わたしの教室
在都夢
上
きっかけなんてなかった。わたしたちは修学旅行の飛行機(オーストラリア行き)に乗ろうとしていて、機内に繋がる通路を通った時にそこにいた。気がついたらとしか言いようがなくて、景色が切り替わる瞬間すらわからなかった。
そこは教室だった。
わたしは授業受けるみたいに席に着いていて、私服だったのに制服に着替えてた。見渡せば周りの席も全部埋まってて、みんな、わたしと同じようにキョロキョロしていて戸惑っているのがわかった。
窓に目を向けると校庭が見える。テニスコートもある。視線を右に動かせば通学に使うバス停があるし、左に動かせば自転車置き場がある。窓際の席になってからいつも見ていた景色だ。
じゃあここは私立架け橋高校ってこと? そう理解しても不安感は消えない。異常なことが起こってる。親に連絡しようとポケットをまさぐってもスマホがどっかにいってる。財布もない。そうこうしている間に、あーだこーだとみんなの声が大きくなって爆発寸前になった時、
「みんな落ち着いて」
教卓近くの席から軽音部の
こういう時にみんなをまとめるのはいつも鍵原だ。
仕切りたがりの世話焼きたがり。声もでかいし、わたしからすると馴れ馴れしいのも苦手。でもこのクラス——二年一組では人気がある。
みんなが鍵原に注目するのを見届けると、鍵原は教卓に両手を置き、
「まずあたしが先生呼んでくる。そんであたしたちがここにいる理由聞いてくる。それでいい?」
鍵原の問いかけにみんな頷く。
鍵原も頷き返す。
「じゃあ行ってくっから。なるだけ静かにね。バラバラになるといけないからここで待ってて」と鍵原が扉の方に歩き出す。
鍵原の手が扉に触れたときだった。
かつかつかつと音がして、音の先に目を向けるとありえないことが起きてた。
見えない誰かがそばに立っているみたいに、チョークが宙に浮いて黒板に文字を刻んでいた。綺麗な字だった。心地良ささえ感じるリズムでそれを書いていた。わたしは叫んでいいか笑っていいかわからなくて、自分の正気さえ疑いそうになったけど、みんなも目を見開いてこの浮いてるチョークを認識していて、どうやら本当のことらしかった。
でもチョークがただ単に浮いてるだけだったらまだマシだったんだ。
・毎日一人選ばれます。
・選ばれた二十人を殺すまで出られません。
・毎日のノルマを達成しなければそれまでご飯は抜きです。
そんなことが黒板には書かれてた。
かつかつ音が途絶えるとチョークは地面に落ちて割れた。同時に
「何これ」と鍵原が呟いた。
「ねえ!? 鍵原! なにこれ!? あんた説明しろよ!」と羽田が鍵原がやったわけでもないのにキレた。
「……知らないし」
「知らないしじゃねえよ!? なに、あたし殺されんの!? 意味わかんねぇ!?」
仕切り屋の姿を失い、鍵原はしばらくフリーズしてた。ようやく動き出したかと思うと足早に教室の外に出て行った。たんたんたんと廊下から反響音がしたあと、すぐにグラウンドに走る鍵原の姿が見えた。わたしは窓枠に身を乗り出す。鍵原の向かう先には校門があった。彼女が学校の敷地外に足を踏み出した瞬間、わたしは思わず、あっ! と言っていた。
鍵原が消えたんだ。
わたしの背後から「え、なんで!?」とか「嘘!」とか聞こえた。嫌な予感がして、振り返ると荒い息を吐いている鍵原が、今さっき出て行った扉の前に立ってた。
「何これ」
鍵原は言った。
よく見ると学校の周りがフィルターかけたみたいにぼんやりしてた。窓際からいつも見ている街の景色が違ってる。人の通りも車の姿もなかった。街はまるでわたしたち以外の生き物だけ消してしまったみたいだった。
唯一、学校の敷地外で動いているのは飛行機だった。空に浮かぶ一機の飛行機だけがわたしたちに存在を主張していた。だけど、それが何なのかわたしたちにはわからなかった。
わかるのは、わたしたちはここから出られないということだけだった。
学校に閉じ込められてから三時間が経って、その間、手分けして校内のあらゆる場所を周ったけれど、余分な体力を使っただけだった。
水道は出なかったし、自販機は動かなかった。さらにほんの僅かな水分も許さないとでもいうように、(非常に言いづらいことだけど)便器の水すら抜かれてた。黒板に書かれた通り、何もなかった。
それに冷房。
校舎内は常に冷気で満たされていたはずなのに、まるで壊れたみたいにちっとも作動しなかった。明かりは点いてるから電気が通ってないはずはないのだけど、これまたオカルト的な力が働いているようだった。
カラカラに暑い真夏の太陽が、わたしたちのいる校舎の温度を上げていく。みんな、陰になっているところで素肌を床につけて寝転がった。廊下の床はひんやりしてた。最初のうちは不安な気持ちを紛らわすために喋ってる人もいたけど、口の中がパサパサになるだけだったのですぐにみんな喋らなくなった。とにかく喉が渇いた。どうして家にいるときにもっと飲み物飲んでなかったのかなんて無駄なことを考えたりもした。本当に無駄。こんな状況になるなんて予測できるわけがない。でも、そういう、もしかしたら……なんて考えは、一度浮かぶと止まらなかった。わたしは冷蔵庫のファンタのことを考えた。まだ冷やし始めたばかりで後で飲もうと思ってた。飲んでおけばよかった。すぐにでも。わたしは何度も何度も後悔した。
ようやく陽が落ちても体が重かった。お腹も空いていた。外に出て風を浴びても暑さから解放されたという気持ちはなかった。むしろ逆で、まだ学校にいるんだ……という絶望を味わった。
蛇口を捻っても一滴も出ない水道を見る。
水飲まないと四日くらいで死ぬんだっけ?
