第十話 下級兵士の激怒

「おい! 皆止まれ」


 張り出した巨木の枝により薄暗くなった周囲よりも強く闇を落としている待避所に停車している馬車の姿を見つけた先頭の騎士が後続の騎馬達に左手で制しながら声をかけた。

 騎馬の数は先頭を入れて全部で四騎。

 馬車から少し離れた場所で様子を伺っているようだ。


「さっきの馬車だよな? なんでこんな所で停まっているんだ?」


 一人の騎士がゆっくりと大きく迂回するように御者台の方に近付く。

 それに倣うように二人の騎士が少し速度を落として後に続き、残りの騎士はその場に留まり背後を警戒している。


 俺はその様子を馬車の真上まで出っ張った枝の上から息を潜め観察していた。

 この国が採用している兜は所謂アーメットタイプで額当てと面頬が一体となって顔全面を覆うタイプだ。

 しかも主に騎上戦を意識して造られている所為で目線より下方向にはそれなりに視界はあるが、上方向にはめっきり弱い。

 特に薄暗い今じゃ松明掲げたとしても視認するのは難しいだろうな。

 要するに俺が今いる場所は安全地帯というわけだ。


 とは言うものの思ったより追手の数が多いな。

 てっきり下級兵士と舐めきって一人、多くても二人だと考えていたが甘かったようだ。

 一人二人なら奇襲で何とでもなったが、さすがに四人は辛ぇな。

 それだけ財布を渡すのが嫌だったのかねぇ?

 一体どうしたものか?


「御者台に居ないな」

「馬車の中も空っぽだぞ? 奴はどこに行ったんだ?」


 警戒しながらも徐々に馬車へと近付いて来た騎士達は俺の姿が見えない事に怪訝な声を上げる。

 いくらこの場所が安全地帯と言えど、これ以上暗くなれば視覚を確保しようと兜を脱ぐかもしれねぇし、松明も点けるだろう。

 そしたら見つかる可能性が高い。

 それまでに何とかしなきゃな。


 さてどうするか? まぁ、手が無い訳ではない。

 今は奴等全員馬上に居るんだから馬の尻に投げナイフを当てりゃ、暴れた馬から振り落とされて騎士共は大怪我だ。

 ただこの策は下策だな。

 陣から離れているとは言え、馬の嘶きが届かけば様子を見に来る奴等がいるかもしれねぇ。

 後続が来る事もだが、警戒して彼女を連れ去られでもしたら探すのは困難だろう。

 それに何より馬がかわいそうだ。

 あとは麻酔薬を仕込んだ吹き矢が……だめだ、二本しかねぇ。

 先日の狩りで使ったまま補充してねぇや。

 

「山賊共にやられたか?」

「いや、それはないだろう。周囲には争った後はないし、なにより我等が追ってから時間もそれ程経っていない」

「大方用足しにでも行ってるのだろうさ」

「かもな、ならここで待ってれば帰って来るか。ちっ、下級兵士の癖に手間をかけさせやがる」


 くそっ! 『手間かけさやがせる』ってのはこっちのセリフだっての。

 こうなったら馬が可哀想だがナイフを使って……。


「それより『赤熊団』だが、こうなると我等を裏切ったとみるべきだろうな」


 騎士共の言葉に今まさに投げようとしていたナイフを止めた。

 ハッ! 疑っちゃいたが、やっぱりこいつ等つるんでいたのかよ。

 悪党と手を組むなんざこの騎士の頭はどうかしてるぜ。


「折角釈放させてやったと言うのに恩知らず共め」

「名のある山賊が聞いて呆れるな。所詮は平民、そんな虫けらみたいな奴等に期待したのが間違いだったのさ」


 釈放だと? あいつら等投獄されてたってのか?

 投獄されている名のある山賊と言や、つい最近討伐された『赤なんとか団』……赤…赤…そうだ! 思い出した!

