閑話 賢者アーガス・ロックハート


 見つけたナセリィの姿は既にボロボロで、なぜか既に死んでいる上位貴族と思わしき者の死体の横で這いつくばっていた。


 それを見たアーガスは一目散に駆け寄ろうとするが、止まる。


 なぜならその傍には黒いローブを纏った仮面の男が佇んでおり、たった今殺したであろう貴族の心臓を握りつぶしていたからだ。


「おやおや、これはずいぶんなお客様だ。……私の目的は既に達しましたし、あなた方さえ来なければこの場所にはもう用がないのですがね? どうです、ここは一先ずお互いに一歩引いて解散するというのは」


 謎の男は一見するとメリットとも思える提案を持ちかけるが、そこに待ったがかかる。


「だま、されないで、アーガス!! こいつ、こいつが全ての、元凶!! いま、ここで仕留めないと、大変なことに、なる!」


 満身創痍であるはずのナセリィは叫び、警告を促す。

 一方アーガスはというと、その言葉に何か思い当たる節があったのか、魔導書を構え臨戦態勢を取った。


 しかしこれは、一応の臨戦態勢という程度でしかない。


「……元凶、つまりアレが上位魔族か。どうりでさっきから冷や汗が止まらない訳だ」

「おいおい、こいつはやべぇんじゃねえのか賢者様よぉ。あいつ、俺らより強いぜ」


 二人は直感から相手が格上であることを感じ取る。

 今の戦力ではどうあがいても勝てそうに無い。

 もしかしたら玉砕覚悟で挑めば二対一である事も相まって、相打ちくらいには持っていけるかもしれない。


 もし逃げ場のない状況だったらそういう手もあり得ただろう。


 だが幸いなことに相手は一時休戦を申し込み、お互いに仕切りなおそうと提案してきている。

 なぜそのような態度を取っているのかは分からないが、救出だけを目的とするならまたとない機会だった。


 選択肢は二つに一つ。

 確実にナセリィを助けるか、国全体のためにこの場にいる3人全員を犠牲にしてでも、ここで魔族を仕留めるか。


 もしここで、仮にナセリィを取ればこの大国は確実に戦渦に巻き込まれるだろう。

 捕虜となっていたはずの亜人が逃げ出し、捕らえていたはずの貴族は死んだ。

 その事が意味するのはヒト族と亜人の決定的な決裂、戦争の切っ掛けである。


 恐らくこの魔族は、それを狙って上位貴族を自らの手で殺したのだ。


「さて、どうしますか賢者殿? もし戦うというのであれば、こちらもそれなりに対応させてもらいますよ。もちろん私とてお二人相手ではタダでは済みませんが、それでも負けるという程ではない」


 魔族は余裕をもって、いや、どちらかというと悠長にそう質問を投げかける。

 だが言われるまでも無く、アーガスの心は決まっていた。


「……分かった。一旦手を引こう」

「アー、ガス!! なん、で!」


 その言葉にナセリィは驚愕するが、剣聖は納得したような雰囲気でその答えを受け止めた。

 どうやら彼の想定の範囲内、いや、期待通りの答えだったようだ。


「まあ、そりゃこの状況じゃ仕方ねぇわな。一旦振り出しに戻るが、戦力的に考えても今のままじゃ無理があるぜ。なにより、ここで仲間を見捨てるような奴が俺の戦友だなんて、考えたくもない」

「……すまない」

「謝るなよ賢者様、お前らしくないぜ」


 二人の意見が一致したことで魔族は納得し、身を引きながら黒い魔力に身を包み消えていく。


「よろしい。……もう二度と出会うことは無いでしょうが、ささやかながら、お二方に置き土産を用意しておきました。それでは存分にお楽しみください、ごきげんよう」

「…………」


 完全に消えるのをその眼と魔力感知で確認してから、傷つき倒れたナセリィの下へと駆けつけ回復魔法を施す。

 すると傷は逆再生するかのように癒えていき、瞬く間に正常な肉体へと回復していく。


 しかしどうしたことか、しばらくすると傷が癒えたはずの彼女の体からは浸食するかのように黒い魔力が染み出し、変色していくではないか。


「どうなっている!?」

「無駄よアーガス。あの魔族が私に変な儀式を掛けたの。魔族化の儀式だって言ってたけど、……詳細は分からないわ。でも、これじゃあまともに外を出歩くのも無理ね」


 そう、魔族の置き土産とはこのことだったのだ。

 それを知ったアーガスは後悔した。


 相手の調査を怠らず自分がもっと現実を見ていれば、油断することなく狙いに気付けていたかもしれない。

 そうすれば、少なくとも彼女だけは事前に他大陸へと逃がすことができたはずだ。


 敵への甘さを省き、さらに労力の無駄を省き、もっと結果だけに拘っていれば早期に尻尾を掴めていたかもしれない。

 最初からそうしていれば、戦争のきっかけを作ることもなかったはずだ。


 いずれも今までの自分があまりにも甘かったことから起きた、遅すぎる後悔だった。


「ちょっと、なんで泣いてるのよあなたらしくない。この国の亜人全体と天秤にかけてでも私を選んでくれたこと、実は嬉しかったんだからね。もっと元気出しなさいよ」

「ごめん」

「だから大丈夫だってば。こんなの、少し見た目が変わるくらいのものじゃない。きっと生活そのものには支障はないわ」


 アーガスは自分に言葉を掛けてくれるナセリィの顔を見る事もできず、ただ謝罪する。

 そして、強い後悔の念に駆られながらも、同時に決意した。


 その心に今までに無かった、覚悟の火が灯る。

 この瞬間、彼はある意味で生まれ変わった。


「僕は、……いや俺は、君のその魔族化の儀式を解除する術を絶対に探し出す。全てを放り投げてでも、絶対に成し遂げて見せる。もし俺の力だけでは足りないといのであれば、他者の力を借りる。研究機関の力を借りる、生ける伝説の力を借りる、大陸の英雄たちの力を借りる」

「……それでもダメだったら?」


 アーガスは続ける。


「ダメだったら、伝承に伝えられた世界樹の力を借りる、龍の神の力を借りる。……それでもダメだったら、創造の神とやらの力を借りる」

「世界樹や龍神はともかく、創造神なんて、本当にいるかも分からないのに?」

「関係ない、それでも見つけ出す。俺がこの手で協力関係を結び付けて、絶対にナセリィを元に戻す。そして戦争もいつか止めて見せる。……約束する」


 それを聞いたナセリィは、そっか、アーガスらしいね、とだけ呟き微笑んだ。

 きっとそれは彼女にしか分からない、確信にも似た何かがあったのだろう。


 そしてそれから十年後、彼は隣大陸の亜人の国でとある一人の少年に出会う事になる。

 その出会いは偶然か、それとも必然か。

 ただ一つ分かっているのは、彼はその少年から魔族化についての重要な知識を得たということだけだ。


 これは魔族化儀式の解除に唯一成功した、世界最高の賢者にして現実主義者、アーガス・ロックハートの物語。




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