第28話

 目を開けると懐かしい光景が広がっていた。見渡すかぎりの雛菊。白く輝く花弁は暗い天井と相まって星の海原のようだ。

 「ここは……どこかで見たような……」

 記憶を探るが鮮明には思い出せない。だが確かにここに立った覚えはある。

 自分は死んだ。それは間違いない。こと切れる瞬間は曖昧でも、あんな状態で生きている方が非常識だ。寝ぼけた頭が冷静になると、ライルはフレンの顔を思い出した。

 「…………ワシは、また守れなかったのか……」

 崩れ落ちそうになる心。取り返しのつかない事実を糧に、少年はこの状況を理解した。

 「ここは地獄か。ということは、閻魔大王の判決待ちってところかな……」

 「――違うって言ってんでしょ」と、唐突な手刀が少年の頭上をぶっ叩いた。

 「いてっ……! 誰じゃ全く……」

 叩かれた頭を抑えて振り返り、ライルは驚愕に目を剥いた。

 「お久しぶりね、源一郎?」

 そこには青髪の美女。草原のどんな花々よりも美麗な顔は、般若の如く怒っている。

 ライルはアークなど目じゃない恐怖に腰を抜かした。

 「やっぱり閻魔大王じゃないか……⁉︎」

 「また叩かれたいのかしら……? って、こんな事してる場合じゃないわ」

 手刀の形にした手を握って堪え、青髪の美女は少年へ手を差し伸べた。

 「自己紹介は済ましてるわね……源一郎」

 「あ、ああ。アンタの顔は向こうでも一度見たよ。救世主、グリッドさま?」

 「様付けはやめて」そう言って、グリッドは不機嫌そうにライルを引き起こす。

 「ありがとう……グリッド。で、ここに居るって事は、ワシはまた死んだんだな?」

 「……覚えてないの? 転生の間際に私が言った事」

 「言った事……はて?」

 「だああああーーもう! はてじゃないわよ、はてじゃ‼︎ 困った事があったら助言をするから救済の花に触れてね♡ って言ったでしょうがああああ‼︎」

 聞き分けのない子供のように地団駄を踏むと、美麗な顔がクシャクシャになった。

 ライルはライルで、「あ~~、そんな事もあったな~~」とボヤけた口になる。

 「魔力が無い時点で相談案件でしょうが! なんで早くこっちに来ないのよぉ!」

 言ったままの怒りをぶつけられ、ライルも断固反論する。

 「生まれた先が救済の花から遥か遠くの田舎町じゃぞ⁉︎ そんな気軽に行けるか! それにな、魔力なんざ、どぉーーでもよかったわ! 困ることなんてありゃせんわい!」

 「王都で困ってるの見ましたけど⁇ 地味にフレン卿の指導も、頭抱えてたじゃない!」

 「な……見てたんならそっちから言いに来い! 救世主ならなんか出来ただろうが!」

 「呼んでたわよ! 魔力通して! それなのに源一郎ったら、本当に厄介な魔力を……」

 言葉を切り、グリッドは口を噤んだ。目で少年にも静寂を求め、少し深呼吸を挟む。

 「……状況を端的に言うわよ、源一郎。ここはよく聞いて」

 ライルも口を噤んだまま、コクリと頷く。

 「ここは世界と魂を繋ぐ境界。救済の花に触れたことで、ようやく私の干渉出来たのよ」

 「死んでおらんのか? だが、今こうしている間にもアークの攻撃が……」

 ライルは魔人が生み出す巨大な刃を思い浮かべた。

 「それは安心していいわ。今は時間を圧縮しているから少し話した程度では向こうの時間は進まない。だからといって悠長にもしてられない。タイムリミットはあるの」

 すると、グリッドはしゃがみ込み、ライルの肩を両手でガシッと掴む。

 「いい? 源一郎は魔力を持ってるわ。虚の魔力にも負けない魔力を!」

 ゴブリンの戦列が猛り、騎士達に激突していく。オーク達は地面を踏み鳴らし、人々の悲鳴は止まらない。そんな混乱の中、王城ではエイト王が各所へ檄を飛ばしていた。

 「王城を解放しろ、避難場所は貴族の館だろうと選ぶな!」

 臣下や兵達の尽力もあり、避難の7割は完遂している。問題は魔人アークの行方だった。

 ドラコとフォルマが会敵した後の消息が掴めていない。

 (宙を飛んでいたという事は……まさかそのまま救済の花に向かったのか?)

 不安に駆られ、エイトは各所に配置した兵数を確認した。

 東西南北の防衛戦は絶妙な均衡を保っている。とてもじゃないが、ライルとフレンへ救援を送るのは得策とは言えない。下手をすれば4方の何処かが突破されかねない。

(……すまない二人とも……‼︎ せめて住民の避難が完了するまで辛抱してくれ……!)


