第2話 未知の怪物

「茜(あかね)さんは、いつ容態が急変してもおかしくありません」


一年前。


妹が体調を崩して入院したときに、蒼は医者にそう言われた。


ちょうどオスカ部隊が編成される直前の頃だった。


軍の仕事に慣れて家族も落ち着き、比較的平和な時だったが、突然そう言われた。


「娘の身体は、そんなに悪いんですか?だっていつもあんなに元気だったのに」


「悪いです。両足の切断箇所から、少しずつですが胴体の方へと細胞損傷が進んでいます。これでは…」


同席した母は言葉を失った。


蒼も、同様の気持ちだった。


妹は、幼少の頃にクリーチャーによる火災が原因で両足を失った。


父と祖父が死んでから、妹と母と一緒になんとかここまで生きてきた。


家族を失うのはもうこりごりだと思っているにも関わらず、なぜ現実は残酷なのか。


「手術すれば治る見込みはありますか?金なら俺がなんとかします」


「…残念ですが、今の我々の技術ではどうしようもないです。茜さん、そして蒼さんの火傷は、普通のものとは全く違います」


「何が違うんです?」


「人体への影響の仕方が違います」


妹の主治医は、そばにある紙に人体図を簡単に描いて説明した。


「普通の火傷は、損傷した箇所さえ治療すれば、それ以後は後遺症に悩むことはそこまでありません。しかし、ごく一部のクリーチャーから受けた火傷は、理由は分からないですが火傷箇所から人体の内部へとダメージが進行していきます。一説では、細胞そのものを破壊し、さらにその隣の細胞へと連鎖させる、遅効性の毒のようなものがクリーチャーの体内で炎と共に生成されている、と考えられています」


正直訳がわからず、蒼は気が遠くなってきた。


「なので、体の内側からの治療も必要なのです。しかし、火傷の毒がどこまで広がっているかを見極めるのが非常に難しく…。茜さんの両足を切断する際、その毒が体内にまだ残っており、潜伏していたということも考えられます」


