第27話

 ライルとフレンはその一部始終を見て、言葉を失っていた。暫しの沈黙の後、フレンがポツリ、「勝てるかな。私たち」と震える言葉を吐いた。

 ライルは彼女を見上げた。鈍い雲を通した夕焼けが、噛み締めた唇を赤くしている。

 夜が来る。いつもなら街灯がつく時間帯にも関わらず、王都は暗黒に染まりつつあった。魔力凝集塔が機能しなくなった結果、王都は光を失った。

 フレンは、全身が凍りついた気分だった。万全ではないとはいえ、国土級騎士の渾身の一撃は、あの魔人のドス黒い魔力に一瞬にして塗りつぶされた。

 次の狙いは救済の花。それを守るのは自分達。救援は期待できない。いや、そもそもあの魔力に対して数を集めようと……と、先走る不安に、左手の暖かさが立ち塞がった。

 ライルがそっと、彼女の手を握っている。

 「……フレン。ワシはもう随分と長く生きてきた。前世を含めりゃ133年だ。これだけ長く生きても、後悔ってのは消せないもんさ……」

 少年の手が強く握られる。見下ろしたライルの表情は、あまりにも穏やかに見えた。

 「ワシは、故郷のシスターともう一度会いたい。会って、心配かけた事を謝りたい。それがワシの後悔だ。お前はどうだ?」

 「……私、いっぱいある。ライルの神木流、まだまだ教わってない技が沢山ある。紅翼の仲間にだって会いたい。団長にだってお礼を言いたい。ミストレア副団長のお墓もちゃんと作ってあげたい。もう一度、オーレンと正々堂々戦いたい……」