 災害は王都だけではない。世界にある都市、街までもが、魔物の暴威を受けている。

 長い年月をかけて世界中に設置された召喚法術は、アークの無尽蔵の魔力を受けて次々と魔物を呼び出したのだ。駆け回るゴブリンと、地を震わせるオーク達に人々は恐怖する。

 「避難だ、シスター! 急げ!」

 辺境都市メイルルート。街からやや外れた丘にある教会へ、一人の男が駆け込み叫ぶ。

 篝火に照らされた彼の姿は、魔物達の血ですっかり汚れきっている。

 「シスター・サリヴァン! 何をしているんだ、早く逃げるぞ!」

 黒衣の修道女に駆け寄り、腕を掴むと、彼女は「あら、騎士様?」と呑気に言った。

 今は説明の時間すら惜しい。無礼と知りつつ、男は彼女を出口へ引っ張る。

 「騎士様……確か、オーレン卿でしたっけ? 一体何事ですか?」

 引っ張られている彼女は当然の疑問を口にするが、外の光景を一目見て全て理解した。

 「……っく、思った以上に早いな」

 教会の門前に群がったゴブリン達を前に、オーレンは唇を噛んだ。

 鉄柵をガンガンと叩き、壁をよじ登る怪物達を見て、シスターは一歩だけ下がった。

 彼女を守るように前に出る騎士へ、静かに語りかける。

 「……オーレン卿。守って下さるのでしょう?」「無論だ! 誰も死なせるものか‼︎」

 剣を引き抜き、騎士は叫ぶ。その声に、瞳に、何一つ曇りはなかった。

そしてそれは、シスター・サリヴァンとて同じこと。

 「では、私もお手伝いしましょう。支援系の法術なら多少修めておりますわ」

 ゴブリンが唸り、電光が煌めく。激しい戦闘の最中でありながら、シスターは確信していた。今、息子達も必死に戦っているのだと。

 (ライル……さっさと世界を救って帰ってきなさい……待っていますよ)


 王都東門に敷かれた戦線は未だ健在。騎士団長の奮戦による士気の上昇によって、どうにか膠着状態にまで持ち込んでいる。何よりも、墜落した二人の騎士団長が生きて彼らの背に居ることが、この戦列の意気を保っていた。

 戦列の背後に設けられた仮設治療所にて、ドラコとフォルマは横たわっている。

 切断された腕の処置が終わり、ドラコは額に浮かんだ大粒の汗を拭う。

 「……情けねぇ……」そう独りごちた大男には、何かに当たる力もない。隣には、白い騎士が横たわっている。ベッドはなく、お互い地べたに転がされたような状態だった。

 「……感謝しろ。白斬の治癒師は優秀だっただろ……」

 白い騎士の皮肉にも力がない。魔力を使い果たし、魔人の煤を浴びたフォルマもまた、つい先ほどまでは意識を失っていたのだ。

 「ああそうかよ!」とドラコは投げやりに応え、暗い天幕を眺める。

 「……止められなかったな」と、フォルマが呻くように呟いた。

 トラットを倒すのは弟子としての責務だった。だから二人は攻め手に名乗りを上げた。だが届かなかった。守れなかった。何一つ取り戻す事は出来なかった。後悔の念は渦を巻き、フォルマの中で何かが決壊する。目からこぼれ落ちる涙を、彼には止める術がない。

 嗚咽混じりの声を聞き、ドラコは手元にあった手拭いを投げつける。

 フォルマの顔にかかると「隠せ。大将が泣いてんじゃねぇ」と背を向けた。

 「ドラコ。お前は悔しくないのか? どうしてそう平然としてられる?」

 「悔しいに決まってんだろ……でもな、俺んとこの連中だって優秀だ」

 戦場の鬨と駆け回る治癒師達。そんな喧騒の中で、ドラコは確かな声で言ってのける。

 「フレン。根性なら全ての騎士の中でも一番だ。それにライル。自力なら俺より強ぇ」

 「あの魔力の無い子供がか……?」

 「……ははっ! そうだぜ。魔力の無いあんなガキを、俺は信じているのさ!」

 フォルマに言われ、彼は自分がいかに非常識なことを言っているのか気が付き笑った。

 「根拠なんて微塵もねぇ。でもな、ライルなら何とかする。そんな気がすんのさ」

 「……お前はどこまでバカなんだ……」

 手拭いを目に押し付け、フォルマは呆れた息を一つ吐いた。

 「お前がそこまで信じるんなら、私も信じたくなるじゃないか……」

 「信じろ信じろ! 俺たちにできる事なんて、それくらいしかねぇんだからな!」

 二人の微かな祈りに応えるように、傍に置かれたランプの中の火が、微かに揺れた。

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