第2話 冷衛のお仕事

「邪魔するぞ、主人」


 冷衛が声をかけて店内に入ると、机で帳面を付けていた中年の男が見返した。


「これは冷衛さん。また、仕事のご用向きですかな」

「そうでなければ、ここに顔など出さないだろう」


 主人は頷くと帳簿を閉じて、店の奥にお茶を出すよう頼んだ。


 この中年の男が口入れ屋の主人、〈鯉貴屋〉沙岩さがんだった。口入れ屋とは、外部の客から依頼を請け、その仕事を冷衛のような出入りの人間に斡旋する仲介業者である。冷衛は金欠になった際、もっぱら沙岩から仕事をえていた。


〈鯉貴屋〉の内部は店に入ると広い土間があり、その一角に沙岩専用の机がある。沙岩はそこで何やら数字の羅列された帳面と向き合っていることが多い。


 土間の中央には応接用の机と椅子が設けられている。店内には幾つもの部屋があるが、扉で区切られずに廊下で繋がっているだけだ。


 冷衛が応接用の椅子に腰かけ、沙岩もその対面に座った。

 使用人の女性が運んできた赤藪茶ルイボスを一服してから冷衛が尋ねる。


「どうだ。いい仕事はあるかな」

「ええ。幾つか仕入れてありますよ。これなんてどうですかな。迷子の捜索です」

「その迷子というのは?」

「猫ですが」


 冷衛が顔をしかめる。

 

「嫌だ。この前は犬だったではないか。その前は安い手間賃で落し物を探させられたし、つまらん仕事には飽きている」

「いやそうは言いますが、冷衛さんにつまらん仕事をさせたら、右に出る者はおりませんのでな」


 冷衛は沙岩を睨んだが、杯から上る湯気越しに見える沙岩の表情に変化はない。


 沙岩は四十過ぎの中年男である。冷衛よりも背丈があり、肩幅も広い。

 商人のくせに堂々とした体格で、顔も職人と形容した方が似合う男らしい造りをしている。ただ、その表情には内面の柔和と犀利が混和して、つけいる隙のない商人の顔を形成していた。


 店のなかでは沙岩の役者が上だと冷衛も認めざるをえない。


「もう少し実入りのいい仕事はないものか」

「あることには、ありますが。さて、冷衛さんにお任せできるものかどうか」


 沙岩は品定めするような目線で冷衛の顔を見やる。まるで品物となったような居心地の悪さを感じる一方、自分の評価の低さに失望する冷衛だった。


 一年のつき合いにある関係だが、沙岩が徹底した商人であるだけでなく、冷衛の過去を知っていることも大きな要因とであるだけに、冷衛も強気に出られなかった。


「何とか頼む。この刀にかけて、〈鯉貴屋〉の看板に泥を塗ることはしない」

「そのお刀が問題……、いや失礼。わたくしとしても、冷衛さんを信じていないわけではないのですよ。ただ、少々厄介な依頼が一つだけありましてな。わたくしが案じているのは、冷衛さんの御身でして」


 沙岩は商人だけあって誠実とは称し難いが、必要のない偽りを言う人間ではない。本当に冷衛の身を案じているのだろう。


 仮にも元は公国の武官であった自身の手に余る案件が、果たしてこのうらぶれた〈鯉貴屋〉に持ち込まれるものだろうかと、疑問に思いながら冷衛は尋ねる。


「物騒な物言いだな。話だけでも聞かせてもらえないか」

「よろしいでしょう。依頼というのは、何でも仇討ちだそうです」

「仇討ち?」

「まだ詳細は話せませんが、先日、鈴鳴街すずなりまちである武官の方が殺害された事件がありましたのをご存知でしょう」

「いや……、そうだったのか」


 沙岩は冷衛の無知を蔑む色を目に浮かべて続ける。


「そういうことがありましてな。どうも、その犯人を探し出して仇討の手伝いをしてほしいそうです」

「しかし、殺人となれば警察が動くだろう。それでは駄目なのか」

「事情があるようですな。ご自分の手で仇を討ちたいそうで」


 冷衛は考え込んで目を伏せた。


 確かに危険な依頼ではありそうだ。仕事には仇討ちだけでなく、殺人犯を捜すことまで含まれている。それに加え、警察と競合する状況になる恐れもある。


 ここで世情に疎いものの冷衛が胸中で懸命に頭を働かせる。危険なだけにその報酬は大きいものだろう。


 冷衛の浅はかな打算を、沙岩は敏感に読みとった。


「それで報酬なんですが。ここが一番の難点でして、安いのですよ。決して吝嗇な依頼人ではないのですが、どう頑張っても、これだけしか出せないと」


 そう言って沙岩は五本の指を立ててみせた。

 それまで乏しかった冷衛の表情に驚きが表出する。


「ごひゃくま……」

「いや、五十万です」


 んー、と唸って冷衛が押し黙る。


 武官を殺害するほどの殺人犯を捜索して仇討ちの手伝いをし、尚且つ警察との軋轢を生む事態になるかもしれない。その仕事で五十万では安すぎる。


「この条件では、請け負う人はいますまいな」


 沙岩は冷めかかった茶を口にする。


 確かに、口入れ屋の相場どころか常識として命がけの仕事で五十万は安い。このような依頼に手を出すなど、よほど金に困っているか、ただの愚か者か、そのどちらかだろう。


 そして、その前者に当てはまっている男がここにいた。依頼の内容はどうあれ、五十万という報酬の魅力に敗北した冷衛は、机に身を乗り出して言った。


「その仕事、俺がもらおう」


 普段は見せない冷衛の勢いに、対面に座る沙岩は思わず身体を引いていた。


「ですが、難しいかと……」

「いーや、必ずやり遂げてみせる。それに、どうせ請け負う人間もいないのだろう」


 冷衛の一押しが沙岩の首を縦に振らせる。


 確かに、冷衛は金には困っている。


 だが、まさか後者にまでは当てはまっていないだろうかという不安を、沙岩がお茶とともに喉に流し込んだ。

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