第6話 彼らの背景

橘涼香は、オンタリオ本土陸軍歩兵団の出身だった。


オスカ第01部隊の副隊長に着任する前から、クリーチャー掃討の最前線に従事していた。


大戦が終結して数年の間は、毎日どこかでクリーチャーとの戦いが起こった。


街への襲撃、輸送車の強襲、クリーチャーを利用した悪質なテロ行為。


オスカ部隊の毎日よりずっと、とにかく毎日戦いに駆り出された。


軍士官学校を卒業後、齢20の頃から橘はずっと戦場にいた。


銃と剣の腕を見込まれ、最前線で獣と戦う日々。


橘は、この道を志した時から自身の命を軍に捧げてきた。


いつ死んでも良い覚悟があった。


橘は幼少期、軍人に命を救われた。


それ以来、自身も軍人となって市民を守ることを生涯の使命とした。


自身の命は他者の為に使うもの。


それを信条とした橘は両親の反対を押し切り、軍に志願して今までを生きてきた。


しかし、橘は戦場に出て自身の思わぬ弱さを知る。


仲間を失うことの辛さを、その時初めて味わったのだ。


自身の命を失う覚悟ができていても、大切な人の命が失われる覚悟ができていなかった。


そこで初めて、自身の戦う動機を勘違いしていることを、この時知ったのだった。


自分が強くあろうとするのは、崇高な理念があるからではなかった。


誰かを失うのが怖いから。


つまり、正義ではなく恐怖からくる理想だったのだ。


それから橘は陸軍に入隊してから、数え切れないほどの戦友を失うこととなる。


軍がどれほど兵装の向上や画期的な戦略の立案を行い、兵士の生還率をあげようとしても、少なからず戦場では命が失われていった。


自分の運がよかったのか悪かったのか。


今日まで生き残ってきた橘の周りには、もうほとんど親しい仲間はいなくなっていた。


軍士官学校で共に未来を語り合った、今は亡き者たち。


愛する者の為に責務を果たす同期。


意見が合わずに毎日ぶつかり合った上官。


初めて預かったまだ成人にもならない兄弟のような部下。


今まで何度、理不尽のために泣いただろう。


仲間の墓前で何度、彼らの鎮魂に祈りを捧げ、許しを乞いただろう。


自分がどれだけ好きでも、嫌いでも、憎んでも拒んでも。


骸となってしまった人々に対する気持ちは同じ。無念であった。


仲間の死が怖くて、わざと冷淡に振る舞い自分に近づけないようにしたこともあった。


時には戦場から逃げ、外部との接触を断ち、祈りを捧げる毎日を送ったこともあった。


しかし橘は苦しみ考え抜いた末、自分はやはり市民のために戦わなければならない。


そう思い至り、戦線へと復帰した。


彼らにかけるべき言葉は、抱くべき想いは、謝罪ではなく感謝だったのだと気づくまでに長い年月を有した。


彼らは命を全うし、自身の務めを果たした。


自分自身も彼らに恥じない生き方をする。


それが、自分にできる死者への最大の返礼だと悟ったのだ。


そう思えるようになってから、橘は軍務に励み、オスカ第01部隊の副隊長になった。


隊長である蒼との意見が合わない一番の争点は、「兵士の生還率」


橘が強く仲間の命にこだわる裏には、そのような過去があった。



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狛犬の討伐から一夜が明け、早朝からいよいよ神獣の縄張りへと進軍が始まった。


