第22話 える、あとは二人でごゆっくり

22話 える、あとは二人でごゆっくり



「ひっ、えぐっ。痛いよお゛ぉ……」


「よしよし、える泣かないで? 確かにあのこけ方は痛かったよね」


 運動音痴というものは、こける時咄嗟に手を出すことすらできないのである。常人がこける時は必ず手が一番最初に触れ、顔面や胸部、腹部などを反射的に守るものだが。えるはものの見事に顔面を打ち付け、あまりの痛みに泣き出していた。


 幸い膨らんだ胸部のおかげで多少の衝撃緩和はしたものの、ほっぺたとおでこを打てば当然痛い。鼻から行かなかった事も不幸中の幸いというやつだろうか。


「見たところ出血や傷跡は見られないから、打った痛みだけみたいね。天音さん、悪いけど保健室まで付き添ってあげてもらってもいい?」


「はい、勿論です。膝も打ってるみたいですから歩けないでしょうし……。ほら、行くよえる。肩貸してあげるから」


「おんぶ、じでぇ……」


「んもぉ、仕方ないなぁ」


 ぺたんとお尻をつけながらまだ土の上で弱った様子のえるを見て、保護者の桃花は甘やかさずにはいられない。そうしてぐずるえるを背に乗せて、保健室までおんぶで輸送する事となった。


 一方、その頃。


「はぁ、はぁっ……! 馬鹿か俺は!? なんでえるが外で怪我してるからって、授業抜け出してんだ……。俺なんかが行かなくても、先生とか友達が何とかしてくれるはずだろ……」


 勢いで飛び出したはいいものの、階段を降りているうちに冷静になった夏斗は一人、一階の廊下でため息を吐いていた。


 えるはただこけただけ。泣いてはいたけれど大怪我という事もないだろうし、もしかしたら保健室に行くどころか今頃泣き止んでまたサッカーを続けているかもしれない。そうすればこの行為は完全に無駄だ。


「だけどまあ、ここまで来たし。一目だけ見てから────」


 靴を履き替えているところを誰かに見られるわけにもいかないと思い、廊下をしばらく進んだところでえるの元気な姿を見てすぐに戻ろう。そう思い曲がった角で、夏斗は出会う。


「ごめんね、桃花ちゃん……私、また迷惑かけちゃった……」


「ううん、気にしないで? もう慣れっこだか……ら?」


「あっ……」


 えるを背に乗せた、クラスメイトに。


 ちなみに夏斗は、天音桃花という人間の存在を知らない。いや、正確にはえるから薄らと字面だけは聞いたことがあるのだが、その姿を一度も見たことがなかった。


 しかしその顔すら知らない初対面は一方的なもの。桃花はえるから常日頃写真やらを見せられ、瞬時に目の前にいる人が愛しの先輩なのだと理解した。


「せ、先輩!? どうしてここに!?」


「いや、えっと……」


(ああ、そういうことね)


 ぐずりモードを終え、ネガティブを発動していたえるの曇り顔が一瞬にして動揺と晴れに切り替わる。それを見て桃花はこの空間に自分は必要ないと理解し、離脱して背中の親友を託す選択をする。


「初めまして、早乙女先輩。私えるの友達の天音桃花って言います。えるからいつも話は聞いてますよ。えるととっても仲良しだそうで」


「え? あ、あぁ初めまして。天音さん、か。まあ仲良し……だな。おとなりさんだし」


「ふふっ、そんな仲良しの先輩さん。私非力な女子なもので……そろそろこの子を背中に乗せて歩くの、辛くなってきたんですよね。中々重くて」


「も、桃花ちゃん!? 私重くないよ!? ねぇ、重くないでしょ!?」


「あ〜、疲れたなぁ〜。どこかにえるを保健室まで運べる力の強い男の人とかいないかなぁ〜。チラッ、チラッ」


「ん、んん? もしかして俺に運ばせようとしてる?」


「この場のどこに早乙女先輩以外の男子がいるんですか。さ、この子受け取ってください」


「えっ!? へぇ!? わ、桃花ちゃ……へぷっ!?」


「おわぁ!?」


 ぽいっ。背中のえるをくるっと身を反転させてお姫様抱っこした桃花は、そのまま勢いに任せて細身なその身体を前に放る。


 宙を空き、いきなり放物線を描いて落下していこうとする彼女が飛び込んだ……いや、着地したのは夏斗の胸の中。咄嗟に腕を出した彼にギリギリ受け止められた。


「じゃ、私はこれで! 早乙女先輩、あとはお願いしますね!!」


「桃花ちゃん!? 嘘、嘘でしょぉ!?」


 てってって、と走ってその場を去っていく桃花は、あっという間に見えなくなってしまう。


 そして出来上がったのは、夏斗がえるをお姫様抱っこするというこの状況。さっきまではてんやわんやで焦るだけだったが、二人きりになった途端お互いに恥ずかしさで身体の熱が上がっていく。


「……と、とりあえず保健室、行くか?」


「……お願い、しまひゅっ」


 気まずさと嬉しさと恥ずかしさと。色んな気持ちが渦巻いてショート寸前の二人は、無言で保健室を目指す。



 えるはケガをしてよかったと。夏斗は授業を抜け出してきてよかったと……心からそう思った。

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