第25話

 同時刻。トラットの消えた病室は静まり返っていた。フレンとエイトはその場にへたり込み、ライルは考えに耽っている。魔人アークの魔力。どうすればあの力を攻略できるのか。ヒントは追憶に居た救世主だ。紛れもなく、転生の折に見た自称女神そのものだった。

 不死の魔人を、容易く斬り滅ぼしていたあの魔力。僅かばかりの希望がある気がした。

 (救済の魔力……自称女神は確かにそう叫んでいたな……)

 窓から見える救済の花は今日も咲き誇っている。だが、遠くで上がる黒煙も目に入る。

 距離的に紅翼と白斬の戦場からではない。そこからもっと遠く。王都と街道を繋ぐ西門に近い場所からだ。それだけで、大方の想像は付いた。

 「……二人とも、惚けている場合ではなくなったぞ。西門から煙が上がっておる」

 緊迫した声に、フレンは立ち上がって窓へ駆け寄った。

 「本当だ……やっぱり、トラット卿?」「だろうな。奴は早速動き出したって事だ」

 もう話している時間すら惜しい。急いで事態を把握して動かなければ。

 ライルがそう思い振り返ると、力なく項垂れたままのエイトがそこに居る。

 「……エイト。最後の魔人が侵攻を始めたようだ。急いで王城に戻ろう」

「もういい。僕なんかが居なくても何も問題はないよ。今頃は騎士団長が配備を始めている。臣下達は被害の把握。避難先の当たりもある程度は付けているんじゃないか?」

 暗く重たい息を吐き、エイトは自嘲する。

 「トラットの言う通り、僕は何者にも成れない。この国には僕よりずっと優秀な人間が大勢いる……詰まるところ、僕には何も出来やしないんだ……」

 投げやりに嘯く口を黙らせるため、ライルは彼の胸ぐらを掴み上げた。

 「立て。弱音なら後でいくらでも聞いてやるわい」

 「よしてくれ! 君らは騎士団長の指示を仰げばいいだろう!」

 喚くエイトを、ライルは窓へ叩きつけた。薄いガラスは割れ、王は痛みに顔を顰める。

 「見ろ、あの黒煙を。そして想像しろ。あの下で何が起きている惨劇を。今、国民が危機に陥っている。救えるのは騎士団でも臣下でもない。お前だ。お前の意思が必要だ」

 頭に走る痛み以上に、エイトの心は深く痛んだ。だが、彼の灯火は消え失せている。

 「……無理だ。今までだって、ほとんどトラットがやってくれた。それを今更……」

 ライルは手を離し、不安に駆られる国王の瞳を覗き込んだ。

 「いいかエイト、何も差配をしろとは言わん。そいつはお前の言う優秀な連中に任せておけ。だが、お前にしか出来ない事がある。それだけは、トラットにだって出来ない事だ」

 「……僕、にしか……?」そう呟くと、エイトの瞳が開く。

 「意思の元に皆の想いを纏めろ。上に立つ者の仕事はそれよ。お前の国民を守りたい。救いたい。豊かにしたい。その意思が臣下に行き渡っていたからこそ、王都や、ワシの故郷でさえ、平穏に統治されていた。お前は紛れもなく立派な王様だよ、エイト」