オスカ第01、02、03部隊はそれぞれ対神獣用の特殊スーツを装備した。


このスーツは、絶縁性の高い素材で編み込まれたものであり、電撃で発生する肉体へのダメージを軽減するものだ。


緊急で兵装開発局から支給されたものである。オスカ部隊にとっては心強かった。


周辺クリーチャーの掃討により、神獣への安全な道が確保された。


あれだけ岩石で歩きにくかった山道が、一夜でフロートが移動できるようになっている。


石のエリクシルで、簡単な整備が工兵の手によって完了したのだ。


輸送軍がエリクシルを使って、道の舗装と一夜を通す警備を行った結果である。


この道は、小野田少佐のいる麓の本陣から、兵士と物資を運ぶための道となった。


また、警備ドローンの入念な索敵によって、神獣周辺一帯は細かな地形が陸軍全体に情報共有された。


「いやー、これだけきっちりしてるともう俺らの出番がなくなっちまうなー」


旅団長の影村は、フロートでの移動中ボソッと愚痴をこぼした。


「神獣が住むところは、ちょうど山脈中心。岩石の転がってる更地だ。遮蔽物が少ねぇから、とにかく盾を手放すなよ」


「雷が厄介ですなぁ。近くの飛ぶヘリやドローンさえ全部落としたって聞いてますゼ」


「そこはお前たちに任す!」


「副隊長〜、み、水とかそのあたりに撒いてそっちに雷を捌けたり、しないんでしょうか...」


羽瀬倉は橘の銃剣をちらりと見て伺った。


「水は電気を通すものだけど、誘導するものでは無いのよ。なので無理ね」


「そんなぁーー。ど、どうします?」


「羽瀬倉伍長。私が送った資料、メールを開いて見てみなさい」


橘は呆れた顔で羽瀬倉を宥めた。側から見るとまるで姉妹のようにも見える。


羽瀬倉はおもむろにモニターを立ち上げ、橘から送られた資料を開いた。


「…あっー!なるほど。陸軍が避雷針で対応するんですね。はーなるほどなぁー」


「現在、我々も含めてフロートで対神獣用の兵器を運搬しています」


「それならきっと安心ですね!」


くれぐれも油断しないように、と橘の目線が羽瀬蔵を諭した。


蒼も同感だった。


今回の作戦では、軍は練った作戦と兵器で挑むはずではあるが、Aクラスのクリーチャーをそれだけで討伐できるとは考え難かった。


敵を過大評価してるのかどうかはわからない。


しかし、Aクラスというものはそれだけ未知の存在だった。


「しっかし、これまでの道は、ヘルメス旅団の方がいたからスムーズに来れましたネ。こんな山奥の道、なんの手がかりもなしだったらどれだけ大変だったか...」


「確かに、そうだな」


蒼も同感だった。


陸軍の力で舗装されて道は作られたが、その道を切り開けたのは旅団の的確な先導のおかげだった。


電波が弱く、GPSの精度が低いこの山の上で、やはり経験者の知見は貴重だ。


山頂への安全なルート、危険地帯、野営しやすい場所など、旅団は全て知り尽くしていた。


山頂が近くなるにつれて、空に陰りが見え始めた。


先ほどまで快晴であったはずなのに、山の天気は急激にその表情を変えはじめている。


「俺ら旅団はこの辺りでこういう現象をよく見てるんだが」


影村は暗雲立ち込める空を見上げて、ふと呟いた。


雲は山頂を起点として渦を撒くように、集まってきている。


「どう考えても、神獣が天候を操っているとしか思えねぇ。アイツ、俺たちをすでに見つけてるんじゃないか?」


「急になに怖いこと言ってるのこの人」


「隊長さんよ。この縦1列に並んで進む移動の仕方、ちとマズイとは思わんか…?」


移動の仕方。


はっと気づくまで蒼は反応が遅れた。


ドゴォオオ!!!


