弟子にしてください1
オランゼと雇用契約を交わして変わり映えのしなかった日常に仕事が入り込んできた。
時折朝早くに家を出ることにはエやラも気づいていたが特に触れられないまま時間が過ぎた。
変化はまだ続いていく。
「えぐっ……ひっぐ……」
過去に経験のないことにジは弱い。
泣きじゃくるエに何と言ったらいいか分からなくてジは戸惑う。
女の子の手すら握ったことがないジに泣いている女の子を慰めるのはハードルが高い。
醜い嫉妬で前は見送ることが出来なかった。
ラとエは王国の兵士となる。
2人が契約を終えてからおよそ一月、国全体で行っていた魔獣契約が終わり国の兵士が2人を含めた優秀な魔獣と契約できた子供を迎えに来た。
中には嫌がる子供や冒険者になることを選んだ子供もいたがそれなりの数の子供が国に仕えることを選んだ。
残された子供達で見送りに来たのも多いが仲の良い子が行くのに来ていない子もいる。
貧民を脱する数少ないチャンスを掴んだ子供と掴めなかった子供。
昔はジも受け入れられず他の子供と同じようにこの場に来なかったのだ。
羨ましくないといったら嘘にはなる。
けれど嫉妬心はない。
ジはもらった給料で2人に餞別を贈った。
エには髪留め。
なかなか髪を切る機会もない貧民街でたびたびエは前髪を邪魔そうにしていた。
記憶の中でもエが髪を短くしていたことはないし使うこともあるだろう。
1つは飾りのない丈夫そうな髪留め。
戦いの訓練や身体を鍛えたりする時のために。
女の子に何をプレゼントをするか悩みに悩んで雑貨店で見つけた髪留めにした。
もう1つはフェニックスを思わせる赤い羽のような細工の付いた髪留め。
一目見てエを思い出したし休みの日にこれぐらいのオシャレなら厳しい軍兵の中でも許されるはずだと思った。
ラに茶化されるままにエに羽の髪留めを付けてやるとエの涙腺が崩壊した。
「ぜっだい……ぜっだいに、やずみになっだだ帰ってぐるがらぁ!」
「分かった分かった……待ってるから」
「なんでぞんな冷静なのぉー!」
「分かってるからさ」
「わがっでる?」
「2人が会いに来てくれること」
「……ぶわぁー! ずるいよー!」
ここまで泣いてくれると感動……するよりも笑いが込み上げてくる。
永遠の別れじゃない。
こんな泣くなんて思いもしなかった。
過去は見送りに来なかったけれど2人は一体どうしていたのか気になる。
「はははっ、次はラだな」
「俺にもあるのか?」
「もちろん」
ジはラに餞別を渡す。
皮の鞘に包まれた1本のナイフ。
「本当は剣の1つでも贈りたかったんだけどちょっとばかり手が出なくてな」
「いや……嬉しいよ」
「ぜひ抜いてみてくれ」
「分かった。
……これは」
「刃に触るなよ?