 心の灯火はトラットの手で消え去った。エイトの心は今も吹雪の中に居る。その只中にあって、少年は「立て」と言った。「お前にしかできない」と。

 心の吹雪は依然吹き荒れている。心は深く傷付いたままだ。

 「分かったよ」

 窓から差す光を浴びて、それでも、エイトは立ち上がる。

 「僕は僕がやるべき事をやる……だから、手伝ってくれ、二人とも……!」

 もう、敢えて応える必要などない。フレンは窓枠に手をかけた。 

 「じゃあ超特急で行きますよ、国王様‼︎ 華の魔力――」

 魔力で顕現した蔓が、エイトとライルを絡め取る。

二人が背にしっかり固定されると、フレンは窓から飛び出した。

 地面に付くか付かないかの間際、フレンは新たな蔓を別の建物に絡ませ、空中をスイングする。次々と建物を移り変わり、馬より早く街を駆け抜けた。

 どこか覚えのある移動方法にライルは声を上げた。

 「フレンよーー! いつのまにこんな技をーー!」

 「さっき! 王城へ走ってる時に思いついたのよ! エイト王もこれで攫ったのよ!」

 ルートエスタ城。落成から100年を越えようというこの城は、腕ききの職人達によって日々丹精に整備され、新築のような真新しさと年相応の奥ゆかしさが同居している。

 そんな王城の中でも特に貴重な物が、謁見に使われる広間のステンドグラスだろう。

初代国王を描いたこれは荘厳な輝きを放ち、眼下の臣下達を見守っている。

 「……エイト王はまだか‼︎」「はっ! 既に治療院に迎えの兵を送っております!」

 急かす文官と兵を見て、フォルマは大机に置かれた地図を握りしめる。

 既に東西南北で防衛前線は築いたが、相手は無数に湧き出す魔物を前に後退しつつある。早く打開策を協議しなければ。そう焦っているのは、机を挟んでいるドラコも同様だ

「このままじゃジリ貧だぜ。その上国王様も行方知らず……こいつぁ……」

 「……それ以上は、言うな……!」

 亡国の危機において臣下達のすべき事は一つ。国王と王族を安全な場所へ移送する事。

 「……大したお方だよ、エイト王は。この鉄火場で、誰一人として王を疑う者がいない」

 ドラコの視界の端端で駆け回る文官、伝達員。

怒号や檄が飛び交いながらも、皆一様に王の帰還を待っている。だからこそ懸命なのだ。

 この広間を司令本部に置いたのも、臣下達に信仰めいた思い入れのためだった。

 国の窮地にエイト王が座るべき場所に相応しい場所……彼らの中では此処しかなかった。

 フォルマは、玉座の背に輝く初代国王のステンドグラスを見上げ、心で祈る。

 (願わくば、エイト様をお守り下さい……)

 虹彩はこの窮地にあっても、美しいままであった。

 ガッシャーーン‼︎ と、初代国王がバラバラに砕け、駆け回る者達に降り注ぐ。

 王権の象徴とも言える品は粉砕。だがそれ以上に、皆の注目は一点に集まっていた。

 「どけフレン! お前のデカいケツに、は、肺が潰されコホッ……!」

 「レディに失礼ですよ、ライル? エイト王はご無事ですか?」

 「ありがとうフレン。全然無事じゃないが、お陰で早く着けたようだ……」

 ガラスの粉を振り払い、彼は顔を上げた。

その場の全員が固まりながら、若王の盛大な帰還に戸惑っているようだ。

 「皆、ご苦労‼︎ だが火急の事態だ! 今は気にせず続けろ!」

 彼の投げた言葉が、止まった水面に波を起こす。彼らは再び動き出した。

 エイトは通り過ぎざまに彼らを労いつつ、ドラコやフォルマ達、司令官の集まる大机へ進み出た。地図の広がる机に両手を叩きつけ、王都の指揮者達を見回す。

 「遅くなってすまなかった。誰か、現状を簡潔に教えてくれ」

 大机を囲む者達は互いに目を見合わせ、迷っている。その間に、ライルとフレンが直属の上官であるドラコの後ろに控えると、フォルマが口を開いた。

 「……では私から。王よ、事態が事態なのでいくつかの儀礼は省かせていただきます」

 「構わない。この場の全員も同じだ」

 「は。ではまず、王都の被害状況です。一般市民だけで既に千を超える死傷者が出ています。このほとんどは、魔物の発生による被害です」

 フォルマは机に広がる王都の地図を指さした。

 「発生している場所は東西南北、それぞれの大門、その内側です。白斬と紅翼で防衛前線を築き、奮闘していますが、魔物の量が凄まじく、少しずつ後退している状態です」

 「……住民の避難状況は?」そうエイトが訪ねた瞬間、臣下の一人が声を上げる。

 「王よ! 今は住民よりも貴方様の避難が先です! 一刻も早く、王都から脱出を!」

 男の声に、エイトは怯んで口籠る。何かを言おうにも、次の言葉が出てこない。

 「そ、それ、は……」

 「この場の全員は同じ想いです! 国民は死のうと、貴方様さえご存命であれば、国は蘇る! であれば何を優先するべきか瞭然ですッ!」

 周囲の者達も同意するように頷き、エイトの言葉を待った。だが彼は、不安にかられてライルへ目を向けていた。助けを求めるような眼差しを受けて、ライルは静か見つめ返す。

 (お前が言うんだ、エイト。お前が、お前の想いを……)

 少年の真摯な瞳を受け、エイトは腹を決めるように目を瞑り、思い起こす。城下で過ごした日々を。闘技場で常連達と語り合った。王都中の商店を巡り、屋台の味に舌を巻いた。教会の子供達と駆け回り、泥だらけになって遊び尽くした。

 「だめ、だ……」彼らは今、何をしているのだろう?