突然、100m向こうの陸軍フロートが落雷に襲われた。


1000万ボルトもの電圧により、乗っていた兵士は一瞬で黒炭となった。


突然降ってきた落雷を合図にして豪雨が降り注ぎ、無数の雷鳴が進軍する兵士たちを襲う。


軍が狭い山道を縦一列で移動する、ということは攻撃された所より後列は移動ができなくなるということ。


舗装ルートが1つしかないので仕方なかったが、この移動方法は迂闊だった。


オスカ第01部隊は、前列のフロートが落雷で爆発を起こしたため、全員が飛び降りて散らばった。


とっさに隊員たちは回避、防衛行動をとる。


爆発の勢いが強すぎたため、黒煙で全員の目視が困難となった。


「全員、無事か!」


「橘と後藤問題ありません!」


「藤村、エルンストと一緒です。問題ナシ。あ、あと旅団のかたもいまス」


「び、びっくりした〜心臓に悪いよおーー。もう帰りたいよおお〜〜!!!」


羽瀬倉は蒼の隣にいた。


ちょうど載っていた座席の位置ごとに、外側へ向かって全員が飛ばされた形となった。


さらに、急に発生した雷雨のため、進軍が一気に乱れることとなる。


軍は雨によるぬかるみ、落雷による倒木、消化作業による影響で立て直しの時間を要した。


オンタリオ陸軍、ヘルメス旅団、そしてオスカ部隊は、そこから山頂まで徒歩での移動を余儀なくされた。


蒼の指示により、オスカ第01部隊は3つのグループ(蒼と羽瀬倉、橘と後藤、藤村とエルンスト)に分かれてそこから行動することになった。


各員は行進する陸軍、ヘルメス旅団と合流し、3方向から神獣の根城へと進んだ。


3つに分散することはチームの連携力を落とすように見えるが、オスカ部隊は神獣までの戦闘は陸軍に任せ、温存することになっている。


崖下へ3mほど落ちてしまった隊員もいたため、その場で合流するのは難しかった。




後藤と橘の二人は、雨でぬかるんだ道を歩きながら山頂を目指していた。


「後藤准尉、隊長のことで少し話したいことがあります。」


橘は、後藤に口頭で話しかけた。


通信機のマイクは切られており、その声は隣の後藤だけに聞こえた。


橘は、後藤にも耳元のマイクを切るように手で耳を触る所作をした。


後藤も通信機のマイクを切った。


「何でしょうか」


「......私の、思い過ごしであれば良いのですが」


橘の声には、一抹の不安のようなものが混ざっている。


後藤は言葉を待った。


「隊長は、もしかしたら身体に何らかの障害を持っているかもしれません」


橘は目を伏せながら、少し沈痛な表情を見せてそう呟いた。


「どうしてそう思うのでしょう?」


「着任してから約1年。傍で見てきて、戦闘時の行動に違和感を感じています」


「違和感、ですか」


「隊長は、リスクの高い行動を取ることがとても多い。敵陣の真ん中へ一人で向かう、自身が負傷していても後ろへ下がらない、など。そのせいで隊長自身の負傷を悪化させることがあとを立たなかった」


「なるほど。確かにそうでしたね」


「まるで恐怖を感じてないような戦い方です。私がどれだけ言っても隊長の行動は変わらなかった。ずっと、何かおかしいと思っていました」


橘は一気に言葉を話したあと、少し呼吸を整えて続けた。


「軍の作戦行動において、指揮官が前に出て危険を晒すということは普通は行わない。私たちのような部隊や、戦闘能力の高い指揮官が前に出ることは多々あります。しかし本来のセオリーではない」


「そうだと思います」


「違和感が確信に変わったのは、昨日の戦闘です。隊長の左腕は電撃のひどい火傷を追って、今では応急処置で何とかしています。あれだけやめろと止めた雷エリクシルの最大出力の余波を、その身に受けても、何の反応も示さなかった。つまり」


