第九話 貴族令嬢の願いと下級兵士の憧れ

『ジョセフィーヌ!! 貴様を断罪する!!』


 あの日、王立学園で行われたプロムナード開催式の場で、幼い頃から彼の為に身を捧げるとお慕いしていた婚約者である王太子殿下から謂れのない非情の宣告を受けた。

 その横には自分から全てを奪った商人の娘のほくそ笑む姿。

 周囲に助けを求めようとも誰も目を合わせようとしない。

 あれだけ自分に対して優しくしてくれていた王太子殿下の取り巻きの方々でさえ誰も助けようとはせず、それどころか商人の娘に害を与えたと非難の声と怒りを浮かべる瞳。

 その中には、今目の前にいるジェイスの姿も有った。

 そう言えば、その瞳は他の取り巻きとは違い邪悪なる歓喜を含んでいたように思える。


 ……そして、ジェイスの瞳はあの時と同じ様に今まさに自分に向けられていた。


「殿下が愛したマチュアに危害を加えたジョセフィーヌ! お前の罪は投獄などでは生ぬるい。だから殿下は修道院送りにする事にしたのだ」


 ジェイスの言葉に貴族令嬢は唇を噛む。

 『そんな事はしていない!』

 あの時もこの言葉を何度口にした事か。

 だけど、婚約者として慕っていた殿下は聞き入れてくれなかった。

 宰相の息子であるウェイツ様も、第二王子であるマシュー様も、殿下の近衛騎士であるシュタイン様も……今まで自分の周りで護ってくれていた皆が、殿下の心を虜にした商人の娘であるマチュアを庇うように前に立ち仇敵を射殺すかとでも言うような憎しみを湛えた瞳で睨みつけてくる。

 何を言おうと彼等の怒りを煽るだけ。

 そして、彼等の奥には自らの勝利を確信した笑みを浮かべるマチュアの瞳が……。


 混乱と深い悲しみに耐えられなくなった彼女はプロムナードから逃げ出した。

 これは悪い夢だと……、目が覚めたらいつも通り殿下は優しくお声を掛けてくれる。

 シュタイン様達も笑顔で殿下と私を護ってくれる……と。

 それはつい先程まで心の何処かで信じていたのだ。


 だけど、これは悪夢などではない。 

 ジェイスが言い放った『殿下が愛したマチュア』と言う言葉で、これが現実なのだと思い知らされた。

 

「ただ、殿下はお優しくてね。私の心の内を知っておられた殿下は修道院へ入る前に、お前の『』の機会を私に下さったと言う事さ。あぁ、楽しみだ。殿下の許嫁だったお前に手を出す事など出来ないと思っていたからな。お前が悪女で居てくれて本当に良かったよ」


 とても厭らしい口調で話すその言葉がもたらす意味に彼女は全てを理解した。

 噂は本当だったのだと。

 素行の悪い貴族令嬢が淑女としての再教育を施す為に送られる修道院。

 しかし、実際にそこから戻った令嬢を見た者は居ないと言う話だ。


 そこに送られた令嬢は何処に行くのだろうか?


 この噂は修道院に送られるような悪さをさせない為の戒めの意味を含む類の物と思っていたが、どうやらそうではなかったようだ。

 先程のジェイスの話からするとその修道院に纏わるもう一つの怖い噂が真実であったのだと彼女は確信した。


 『そこに送られた令嬢は他国に奴隷として売られる』


 そんな馬鹿な話が有る訳ない、初めて聞いた時は根も葉もない戯言だと笑い否定した。

 貴族至上主義のこの国で貴族令嬢を奴隷として売り払うなど有る訳が無いし、仮に有ったとして王家が黙っていないだろう。

 そう信じていた。


 しかし、どうやらその認識は間違っていたらしい。

 自分が修道院に送られるのは殿下の意思。

 要するに王家は知らなかったのではなく、王家主導の元で行われていたと言う事だ。

 貴族至上主義であるこの国は、他国よりも貴族と言う立場に対しての執着が著しい。

 貴族達は自らの地位の向上を日々望み、権謀術数を張り巡らせ他者を追い落とす事に余念がなかった。

 他の国なら有り得ない貴族令嬢を奴隷として売るなどと言う巫山戯た国家事業もそうした一環であったのだろう。


 そう、それは追い落とされる者への見せしめだ。


 最初は違った形だったのかもしれない。

 国の為に互いにけん制しあい、自分を磨き上げていく事を奨励したのだろう。

 永き平和の果てにその素晴らしい筈だった制度は歪に捩れ、高潔なる建国の意志は地に落ち腐り果てたのだ。


 父はこの事を知っていたのだろうか?

 彼女はあの日の父の姿を思い出す。


 知っていたのだろう。

 断罪され屋敷へ逃げ帰った自分を待っていたのは父の激しい叱咤だった。

 自らの失策によるものだったら泣いて謝って来たのだろうが、追い落とされる原因が娘の愚行なのだから激怒しない筈がない。

 その隣に立つ母も見た事が無いような憎しみを浮かべた瞳で自分を睨んでいた。

 そうだ、この国の貴族は全てこの歪な事実を承知していたのだ。


 いつの日か自分もこの事実を告げられていたかもしれない。

 この立場に陥らなかったら自分は何を思ったであろうか?

 この国の貴族とはかくあるべきだと納得したのだろうか?


