第9話 人の獣性


勝った。


神獣の全身が動かなくなり、絶命した。




「ぐ....ぐ..あああああああああ」


不意に、忘れていた失った左腕の激痛が蒼を襲った。


痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。


この痛みは一体なんだ..!なぜ痛覚が戻っている!?


意識が途切れそうな全身の痛みに、頭がどうにかなりそうだった。


一体何が起こっているのか、蒼は混乱した。


そして周辺に煙が吹き出していたことにようやく気づいた。


「ぐっ、、げほっ、えっ、エルンスト.....この煙は.......」


気づけば、自分が使っていた通信機が激しい戦闘のためか壊れている。


蒼は耳にかけてあった通信機を投げ捨て、肉声で周囲に確認をとった。


「ぐぬ、一体何が...」


「みんな落ち着いて警戒を!神獣の亡骸が爆発したのかもしれない」


「だいじょうぶデス。周囲に敵の反応はアリマセン。あと2分で煙が晴れマス」


かなりの煙量だった。


煙で視界が一切見えない間、周囲で人の足音が聞こえる。


蒼は激痛で途切れそうな意識の中、妙な気配を感じた。


何かが起こっている。


しかし、何が起こっているかを知ったのは煙が晴れた後だった。




「た、隊長....」


「どうした...一体何が起こった。ぐっ...、すまん、目がうまく見えなくてな」


「エリクシルが...雷と再生のエリクシルが見当たりません」


橘の声が震えている。


蒼はあたりを見回した。


一瞬で嫌な予感が脳裏によぎった。


「そんなばかな。いや、あるはずだ。探せ。総員、エリクシルをくまなく探せ!」


「無い、、無いです。見当たりません」


「エルンスト、エリクシルがどこにあるか辿れるか!?」


「ここから約南西に400mの地点に同じエネルギー体の熱源が動いています。この早さは、人が持ち去っている可能性が高いデス」


「追うぞ。エルンスト、緊急用フロートを展開だ!」


奪われた。


この任務で最も重要な、命よりも優先しなければならない物を。


何のためにこれまで犠牲を払ってきたんだ。


蒼は奪った犯人への怒りが烈火のように湧き上がった。


「隊長、その身体で一人では無理です!待ってください!」


指揮官としてあるまじき振る舞いだ。


蒼は完全に冷静さを忘れ、展開したバイク型フロートに乗りこみ一人で南西へと滑走した。




妹を助けるため、任務を完遂するため、なんとしても奪い返す。


蒼は欠損した左腕の激痛と、今の状況に目眩がして何度も気を失いかけた。


しかし、再生エリクシルへの執念が意識をかろうじて支えた。


俺は、雷のエリクシルを自分で持っていたはず。


意識を失っている間に奪われたのか。あの数分の間に?


