***



 黒板に書いてあることは正しかった。

 羽田を殺したその瞬間から、止まっていた自販機は動き出し、水も流れるようになった。

 わたしたちは羽田を殺した事実をどこかに追いやって、体から出ていった水分をたっぷり補給した。水を飲みながら泣いてる人を見るのは初めての経験だった。

 どういうわけか自販機からは金を入れずに物を買えたし、いくら買っても売れ切れになることがなかった。でも今さらそんなことを気にする人はいなかった。

 生きてるんだから。

 クラスメイトを殺すという選択を一日でしてしまったわたしたちは、当然のように二日目に選ばれた宇野うのまといを殺すつもりだった。

 でも積極的に動く人はいなかった。当たり前だ。人なんて殺したくない。完全に他人任せ。わたしもそのうちの一人だけど。

 そのまま半日が過ぎた頃に鍵原が夜戯に頼み込むまで状況は動かなかった。夜戯は嫌がってた。「もう人を殺したくない」そう言ってた。なのに鍵原は「一人殺したんだから変わらない」とか「あたしたちのためにやってくれ」とか言い返した。普通なら断りそうなものだけど夜戯はみんなからの圧力に耐えられなかった。暗い顔で宇野の首を絞めた。



 二人目ともなるとみんなの罪悪感も薄まっているように見えた。泣き声は減り、笑顔が増えた。すさまじい女子の適応力。わたしはそこまで適応できなかったので時々トイレで吐いてた。

 だというのに鍵原に死体を任されたので、その時は本当にうんざりした。断ってやろうかと思ったけど、断ったら断ったで死体が放置されそうなので引き受けた。

 多分そこからだ。そこから死体埋め係としてわたしたちは定着してしまったらしい。気楽なもんだ。わたしか翠のどちらかが死ねば、誰かが代わりをしなきゃいけないのに。

 穴掘りって本当に重労働で、最初の三日間は腕がずっと筋肉痛だった。慣れた後でも死体と顔を合わせ続けるのは気が滅入った。

 真面目になんてやってらんない。

 で、動くようになった自販機からカロリーメイトやジュースをごっそり持ってきて木陰にてちょくちょく二人で駄弁った。校舎側からはサボりがバレてるだろうけど、働いているのはわたしたちだけなので文句は言えまい。

 翠とは修学旅行前まで全然話したことなかったのに気が合った。最近ハマってることだとか、聴いてる音楽だとか趣味の範囲が被っててそんなとこまで一致してるかってくらい、好きの範囲が重なってた。わたしは穴を掘る時が次第に楽しみになっていた。

「水野ー。疲れたー」

 それが休憩の合図。

「陸上部でしょ。頑張れ」と言いながらもわたしは木陰に移動している。

 翠は既に芝生にダイブしている。

「えー、でも部活辞めようと思ってたんだよねー」

 重苦しさを感じさせないような軽い口調で言われたので、思わず流してしまいそうになる。

「え? 何で」

「タイム伸びなくなってきたし、怪我するし、顧問ウザいしもうなんかいいかなーって」

「ふーん」とわたしは言う。「続ければいいじゃない」

「どして?」ガバッと顔を起こして翠が言う。

「怪我はいつか治るし、タイムも今はそういう時期ってだけで伸びる時がくるし、顧問は無視しとけばいいよ」

「水野優しいねー」

 わたしは答えなかった。



 とはいえわたしと翠はまだ良かった。

 なぜなら穴掘りで体力を消耗して余計なことを考えなかったからだ。そういう意味では死体埋め係にはメリットがあった。だけど他の人はそうはいかなかった。

 毎日選ばれた一人を殺し続け、五日目。

 筒井宏美つついひろみが本日のノルマとして選ばれた時にそれは起こった。

「いた」

 と夜戯が呻き声をあげたら血が床に撒き散らされた。

「ざ、ざまあみろ!」

 筒井は包丁を持っていた。夜戯の右腕を刺したんだ。それから夜戯のお腹目がけて突進しようとし、夜戯に顎を蹴り飛ばされて床に転がった。夜戯はその動きで刺された痛みを意識してしまったみたいでその場にうずくまった。

 筒井の包丁を握った手を踏みつけたのは鍵原だった。

 鍵原の目は血走ってた。

「やだやだやだ! 死にたくない!」

 駄々っ子のように泣き叫ぶ筒井に鍵原はため息を吐くと、思い切り頬を張った。

「なんでこんなことしたんだよ?」

 言って鍵原は筒井と目を合わせた。筒井の目からぽろぽろ涙が出てきて、耐えきれないというように話し始めた。

「だ、だって! お前に気に入られなきゃ殺されちゃうじゃん! そんなのやじゃん! 黙って殺されろって言うの!? 仕方ないでしょ!? 武器用意しとくのくらい! どうせ他のやつも隠し持ってるよ! 調理室行った時何本か無かったもん!」

 その瞬間、目を下にやったのが三人いた。

「…………ね!? ね!? 理由話したよね!? だから助けてよ、正直に話したじゃん正直にぃっ!?」

 筒井の口に靴が突っ込まれた。鍵原は無表情に脚をぐるぐると動かした。靴が口から引き抜かれた時、筒井の前歯が全部折れているのが見えてしまった。わたしは久しぶりにうぇって思う。しかも床に落ちてないから筒井は自分で自分の歯を飲み込んでしまったのだ。

 鍵原はヒーヒー泣いてる筒井を見下ろした。

「助けるわけないじゃん。人刺しといて」と鍵原は言い、今度はうずくまっている夜戯のほうに声をかける。「夜戯さん。とどめさせる? させるよね?」

 夜戯は二秒くらい止まった。それからのそのそとした動きで起き上がると鍵原から包丁を受け取り筒井の喉を掻っ切った。筒井は首を両手で押さえながら脚をバタバタさせ出した。

「夜戯さんに手を出すとかアホか」と鍵原は吐き捨てた。「夜戯さんはクラスのために頑張ってんだぞ。それをなーアホか!」筒井が動かなくなるまでずっと言っていた。

 鍵原の横では夜戯が口を抑えてた。



 血まみれの筒井を運ぶのは大変だった。ブルーシートで包んで血が漏れてこないようソッと運ばなきゃいけなかったからだ。

 いつもの倍の時間でグラウンドに辿り着くと翠が、

「あんなことするなんてひどい……」

 鍵原のことを言ってるのは明らかだった。

 鍵原がエスカレートしてることはわかってる。夜戯が嫌がってるのに夜戯だけに人殺しを押し付けているんだ。筒井の歯を折っておいてとどめを指すのは自分じゃなくて夜戯にさせるとかおかしい。だけどわたしも自分の安全のために何もしていない。結局一緒なんだ。

「でも」とわたしは言った。「あんなの絶対続かないよ」

 それは言葉だけの抵抗だった。翠も何も言わなかった。

 重い空気のまま穴を掘って死体を投げ込んで何となしに空を見上げた。

 飛行機は相変わらず飛びっぱなしだ。

 超常現象に包まれたこの学校の中で、あれも多分そんな感じのものなんだろう。そう思っていると翠が口を開いた。

「あれってさ。多分だけど、あたしたちが乗るはずだった飛行機なんじゃない」

 確かに、とわたしは思った。そうかもしれない。形が似ているようにも見える。

「あたしたちが乗らなかったから、あたしたちを探してくれてるんだよ」と翠が言うのでわたしは「そうかもね」と返しておいた。

 そうだったら、きっといい。

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