第71話 後輩、俺のお願いを聞いてくれ

71話 後輩、俺のお願いを聞いてくれ



 それは、心の底から出た本音だった。


「あっ、え……っ」


 えるは、酷く動揺していた。


 それもそうだろう。テストの点数は、一番目に見えて分かる努力の形。それをどうでもいいなんて言葉で一蹴されて。怒られてもいいくらいのことだ。


 でも、やっぱりそう思ったのは本当のことで。えるの努力も、気持ちも、誠意も。全部、もう伝わっていたから。そんな目に見える形なんてものがなくても、理解しているから。


「ごめん、なさぃ……」


「もう謝らなくていい。そりゃ、お前の目標が達成できなかったのは少なからずショックかもだけどさ。悪いけど、本当にお前のテストの点数が悪くても、俺は気にしてないんだ」


「そんな、わけっ! だって私、先輩の勉強の時間を一杯奪いました! それなのに結果で返すことができなくて……そんなの、愛想尽かされて当然で────」


「うるせぇっ」


「ふぎゅっ!?」


 むぎゅぅ。右手を肩から外し、両頬を一気に押し潰してやる。


 情けない声を出して、えるの顔が歪んだ。口が前に飛び出してきて、ウサギみたいな口になって。面白い顔だった。


「にゃ、にゃにほっ……!」


「えるが面倒臭いことばっかり言ってるから。もう喋れないようにしようと思って」


「ふぐぎゅぎゅっ……」


「おっ。涙収まってきた? える、今めちゃくちゃ面白い顔になってるぞ」


「…………っ」


 そうやってしばらく頬をもにゅもにゅと揉み続けていると、えるの目元から涙は止まっていた。依然、目は赤く腫れているけれど。ヒクッ、ヒクッ、と喉が少し痙攣しているくらいで、やがてそっと手を離すと少し落ち着いてくれているように見えた。


(本当は、ご褒美として渡したかったんだけどな。こういう渡し方も、悪くないよな)


 ポケットに手を入れて、封筒を取り出す。


「さて。える、お前言ってたよな。全教科五十点達成したら、何でも一つお願いさせてくださいって。そしてもし目標が達成できなかったら、逆に俺の方から何でも言ってくれていいって」


「……はぃ」


「じゃあ、罰ゲーム実行。えるには……」


 スッ、と封筒から取り出すのは、二枚のチケット。そのうち一枚をえるの左手に乗せて、罰ゲームの内容を伝えた。


「来週の日曜日、俺と一緒に遊園地に来てもらう。一日連れ回すから、覚悟しとけよ!」


「へっ……?」


 ビシッ、と指を挿しながら言ってやった。


 が、えるはぽかんとしている。もしかして……あまり嬉しくなかっただろうか。それとも、いきなりすぎただろうか。


 そんな不安を煽るように、えるは一瞬ハタハタと慌ててから。まだどこか震えている小さな声で言う。


「こ、こんなの罰ゲームなんかじゃないです! 私、酷い点数を取ったんですよ? もっと、お仕置きするみたいな……」


「なんだよ。えるは何でも一つ言うこと聞くっていう約束破るのか?」


「っ……それは……」


 相変わらず、本当に面倒臭い。


 えるは鈍感だ。きっと普通の女子ならこの意味をちゃんと受け取って、理解してくれるはず。こんなに恥ずかしい台詞を言う必要なんて、なかっただろうにな……。


「俺がえると遊園地行きたいんだよ! だからこうして、前々からチケットを用意してた! えると一緒にいられることが俺にとっては、充分すぎるくらい幸せなんだ。それこそ、なんでも一つ言うことを聞かせられるって言われてもこんなのが真っ先に思いつくくらいに、ずっと一緒にいたいんだよ!!」


「……っっっあ!?!?」


 えるは、数秒固まって。それから時間差で爆発するように、ボッと顔を赤くした。


 恥ずかしがりたいのはこっちの方だ。穴があっなら本当に入りたい。少なくとも今日は、ここまでの台詞を言うつもりなんて無かったのに。


 告白する時に伝えようと思っていたような言葉を、たくさん使ってしまった。これはきっと告白する時、語彙が無くなってしまって困るやつだ。そして何よりこんな誰もいないとはいえ学校の教室で吐いていい言葉ではなかった。どんどん恥ずかしさが込み上げてきて、今にも胸が張り裂けそうだ。


「本当に、いいんですか……? 怒って、ないんですか……?」


「あ、当たり前だろ。その……えるがめちゃくちゃ頑張ってたのは知ってるし。あと、時間を奪ったって言ってたけどさ。俺、今回の成績今までで一番良かったよ。多分、えるが隣にいて……かっこいいところ見せたいって、頑張れたから」


「あ、ぅあ……そ、そうです、か」


「これ以上恥ずかしいこと言わせないでくれ、頼む」


「……ひゃひっ」


 気まずかった。小っ恥ずかしい雰囲気を作ってしまったせいで、二人して赤面したまま固まって。


 そうして夏斗が照れ隠しに背を向けると、逃さないとばかりにえるはその背中に抱きついて。


 誰にも聞こえない。目の前にいる夏斗でさえも聞き取ることのできない、そんな心の声がギリギリコップから溢れ出したかのような声量で。


「やっぱり、大好き。先輩……大大大大好き……」



 呟いた。

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