この医者に怒っても仕方ない。


要は、未知のダメージを負った身体をどう治療すれば良いか、はっきりわかっていないということなのだろう。


「どうして茜だけなんでしょうか?俺の身体も同様のことが起きてもいいはずでは」


「わかりません。蒼さんも、発症するかもしれないですし、一生発症しないかもしれない。実は、例の火災事件の後遺症に苦しんでいる方は他にもいます」


なんだそれは。そんな理不尽がこの世の中にあったのか。


しかし問題なのは、妹の命が助かる可能性はあるのかどうか、ということ。


「妹の余命はどのくらいでしょうか」


「はっきりと明言できませんが、今の進行速度だと、もって2年といったところでしょうか…」


「わかりました。それまでに治療法を見つけます」


「申し訳ありません。私も治療法を探しますが、もしもの時のために、覚悟をしておいてください」




その後、蒼はクリーチャー討伐の特殊部隊に志願した。


治療法を見つけるためだった。


妹を治すためには、オンタリオ社のクリーチャー専門軍隊に入り、そのつてで研究者に聞くのが良いと思ったからだ。


研究者になるための資金も無かったため、狩猟経験を活かせる軍人を選んだ。


軍属の公務員になれば、家族を養うことも可能だったからだ。



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医者に妹の余命を宣告されて1年後の現在。


出来うる限りクリーチャーのことを調べたが、成果はほとんど得られなかった。


1年間文献を探し、軍の技術開発局や医療関係者にも聞き回った。


しかし、火傷が特殊なものであること以外は何も分からなかった。


蒼は諦観しつつある。


もはや自分にできることは、できる限り妹のそばにいることではないかと思った。


今回連絡を受けたAクラスクリーチャー討伐任務の件も、あまり期待できなかった。


それでも上から召集を受けたため、蒼は渋々陸軍本部へと向かった。


陸軍本部の大門を潜り、大理石の廊下を歩く。


オスカ部隊は第10部隊まで存在しており、それら全てを束ねている上官がいる。


オスカ全部隊は、総隊長と副長が部隊全体の方針と体制をまとめている。


さらに副長補佐が、具体的な細かい指示系統を各部隊長に下ろしている。


だが大掛かりな作戦の場合、総隊長が直接指示をとる場合もある。


つまり今回はおそらく、それのようだ。


オスカ部隊隊長室の重厚な扉を、蒼はノックした。


「オスカ第01部隊、宗方蒼です」


「待っていた。入ってくれ」


年季の入った重くしわがれた声音。




蒼は静かにドアを開け、入室した。


部屋には総隊長、副長、副長補佐のオスカ部隊トップの3名全員がいた。


敬礼して姿勢を正した蒼は、静寂な部屋の真ん中で総隊長の言葉を待った。


「いやーー宗方くん、一ヶ月の掃討作戦ご苦労。助かったよ。まぁ楽にして」


入隊以来、かなり久しぶりに会う総隊長。


東郷 一刀(とうごう いっとう)准将は相変わらず気さくなおじさんと言う感じだ。


白髪で短く刈り上げられた頭をかき、いくつもの勲章が入った軍服を纏っている。


この人柄で、戦場で鬼神の如き活躍をしてたとはいまだに蒼は信じられなかった。


楽にしてくれと言われても、隣に立つ副長の律するような目線がそれを制してる。


「東郷総隊長、中川副長。お久しぶりです。お元気そうで何よりです」


「いつもは小野田くんに任せてるからねぇ。久しぶりに面会できて嬉しいよ」


「宗方。部隊編成以来の多くの成果、本当に素晴らしい。君を第01部隊の隊長にして正解だったようだ」


副長である中川 秀一(なかがわしゅういち)大佐と、副長補佐の小野田 百合子(おのだ ゆりこ)少佐は二人でウンウンと頷いた。


「ありがとうございます。拝命していただいたおかげです」


「みんなの頑張りのおかげでオンタリオ領も以前よりかなり落ち着いてきたよ。町の被害も激減した。クリーチャー撲滅も現実味を帯びたきたねぇ」


東郷の声は、低く重厚な初老のそれだったが、不思議な優しさの律動を感じる。


これが全てを任されている人の器なんだな、と蒼は感じていた。


「宗方くん、最近身体の調子はどうかね」


「特に問題ないです」


「ふむなるほど。それは何より」


東郷は口に蓄えた白髭を触りながら、静かに切り出した。


「オスカが編成されてから1年が経って、我が社の対クリーチャー戦術は知見が増した。隣のミシガン社との話もよく通じるようになってきた。領土内の調査も進んできている」


そこでだね、と一息つき、隣の小野田に目を配った。


「調査が進んできた中で1件、興味深い報告がキッドニー大陸北東、マウンテン諸島の企業境警備隊から上がってきた」


中川副長は空間上にモニターをその場に展開させ、一枚の写真を宙に映す。


「…!?」


見た瞬間心臓がドクン!と跳ね上がり、蒼は一瞬息を詰まらせた。


「調査の結果、Aクラス級のクリーチャーがいると判明した。ここ一帯の住民はこいつを昔からこう呼んでいるらしい」


かつて遭遇した雷光を纏う化け物が、こちらを睨んでいる。


「神獣(しんじゅう)、と」






「宗方、どうした大丈夫か」


黙ってピクリとも動かない蒼の異変に、中川副長が気づいた。


「いえ。すみません、なんでもないです。Aクラスですか」


「あぁ。上層部も騒ついた。まさか領内にこんな怪物が跋扈してるとはな」


「今回の任務はこのAクラスクリーチャーの討伐でしょうか」


「うむ」


蒼は内心で激しい動揺をしていた。


過去に眼前の獣を見た記憶が、心を揺さぶったからだ。


夢で何度も出てくる、あの雷の化け物に、すごく似ている。


きっと見間違いだ。


蒼はそう自分に言い聞かせて話に集中した。


Aクラス指定のクリーチャーは全世界で10頭にも満たない。災害級の魔物だ。


オンタリオ社でも史上初の遭遇だ。


「すでに被害が出ている。というより、4年も前からミシガン社との企業境付近で甚大な被害を出していることが分かった。この地域では、昔から激しい雷雨の被害が出ている。毎年、100を超える人命が失われている。現地住民はそれを災害と考えてきたようだが、そうではないことが軍の調査で発覚した」


中川副長は詳細情報を続けた。


「協議の末、軍特殊部隊による討伐を正式に発令。オンタリオは本土陸軍とオスカ第01,02,03部隊を投入する。マウンテン諸島へ向かい、神獣を討伐せよ。今回は現地に詳しい、ヘルメス旅団がサポートする。詳細は今送ったデータを見てくれ。作戦内容と今後のことが書いてある」


