Act1: deal with the demon

1.choice and duty

lux:


 もしも天使に、なれたのなら。

 私はこの覇道を選ぶことはなかった。

 私は、ロシアの悪魔と契約した。


 私は、ロシアの皇帝……大統領となる道を選んだのだ。




 先生に別の車で時間もかけて連れてこられたその場所は、砂漠が広がっている。暑くなってきて、私たちは雪国の装備をほとんど脱いでいた。私は先生に訊ねる。

リーナ「どこに向かってるの」

先生「ソビエトのロスアラモスだ」

リーナ「な、なんて?」

先生「空軍基地だよ」

リーナ「え、もっと近くに、基地があったんじゃなかったの」

先生「ミシェルを襲った敵がいるリスクが高かった。犯人たちは捕まえたけど、残党がいる可能性は否定しきれない」

 そのとき轟音が響きわたる。私は空を見上げる。そこには、飛行機が飛んできていた。戦闘機だ。

 こうして車で移動する中、ラジオの音声が聞こえる。

「……特に犯罪政権を破滅させてきた国連軍のエースパイロット、ヴァイパーによるウクライナ軍への軍事教育の成果は凄まじく、ロシアの戦闘機はなにひとつ成果を出せないまま撃墜されています」

「その人物はミシェルとはまた違うのですか?」

「ミシェルが戦闘機で地球規模の衛星通信をつくりあげる新時代の体現なら、ヴァイパーは犯罪政権の敵として幾度となく現れる、古き共和国軍事力の権化です。彼は顔を見せたことがありません。ただ、どんな老人がこなしているのやら……」

 私はぼそりとつぶやく。

リーナ「また、国連の空飛ぶ蛇のおかげか」

 ふと、尾翼のマークを思い出す。地球儀のマークだけじゃなかった気がする。あそこには、蛇のマークも確かにみえた。

 先生が静かに訪ねてくる。

先生「知っているのかい?」

リーナ「伝説のようなものだけですけど。NATOを中心にするいまの国連軍をつくりあげたアメリカ空軍のパイロット。たくさんの犯罪政権と戦闘機たちをF-16, ヴァイパーで破壊。世界一売れたF-16で国連軍と、いまはウクライナ軍にも教えてまわって、国連高専大で先生をしてるっていう、不老不死……」