 身の内にある後悔、望み、我欲。一度それを考え出すと目から想いが溢れ出し、ぽたり、と神殿の白い手摺りに落ちる。

 「どうしよう、ライル……やっぱり私……まだ死にたくない……」

 「ああ、ワシもじゃ。だから戦おう。お互いがお互いのやりたい事のために……」

 少年の右手が熱っぽく握られると、女騎士は勇気を受け取るように強く握り返した。

 「それにな、策がない訳でもないぞ」と、少年はいつものように飄々として語り始めた。


 やがて日が沈み、王都は暗黒へ。煤を纏う魔人は空を進み、東の防衛戦を通り抜けた。

 騎士団長を失ったにも関わらず、白斬の精鋭達は抵抗を続けていた。だが、それもいずれ無意味になる。内陸への召喚法術を阻害している救済の花を伐採しさえすれば。

 やがて魔人アークは辿り着く。王都に聳え、人々を見守り続けた救済の花、その根本へ。

 そこは救世主との決戦の地であった場所。かつては人の手が入っていない、ただの丘であったが、今は聖地として神殿が建てられ、拝花教の拠点となっている。

 「無粋な連中だ。僕とグリッドの思い出をここまで汚してくれるとは……」

 「無粋、か。随分と親しげだな」と、魔人の眼下で白銀髪の少年が不敵に微笑んでいる。

 「……やはり君ぐらいか。弟子以外に、この私の前に立ち塞がろうというのは」

 「お互い中身は若くないんだ。ちょっと話そうじゃなか、トラット卿」

 手招きしたライルを、魔人アークは浮かんだまま睨みつけた。

 「誰が君の射程に入るものか。悪いが君の手が届かない位置から魔力を浴びてもらおう」

 魔人アークがさらに上昇する。手も足も出ないとはまさにこの事。

 「さらばだ、転生者! 虚の魔力×破壊法術‼︎」

 煤が魔人の頭上に球体を作ると、神殿を丸ごと飲み込む程肥大化した。そして、破壊と虚無の塊が、一人の少年目掛けて堕とされる。暴風の中、それでもライルはニヤリと笑う。

 「……今じゃ、フレン‼︎」そう響いた少年の声。途端に彼の足元が割れ、巨大な蕾が地面を割って迫り出した。花が開くと、蕾の中から剣を携えたフレンが現れる。

 「――華の魔力×創剣法術‼︎」詠唱によって、花の周囲から巨木が伸び上がる。先端は刃を形作り、ロケットのように、黒い球体へと突き刺ささる。

 「フレンか……無駄な足掻きだ‼︎」

 突き刺さった長く巨大な木剣は、黒い球体によって無為に削り取られた。だが、木剣は止まらない。消失したはずの断面から、次々と新しい芽が伸び、無数に伸びる鋭利な枝が、魔人目掛けて襲いかかった。

魔人は纏わり付く植物を虚の魔力で消しとばす。それでも断面から新芽が伸びる。いかに虚の魔力を撒き散らそうとも、攻撃が絶え間なく続いていく。

 「予想外だったかな? ワシ自慢の弟子の力は」

 「どうあれ無駄だ‼︎ 人の魔力である以上、虚の魔力は破れん‼︎」

 黒い魔力は魔人の全身を包むように展開された。これでは植物の切先が届かない。

 さて、と。ライルは巨木の枝を踏み締める。ここから先は憶測の域。最悪の場合これで死ぬかもしれない。それでも、僅かな希望を頼りに剣を握る以外に道はない。

 少年は下半身を落とし、全力で蹴った。よって少年は突風となり、刃を流す。

――神木流居合術、一文字。洗練した挙動は刃と重なり、魔人を横なぎに斬りつけた。

 当然ながら突貫と同時に少年は黒い魔力に触れる。どころか全身に煤を浴びてしまった。

 「ライル‼︎」という女騎士の叫びと共に、枝が伸び、落ちる少年をふわりと捕まえた。

 「ライルーー‼︎ ちょっと、生きてるの⁉︎」

 彼女の必死の声に応えるように、少年の手が枝の中からちょこんと出てくる。

 そのいかにも元気と言わんばかりの振りように、フレンはホッと胸を撫で下ろした。 

 胸に一文字の傷を抱え、魔人はライルを睨む。その視線を、少年は不敵な表情で返す。

 (思った通りだ。奴の虚の魔力には、二つの力がある……)

 団長達の戦い。これを見てライルは気が付いた。虚の魔力には二つの能力がある。

 一つは人間を殺す能力。触れただけでも危険であり、全身を覆われれば即死する。

 もう一つは魔力を侵食する能力。他の魔力でこれを攻撃したとしても、即座に虚の魔力が浸透し、魔力ごと破壊してしまう。フォルマの剣をかき消し、ドラコの龍燐の防御を容易く破ったのも、この力。まさに無敵の能力。しかし、つけ入る隙はある。

 一撃目はドラコ全力の拳による物理攻撃だ。不意をついたとはいえ、虚の魔力を纏っていた魔人にこれは通用した。であれば、一つの仮説が立つ。

 二つの能力は同時に扱うことは出来ず、レールを切り替えるようにスイッチしている。

 「私の虚を看破するとはな。華の魔力による攻撃⇨魔力侵食にシフト。その最中に君の物理攻撃……身体や技だけではなく、思考までも戦闘のためにあるようだな君は……」

 「相手の嫌がることを全力でやる。それが戦いの基本じゃ、覚えとけっ!」

 ライルが迫る。振り上げた彼の剣が桃色の花々を写し、魔人の首元へと滑り込んでくる。

 アークは畏怖した。ライルだけならどうとでもなった。フレンだけでも同様。

 だが、どうとでもなるこの二人が揃うだけで、復讐を脅かす強敵へと変貌した。

(ただの気まぐれだった……彼に協力したのも、転生者を手元で監視しやすくするため。それだけだった……早めに殺しておくべきだったよ……魔力が無いというだけで、脅威にはならないなどと、結局君を一番侮っていたのは、私自身だったか!)