「この神獣とやら、どうも君が以前話してくれたものに似ていると思ったのだが、どうだろう。立ち向かって行けそうかねぇ」


「......申し訳ありません、正直、任務達成の自信がありません」


上官たちに、少し動揺が走った。


蒼がこれほど明確に、拒絶反応を示すことは初めてだった。


軍人にとっては、上官の命は絶対。


しかし、兵士がこういった反応を示すことは意外と珍しくはない。


士気が下がる原因はたくさんあるが、恐怖がその多くを招く。


上官たちは、そういった兵士たちの戦意を管理することも仕事の一つだ。


「今回は、オスカ部隊最強とも言える君の戦闘能力が必要だ。また、オスカ部隊でも主力と言える01,02,03部隊の投入も必須と判断した」


蒼は強い葛藤に襲われていた。


なぜなら、神獣を憎悪しながらも、自身の命を賭けることを強く恐れたからだ。


もし自分がこの危険な任務で命を落とし、家族が路頭に迷ってしまったら。


妹の寿命があと少ししか残されていないのなら、少しでも長くそばで一緒にいてやりたい。


蒼はそれだけ、この任務の危険性の高さをすでに察知していた。


「実は、この神獣は二つのエリクシルを持っていると報告を受けている」


東郷は察しながら、ただ静かに言葉を続けた。





「雷と、再生のエリクシルだ」


「再生のエリクシル…?」


再生という言葉を聞いて蒼はハッとして東郷の目を見た。


「そう。君のご家族の治療に繋がるかもしれない。それだけではない。欠損障害、難病を持つ全ての患者にも、道が開ける可能性は非常に高い」


「再生というのは、肉体の損傷を癒すことができるエネルギー体ということでしょうか。本当にそんなものが?」


「今のところ、そうとしか考えられない現象を確認している」


蒼は衝撃を受けた。


東郷と中川は、顔を見合わせてうなづきあった。


軍の上層部は、蒼の家庭事情と志願動機を理解している。


「偵察部隊の報告によると、神獣が発光と共に損傷を癒す場面を何度も目撃したらしい。体内にエリクシル体が2つ、索敵で確認された」


コホンと咳払いをして、東郷が蒼に告げる。


「宗方君。オスカ第01部隊は2日間の休息の後、現地に出発し、本隊と合流。そして迅速に神獣を討伐し、再生と雷エリクシルの回収を頼みたい」


僥倖。


蒼は自分の全身が脈打つのを感じた。


「Aクラスとなると、エリクシルはおそらく膨大なエネルギーを内包している。回収できれば、企業として大きな成果だ」


今までの努力が報われたような気分だった。


実はずっと、妹を助けられるのは、エリクシルなのではないかと思い始めていた。


可能性は少ないかもしれない。しかし、もうこれしか方法はない。


一年間何も得られなかった蒼にとっては唯一の希望に見えた。


妹の命を救えるかもしれない。


蒼は、気づいた時には口を開いてしまっていた。


「わかりました。神獣を討伐し、エリクシルを回収します」


なぜこれほど重要な情報を、副隊長の橘にも一緒に伝えないのかを理解した。


総隊長は気を使ってくれたのだ。


自分の私情を慮って。


蒼は、拒否する理由が一瞬で消えてしまっていた。


恐怖が戦意に変わった。蒼の目には、強い意志が灯り始めた。


もう家族をこれ以上失いたくない。


一筋の光に向かって、死力を尽くす機会が訪れたのだ。




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「もうオスカも結成されて1年か。早いネェー」


「去年、ほんとまとまりなかったですよね。アタシ、めっちゃ嫌だったの覚えてるもん」


「今もめんどいけど、あの時はもっとメンドーだったよナァ」


寂れたミーティングルームに、浮ついた声が響いた。


招集を受けたオスカ第01部隊。


藤村と羽瀬倉、そしてエルンストは窓外の街並みを見ながらこのオスカ部隊に着任した時のことを思い出していた。


今いるこの場所、オンタリオ社陸軍本部は首都防衛に対応できるように首都内部に作られている。


外のビル群は軍隊施設というより、経済省のオフィス街と言った方が合っていた。


陸軍本部第13兵舎ミーティングルームにて、14:00から次の任務の打ち合わせを行うと連絡があったのはつい先ほどの出来事である。


「新しい任務の説明を帰ってきていきなりやろうなんて、なんか嫌な予感がするよナ」


長身でひょろりと細い体躯の藤村は、髪を掻きながら気だるげに呟いた。