 周囲の人々と先生は笑う。先生は言った。

先生「不老不死か、そういう見方もあるんだな」

 私は首を傾げた。

リーナ「ねえ、ヴァイパーってほんとにいるの?」

 先生はどこかを遠くみやる。

先生「いるさ。君の思うような奴じゃないだろうけど」

 私は首をかしげる。


 空軍基地の中に通され、病室にたどり着く。そこに、私たちの天使がいた。

リーナ「ミシェル……」

 その横に、ちょうど医者がいた。

医者「君か。あの時はありがとう。彼女は無事だ」

 私は眠る彼女をまじまじとみつめ、

リーナ「意識は……」

医者「戻ったけど、鎮痛剤の影響もあってまだまだよく寝ている。ただ……」


 そう言って、医者は私たちを連れて病室を出る。そして、医者のオフィスに入る。そこで彼は切り出した。

医者「彼女が戦闘機パイロットに戻れるかはわからない」

 私の血の気が引いた。

リーナ「怪我のせいですか?」

 医者は首を振った。

医者「体は君のおかげで大丈夫だったさ。どちらかといえば、心の問題だよ」

 いずれ友達になれる君になら、あえて言おう。そう先生は前置きしてから、

医者「彼女は……自分は天使じゃない、と泣いていた」

 私が呆然とするなか、医者は私をみて、

医者「彼女の命を救った君には、つらい話かもしれないね」

 先生はオフィスの外の空を見つめる。

医者「味方がいるはずの空軍基地で襲撃にあった。そういう状態で、また戦闘機のような大勢の協力を必要とする戦いに参加できるかどうか。それはまだわからない」

 でも、と医者は言って、

医者「君の選択は、間違いじゃなかった。だから君は、彼女を信じて待ってあげてほしい」


 医者のオフィスから出た後、先生と私は休憩室の椅子に腰掛け、

先生「近々、ミシェルをもっと安全な場所に移送する」

リーナ「安全な場所?」

先生「僕たち国連高専大のある日本、東京だよ」

 そのときふと、先生は言った。

先生「そこでなら、君もミシェルみたいになれる」

 私は先生をみつめる。

リーナ「ねえ、私もそこに、行っていいの……」

 先生は頷く。

先生「君にも、その権利が与えられている」

 私は呆然としながらも、つぶやく。

リーナ「私は……」

 そのとき、誰かが私たちのところへやってくる。

メイスン「祖国を見捨てる気かい、リーナ」

 私は振り返る。そこには、自分と同じようなスラヴ系の男がいた。

リーナ「なんで、私の名前を……」

 先生は言った。

先生「どういうことだ、メイスン」

 メイスンと呼ばれた男は言った。

メイスン「我々オリガルヒが、このお嬢さんの行動をいちはやく掴んだ。リーナなら、今度こそ祖国の救世主になれる」

 先生がなぜか眠るミシェルへと振り返るなか、メイスンは私の顔をのぞきこみ、言った。

メイスン「お嬢さん、祖国の犯罪政権に、仇を討たないか」

 先生は言った。

先生「場所を変えよう」


 私たちは病室を出て、棟を出て、もうひとつの棟へと向かう。そして、扉を開け、メイスンは言った。

メイスン「ここが我々オリガルヒの、真の成果だ」

 私は足を踏み入れる。そこには、階段が無限に下へ下へと続いているのが見えた。そして、巨大な窓があった。その先に見えるよくわからないパイプや機械達を見つめ、私は訊ねる。

リーナ「ここは……」

メイスン「地下につくられた、原子力発電所」

 私は振り向く。

リーナ「すでに先進国で同じものが実用化してるはず。その技術を盗んだっていうの」

メイスン「逆さ。我々が、この技術をつくる土壌を提供した。技術はアメリカにあったがね」

リーナ「ロシアには原油があったのに、なぜ……」

メイスン「この星が、原油に可能な限り頼らないようにするためさ。そして、ロシアの犯罪政権をはじめとするエネルギー系暴力政治の影響力を大幅に削ることが、真のゴールでもあった。寡頭政治オリガーキーのロシア造語で名乗る俺たちが言うのも奇妙な話だがね」

 LEDライトの無機質で真っ白な光に照らされた階段を降りながら、メイスンは話す。

メイスン「お嬢さんもさっき味わったみたいに、いまのロシアの行政は、戦争をする前からどこまでも腐敗していた。そこで我々オリガルヒはソビエト解体の直後から両国に交渉し、ウクライナと共同でつくらせ続けた。チェルノブイリの事故があったからこそ、新しい原子力発電所というプランを、両国は克服のために選択した。もっとも、犯罪政権も当時のウクライナ政権も、日本の原子力発電所事故があった以上はあまり公にしたがらなかったがね」

先生「両国を繋ぐ、究極のエネルギー研究。つまり、ソビエトのロスアラモス研究所が、ここというわけだね」

 階段を降りながら、私は訊ねる。

リーナ「そんな、ありえない。みんな、原子力を嫌っていて……」

 彼は笑う。

メイスン「あのご両親の娘であるお嬢さんが、それをいうのか。もともと彼らがこの研究所で続けた、仕事の成果だよ」

 私は訊ねた。

リーナ「確かに、ふたりは留守にしてることは多かったけど……じゃあ私の親は、なんだったっていうの」

 メイスンは笑顔で振り返ってきて答える。

メイスン「国際原子力機関(IAEA: International Atomic Energy Agency)。その高官だよ。お嬢さんにもわかりやすく言えば、国際権力」

 私はその言葉に、階段を降りる足が止まる。

リーナ「ありえない。それって、人類史上最大規模の元独裁者……脚本家スクリプターがいるっていう、影の権力じゃなかったの……」

 メイスンは振り返ってくる。

メイスン「影の権力もなにも、やつらは政治をする以上は一切隠れちゃいなかったさ。あまりにもさまざまな組織の複合体だから、国際権力と呼ばれていただけだ。だから、この新しい原子力発電所も、国連軍も、国連の安全保障高専大も、あの脚本家とその協力者たちが完成させられた。お嬢さんは、その通信でミシェルを救った」

 私が呆然とするなか、オリガルヒは階段を降りていく。

メイスン「現基軸通貨の開発者が思い描いた幻想は、この星の人々に伝播し、すでに実体になっている」


 やがて、先ほどの無骨さとはうって変わった高級な内装の地下通路へと辿り着く。まるでそれは、地下に生まれた城だった。そこではさまざまな人たちが行き交っている。彼はそのなかを歩き進んでいく。天井が、なぜか高い気がした。そして私を部屋へと案内する。地下にしては比較的広く、互いに向かって掛け合うソファまでぽつんとあるように感じさせる。彼はその部屋の中心にある席に足を組んで座る。そして、オフィスにいた人たちに手をあげる。彼らはその意味を理解したのか、オフィスを出ていく。寡頭政治オリガーキーの体現者は言った。