 鋭い刃が首の皮を斬り、間も無く骨をも断つ。

その最中にも関わらず、魔人アークは少年の姿を目に焼き付けるように見つめていた。

 「――魔装法術」

途端に視界が黒に染まり、少年は剣を構え直す。

 (逃したか? だが、感触はあった。手傷は負わせたはず……)

 「……ライル・メーザー、貴様……」

 暗闇の中に漆黒の炎が一つ、揺らいでいる。まるで、こちらを睨みつけるように。

 「何故、生きている」暗闇に響く魔人の声。ライルの背中に悪寒が走り、どこへともなく飛び退いた。空間に漂う死の気配に、吐き気が込み上げる。

 「――何故、死なない」「禅問答なら他所でやってくれ」

 己の弱気を断ち切るように、精一杯の言葉を吐き出す。どこまでも広がる暗闇の中、ライルは必死に出口を探す。経過時間すら分からない闇の中で、タイムリミットは見えていた。発狂という時限爆弾は既に秒読み段階だ。

 その時、ライルの目に希望が写る。桜色の枝花が視界の端に現れ、少年はそこへ駆けた。

 「死ね、しね、死ね死ね死ね死ね死ね……」

 怨嗟の言葉を背に、ライルは一瞬振り返った。漆黒の炎は歪に広がり、少年を追うように燃え上がる。あれに触れればどうなるか、恐怖がライルを必死に走らせた。あと一歩でも遅ければ炎に巻かれていただろう。ライルは桜色の花咲く枝に手をかけた。

 枝に引き込まれ、元の光景が現れる。そこには地上で腕を広げたフレンの姿。

 「ライルーー!」そう叫び、彼女は少年をキャッチした。

 少年は落ち着かない鼓動のまま、地べたにへたり込むと、空を見上げた。

そこには風穴を穿ったような巨大な黒が浮かんでいる。

 「あそこに居たのか……」

 「ええ、咄嗟に枝を伸ばしたんだけど、無事なようで安心したわ」

 「……安心もいいがな、どうやらまだ終わってないみたいだぞ」

 言い終わったその瞬間、黒い球体にヒビが入り、破裂した。煤煙が上り、周囲に霧が立ち込める。球体を見上げていた二人も、その影を視認。同時に、双方の先が警報を鳴らす。

 「「……‼︎」」

 挙動は見えない。だが感じる。確かな殺意を持って、眼下の二人へ迫っている。

 二人の回避はまさに本能的。足元が噴火したような、思考を捨てた緊急避難。だが神殿に降り立った殺意から攻撃はなかった。着地しただけで、膨大な殺意を振り撒いたのだ。

 「……そう慌てるな」と、立ち込める黒い霧の中、男の声が神殿の床を叩く。

 ライルは全霊の警戒を持って、フレンは全身の神経を声の先へと向けている。

 二人の視線を感じながら、漆黒に輝く鎧がガシャリ、と音を立てた。

 「……それがアンタの魔装法術、か……」

 ドラコとの死闘が思い浮かんだ。魔力の読めないライルでさえ、その法術の圧倒的な佇まいに畏怖した。だが、ドラコ以上に異質な存在がそこには居る。

 その鎧は丸みを帯びた意匠ながら、過剰な悪意を詰め込んだような、不吉な輝きがある。その不気味さの正体に、ライルとフレンはすぐに気が付いた。一見何の変哲もない紋様が刻まれているが、よく見るとそれは、苦痛に歪んだ、顔、顔、顔。

