閑話 小さな賢者


 ────これはまだ、大陸各国にアーガス・ロックハートの名が知れ渡る前の、亜人弾圧の時代からほんの少し前にさかのぼった、理想を追い求めた少年が『賢者』と呼ばれるようになるまでの物語。





 エルフが森に潜み獣人が地を駆け巡る、そんな平和な大国のとある小さな村。

 特に裕福である訳でもないが、貧しい訳でもない。

 ごくごく平凡などこにでもあるような集落周辺に、おかしな噂が流れていた。


 村へ訪れた行商人曰く、まだ幼いながらも誰に学んだのか、とても聡明で簡単な計算なら難なくこなす、変な子供がいる。

 旅の経由地として宿泊場所を求めた冒険者曰く、熱心に魔物との戦い方や魔力の鍛え方を聞く、教えた傍から何でも吸収していく有望なガキがいる。


 他にも噂は絶えないが、総じて言えるのはその少年が賢く、優しく、何でも器用にこなす上に、村の大人達にすら内緒にしている特別な力と夢を持っているという事だった。


「ふう、だいたい旅に必要な知識は揃ったな。……あと必要なのは魔物を倒せる力だけか。もう少しだ、もう少しで冒険に出かけられるぞ」


 噂の少年アーガスは、自らの手に浮かべた水球を自在に操作し、変形させたり数を増やしたりしながら、村の外れにある森で魔法の自主訓練を繰り返していた。


 実はこの魔法の特技の事はまだ誰にも教えた事はなく、その聡明さから自らの力が子供とは思えない程に突出して高い事を理解しており、無用なトラブルを避けるためにこうして隠れて修行を行っているのである。


 といっても、完全に隠しきれている訳では無かったようだが。


「あー! アーガスみーつけた! もう、またこんな所で魔法の特訓してるの? たまには一緒に遊ぼうよー」

「……なんだナセリィか、びっくりさせるなよ。村の大人にバレちゃったのかと思ったじゃないか」


 隠れて修行する少年をいとも容易く見つけ、早々に文句をぶつける少女の種族は犬の獣人族。


 彼女からしてみればお気に入りのヒト族であるアーガスの居場所を探すなど簡単な事で、常日頃から一緒に行動している事から、行動パターンのみならず獣人族特有の長所である鼻を使い、生き物の匂いを感知して辿る事が出来るのである。


 普段から一緒にいる者でなければさすがに匂いなど覚えてはいないが、この少女に限っては少年に気があるのか、幼い頃からいくら隠れていてもすぐにバレてしまうのだった。


「いいじゃない別に減るものじゃないんだし。魔法が使える事がバレたら、なんでいけないの?」


 本当に分からないと言った様子で疑問を投げかけるが、その言葉に当の本人はやれやれと肩を竦めてみせる。

 これもまた、毎日のように行われるやり取りの一つなのだ。


「いけない訳じゃないよ。ただ、僕の力はどう考えたって異質だ。なぜか思い浮かべただけである程度の魔法は使えちゃうし、一度見た魔法はどんなものでも再現できてしまう。……こんなの、他人にバレたら利用されるか、もしくは異端だとして殺されてしまうかもしれない。だから内緒にしてるんだ」


 冷静に説明するアーガスの表情は真剣で、その言葉には大人たちに対する警戒の色が混ざっていた。

 しかしそれを聞いてもどこ吹く風といった風体で、幼馴染として幾度となく繰り返したいつもの台詞を結論として言い返す。


「ふーん、へんなの。でも内緒にしていて欲しいっていうなら、そうしておいてあげる。その代わり、この村を出ていく時は私も連れて行って欲しいかなぁ。私もアーガスの夢、一緒に見て見たい」

「ああ、分かった。僕がもう少し力を蓄えて、そこら辺の魔物に負けないくらいになったらきっと連れて行くよ。だから今日はもうちょっと修行させて」


 その答えに満足したのか、ナセリィは満面の笑みを浮かべながら頷き、アーガスが魔法の訓練を行うのを黙ってみている事にした。

 ここまでが毎日飽きもせずに交わす一連の流れと、二人だけの約束である。


 それから数刻の間、飽きる事もなくひたすらに魔法の訓練を続けた。

 子供にしては膨大なその魔力が尽きるまで、ただの一言もしゃべらずにずっとである。


 だがついに魔力が尽きたのか、操作していた水球が突然コントロールを失い地面に落下した。

 これは二人にとって、訓練終了の合図でもあるのだ。


「終わったね」

「うん」

「一年前よりも水球の数が5倍に増えてるのに、時間がずっと伸びてるよ」

「そうだね」

「……まだ、夢を叶えるには力が足りないのかな?」


 その質問にアーガスは笑って答える。


「……ああ、最終目標にはまだ遠いかな。でも、村を出るのはもうすぐって感じ」

「そうなんだ。……でも、アーガスがそこまでしなくちゃ叶えられないなんて、その世界のしんぴ? っていうのは凄いものなんだね」


 世界の神秘。

 それこそがこの少年が物心つく頃から追い求めている夢であり、目標だった。

 そのために彼は訓練を繰り返し、旅の道中で起きるどんな困難も跳ねのけられるように努力してきたのだ。


「そりゃ凄いさ、だって世界の神秘だよ? ワクワクするだろ。だから村を出て冒険して、今まで知らなかった事や出会わなかった存在に触れてみたいんだ。そしていつの日か、この世界を生み出したって言う創造の神様に会って伝えたいことがある」

「ふーん。何を伝えるの?」


 少年はにこりと笑い、呟いた。


 ────ワクワクに満ちたこの世界を創ってくれて、ありがとうって、伝えるんだよ。


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