橘はずっと口に出さなかったことを、深い息と共に零してしまった。


「隊長には、痛覚がないのかもしれない...」




後藤は歩きながらしばらく黙っていた。


少しの間、橘と後藤の間に沈黙が続き、雷雨と兵士たちの歩く足音だけが聞こえた。


橘は、自身が話したことを裏付けるようにこれまでの記憶を改めて辿っていた。


今までのどれもが、自分の仮説でピタッと辻褄が合うものばかりだった。


足元にはぬかるみが生じるようになり、少し風が出始めた。


「実は私も気づいていました」


後藤は静かに切り出した。


「橘副隊長の考えは合っていると思います。私も、隊長には痛みの感覚が無いと思われる行動を何度か見ました」


「やはり、そうでしたか」


「しかし、隊長自身がそのうち話すだろうと思いました。私はただそれを待っています」


「なぜ?痛覚が無いという事は、本人が危険な状態にあるという事よ」


「話せない理由があるのか、もしくは話さなくて良いと判断してるのでしょう」


「一体どんな理由が...?」


「私も似たようなものです」


後藤は少しだけ山道を登る歩みを落とした。


雷雨が激しさを増している。


後藤たちから見える崖下では、落雷による森林の火災が相次いでいた。


「私が軍医に、心的外傷後ストレス障害(PTSD)と診断されたのはご存知ですよね」


「ええ。大戦時の経験から、銃にトラウマがあるのですよね」


橘は少し躊躇ったが、あえて気を遣わずに言った。


「かつて大戦時にオンタリオ北方軍で砲兵として戦場にいた私は、ミシガン兵を数え切れないほど射殺しました」


「...」


「今でも彼らの死顔がフラッシュバックして、身体が動かなくなる時があります」


聞こえてくる後藤の声は、橘にはとてもか細く聞こえた。


「それから私は銃を撃つこと、触ることすらできなくなりました」


それから少しの沈黙が流れた。


橘は後藤の経歴、そしてトラウマを入隊時から知っていた。


蒼と橘は、それを知った上でオスカ部隊への入隊を歓迎したのだ。


しかし、本人がはっきりとここまで過去のことを話すのは初めてだった。


「それでも私の中の、市民を守りたいと言う意思は変わらなかったのです。しかし、銃を持てない私を受け入れてくれる軍の部隊はどこにもありませんでした」


銃を撃てない元砲兵。


対クリーチャー近接戦闘経験が無い、体が大きいだけの兵士。


橘が風の噂で聞いてしまった、後藤に対する陸軍の評価はひどいものだった。


橘はその評価が腹立たしかったが、命のやりとりをする兵士が、仲間選びに敏感になることもある程度理解はできた。


「そんな時、宗方隊長が私をオスカ部隊に推薦してくださったのです」


橘は今でもそのことを覚えている。


9ヶ月以上前のことだ。


蒼がオスカ部隊総隊長へ提言し、後藤を自分の部隊へ入れたいと強く申し出たのだ。


隊長である蒼はオスカ部隊幹部から猛反対を受けた。


しかし、軍は兵士が常に不足している。


オスカ発足の時から、第01部隊に盾役が足りていないのは課題だった。


「俺が後藤を、半年でオスカの盾に必ず育てる。その責任は全て自分がとる」


蒼はそのように断固とした主張を貫いた。


「今でも宗方隊長と初めて会った時のことを覚えています。陸軍本部の面談室で、私は自分の経歴を。PTSDで銃を使えないがそれでも良いでしょうか?と告げました。隊長は私になんと言ったと思いますか?」


後藤と橘はクスリと笑みを浮かべてお互い目を合わせた。


「「盾なら問題ないか?」」


二人は我慢しきれずに、少しだけ笑いあった。


「それからほとんど毎日、入隊した私のところへ来て、対クリーチャー戦の全てを教えてくれました。盾の使い方も、兵装開発局と別の部隊の熟練者から、わざわざ人を呼んであらゆる実戦想定の訓練を細かく行いました。任務の実戦でも私を自分の隣りに置き、いついかなる時でも私を守れる位置で、細かく指示してくださいました。そうして私は一人前として認められたのです」


普段寡黙な後藤がここまで話すことは珍しかった。


「私が言いたいのは、宗方隊長は決して部下を信頼していない訳ではない、ということです。私は待ちます。言えない事情があるなら、私はそれで良いです」


「……」


橘は、後藤の器量を見た。


そして、改めて任務に集中し直し、貴重な仲間を守るため頭を切り替えた。


「わかりました。私も信じて隊長の言葉を待ちます。ただし、隊長が危険だと私が判断した場合は、すぐに後ろへ下がって頂きます」


「素直に下がってくれれば良いですが」


「その時は後藤准尉、あなたにも手伝ってもらいます」


橘は不敵な笑みを浮かべて後藤に命令した。


「了解しました」



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3つに分かれて進行したオスカ第01部隊は、合流ポイントへ辿り着いた。


オスカ第02、03部隊も到着した。


全員が合流した時は、同じく進軍していた陸軍とヘルメス旅団と合わせて総員164名ほどに人数が減ってしまっていた。


その164名が神獣の巣をぐるっと囲うように、直径1kmの円状に配置についた。


巣は、窪んだ山頂のちょうど真ん中に位置している。


山頂は火山口のように広く窪んでおり、草木の生えない荒れた空間となっていた。


1km周辺は木々で囲まれているが、そこから先は砂利や岩があるだけの荒野だ。


その中央に、得体の知れない繭のような禍々しく光る巨大な構造体があった。


「なななな、なんですかアレ。気持ち悪い。。」


「アレが、神獣の巣...?」


「200が164に減ってしまったか。これでどう対処するか」


本部の命令を待つしかなかった。


後方の本部には、予備の援軍が60名ほど到着していた。


しかし、距離が遠すぎて援軍を待ってる余裕があるかどうか。


待っていると先手を打たれ、この人数でも全滅する恐れもあった。


このまま兵士を待機させ、機を伺うにも、日が暮れるとリスクが上がる。


今回の作戦を指揮する陸軍部隊長が、本部の指示を待ち部隊が待機している間。


その異変は起きた。


中央の繭が、ゆっくりと開き始めたのである。

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