あなたがいたから2
1番古い記憶は何か。
それはもうほとんど思い出せないような、貧民街の入り口に立つのがエの思い出せるもっとも古い記憶なのである。
なぜそこに辿り着いたのかはエにも分からない。
物心つくかつかないかの頃で母の顔を思い出そうとしてもエと同じ赤い髪なことは思い出せても顔はもやがかかったように思い出せない。
「――、あっちに逃げなさい」
声は朧げながら覚えている。
名前も呼んでいたはずなのだけど、名前の方は覚えていない。
エを置いて、母はどこかに去っていった。
捨てられたと今でもエは思っている。
理由があったにしろ、そうする必要があったにしろ、エは貧民街に置いていかれた。
その時は母の言う通りにした。
あっちの方にふらふらと歩いていった。
貧民街に完全に入っていき、周りから好奇の目を向けられた。
身なりの綺麗な幼子。
だけど暗黙のルールがあるので誰も手も口も出してこなかった。
知り合いもいない、助けを求めるべき相手も分からない。
生きる術も分からない。
喉が渇き、お腹が空く。
夜は道端で小さくなって不安の中でわずかに眠り、みるみる間に衰弱していった。
初日に泣いていたらひどく舌打ちされて以来怖くて泣くこともできなくなった。
「はじめまして、君はここら辺の子じゃないのかな?」
目に生気がなくなり歩くことももう出来なくなった。
うつろに道端に座って死を待つだけのようなエに突如話しかけてきたのがジであった。
目の前に座ってニコニコと話しかけてきた小汚い少年。
ただエは返事する元気もなくてうつろな目をわずかに動かしただけだった。
「綺麗な赤い髪だね。
顔も可愛いし、服もちゃんとしてる」
何が言いたいんだろう。
エネルギーが足りなくて思考すらぼんやりとしている。
声がくわんくわんと遠くに聞こえるようでジの顔もよく見えていなかった。
「……うーん、よしっ!」
ジは何かを思いついたようにエの手を取った。
「あっ!
ご、ごめん!」
振り払うほどの力も残ってない。
だけど立ち上がって歩く元気もない。
手を引かれて立ち上がったエはすぐにへたり込んでしまった。
歩けなかった。
このまま死んでいくと思うと悲しくて残った水分が涙としてじわりと出てくる。
まさかここまで弱ってると思っていなかったジは慌てた。
「け、ケガはない?
……うー、よっし、任せとけ!」
立った時の身長はあまり変わらない。
貧民街育ちで貧しかったジはやつれたエとともそんなに変わらない体型をしていた。
「ちょっとだけ頑張ってくれ」
うっすらとなくエの手をまた取って、ジは背中から前に手を持ってくる。
「ほれ、首に手を回して」
ちょっとした悪戦苦闘があってエも残った体力を振り絞ってジの首に手を回した。
ジは細くて骨張っていて、背負われるとちょっと痛かった。
非力で家が近かったからなんとか運ばれることができたけどもう少しでも遠かったら倒れてジはエの下敷きになっていたことだろう。
「はぁっ……はぁっ…………」
エを運んだだけで瀕死のジ。
「ほれ……水だよ」
ジは樽から水を汲んでコップに入れてエに渡す。
ただの水。ただの水なのだけどこの数日食べ物もなく、周りには汚れた水しかなかったので水すらも口にしていなかった。
ただの水なのにとても美味しく感じられてコップ1杯をすぐに飲み干す。
「待ってろ……」
もう1杯と言い出せなくて立ち尽くすエをよそにジは棚の奥を漁る。
「ほれ、これ食うべ」
棚の奥から袋を取り出したジは袋の中からパンを取り出した。
非常用のパン。
どうしようもなくなった非常時に食べるものだけど他に家に食べるものはなくてお腹を空かせて今にも倒れそうな女の子がいる。
これを非常事態と言わなくて何という。
一口食べて驚いた。
美味しくない。
固くてパサパサしてて味気なくてせっかく潤った口の中の水分を持っていかれる。
極限の空腹状態をスパイスにしても美味しいと言えないパンだった。
「特別にこれも食べるといい」
ジはさらにスープも出してあげる。
「このパンマズイだろ?
これで口の中でふやかして食べるんだよ」
薄く濁ったスープ。
いくらすくっても具は見当たらない。
口に含めてみると冷めていて、ほんのりと塩の味がする。
集中して分かるぐらい遠くにだけど。
パンをかじってスープで柔らかくする。
生きるための食事。
後で知ったのだけどあのパンは最後の時のためのパンでスープもエに出したものが最後であった。
ニコニコとしているジであったがその実余裕はなかった。
意外と広い家に住んでいるジだったが貧民街に住む少年が家に住めるはずがない。
この家は元々偏屈な爺さんが住んでいる家だった。
その爺さんも空き家だったここに勝手に住んでいたので爺さんの家とは言えないけど、ひとまずこの家の主人は爺さんだった。
何の気まぐれなのか爺さんはジを引き取って育ててくれた。
物心がつくのも早かったジは爺さんを親ではないことも分かっていて、爺さんと呼んで一緒に暮らしていた。
しかしそんな育ての親の爺さんはパタリとある時にいなくなった。
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