第4話 下僕よ、いいから俺のエサを切らすな

 夜の自宅の巡回も終わった。今日はいつもより頑張って走ったのでくたくただ。ごはんにして寝よう。

 そう思い俺は台所の隅に足を運んだ。ここが俺の食卓だ。ここにいつもお気に入りの皿と、エサが。


 ない。


 俺は憤慨した。

 俺がエサを食べに来たというのに、お気に入りの皿は洗われて片づけられたままだ。どういうことだ。


 俺は襖を開け、布団で呑気に寝ているれんの顔を叩いた。うう、なんて唸るものの起きないから連続で肉球を叩き込む。

 今日は雨音あまねが隣に寝ているので、起こさないように鳴き声はたてない。俺がそうしているのに、お前はううだの何だのやかましいのだ。


「何だよマオ、まだ四時だよ……」

 ようやく蓮が体を起こした。雨音が寝返りを打つ。俺はきゅっと体を縮めた。幸い雨音は起きなかった。良かった。何だかんだ蓮がしゃべるからだ。いちいちうるさい。お前は黙って起きてエサを出したらいいのだ。


 俺の食卓、台所の隅に待機する。猫になったのだから豪勢なテーブルなどなくてかまわない。それほど譲歩してやっているのだから、俺が食べたい時にエサがある状態くらい維持しろ。

「マオはほんとに王様でいいよなあ。殿様かな」

 蓮は皿にカラカラとエサを盛り、くだらないことを言った。

 俺は答えずエサの皿の匂いを確かめ、あまりの無能さに蓮を見上げた。

 おい、これは昨日俺がこれじゃないって言ったエサだろ。

「よしよし、いい子だね。いっぱい食べな」

 この男はエサを出す役目しかないのに、そんなこともわからないのか。俺にもとの力があれば、消し炭すら残らないぞ。


 蓮が俺の頭から背中をするするとなでる。雨音より大きな手は雨音とは違った感触で、しっかりとした安定感があり、いや男の手なんて気持ち良くなんかない。

 俺はぬるんと蓮の手をすり抜け、皿の反対側に座ってエサを食べ始めた。やっぱりこれじゃない。

 仕方なく食べてやっているのに、蓮は大きなあくびをした。こいつに下僕の自覚はないのか。教育するぞ。

 とはいえ今は忙しいので、特別に目こぼししてやろう。俺はカリカリと歯応えのよいエサをぱくついた。


 あっという間にエサを平らげる。蓮はやれやれと言いながら皿を片付けた。生意気だが、今は腹が膨れて俺も仏の心持ちだ。見逃してやろう。

 俺は朝の身だしなみを整えるため、手をなめて顔を洗った。蓮が俺を見て今日は晴れかな、とかとんちんかんなことを言っている。俺のヒゲ予想で言えば今日は午後から雨だ。愚か者め。

 寝ぼけた顔を雨音に見せる訳にはいかないから、俺は念入りにヒゲを整えた。鏡を見られないから少し不便だが、猫にも慣れてきたので、かなり見た目にもこだわれるようになってきた。しっぽの先も忘れずに整えないと。


 俺の身支度を眺めていた蓮が、また大あくびをしながら立ち上がった。こいつ、まさかまた寝る気か。

 俺はにゃあと声をあげた。

「どうした、マオ?おかわりはダメだよ」

 何でお前はそうとんちんかんなのだ。食後、身だしなみがすんだら、少し運動しなければいけないだろう。

 俺は気の利かない蓮のために、自らおもちゃを持ってきてやった。さあ、それを振るのだ。

「ええ、もういいだろ。後から雨音さんに遊んでもらえよ。俺はもう少し寝ないと」

 雨音にはもちろん遊んでもらうが、雨音の支度が整い、雨音の気が向いたら、だ。お前はそんなことを心配せず、運動の手伝いを言われた通り粛々と行えばいいのだ。

 俺はおもちゃをくわえたまま蓮の足をぐいぐいと頭で押した。

「マオも寝ようよ」

 抱き上げられ、仕方なく俺はその手に牙を立てた。

「いてててて!」

 蓮があわてて俺を下ろす。さあ、早くその落ちたおもちゃを拾って振るのだ。

 蓮はようやくおもちゃを振った。多少振り方が雑だが、こいつは気が利かないのだ。やむを得まい。

 俺は紐にぴょんぴょん飛びつき、体をほぐした。よし、そろそろいいか。

「ちょっと、マオ、もう終わりかよ」

 寝室に向かう俺に、蓮が変な声を出した。いいから襖を開けるのだ。

 襖を開けさせ、俺は迷わず雨音の布団の上に乗った。踏まないようにしたのに、雨音が寝返りを打つ。

 俺は足を止めて雨音を見た。雨音はふにゃふにゃと何か言ったが、すぐに静かになった。起きなかったか。良かった。ごめんね、雨音。寝ている雨音も可愛いよ。

 俺はほっとして雨音の隣で丸くなった。

 おい、蓮、お前は触るな。せっかくいい形になったのに。

 牙を見せると、蓮はあわてて手を引っ込めた。

 おやすみ、雨音。いい夢を。


 雨音がもぞもぞ動いたので、俺は片目を開けた。

 雨音は手を伸ばし、蓮を揺すっている。蓮はおはよう、と気の抜けた声で答えた。

「ねえ蓮、今日はお休み?起きなくてもいいの?」

「……なああ!」

 蓮が飛び起きる。全くうるさい男だ。

 蓮は遅刻すると叫びながらばたばたと右往左往した。目覚まし時計を止めたのはお前だろう。俺は教えなかっただけだ。

「ごめん雨音さん、朝とお昼は何か食べて!マオのごはんもお願い!」

 おい、お前の寝坊の始末を雨音にさせるつもりか。俺は毛を逆立てそうになったが、蓮は本当にそれどころではないようで、朝から打ち合わせなのにと悲鳴をあげながらカバンをあさっている。

 起きてから5分と経たずに蓮は飛び出していった。雨音の気をつけてね、の優しい気遣いの言葉は果たしてあの寝癖頭に届いただろうか。

「あんなに慌てて、事故なんか起こさないといいけど」

 雨音が俺を抱いて、心配そうに呟く。雨音は優しいな。そんなところも好きだ。大丈夫、もし蓮が事故を起こしたらいつもの烏が教えてくれるよ。

「マオ、一緒に蓮の無事をお祈りしてね」

 心配を紛らわすように、雨音は俺を抱きしめ、俺の背中に顔をすりつけた。

 仕方ない。君がそう言うなら、そうするよ。

 俺はちらりと蓮の無事を祈ってやった。雨音は目を閉じて真剣に祈っている。

 君はきれいだ。


 結局、蓮は雨の中をいつもどおり無事に帰った。雨音はいつもと同じ間伸びした顔を見て、ことのほか喜んだ。でも、抱きつくほどのことかな。

 蓮はまだ直っていない寝癖頭でひどく照れてデレデレしていた。だから雨音は心配なんかしなくてもいいのに。人騒がせな男だ。

 俺は何か言いたそうな蓮に黙ってエサを出せと催促するため、にゃあと高らかに鳴いた。

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