第3話 雨音とマオは2人でお留守番
朝は
これが2人の時間の始まりだ。
雨音は1日の殆どをこの家で過ごす。庭より外にはあまり出ない。
俺はこの家で雨音と過ごす時間が一番幸せだ。蓮は週の大半は朝出かけて夜にならないと帰らないから、かなりの時間を2人で過ごす。
雨音は魔女だった。
昔俺の配下にも魔女はいたが、みんな頼もしいベテラン揃いだったので、こんなに若い魔女がいるとは知らなかった。
しかもなかなか腕がいいらしく、依頼を届けにくる烏が途切れる日はなかった。さすが俺の雨音。
雨音は依頼された仕事をこなすため、家にいる間は机に向かって護符を書いたり、庭に植えてある薬草を取ってきて処理したり、それを加工したりしている。残念ながら俺の手では手伝えないので、せめてずっとそばにいる。少しでも応援している気持ちを伝えたい。
そうして雨音の邪魔をしないようにしながら見上げる彼女の横顔が好きだ。何かに集中している顔は、何百年も見慣れたあの祈りの表情に似ている。
いつもはそうして静かにしているのだが、今日は我慢できなかった。
外が静かな昼下がり。
俺はいつものように雨音の横顔を見上げていた。
いつもと何が違った訳でもなかったのに。
雨音が集中しているから、その横顔があんまりきれいで、また壁画になってしまうような気がして、俺は思わず机の上に飛び乗った。
雨音。俺を見て。どこかへ行ってしまわないで。
俺をまたひとりにしないで。
にゃーおと高らかに俺は鳴いた。魔王だった時には誰にも漏らさなかったことを、雨音には素直に言える。
「マオ!どうしたの?」
雨音は驚いて手を休め、俺を見た。俺は再度声をあげ、雨音の目に俺がよく見えるよう、しっぽを立てて机の上をくるくるまわった。
かたん、と小さな音がする。振り返ると、傍らのインク壺が倒れて机と広げてある紙にみるみる黒い染みを作っていくところだった。
しまった。紙の上に飛び乗ったから、位置がずれたのだ。気付かずにしっぽで倒してしまったのだろう。
「マオ」
雨音が俺の名を呼ぶ。叱られるか。
俺はびくりと首をすくめたが、雨音の手は俺を優しく包み、抱き上げた。
「マオ、どうしたの。寂しくなったの?」
雨音が俺の頭に頬擦りし、手が俺の頭と言わず背中と言わず、体中をなでまわす。俺は幸せでいっぱいになり、思わずその手に体をこすりつけた。
雨音が俺を膝の上に乗せ、頬を戯れに引っ張る。俺の頬はむにょんと伸びる。雨音がおかしそうに、嬉しそうに笑う。
嬉しい。雨音、俺も嬉しい。
猫は笑えないが、喉を鳴らせる。俺は目を細めてゴロゴロ喉を鳴らした。雨音が俺をぎゅうと抱きしめる。
「少し休憩して遊ぼうか!」
雨音が立ち上がり、俺の好きな紐のおもちゃを取り出した。俺は嬉しくて目を輝かせた。
雨音が紐を振り、俺はその動きに見事に対応できることを雨音に見せた。こんなに早く爪を出せるし、こんなに高く飛べるんだ。見て、見て、雨音。
「マオ、すごいね、上手よ、えらい子!」
雨音が俺をほめて、明るく笑う。俺はもっと張り切ってジャンプした。
ひとしきり遊んだらくたくたになった。雨音は俺の限界を軽く超えさせる。俺は疲れて雨音にすり寄った。雨音が俺を抱き上げて机に戻り、椅子に座って俺を膝に乗せる。
「マオ、いい子。おやすみ」
俺は膝の上でひとまわりし、うまくうずくまれる場所を見極めて丸くなった。雨音が乗せてくれた時は遠慮なく雨音の膝枕を堪能できる。
柔らかい。あたたかい。俺は上を見上げた。雨音がそれに気付いて俺を見下ろし、頭をなでてくれる。
俺は安心して頭を手の上に置いた。
俺が雨音の膝枕で寝たのはそれでもほんの少しの時間だ。俺の重さで足が痛くなったり、立ち上がりたい時に我慢させるようなことがあってはならない。
本当は名残惜しくて仕方なかったのだが、俺はそういった事情から自ら身を引くことにしている。
「マオ、もういいの?ほら、お膝だよ」
雨音、誘惑しないでくれ。俺は鋼の意志で何食わぬ顔を貫き、雨音の見える俺の指定席、毛布とタオルを敷き詰めた段ボール箱の中に収まる。
雨音は少し残念そうだったが、机に向き直って作業の続きを始めた。
雨音、俺は君のためなら、君の膝枕も我慢する。
俺は男の悲鳴で目が覚めた。
「机が!」
うるさいな。蓮が帰ってきたのか。俺は片目を開けた。
いつものように長い蓮が、雨音を前にまた大騒ぎしている。
「雨音さん、インクをこぼしたらすぐに拭かないと、紙を乗っけて隠しても乾いちゃったら余計片付けるのが大変になっちゃうよ」
何だ、蓮の癖に雨音に文句があるのか。俺は颯爽と段ボール箱を出、しゅんとしている雨音と蓮の間に立ちはだかった。
「マオ、お前もね、机に乗ったらダメだって教えただろ!」
生意気な。俺と雨音の事情も知らない癖に。お前はさっさと片付けたいなら片付けたらいいのだ。
「ごめんなさい、マオは悪くないの」
「雨音さんもマオを机に乗せないでください」
まだ言うか。俺は体中の毛を逆立て、シャーと蓮を威嚇した。これ以上雨音をいじめたら引っ掻くぞ。
「マオ、ダメよ、ごめんなさいして」
「マオ、お前はほんとに俺に懐かないなあ。俺がエサ買ってるんだぞ」
そんなこと俺の知ったことではないし、満足にエサを給仕することもできない分際でえらそうだ。
しかし俺は雨音に抱き上げられ、蓮も雨音に小言を言うのをそこまでにしたようなので実力行使はしないでおいてやった。
蓮はばたばたと机を片付けて、その間俺と雨音は少し離れておとなしくそれを見ていた。
蓮がそんなことをしていたので、その日の夕食は少し遅くなった。
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