 彼女はその事を想像し背筋を凍らせた。


「そうだ! 良い事を思い付いたぞ。あの平民の死体の前でお前の純潔を奪ってやる。いい声で鳴いてくれよジョセフィーヌ?」


 ジェイスは絶望に項垂れる彼女の耳元に口を近付けてその言葉とは裏腹に優しい声でそう言った。


 『ごめんなさい……』


 ジェイスの言葉に睨み返す気力も無い彼女は、ただ彼に対して謝る事しか出来なかった。


 『貴方に冷たい態度を取って追い返したのに虫が良すぎるかもしれません』


 売られたと勘違いして彼に軽蔑の目を向けてしまった。

 あの時の彼の悲しい瞳。

 本当に虫が良すぎる。

 自らの思い違いに気付いた後、彼が助けてくれようとした時も断ってしまった。

 自分を護ってくれた彼はもうこの場には居ない。

 だけど……。


 『お願い……』


 身勝手な事だと分かっている。

 今の自分には過分な願望なのは承知の上だ。

 だけど、なぜか心の奥より一つの言葉願いが浮かんできた。


 それは幼き頃、父が屋敷に招いた吟遊詩人が謳った旅する騎士の冒険譚。

 その言葉願いは旅の騎士が窮地に陥った姫を助けるくだりに登場する。

 彼女は絶望の中、有り得ない事だと分かっていながらも、彼にその願いを乞うた。


 『騎士様……どうか……私を助けて下さい』




       ◇◆◇




「多分、今頃俺に対して追っ手を出してんだろな~」


 傾く日が周囲の木々に遮られかなり薄暗くなった峠道を戻っている俺はそう呟いた。

 これは憶測ではなく確信が有った。

 修道院から派遣されたと言っていた騎士隊のリーダーがジェイス。


 そんなの有り得ねぇ。

 なんたってジェイスと言えば、昔俺の事を殺す殺すと言っていた現王国最強騎士の従騎士だ。

 つい最近も王都の大通りを二人連んで馬に乗っているのを見たばかりだしな。

 そんな奴が修道院付きの騎士な訳無いだろう。


 考えられるのは、修道院送りになる彼女を山賊出没の混乱に乗じて誘拐しようと企んでいると言うところか。

 山賊自体あいつに雇われたって線も考えられる。


 そして、ここからが問題だ。

 そこまでして彼女を誘拐するのは助ける為じゃねぇだろう。

 惚れた腫れたか知らねぇが、彼女を自分だけの物にしようとしているんだと思う。

 俺の直感だが、これは奴の独断専行だろうな。

 だって普通なら主と仲が良い令嬢に手を出そうなんて馬鹿な真似はしないだろ。


 それにしちゃ部下を引き連れてのえらく大袈裟な誘拐劇だが、貴族ならなんかこう権力とか使って周りの奴らを黙らせられるんじゃねぇか?

 平民の俺にゃよく分からんけどよ。


 しかし平民だからこそあいつの邪悪を知っている。

 なにせあいつは別名『血笑ちしょうのジェイス』と呼ばれる狂人だ。

 あっ、貴族様的には狂人じゃなく頼もしい『貴族の剣』と称賛されてるのかもな。


 だが、俺達平民の間では悪名高い貴族の一人だ。

 幼い頃から地方の村の税収取り立てに参加し、反抗する村人を笑いながら斬り捨てたらしい。

 平民の間だけに伝わるこの『血笑』の二つ名は、村人の返り血を浴びながら笑った事に由来する。

 本当にこの国の貴族は腐ってやがるぜ。


 とまぁ、そんな奴が平民である俺に家紋付きの財布をすんなり渡す訳がねぇ。

 どうせ俺が去った後に『秘密を知った者を生かしておく程、私は愚かじゃない』とか言ってやがるんだろうさ。

 俺が大金入って浮かれていると思い込んでるのを逆手に取ってやるぜ。



「おっ? いい場所を見つけたぞ。おい相棒止まれ。どう、どうどう」


 狭い峠の山道に作られた馬車を行違う為の待避所を見付けた俺は、馬車を端に寄せ止めた。

 上を見上げるといい感じに大樹の枝が伸びて空を覆い、この周囲だけ一早く夜の帳を落としているようだ。

 

 俺は後ろを警戒しつつ御者台から降りて相棒に近付いた。

 相棒は騒ぎもせずただ大人しく近付いて来た俺の顔を見ている。


「相棒、お疲れ。餌やるから暫くジッとしててくれ」


 俺はそう声を掛けながら腰のバッグから餌を取り出すと餌を相棒の口に入れてやった。

 すると餌を上手そうに頬張った相棒は俺の顔に頬を寄せ一擦りする。


「おいおい、人懐っこいなお前。じゃあ頼んだぜ」


 俺は相棒の鼻頭を撫でてから森へ入り大樹を登る。

 そして張り出した枝の上に身を隠して息を殺す。

 時間的にそろそろの筈だ。


 そう思った矢先、遠くから何頭かの蹄の音が聞こえて来た。

 ガチャガチャと鎧が擦れる音も聞こえるので間違いなく騎士の追っ手だろう。



「おぉ、姫よ。必ずやこの手で助けてみせようぞ……」


 俺は小さい頃に聞いた吟遊詩人の謳う騎士の冒険譚に出てきたセリフを呟いた。

 それは亡国の騎士が旅の果て、厄災に見舞われたとある国の王女を救い出し、やがてその国の将軍にまで上り詰めると言う立身出世の夢物語。

 そして平民の俺が身の程知らずにも騎士になる事に夢憧れた原点の詩。

 

 さぁ、お姫様の救出劇を始めるとしますか……。

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