「アタシはとにかく色々ぶっ放せる任務がいいです!!プラズマ、重力弾、とか!」


「物騒だなお前、よく入隊できたよな。兵装技術開発局にでも入れば良いんだヨ」


「それだと撃てないじゃないですかっ!自分で撃ちたい!そう思うよね、エルンストー?」


「ワタシは部隊のミナサンを守るのが役割デス。武器は必要な時に使いマスヨ」


「ほら、エルンストも乗り気!」


「お、おう......?」


藤村は、小柄な羽瀬倉に視線を送る。


「お前はもう少し慎重に任務をこなさんとな。迷惑がかかるのはほんと勘弁だゼ」


「打開できる一撃が、良いんです。アタシ今まで結構ミラクル起こしてるでしょ?」


「失敗も多いけどナ」


「うるさーい!」


「------なにを騒いでいるのかしら」


隊員たちは背後の声に凍りついた。振り返ると、橘が立っていた。


「これはこれは...橘副隊長どの」


「羽瀬倉伍長。あなた廊下まで声が響いてたわ」


「ご、ごめんなさい」


「隊長がお越しになります。二人とも席に着いて」



部屋のドアがスライドした。


ドアから現れた蒼は静かに、歩いて中央のデスク前で止まった。


その瞬間バッと全員が起立し、素早い敬礼をした。


「着席してくれ。先ほど連絡した通り、緊急の討伐任務が入った。橘、頼む」


「了解です」


橘は、Aクラスクリーチャー討伐任務の説明を始めた。







「......」


Aクラスクリーチャー討伐任務の件は、隊員たちに衝撃を与えたようだった。


「我々オスカ第01部隊は、3日後の08:00に正門前に集合し、ヘリで現場へと向かいます」


橘は滑らかな手つきで手元のディスプレイを操作した。


「今、細かな作戦内容を各員に送信しました。出発まで目を通すように。私からは以上です。隊長から何かございますか?」


「ああ、そうだな」


素早く簡潔に任務内容を述べた橘のあとで、蒼がゆっくりと口を開いた。


「急で悪いが、状況は一刻を争う事態だ。みんなには、明日と明後日で心の準備をしておいて欲しい」


隊長である蒼の声は少し張り詰めていた。


深呼吸した後、真剣な顔で一言を添える。


「今までで最も危険な任務になることになる。よろしく頼むぞ」


「た、タイチョー」


「どうした羽瀬倉」


「アタシお腹が痛くなってきました...」


「そうか。明日はゆっくり休んでくれ」


「タイチョー」


「なんだ藤村」


藤村は資料を読みながら苦笑いをしている。


「Aクラスって、マジですか?」


「本当だ」


「200~500人の大隊規模で対処する、災害級っすよね。いくらオスカがクリーチャー専門の特殊部隊と言えど人が足りなくないです?オスカ01から03部隊と、陸軍部隊を合わせても150人っていうのはちょっと」


「書いてある通り、ヘルメス旅団と共同任務となる。旅人で構成された旅団は、50人の小隊規模だ。合わせて200人。人手不足ではあるが、あとは我々オスカの腕次第と言ったところだな」


「まぁ、人手が足りないのは聞いてますガ...。旅人ねェ...あてになるんですかねぇ」


「狩りで生計を立ててるから腕はあるだろうが、連携は取りにくいかもな。俺も気になるところではある」


蒼は藤村と同じようにヘルメス旅団の資料を見ていた。隣で橘が補足する。


「旅団は任務地の地形やクリーチャー生態に詳しいので、軍からはサポートを依頼しています。戦闘は主に軍の役割になります」


「期待するとしたら援護射撃か囮くらいっスよね」


「宗方タイチョウ、橘フクタイチョウ、確かにAクラスクリーチャーとの戦闘はとても危険だと予想サレマス。特に今の01部隊には防衛面、生還率の懸念を感じマス」


「うむ。確かにその通りだ。橘」


蒼は橘に目を配り、頷いた。


「みんなに朗報よ」


橘が歩いてドアを開けると、大柄の男が入室してきた。


180cm以上はあるであろう巨体。


鍛え抜かれた体躯と、歴戦を経た風格を漂わせる。


「1ヶ月も穴を空けてしまってすみませんでした。

 後藤剛昌(ごとう ごうしょう)、本日から部隊復帰となりました」


後藤の姿を見た瞬間、羽瀬倉と藤村は立ち上がって驚きをあらわにした。


「ご、後藤さーーん!!待ってましたよぉ〜〜!アタシのメイン盾〜〜!」


「うおー後藤の旦那ーようやく復帰っすカー!こりゃ心強い」


「みなさん、本当にご迷惑をおかけしました」
















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