蒼は混乱していたが、しかし今は犯人を捕まえることに集中した。


南西へと全速力で駆けた蒼の判断は正しかった。


わずか一分もしないうちに、その集団と遭遇したのだ。


「お前らだったのか」


そこにいたのはヘルメス旅団だった。


もはや驚く余裕もなく、操縦を自動に切り替え、蒼は左手で銃剣での威嚇射撃を行った。


「エリクシルを返せ!これは明らかな軍法違反だ」


蒼の存在に気づいたヘルメス旅団は、後方の数人が立ち止まり、行く手を阻んだ。


渡すつもりは毛頭無いらしい。


その間にも前方の集団はどんどん遠ざかってしまう。


蒼はフロートのアクセルをさらに強く踏んだ。


時速60kmで突進するフロートの前に、敵の盾が展開され行手を阻まれる。


「邪魔だ!!」


「エンジンだエンジンを狙え」


フロートのエンジン部分に敵の砲弾が集中して大破し、蒼は地面へと放り出された。


蒼は躊躇わなかった。


ベルゼラードを長槍に変形させ、蒼はヘルメス旅団に立ち向かった。


先ほどの神獣との戦いで雷エリクシルのエネルギーは全て使ってしまっていた。


それでも蒼の卓越した剣技には、ヘルメス旅団員たちは敵わなかった。


耳障りな悲鳴を上げながら旅団員たちは倒れていく。


あとで捕らえるため、刃のない柄の方で打突して旅団員たちの意識を奪った。


感情任せに旅団7人を薙ぎ払い続ける。


蒼には手加減している余裕はなかった。


打ちどころの悪い者は最悪死ぬかもしれないが、もはやそんなことはどうでも良かった。


お前たちはやってはいけないことをした。


フロートを失った蒼は自分の足でエリクシルを追う。


少し距離を離されていたものの、鍛えられた豪脚は彼らを捕捉するには十分だった。


蒼が距離を詰め、足止めを倒し、距離を詰め、足止めを倒し続けて10人目。


「待て。そこを動くな。武装解除して投降しろ!」


残り10人になったヘルメス旅団は、急に足を止めた。


そこで、一人だけ前に出て、蒼の前に立ちふさがった人物がいた。


背丈を越えるほどの長い長槍。


くしゃくしゃの長い髪を後ろで結った、猫背の男。


よく知っている顔だった。


蒼は動揺した。





「っと、隊長だけか。ふむ。ちょっと話しませんかネ?」


「藤村。これは一体どういうことだ」


「見ての通り。隊長、アンタもちょっと手伝ってくれないカ」


「何だと?」


蒼は全てを察しつつあった。


怒りと悲しみが混ざり合い、複雑な感情を抱く。


「旅団と手を組んで、エリクシルを持ち去るつもりか。明白な軍規違反だぞ」


「オイ、藤村」


旅団の影村が顎で後ろをさす催促を、藤村の右手が制した。


「話が早いねェ。そんな訳で、このまま見逃して欲しいのヨ」


誰がそんなことを、と言いかけた蒼を藤村は遮った。


「見逃してくれたら、再生治療を優先的にあんたの家族へ回す。ってか、そもそもあんたにも必要じゃネ?」


藤村は蒼の失った左腕を見ながらそう言ってのけた。


「なっ....」


「手を回してやる。ミシガン領に来てもらうことになるが、そんなに難しくなイ」


藤村は右手をそのまま翻して蒼に差し出した。


「なぜそれをって顔をしてるな。まぁ、いろんな情報網があるのよ。そんな驚きなさんな」


蒼は唖然として言葉を失っていた。


「オレも同じ理由だ。家族に治療が必要でね。金も技術も要るんだわ」


「お前、本気で言っているのか」


「家族、大事だよなー隊長。分かるよ。天秤にかけるまでもねーわ」


「......」


「なんせこのままうまく行ったとしても、エリクシルの解析は時間がかかる。とにかく量産は確実に遅くなる。時間がねぇんだ。詳しいアンタならわかるだろ。こうしてる間にも、命がいつまで保つか」


「お前の言ってることが真実だという保証がどこにもない」


「そうだとしても、隊長、アンタには必要だろ?冷静に考えてみろ。身内にアレの恩恵が来るまで、これから一体どれだけ時間と手続きがかかると思う?」


「やめろ」


「最低、数ヶ月か半年はかかるよな。再生治療だって、患者の優先順位があるよな。とにかく山ほど待ってる奴がいる。もっと遅くなるぞ。アンタの妹は、耐えられるかネ?」


「頼む、やめてくれ」


「冷静なアンタだからこその話だ。現実を分かってる。今ここで、少しだけ見逃してくれれば、すぐにでも未来を取り戻せるんだぞ。別に悪いことじゃねェ、見過ごすだけだ。それだけアンタは社会に十分貢献してる。自分を労ってもよくネェか?」


「......」


蒼は言葉を飲み込んだ。


その通りだ。


たとえ軍が再生のエリクシルを回収したとしても、それが一般医療に出回るのには長い時間を有する。


これまでのエリクシル研究がそれを証明していた。


本当は、一刻も早く妹に再生治療を受けさせてやりたい。


もう時間がない。


今こうしている間にも、妹の命は少しずつ失われ、明日にも途絶えてしまうかもしれない。


蒼がここへきたのは、本来それだけの為だったのだ。


自分が家族にできること。


妹の身体を治し、命を救う。


沈黙の最中、妹の顔が蒼の脳裏に浮かび、蒼は答えようとした。





「そこまでよ」


蒼が決断しかけたその時。


背後の茂みから銃剣を構えたもう一人の人物が現れた。


「ようやく追いつきました。隊長、彼の言うことを聞いてはいけません」


「橘...お前、聞いていたのか」


「たとえ彼の言ってることが本当だとしても、聞いては駄目です」


「あれま、副隊長か」


「藤村一景軍曹。たとえ家族の為でも、軍規を破り、雷と再生エリクシルを奪うことは許されないわ。そのエリクシルを待っている、多くの命があるのよ。大人しく投降しなさい」