でもそれは、真夏の話じゃないはずだ。多分、もっと早く死ぬ。
まだ倒れた人はいない。でもいつまで保つかはわからない。明日にでもダウンする人がいるかもしれない。そしてそれはわたしかもしれない。
そう思いながら一睡もできずに次の日を迎えた。
死ぬなんてこと考えたことなかった。
死ぬなんて。
羽田明子を殺すことに異論はなかった、というわけではなかったのだけど羽田明子は性格が悪くて部活の後輩をイジメていたし、平気でパパ活とかしていたから流れで殺してもいいことになってしまった。実際に手を下したのは
「……終わった」
夜戯が羽田の首から手を離して立ち上がった。めちゃくちゃ静かになっていて、誰も返事を返さなかった。
夜戯は羽田を殺す役割に自分から立候補したわけじゃなかった。彼女は弱気でいつもおどおどしてたから、鍵原がこいつならいけそうと思って、なかば強引に押し付けたんだ。それでも、この教室にいる三十八人の中から夜戯に向かって「ありがとう」や「お疲れ様」を言う人は(わたしを含め)いなかった。みんながみんな固まってた。
マジでやったよというのが全員の感想だったんだろう。
「……埋めてあげた方が」
夜戯は俯きながら言った。肩を震わせてた。だけど夜戯のことより死体がその場にある方がみんなにとって重要だった。みんな死体から距離を取って騒ぎだして、それは誰かが「腐るかも」と言うまで続いた。
つまりここでも問題があったわけだ。
死体に触りたい人なんていないし、ましてそれを埋めたい女子高生なんてどこにいるんだろう。でも誰かがやらなきゃいけなかった。
死体埋め役はくじで決められた。
二枚のハズレくじをティッシュ箱に入れて席順にくじを引いていった。廊下から一列目の
最悪だった。
みんながまじまじ見ている中、わたしと翠は死体の前に立った。
翠は陸上部で短距離やってる。小麦色の肌に鍛えられた脚。もやしのわたしとは大違い。キビキビ動くと羽田の脇を抱えた。
「じゃあ水野。脚の方持って」
翠に促されて恐る恐る羽田の死体に触れる。足首を握って持ち上げようとしたけど重かったので膝辺りを自分の両脇で挟む。既に膝を折り曲げた翠が頷くと羽田の体が浮き上がる。
思ったよりは軽い。遠巻きに見ているクラスメイトを尻目にわたしたちはずんずん進む。夜戯ほどではないけれどわたしだって背が高くて歩幅もある。あっという間に校庭に出た。絶対に今後誰も通らなそうな校庭のど真ん中に死体を置くと、用務員さんの使っている倉庫に行ってシャベルをとってきた。それからお互い無言で穴を掘り始めた。
額から落ちた汗が地面を濡らす。頭が焼けるように暑い。
つい呟く。
「……プール行きたい」
「あたしも」シャベルを動かす手を止めずに翠が言った。「つかプール行くんだね」
「あ、そう?」
わたしは自分でも引くほど白い。紫外線を浴びに行くことを意外に思われてもしょうがない。
翠はざくりとシャベルを足下に突き刺し、シャベルの柄に寄りかかると笑った。
「じゃあ学校から出れたら行く?」
「行くよ。出れたら」
出れたらね。
それから死体を埋める穴が出来上がると、死体の背中にシャベルを差し込んでひっくり返すようにして穴の中へ落とした。頭から落ちたので、羽田の下着からはみ出た尻が丸見えでなんか嫌な気分になった。
木陰の下で休憩していると飛行機が目に入る。
あの飛行機はここに来てからずっと飛んでる。進んでいるように見えるのに同じ場所にずっと留まっている。飛行機もまたここから抜け出せないのか、なんてことをわたしは考える。きっとそうなんだろう。
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