第79話 先輩、遊園地デートです!6
79話 先輩、遊園地デートです!6
「お、おま……何やって……」
「ふふんっ。どぉですか? 観念しましたかぁ?」
観念も何も。
ただ可愛いだけである。
自分の上に馬乗りになってくる美少女。ニヤリと料理を確信する笑みと共に胸元をたぷたぷと揺らすその姿は、目の保養でしかない。
しかし一応まともな思考を持ち合わせている夏斗は、無理やり力で形勢を逆転させたり、このまま凝視したりするわけでもなく。ゆっくりと目線を逸らしながら、言った。
「え、えるさん? 分かった、俺の負けでいいから。そろそろどいてくれない?」
「やーですっ。えへへ、先輩に勝った余韻にもう少し浸らせてください〜」
夏斗は知っていた。
こうやって彼女が調子に乗る時、ほとんどの確率でそれは裏目になってしまうことを。
まるでそんなえるを叱りつけるかのように、天罰が待ち受けていることを。
「ふふふ、先輩っ。女の子に負けちゃいましたね? よわよわなナツ先輩……ふにゃぁっ!?」
「うっ、お!?」
それは、外的要因からの天罰。自分達以外にもこの施設を利用している人からの、偶然の衝突であった。
しかしただでさえ疲れが目立ち、未だに手先がプルプルしているえるにとってその揺れは致命傷。ボール同士が当たったことに気づいた子供はすぐにどこかへと行ってしまい、その場には……倒れ込み、覆いかぶさったえると、下からそれを支える夏斗の二人だけが残された。
「あっ……あぅ……」
トクンッ、トクンッ。静かなウォーターボールの中で、お互いの心音だけが響く。胸部同士を激しく密着させて見つめ合う二人の顔は次第に赤みが増し、けれど謎の引力によって目線を逸らすことができない状態が続いた。
「せん、ぱぃ」
「える……」
えるは夏斗の、節々から伝わってくる細かな筋肉を。夏斗は胸元に強く押しつけられる柔らかな物と、眼前に迫る彼女の甘い匂いを。
お互いに堪能しながら、透明なボールという外界との壁としてはあまりに薄すぎる無防備な空間の中で。
そっと、鼻同士を合わせた。
ツンッ。お互いの鼻先が触れ合い、相手の瞳に映る自分の姿を凝視しながら、じっと見つめ合う。
エスキモーキス。二人が無意識にしたそれは、唇同士でキスをしてしまうとあまりの寒さに口がくっついてしまう地域でされるようになったキス文化であり、鼻同士を擦り合わせることで愛情を表現する形。俗に言う鼻キス。
しかしそんなことなど知らない二人にとっては、ただ今以上に密着していたいという気持ちの表れ。あと一歩、唇同士の″本番″に手を出せない、そんな二人にできる精一杯の努力だ。
「ナツ、先輩。少しだけ……ぎゅっ、て。してもいいですか?」
「……いい。というか、俺もしたい」
ツンッ、ツンッ、と二、三回ほどエスキモーキスを繰り返してから、えるは身を預けるように全体重を乗せ、夏斗の首元に手を回して耳同士を接触させる。
それと同時に、夏斗もその細い身体の後ろに両腕を回して、そっと力を込めた。
細かな呼吸音と、優しい心臓の音。そのまま目を閉じてしまいそうになる心地よさと共に、えるは水上を、夏斗は晴天の空をボール越しに眺める。
ずっとこうしていたいと思えるほどの幸福感だった。恥ずかしい、緊張する。そんな思いは簡単に消し飛んでしまって、今はただ相手の体温を肌で感じ取れるこの時間が愛おしい。
「あったかい、です。先輩といると、心がキュッと熱くなります。ずっと、こうしていたいです……」
「俺も、えるとこうしてると疲れが全部吹っ飛んだ。癒されて、幸せだ……」
「えへへ、先輩。耳まで真っ赤ですよ?」
「そんなこと言ったら、えるだって。心臓の音、ドンドン速くなってるぞ」
ふふっ、と互いに小さく笑みが漏れる。
大好きな人とするハグは、最高だった。
でも、いつまでもこうしているわけにはいかないことも、分かっている。分かっているからこそ、短い時間を全力で楽しんで。楽しみ抜いて。最後に一回だけ、強く抱きしめあってから、ゆっくりと離れた。
普段一緒に登校して、別れ際にするハグとは明確に何かが違う、そんなハグ。ちょっと体勢と密着度が変わっただけで、幸福感は何倍にも膨れ上がって。
いかに相手のことが好きなのかを、理解させられた。
「……そろそろ、次のアトラクション行きましょうか」
「そう、だな」
二人で一緒に起き上がって、はにかみ笑いを浮かべて手を繋ぎながら。
ゆっくりと、水上を進んだ。
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