今もこちらに絶叫を上げているような、壮絶な者達だった。

 「魔装。これは人間が創り上げた中でも最悪の発明品さ……膨大な力を得る代わりに、使えば使うほど、術者は元の形を保てなくなる」

 すると、魔人は頭上に聳える救済の花を指して言った。

 「あれは魔装の成れの果て。魔力と完全に一体となり、意思を同調させた結果、願いを叶え続けるだけの装置へと変貌する。それを崇め奉るなんて、下品にも程がある」

 どこか懐かしむような、悲しむような表情で、アークは花を見上げ、続けた。

 「いずれ私は彼女と同じになる。人間を殺し続ける呪いへと変貌する。君たちに出来ることはもう無いよ。せめて最後の時は穏やかに過ごしてはどうかな?」

 「愚問だ、それは」「ええ」

じわりと構えるライルとフレン。両者は示し合わせたように同調し、一歩、また一歩と魔人へ近づく。その様子を見て、アークは「はぁ……」と呆れるようなため息を吐いた。

 二人は一斉に踏み込んだ。ライルは左からアルトの剣を、フレンは右から薔薇を纏った剣を振りかざす。だが、二つの剣戟は止められる。まるでボールをキャッチするように、あまりにも簡単な動作で。それでも、師弟の攻撃は止まらない。

 「――華の魔力‼︎」フレンの詠唱によって、剣に纏った薔薇がアークを襲う。

 それに沿うように、ライルは掴まれた剣の角度を変え、切先を魔人の首筋へと傾けた。

 薔薇と切先。完璧なシンクロをもって繰り出された攻撃に、魔人は目を瞑った。

 「無駄だ……」

 刹那、黒い火炎が爆風を引き起こした。あまりにも単純で、あまりにも暴力的な風が巻き起こり、二人は成す術なく吹き飛ばされた。フレンは、衝撃で床に転がり息が出来ない。無くした呼吸を探すように、必死になって胸を叩いた。

 フレンがそうしている間、魔人は彼女の反対へ飛ばされたライルの側に降り立った。

 ライルも衝撃に視界が歪み、朦朧としている。そんな少年を魔人が掴んで上げる。

 「ライル。どうして戦う? 君だって人間の醜さはよく知っているはずだ」

 襟首を掴まれ、無理矢理合わせた視線。ライルは息を整えつつ、ゆっくりと口を開いた。

 「……醜い、か。確かにな」と、息が続かず言葉が切れた。アークはライルの返答の続きを待った。やがて大きく息を吐き出し、ライルは魔人の瞳を見つめ返す。

 「……お前のいう通り、人は醜い。だが、人にあるのは何も醜さだけじゃねぇのさ」

 「ほう。ではなんだと言うんだい? 是非とも私に教えてくれたまえ」

 嘲笑うように瞳が歪む。反対にライルは、笑顔を作った。少し安心したように。

 「…………そりゃ、お前さんが一番よく知ってるんじゃないか?」

 「……私を、舐めるなよッ‼︎」

 魔装の膂力で左腕を振り、砲弾のような勢いでライルは投げられた。彼は幹のように巨大な救済の花の茎へと激突し、臓器がひっくり返る感覚に声にならない悲鳴を上げた。

 (これは、いかん……いま、広場にはフレンが一人……)

 しかし、その心配は杞憂に終わる。アークの怒りは凄まじく、矛先は未だにライルへと向いたまま。その証拠に、投げられた際に落ちたアルトの剣が、少年目掛けて投げ放たれた。単純な魔装の膂力によって、剣は銃弾並の速度でライルの腹に突き刺さったのだ。

 「~~~~ッッ‼︎」

 まるで画鋲で固定された掲示物。彼を貫通した剣は救済の花にまで深々と刺さった。

 「――虚の魔力×創刃法術」アークは再び浮き上がり、魔力を展開した。漆黒の炎が、10メートルはあろうかという巨刃を焼き上げる。

苦痛の中、ライルには最早、その黒い刃を見つめる事しか叶わない。

 初めてではなかった。自分よりも強い相手と戦うのは。初めてではなかった。絶望的な窮地というのも。初めてではなかった。愛弟子を置いて先に逝くのも。

 「さらばだ。ライル、グリッド……!」

 アークの無慈悲の言葉の後、巨大な黒刃は射出された。

 初めてだった。自ら敗北を認めるのは。

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