第29話
誰もが彼を信じていた。誰もが彼に想いを託した。
そして今、誰より強く彼を想う、女騎士が一人。
「――華の、魔力‼︎」
フレンの全身に蔦が這い、小さく白い花が咲く。既に魔力は限界ギリギリ。
それでも彼女は駆けた。死の窮地にある少年を救うため、必死になって地面を蹴る。
「殺させないーー‼︎」
跳躍し、ライルへ放たれた巨大な黒刃を、剣で受け止める。全開で魔力を回すも、触れている剣身から急速に魔力が失われていく。だが背の師を守る為、彼女は決して諦めない。
「は、華の、魔力‼︎」叫んだ瞬間、彼女の背に黄色く輝く大輪が咲いた。
それは、限界地点で編み出した新たな魔力の引き出し。通常、覚醒した魔力は在り方が画一的だ。雷なら雷、剣ならば剣として顕在化する。だが覚醒して尚、在り方が変化する魔力もある。例えば華のように、花を咲かす植物であれば、何であろうと顕在化させる。魔力の解釈を広げる事によって、戦闘における多様性を獲得出来るのだ。
では、と。都市級騎士フレン・ジラソレは考える。自身にとって華とは何か。どうして華でなければならないのか。その答えはいつだって、彼女自身の背後にある。
「この魔力はッ! 誰かを守るための力だぁぁぁーー‼︎」
『人を守る』という彼女の強い願いに応じ、フレンの背に黄色い大輪が顕現する。相対する黒い刃にヒビが入り、少しずつ、フレンが押し返し始めた。
「はあああああああああああーーーー‼︎」
「……私の虚と対を成す力か……まるで救済の魔力だな……だが!」
黒い炎が吠え盛り、アークは手をかざす。
「君は救世主ではない」
フレンの魔力が反転する。黒い煤が花を染め、瞬く間に全身を覆う。どれだけ魔力を尽くしても、覆る事は消してない。それこそが虚。それこそが虚無というものなのだから。
「フレン、君が人である以上、虚には勝てはしない。大人しく滅亡を受け入れるんだ」
「いいえ‼︎」
煤に塗れながらも彼女は叫ぶ。魔力も法術も失った体で尚、闘志は衰えていない。
「諦めない! 私にはまだ、やりたい事がたくさんある‼︎ 私はまだ、生きていたい‼︎ 私はまだ…………ライルにだって恩返しできてないーー‼︎」
剣が砕け、素手で黒刃を受け止める。手から血が吹き出し、骨まで裂こうと刃が進む。
それでも彼女は諦めない。手がどうなろうと気にも留めず、足を踏ん張る。
だがそれは虚の魔力。どれだけ踏ん張ろうと、命への侵食までは止められない。
黒い煤が葉脈のようにフレンの体を這う。鼓動が、命の振動が、少しずつ小さく遅くなっていく。しかして彼女は堂々と立ち勇み、魔人を睨むように見つめていた。
「フレン、何が君をここまで……」と、言いかけた魔人の表情が固まった。
今にも崩れ落ちそうな女騎士の背後。煤と傷でボロボロに彩られた背中。
生命を愛し、努力し、そして誰よりも強いその背へ、少年の小さな手がそっと触れた。
「ようここまで頑張った」
途端、フレンに侵食していた黒い煤と、彼女が受け止めていた黒い刃が、立ち所に消え去った。まるで最初から何も無かったように、ただ静かな夜風だけがそこに残る。
驚愕する魔人をよそに、ライルは倒れたフレンの肩を抱えて神殿の端へと歩いていく。
アークは動けなかった。何故か少年に圧倒され、小さく冷や汗が浮かんでいる。
「……ライ、ル……」そうフレンはか細い声で少年の名を呼んだ。
「あまり喋るな。疲れただろう」
彼の制止を無視して、力のないフレンの手が少年の赤い腹部にそっと触れた。
「……これ、どうしたの、よ……?」
アルトの剣が貫通した傷は上着を硬く締め付けただけ。今も血が滴っている。
「このくらい大丈夫だ。それよりフレン。今のうちに習いたい技を考えておけ。剣術でも、槍術でも、徒手空拳でも、明日から何だって教えてやる」
深い傷を抱えながらも、笑うライルに、フレンは不思議と安堵感を覚えた。
「……そう。楽しみ、だわ……」
強く絡んだ互いの視線。それを想いと共に断ち切るように、少年は深く頷いた。
そうしてライルは、魔人アークへと向き直る。
「待たせたな、アーク」というたった一言が、アークの背筋を震撼させる。100年生きた魔人でさえ、感じた事のない切迫感が、少年の形を取って歩いてくるのだ。
「――虚の魔力×創剣法術‼︎」空中に無数に広がる黒い剣。その切先が一斉に向いて、ライル一人へ発射された。無慈悲の豪雨が神殿に黒い霧を生み出すも、空気は一瞬で鮮明さを取り戻す。まるで風船が割れるように、黒い煤煙は全て消え去った。
その中から、ライルは急ぎもせずに悠々と歩いて来る。
(まただ……虚の魔力が、消されている…………?)