 そうだよ! そいつ等の名前も『赤熊団』だったじゃねぇか。

 他人の空似じゃなく本人達だったとはな。


 いやいや、ちょっと待て。

 そいつはいくらなんでもおかしい。

 例え貴族だろうが一個人の独断で悪党共を勝手に釈放出来る訳が無い。

 と言う事は脱獄の手引きをしたって事じゃねぇか。

 バレたら国家反逆罪で捕まるぞ。

 一体どうなってんだよ。


「山賊共の家族を人質にしている以上、そう遠くには逃げられんとは思うのだが」

「ふん、山賊などしている虫けら共にそんな感情が有るとは思えん。自分達の為にあっさり見捨ててもおかしくないさ」

「まぁいい、いずれにせよ裏切者へ制裁は必要だ。ジェイス様の指示通り三人は山賊のアジト行って我等を裏切った事を後悔させて来い。あの世で家族と再会が出来るのだからあいつも喜ぶだろうさ」

「ハッハッハッ違いない。本当に馬鹿な奴等だぜ」


 俺は真下に居る鬼畜共の言葉に複雑な感情を抱きつつ唇を噛む。

 どんな事情が有ろうとも山賊達は悪人だ、同情するつもりは無い。

 釈放の足枷として家族を人質にされていようが、山賊達の罪が消える訳が無い。

 むしろ今まで自分達の家族が居ながら、旅人を襲っていたと言う事実の方が胸糞悪くなる。


 だがよ、世の中にゃ『それとこれとは別』って言葉があるんだよ。

 家族を助ける為に貴族達の手駒になったってのに、その家族達はすでにこの世に居ない。

 こいつ等はその事実を嘲笑いやがった。


 あ~本当に胸糞悪い!

 なにがってそりゃ、俺がそんな山賊共を殺しちまったって事だ。

 悪党共を退治したってのに罪悪感しか湧いてこねぇじゃねぇか。


「残るのはお前一人で大丈夫か?」

「当たり前だろう。下級兵士など正騎士の私にとって物の数ではない。それよりお前達こそ大丈夫か?」

「ハハッ! それこそ物の数ではないと言う話だ。山賊共の十人や二十人程度遅れを取る訳あるまい」


 おうおう、随分と勝手な事を言ってやがる。

 こいつ等の根拠ってどこから来るんだ?


 が、なかなかいい展開になってきたじゃねぇか。

 相手が一人なら楽勝だぜ……ん?


「しかし、俺達三人損な役回りだぜ」

「そうだな。お前はあの兵士を先に持って返って、先にお楽しみに参加するんだろ? 羨ましいぜ」

「そうだそうだ」


 山賊討伐組の騎士達が俺狙いでここに残るの騎士に対して不満を言い出した。

 どうやら財布だけじゃなく俺ごと持って帰りてぇみてぇだが、お楽しみってのはなんだ?

 俺の死体を肴に宴でもするってのか?

 んな訳無いだろうが、陣は修道院からそんなに離れてねぇ距離だ。

 そんな場所で宴をするとは、山賊達を脱獄させたって言うのに逃げもせずに暢気な奴等だぜ。


 そう思っていると騎士達は信じられない事を口にした。

 それを聴いた瞬間、全身の血が逆流したかのような錯覚に囚われる。

 大概酷い目には遭って来たがここまで怒りの感情が湧いた事はない。

 これが激怒って感情か。

 よく激情のまま飛び出さなかったと自分の事ながら関心する。


「おいおい、お前達、ジェイス隊長の性格を知っているだろう。俺達に回ってくるのはいつになる事やら」

「考えてみればそうか。下手したら朝までお預けかもな」

と違って今回はジョセフィーヌ様だ。隊長のジョセフィーヌ様狂いは王都でも有名だったから、俺達の番が来る頃にゃ既に壊れているかもしれないぞ。ははははは」

「俺はそっちの方がそそるねぇ。何より穴さえあればそれで十分だぜ」

「違いない。わはははは。他にも女が居ればいいんだがなぁ。どこかで仕入れとくべきだった」


 今まで女と遊ぶ機会も金も無かった俺だが、今この鬼畜共が口にした言葉の意味くれぇは分かる。

 抑えろ俺! このままこつらに飛び掛っても彼女を救う事は出来ねぇ。

 そんな事よりまずは彼女の元に急ぐのが先だ。

 こいつ等を無視してすぐにでも彼女の元へ行かなければ!


「しかし、ジェイス隊長の性癖には流石に呆れるぜ」

「おい! 隊長の悪口を言うんじゃない。……とは言え、血を見ないと興奮しないと言うのは俺もどうかと思うが」

「今回はあの下級兵士の死体を前でジョセフィーヌ様の純潔を奪いたいとか、流石にちょっとついてけないな」

「気味悪いし俺達の番が来たら森に捨てるか?」

「あぁ、そうしよう」


 なるほど……。

 ケッ! 『血笑のジェイス』の名は伊達じゃないようだな。

 ともあれ俺が奴の前に連れてかれない限り彼女……ジョセフィーヌは無事が分かっただけでも朗報だ。

 お陰で少し冷静になれたぜ。

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