなかった。


 よっぽど優秀なのかと思った。


「その、ちょっと驚いただけで貧民だからとかそんなこと……」


 何を言っても言い訳臭くなる。

 いつものようにブスッとして受け流せばよかったのにこんな時にばかりと焦ってしまった。


「ふふっ、分かってるさ」


 ユダリカが貧民を見下すような人でないことを分かっているのか、それとも別に見下されても特に気にしていないということなのかユダリカにはその分かってるさがどの意味なのか分からなかった。

 ジとしては気にしてないし、ユダリカが貧民を見下すとも思ってない。


「……ジ……く、君」


「呼び捨てでいいって。


 そんな年も違わないだろ、多分」


 君を付けるかどうか迷ったユダリカ。

 呼び捨てにするのも恥ずかしく、今更君をつけて呼ぶのもなんか気恥ずかしい。


 別に馬鹿にしたような言い方じゃなければなんでもいい。

 君を付けようと付けまいとユダリカの呼びやすいようにしてくれればいい。


 でも友達になるなら呼び捨てがいいかな。


 正確な年齢はジ自身にも分かっていない。

 なのでユダリカと同年代なのは分かっていても本当のところは知り得ない。


 仮にジが年上でも呼び捨てで全然構わない。

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