魔人は浮遊し、少年の攻撃範囲外へ逃れた。今は、利を生かして責めるべきだ。
「――虚の魔力×創槍法術‼︎」
再び黒が舞い、漆黒の槍を手元に作る。今度はとびきり巨大で濃密な魔力を込めた。
「消せるものなら、消してみろ‼︎」
空気を裂く漆黒の穂先。地表で見上げる少年は、ただゆっくりと、片手を掲げた。
途端、魔人の身が虚脱した。槍は消え去り、腕の魔装までもが剥がれ落ちている。
浮遊に回していた魔力をも失い、アークは成す術なく落下した。
地面に打ちつけた体を起こし、顔を上げる。そこに迫るのは、白銀髪の少年。
「もうワシの間合いじゃ、アーク!」
振りかぶった背腕から剣が放たれ、魔人の目前へ刃が現れる。
走馬灯のように流れる時間の中で、アークの冷静さは健在だった。
(魔装は解いていない。ただの物理攻撃であれば問題なく弾き返す……)
弾かれたら斬り返せばいい。魔装の膂力なら、少年の体など枯葉を崩すに等しい。
重力に従って流れ落ちるように、ライルは剣に寄り添い共に墜ちるように振り抜いた。
◇
数分前、救済の花の中で、救世主グリッドは言った。
『魔力は命を維持する上で欠かせない要素よ。草木や動物、小さな生き物だって、魔力を宿している。だから魔力が減ってしまうと、貧血みたいに欠乏症状が出るわけよ』
青髪の美女がライルの胸に人差し指を当てる。
『だ、か、ら! 貴方に命がある時点で魔力だってあるはずよ!』
『し、しかしじゃな……実際に色々な人に魔力が微塵も無いと言われておったし……』
『前提が間違っているわ。魔力が無いんじゃなくて、貴方の魔力はそういう性質なの!』
『……覚醒もしとらんのに、そんな事になるか?』
首を傾げた少年に、グリッドは呆れたように言い返す。
『あらあら、源一郎ったら100年も生きておいて、人生を賭けた願いすら持ってなかったの? 本物の少年じゃあるまいし、冗談は皺の数だけにしてよ』
『……待ってくれ、何が言いたいんじゃ?』『……はぁ、本当に鈍いんだから……』
腕を組み直してため息を吐くと、グリッドは少年を見つめて言った。
『貴方は生まれた時から覚醒している……そうとしか考えられないわ』
だがライルには全く覚えがない。魔力を見もできない彼にはあまりにも突飛な話だ。
『そんなバカな……大体覚醒していたとして、そいつは一体どんな魔力だ?』
『おバカは源一郎なんだから。魔力は極小の願望機よ。意思によって振る舞い方を変える目には見えない粒達よ。だから覚醒した魔力は、必ず本人の願いや欲望を写し出す。なのに、源一郎ったら、”私は何をしたいのですか?”なんて言い出すんだもの』
『うむむ、そうじゃけど……』
『欲望、望み、希望。そういうものを意識しなさい。私に助言できるのはそこまでよ』
『欲望……欲望なぁ……死ぬ間際には、娘に逢いたいくらいは願ったがね』
すると、グリッドは怒ったようにそっぽを向いた。
『……のう、もう少しヒントを』
『う、うっさい! これ以上は私にも分かんないわよ!』
どういう訳か、彼女の怒鳴り声は少し上ずっていた。
『……す、すまん。何か気に触るような事を言ったか?』
彼女は、ずい、とライルへ迫る。睨みを効かせる目はすっかり潤んでしまっていた。
『謝罪なんていらない。その代わり、私のお願いを聞いてちょうだい』
『お願い……? ああ、聞くよ。ワシにできる事があるなら』
応じたライルの瞳を覗き込み、グリッドは口を開く。
内容は途方もない我儘だった。自分勝手な希望だ。身勝手な正義だ。自己中心的な愛情だ。それでも、ライルにもそれが最適解だった。それ以外道はない、そう断言できるほど。
『任せろ』そう言った途端、ライルの体が薄く消え始めた。
『時間が来たみたいね。いい? 何より先に魔力を使いなさい。今はフレン卿が攻撃を抑えているみたいだけど、このままじゃ持たないわ』
『フレンが……⁉︎』
『いい弟子を持ったわね。あの子、貴方を守るために命すら投げ出そうとしているわ』
『……こんな老ぼれのために……』
ライルは拳をぐっと握った。そんな彼の横顔を、グリッドが見つめて言った。
『彼女を救えるよう、考えなさい。源一郎自身が、何を追い求めて生きていたのかを』
『……感謝する、グリッド‼︎ では行ってくる!』そう言い残し、消えていったライルの残影。白く華やかな空間に残された美女は、物悲しく口元を結び、呟くように言った。
『いってらっしゃい……私の英雄……』
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