貧民街に落ちてる安物で古いナイフとは違うんだ」
鞘から現れたナイフはサビ一つなく美しさすら感じさせる。
子供のラが持つと十分すぎる大きさがあるナイフの刃はギザギザとしている。
「これは魔物を解体するためのナイフなんだ」
エに贈る物は悩んだが比較的早く決まった。
しかしラに贈る物は何にするか悩んだ。
好きなものは美味い食べ物で貧民街出身で達観している部分があって、あれが欲しいこれが欲しいと強く望むことが少ない。
まだまだ子供だからすぐに身体は大きくなるし必需品は王国から支給される。
日持ちするものでも多めに買って道中食べてくれと渡そうと考えていたが街をふらつく中で1軒の小さい工房を見つけた。
ふらっと入ったときは剣なんかいいんじゃないかと思った。
過去ラは剣を使っていたし支給品だけじゃなく自分の剣が予備にあればありがたいこともあるだろう。
しかし剣の値段を見て購入を断念した。
もうすでにエへの餞別を買った後だったので予算も多くない。
いい考えだと思ったが予算都合上諦めようとしたときこのナイフが目に入った。
手入れをしながらなら剣よりも長く使っていけるナイフは剣よりもいい贈り物になるかもしれない。
手持ちの金額だとちょっと足りなかったので店主と交渉して値段を下げてもらい、どうにか購入した。
「魔物は皮が硬かったり逆にブヨブヨと柔らかすぎたりすることもある。
そんな時普通のナイフじゃ苦労するけど解体屋とか冒険者ギルドまで運べないなんて時に活躍するのが解体に使えるギザギザしたナイフなんだ」
「へぇー、ありがとうな、ジ」
普通のナイフの用途もこなせる万能ナイフ。
さらに品質も保証できる。
むしろあの値段なら安いと言えるぐらいでさらに値下げしてくれた店主には感謝しかない。
「挨拶は済んだか? 付いてくるものは乗り込め」
短い別れの挨拶の時間。
兵士が声をかけて貧民街の子供が2つに別れた。
貧民街を脱するものと貧民街に残るもの。
大きな隔たりがあるように思っていたけれどその間には壁も溝もない。
心の持ちよう一つなのである。
「エのことは任せとけよ!」
「ジ、元気でねー!」
「ラのことは任せたぞ、エ。
ラはあんまり無茶すんじゃないぞー!」
手を振り、手を振り返し、互いに互いを見送る。
これは終わりじゃない。
新しい始まりの時であるのだ。
2人の姿が見えなくなるまで見送ったジはすぐさま家に帰った。
2人がいない家は広い。
逆に少し大きくなって戻ってきた時にはやや手狭になっていると言えるかもしれない。
ジは戸棚の奥に隠しておいたビンを手に取り家を出る。
ラとエは先に進んだ。
ジもさらに先に進む時がきた。
貧民街の南側にジが住む家がある。
比較的治安が良く平民街に近い。
そこから北へ。
段々と治安が悪くなっていき建物も南側よりも廃れてくる。
住んでいる人間の目も怪しい光や濁った色をしていて危険な雰囲気がある。
『子供に手を出さない』
こうした暗黙のルールがある。
見目が良ければ奴隷。
そうでなくても使い捨ての労働力。
子供なら誘拐も楽で気にする人もいない。
そんな状況を憂いた大人たちが尽力をして時間と労力をかけて子供を守り、時代は過ぎていつのまにか暗黙のルールとなった。
ほんのわずかの良識か捕まって死ぬほど痛めつけられることへの恐怖心かがあればまず手を出してくることはない。
絶対とは言い切れないから油断は禁物だが。
北側のさらに北、ここまでくると家ではなく立っているのはテントになる。
テントとも呼べないボロ布の塊みたいのもある。
そのボロテントの中の1つの前に座る男性。
目を閉じて足を組んで座り瞑想している。
男性の左目には額から頬まで縦に大きな傷跡がある。
「あのー」
イメージしていた顔と違っていてひげ面だった。
悪いが大きな傷跡があって分かりやすくて助かった。
傷がなかったら通り過ぎて聞き回らなくてはいけないところだった。
「そこのキズの旦那」
ジが声をかけても男性に反応はない。
貧民街にいるため生きているか心配になるがよくよく見ると肩が上下しているから呼吸はしている。
はっきりと声を出したのだから聞こえていないはずがない。
できることなら穏便に会話を始めたかったが無理そうだ。
このまま話しかけ続けても思いつく方法を試しても穏便にはいくまい。
「セラン・オブレシオン」
結果が変わらなそうなら手っ取り早い方でいくとしよう。
1歩下がる。
鼻先を剣が掠める。
瞑想していた男性は一瞬で剣を抜きジの首を切り落とそうとした。
左目は傷のせいか開いていないが右目には強い殺気がこもっている。
男は一瞬で横に置いてあった剣を抜き、ジを切りつけた。
「小僧、何者だ」
「いたいけな子供の首を刎ねるつもり?」
「答えろ!」
今にも飛びかかりそうな男性を前にジは両手を挙げて敵意のないことを示す。
避けなければ本当に首が無くなっていた。
「なぜその名前を知っている!」
「オーランド・ケルブ」
冗談を交えながら会話できる相手でないと分かっていてもここまで好戦的だとは思わなかった。
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