メイスン「国際権力の行動の結果、ロシアで政変が起きた。旧ロシア政権の連中はすでに権力を失い、逮捕を恐れて逃走を開始した」

 私は父さんの言葉を思い出す。

父「ここまでの責任は、僕たち大人が取る」

 私は拳を握りしめる。そのなかで先生は言った。

先生「逃走しているのなら、彼女が仇を討つ必要もないだろう。捕まえるだけだ」

 メイスンは首を振った。

メイスン「奴らは、戦闘機、さらに核兵器を持っていると声明で脅している」

 先生は目を見開く。そして訊ねる。

先生「事実なのか?」

 メイスンは頷く。

メイスン「オリガルヒのネットワーク上では、関与が疑われる戦闘機パイロット、そして研究者も現在行方不明になっていて、旧ロシア政権の連中のなかに目撃証言はいくつも存在している。戦闘機も、酷いメンテ状況のものが盗まれたようだ」

 わずかな沈黙のあと、先生は言った。

先生「それで、彼女に何をさせる気だ」

 メイスンは答える。

メイスン「もともとお嬢さんはスラヴ系ロシア人。おまけに容姿も端正ときた。奴等もスラヴ系。暴力以外でろくにコミュニケーションのできない連中の場合は特に、同じ人種の、特に端正な顔立ちの人間には脇が甘い」

 先生が訊ねる。

先生「彼女に暗殺をさせるってことか」

 メイスンはうなずく。

メイスン「そうだ、この基地でな」

 だがどうやって、先生の言葉にメイスンは答える。

メイスン「やつらはもともと俺たちオリガルヒが担ぎあげて政権にした」

先生「君の……オリガルヒのネットワーク経由で犯罪政権だった連中の避難場所としてここに誘導し、リーナが情報を奪う……」

 メイスンは先生の言葉に頷き、

メイスン「そして、仇を討ち、ロシアの救済者に至る。以後、お嬢さんにはオリガルヒの全面的な経済的支援を行い、最終的にロシアの大統領となってもらう」

 私はつぶやく。

リーナ「私が、大統領……」

 先生が割って入る。

先生「まて、彼女に人を裏切らせて、さらに大統領たちも殺させ、その罪を抱えたまま大統領にするつもりなのか」

 メイスンは首をふる。

メイスン「お前が決めることじゃない、これは、ロシア人が、このお嬢さんが決めることだ」

 メイスンは私に向く。

メイスン「お嬢さん、無意味なイデオロギーでお前とその周囲の人たちを戦場に送ってきた人間は、許せないよな?」

 私は戦場での怨嗟を思い出し、そして答えた。

リーナ「はい……」

 彼は言った。

メイスン「こんな仇をとれる機会は、もう二度と訪れない。ここでお嬢さんが逃げれば、我々オリガルヒは最大の戦力をもってここで迎え撃つことになるだろう。残党もどこまで排除できるかはわからない。ロシア人は一生あてもない人探しを、かつてのアメリカ人のように繰り返すことになる」

 先生は首を振った。

先生「だめだ、捕まえるべきだ」

 メイスンは先生に言う。

メイスン「核兵器と戦闘機で脅しながら逃げ回るテロリストなんて、下される判決は決まっている。この案件には、公正さを話す余裕がない。早急に、かつ確実に、ロシアの安全を取り戻す義務がある」

 先生はメフィストの席の前に立ち、机に手をつく。

先生「なら、僕たちがやる。彼女が手を汚して、一生罪を抱える必要なんか、ないんだよ。君はこの子すら、傀儡にするつもりなのか」

 メイスンはゆっくりと息を吐き、

メイスン「物語ナラティブに毒された国に必要なのは、その国の救世主が悪を討つという、新たな物語ナラティブだ」

 メイスンは先生を見据える。

メイスン「よそ者の蛇が伝説になる話は、もう誰もが見飽きている」

 私はその言葉で、思い出す。ラジオの声だ。

「ミシェルが戦闘機で地球規模の衛星通信をつくりあげる新時代の体現なら、ヴァイパーは犯罪政権の敵として幾度となく現れる、古き共和国軍事力の権化です」

 私は訊ねる。

リーナ「まさか、先生が……ヴァイパーなの?」

 先生が沈黙する中、メイスンはため息をつく。

メイスン「まだ知らせていなかったのか。関心しないな」

 メイスンは、先生を指差す。

メイスン「お嬢さん。そこで先生ぶっているやつが、アメリカ空軍で、NATO軍で、果ては国連軍で、犯罪政権や組織を戦闘機で転覆させたパイロット。コールサイン、ヴァイパー。その六代目だよ」