橘は、藤村へと剣を向けて立ち迫った。


「隊長。もし藤村軍曹の言う通り、妹さんの治療ができたとしても。その選択で彼女の前で、胸を張っていられますか?」


「…」


「藤村軍曹の行動は、私情を優先した軍規違反です。看過するわけにはいけません」


「ああ」


「どうか正しい選択を。エリクシルを回収して、みんなと帰り、妹さんを助けるんです」


「分かってるさ、分かってる…」


蒼が橘から顔を背けるように俯く姿を、橘は憐れむように見つめていた。


橘自身も分かっていた。


宗方蒼という人物が、どれだけ葛藤しているのか。


その葛藤は、自分ではなく、他者のためだからだ。家族を救うためだからだ。


昨日、蒼が思い悩んでいる姿を見て橘は驚きを隠せなかった。


これほどまでに悩み、揺さぶられる蒼を、橘は初めて見たのだ。


いつも冷静沈着。


圧倒的な強さと、瞬時の判断で部隊を導いてきた、弱さとは無縁の存在。


そんな蒼が、任務の初めから、様子がおかしいということに橘は薄々気づいていた。


しかし、その根本的理由が、家族のためだったという事実は、橘を安堵させた。


宗方蒼も人間なのだ、ということにようやく気付かされたのだ。


だからこそ、彼には正しい選択をしてほしい。




「おい藤村、もういいだろ」


待ちかねた影村が声を荒げた。


「だから言ったじゃねぇか。こうなるって」


「...フッヘッヘ」


藤村の笑みが、急に変貌した。


ガァン!!


藤村の槍から、銃弾が放たれた。


「まぁ、悪く思わねェでおくれよ。お二人さんよ」


「時間がねぇ。お前ら、手早く殺れ」


その銃弾を境に、ヘルメス旅団からの雨のような銃撃が蒼たちを襲った。


「やめて。やめなさい。藤村軍曹!」


「これ、知ってると思いますケド、スンゲー高く売れるんすよね。いくらだと思います?」


「お前とは戦いたくない。投降しろ」


「これ一個だけで何と100億ですよ。100億。いやー、俺ら全員で分けても一生遊べる金っすよ。それがなんと2つ」


「ヘルメス旅団、そして藤村一景軍曹。あなたたちはオンタリオ社のA級社命を裏切り、最重要機密物資を持ち去る窃盗罪を犯しています。今投降すれば軍法会議での減刑余地があります。もう一度言います。投降しなさい!」


「俺、金持ちになったら、こんなクソみたいな軍隊生活とはおさらばするんスわ」


蒼と橘はFOSの防弾膜によってなんとか銃弾を防いでいる。


「こいつらは対人戦経験が少ない。とにかく囲んで潰せ」


人間から殺意を向けられる感覚は、蒼と橘にとっては少なくない恐怖を与えた。


人から銃口を向けられるのは長らく久しかった。


「藤村軍曹!どうして?あなたは本当にこんなことをする人間だったの?何か理由があるんでしょう?」


「銃が効かねぇなら斬れ。時間が無え。早く殺セ」


「お願いだから、嘘だと言って藤村...」


蒼と橘を囲っていた旅団たちはそれぞれ銃剣を構えて向かってきた。


蒼は先ほどから目を配らせて誰がエリクシルを持っているのかを探しているのだが、なかなか見つけられなかった。


おそらく、ここで時間稼ぎしている敵を相手にしているのは得策ではない。


自分が敵なら、仲間の誰かに渡してとにかく人伝でも遠くへ運ぶはずだ。


そう考えると、このマウンテン諸島で最も逃げられたら厄介な場所は...。


「逃すか!」


蒼は変形させた大鎌で敵を振り払い、影村と共に海側へ走っていく旅団員を追う。


群がってくる3人の敵を片腕で薙ぎ払う蒼。


しかしそこで横槍が入った。




藤村だ。


蒼は、目の前に立ちはだかる長槍を構えた藤村と対峙した。


しかし、いくらベルゼラードで斬撃を与えても、藤村を中々突破できない。


藤村は長槍で大鎌の斬撃を捌き、素早い刺突を合間に繰り出してくる。


蒼はそれを受けずに、とにかく避けるしかなかった。


アシッドマンはただの槍では無い。


少しでも超酸が掠ったら、致命傷になりかねないのだ。


「隊長〜、俺がどれだけあんたの戦闘を間近で見てきたと思ってんのよ。ホレ、そろそろ槍か剣に戻すんだろ?アンタって実はわかりやすいモンな」


背後は橘に任せている。


蒼が相手にしている敵は対峙している藤村を含めた実質4人。


いくら片腕とはいえ、たったこれだけの敵を突破できない自分が情けない。


同じ焦燥を背後の橘からも感じ取れた。


蒼と橘は、神獣との戦いで消耗しすぎたのだ。


「橘、エリクシルバーストの残数は?」


「水のみ、あと1回だけ可能です。氷はもう...使えません」


「俺も、もう使えない。よし、水を-------」


敵の激しい斬撃の最中、背中合わせで応戦する二人は肉声で会話をした。


お互いに、持った武器で周りから伸びてくる剣先を払うのに精一杯になってきた。


蒼と橘の周りには、ヘルメス旅団からの無数の剣閃が散っていた。


剣と剣がぶつかり合う音。


そして人同士がせめぎ合う剣劇けんげきの最中、蒼は藤村の声を聞いた。


「エリクシルバースト」







































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