第12話 後輩、匂いを嗅がないでくれ

12話 後輩、匂いを嗅がないでくれ



「ひっ、えぐっ……わだじがコイツ殺すんだぁ! 好きで独身なわけじゃ、ないのにぃ……」


「よしよし、よしよし」


「かまたぁ、かまたぁ!!」


 一体何を見せられているのだろう。茶柱がブチギレて、鎌田が止めに入った。しばらく猛獣のように叫び散らかした茶柱は次第に落ち着いてきて、次は涙を流し始めて。メンタルが崩壊したかのようにその場に崩れ落ちると、鎌田に頭をなでなでされながらすすり泣いている。


 情緒不安定もいいところなのは一旦置いておいて、それよりも前からずっと気になっていたことが今明らかになった気がした。


(部長と先生って、もしかして……)


 いや、無粋な詮索は止そう。夏斗はそう自分に言い聞かせて腰を抜かしかけて固まっている親友の肩を叩き、そっと励ました。


「今日の練習はここから自主練にしようか。練習続ける奴は好きなメニューをしてくれて構わないし、帰って休みたい奴は特別に今日は許可しよう。俺は先生の看病があるからな」


「ぐず、ぐすんっ。う゛ぅ」


「ほら行きますよ、先生。体育館裏で風にでも当たりましょう?」


 かくして今日の練習は、茶柱のメンタルブレイクと部長の不在によって終了してしまったのだった。


 まあ終了と言っても自主練だから、ここで時間いっぱい練習してもいいのだけれど。そういうわけにもいかなそうだ。


「ああ、部長行っちまった。夏斗、俺はちょっと休んだらシュート練するけど、お前はどうする?」


「俺も……って言いたいところなんだけどな。どうやら練習が終わったと勘違いして早く一緒に帰りたそうにしてる後輩がこっちを見てる」


 チラッ、と横目で二階の方を見ると、キラキラした目でこちらを見ている紫色の影が。その瞳には「早く帰りましょう!」とハッキリと書いてある。そんな彼女を待たせてまで練習を集中して行えるほど、夏斗は器用ではない。


「ああ、はいはい。分かったよ。んじゃまた明日な」


「お疲れ。お先失礼」


 夏斗は先輩達にも先に帰ると一礼して、更衣室へと戻った。


 少し汗臭い……いや、男臭い匂いが漂う、体育館の一室。夏斗はそこで自分の鞄からあらかじめ買っておいたシートタイプの制汗剤を取り出し、自分の身体の汗を拭く。


(えるは気にしないって言ってくれたけど、最低限は対策しないとな)


 顔、腕、腋、腹部等。ある程度全身を拭いてから、自分の朝の匂いなど分かりもしないだろうにクンクンと嗅いだりして。部活用のシャツから制服へと着替えを終えると、十分ほどしてようやく体育館の外へ出た。


「先輩っ、お疲れ様です!」


「うん、ありがと。応援してくれて嬉しかった」


「えへへ、先輩かっこよかったです。……では」


「ちょっ!? える!?」


 満面の笑みで夏斗を出迎えたえるは、そっと胸元に飛び込む。普通の会話からのいきなりの行動で固まる夏斗の気も知らずに彼女がしていたのは、小さな鼻をヒクヒクと動かすことだった。


「あれ、汗の匂いがしません。先輩の良い匂いだけがします」


「や、やめてくれ。何考えてんだ……」


「先輩の汗の匂い……少しだけ、嗅いでみたかったんですけど」


「や、め、ろォォ!!」


 がばっと両肩を掴んでえるを引き剥がす夏斗の顔は既に赤く、近づかれた際に鼻腔をくすぐったえるの甘い匂いに内心好きが爆発する。


 そんな彼を、えるは普段あまり見せないしてやったり顔で揶揄い、笑みを浮かべながらそっと手を繋ぐ。


「じゃあ帰りましょう? 先輩と帰れるの、ずっと待ってたんですから」


「っ、たく。いきなり調子に乗りやがって……」



 重ねられた手の小ささと暖かさ。ただ手を繋ぐというこのちっぽけな行為に、確かに互いの存在を感じながら。二人は茜色の空に照らされて、正門をくぐり抜けた。

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