 ラジオを思い出す。

「彼は顔を見せたことがありません。ただ、どんな老人がこなしているのやら……」

 私はつぶやく。

リーナ「六代目……」

 メイスンは畳み掛けるように、私に事実をつきつける。

メイスン「そして、さっきまで犯罪政権、我々祖国の人々を殺すために空で戦っていた、戦闘機パイロットだよ」

 わたしはあの雪の戦場に引き戻される。

 轟音と共に、雲から鋼鉄の翼が突き抜けてきた。そして、私たちに飛び込んでくる。F-16だった。そのとき、尾翼の巨大なマークが一瞬みえた。そのパイロットを意味するのであろう蛇のアイコン、そして、地球儀のマーク。

 そして、爆発の先で黒煙と共に立ち上る、怨嗟の変奏曲ヴァリエーション

 私は先生に言った。

リーナ「あなたが、あのとき、私たちを……」

 先生は、沈黙ののち、答えた。

先生「そうだ」

 ミシェルを救ったあと。あのとき、先生は静かに私を抱きしめる。そして言った。

先生「これまで君を傷つけてきて、助けてあげられなくて、ごめんね」

 私は拳を握りしめた。

リーナ「そうか、そういうことだったんだ」

 私はメイスンへと一歩進む。

リーナ「私が、ロシアの救世主になる」

 ヴァイパーは止めようとする。

先生「だが」

リーナ「メイスンも言ったでしょ、私たちロシア人と戦ってきた六代目さんには、関係ない」

 ヴァイパーは首を振る。彼はゆっくりと言った。

先生「……救世主を名乗る気なら、関係あるよ。この星の、すべての人にとってね」

 そして、ゆっくりと私の前に立ちはだかる。そのふるまいからは、これまでの先生の穏やかさが、すべて消し飛んでいた。

先生「君は、安易な道に逃げようとしている」

 私はどうにか言った。

リーナ「これが、安易なの」

 それでようやく、声が震えていることに気づいた。目の前の先生を、私は見上げることしかできない。彼は私を見下ろして、言った。

先生「敵を倒せば全てが解決する。その盲目さの成れ果てが、君の憎む犯罪政権なんだよ。あれもかつては、救世主を自称していた」

 呆然としていた。私はどうにか言葉を紡ぐ。

リーナ「そんな、嘘……」

 先生はゆっくりと首を振った。

先生「人を傷つけ、蔑ろにする意思を持った人間の、当然の帰結だよ」

 その大人の言葉は優しく、完全で、けれど、業火そのものだった。

先生「ただ、助けてくださいっていうことすらできない人たちが、この世にあふれている。本当に困っていた時、誰にも助けてもらえなくて、心の殻に閉じこもるしかなくなった人たちだ。そんなかわいそうな人たちの過ちで始まったすべてを、ただその人たちを殺せば終わらせられる。実際に国民総動員に遭い、戦場にきて、そして僕に殺されかかった君が、本気で、そう思っているのか……」

 私はここまで来たときの記憶がちらつきながら、戸惑う。

リーナ「それは……」

 言葉を紡げない私に、ヴァイパーは言った。

先生「すべての人から力を譲り受け、すべての人と共に生き、すべての人を救う。それが、救世主になるということだ。この星の誰もが、伝説にはなれても……救世主になる準備はない」

 私がその重責に視線を下ろすなか、彼は踵を返し、立ち去る。

先生「明日までに、救世主に至るためにここに残るか、エンジェルスクールに私たちと向かうかを決めるように」




 次の日の朝。

 出発の準備をする航空輸送機であるC-17に、私は向かう。

 そこには、車椅子に乗ったミシェルと、先生がいた。ミシェルは私に気付き、

ミシェル「あなた……」

 私は微笑む。

リーナ「無事でよかった」

 先生が、ヴァイパーが、荷物を背負った私の姿を見つめ、訊ねてくる。

先生「決めてきたんだね。それじゃあ、行こうか」

 ミシェルは顔を俯ける。ミシェルの車椅子に向かおうとした先生の背に、私は答えた。

リーナ「先生は、ふたつの道を教えてくれました。大統領の道か。それとも天使の道か」

 ミシェルが私へと顔を上げる。先生は振り返ってくる。私は答える。

リーナ「私は、どちらの道も選ぶ」

先生「なんだって」

 そう驚く先生に、私は言った。

リーナ「なりたい自分に、なっていい。先生はそう言いました」

 私は天使と蛇に、宣言する。

リーナ「私は、この祖国を救う悪魔、大統領になる」

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