 こうして言葉を詰まらせている間にも、一人、また一人と命が消えている。

「……王よ、今何と?」

 顔を上げる。大きく堂々と。そして言い放つ。この胸に溢れる想いの丈を。

 「僕は逃げない‼︎」

 臣下達の表情は驚愕に変わる。彼らの驚き様を感じる間も無く、エイトは続けた。

 「この広間の全員もよく聞け‼︎ 君らの家族や友人、愛する人が今この瞬間も苦しみ殺されている‼︎ 彼らを救えるのは全容を把握しているここに居る者だけだ‼︎」

 力強い音だった。それこそ、その場の全員に燃え上がるような使命感が灯す程に。

 机を囲む指揮官も、駆け回る文官や兵たちも、エイトの言葉で目の色が変わっていく。

 「これは未曾有の魔人災害だ。だからこそ市民の命が最優先‼︎ 絶対に守り抜くぞ‼︎」

 「「「「「は‼︎」」」」

 閉塞的な危機感がなりを顰め、焱のような闘志と決意が広間を満たす。そうして議論の始まった大机。指揮官達の言葉を聞く王の佇まいも、戦う男の色に変わった。

 その頃、魔力貯蔵タンクの魔人アークは、怪訝に眉根を寄せていた。

 おかしい。魔物召喚の起点は王都内に30は設置してある。本来なら虚の魔力を土地へ流すだけで王都全域に魔物が現れるはず。にも関わらず、観測できるだけでも東西南北の大門付近に設置したものしか起動していない。

 「気になるのは魔物が召喚されている場所じゃ」

 市民の避難誘導や防衛についての議論を終え、指揮官達が机を離れた頃、ライルは団長二人とエイトを呼び止めた。

 「何が気になるってんだ?」

 「想像してみろ、最後の魔人はこの日のために入念な準備をしていた筈だ。なのに、肝心な方策は東西南北から魔物による襲撃のみ。80年もかけたにしては余りにも……」

 「お粗末、とでも言う気か?」

 口を挟んだのは白い甲冑のフォルマである。ライルはこともなげに頷いてみせた。

 「馬鹿を言うな。それでも尋常ではない数が召喚されている。それも止めどなくだ!」

 「ああ。だがおかしくないか? 何故トラットはこの4点にしか召喚しないんだ? 人類を滅ぼす、というなら王都全域に一斉に召喚すべきだろう。長年守護騎士を務めた彼が、防衛拠点を作らせるような事を果たしてするかね?」

 そう言われ、フォルマは思案し、ライルを見た。研ぎ澄まされた、冷静な視線だった。

 「……我々は少しで早く前線に戻らねばない。要は何が言いたいんだ、少年」

 「すまない。では結論から言おう。恐らく原因は”救済の花”だ」

 「救済の花……! そうか、あの花のせいで……!」

 鉄の空間に魔人の声が反響した。アークは想起する。救世主グリッドの最後の瞬間を。

 彼女の、終わりかけの体に纏ったあの魔力。救済の魔力。それは人類救済の願いが顕現したもの。故に、人類破滅の願いである虚の魔力を打ち消してしまう。

 最後の最後、グリッドは渾身の魔力であの法術を使った。救済の花はその代償。

 グリッドの悪あがきの結果、あの姿に成れ果てた。これまでアークはそう推察していた。

 「違った。グリッドは、自らあの姿になったのか……この僕の復活を予期して……」

 「予期していたんだろうな、この事態を。だから救世主はあの巨大な花を遺したんだ」

 「なら、今でも救世主様は魔力を使って私たちを守っているのか⁉︎」

 話が進むほどに驚愕を露わにするフォルマ。だがライルは複雑な表情に変わっていく。

 「そこまでは分からんさ。だが、魔力を阻害しているものにはアークもすぐに勘づく。そして、そいつは王都の中心に聳えとる。魔物だけでは排除出来まい……」

 ◇

 「……グリッド……死して尚、僕を阻むか……」

 魔人の胸の内は空洞だ。彼の想いも、誇りも、信念も、全て虚に反響するだけ。

 この80年間ずっとそうだった。ただただ機械のように、着実に、計画を進めてきた。

 最後の最後に現れた大きな障壁を前にしたアークは、顎を開いて声を上げる。

 「はははははははは‼︎ やはり僕の計算を上回るのは君だけか‼︎」

 80年ぶりの悦びに、アークは体を打ち奮わせた。

 「はは、ならグリッド……今度こそ最後の鬼ごっこだね……鬼は私、獲物は……」

 「救済の花だ。あれを守り、刈りに来る魔人を倒す。これこそが最善策」

 4人の騎士とエイト王は王城の長い廊下を進んでいた。

 「なら、師匠を倒すのは俺とフォルマだ。文句は言わせねぇ」

 黄金の髪をかき上げて、ドラコは白い騎士へと目を向ける。

 「文句などない。それが弟子だった者としての務めだ」

 静寂な声には確かな怒りが込められている。

 「であれば救済の花を守るのはワシとフレンで行こう」「うん。私も意義なし!」

 師弟二人は目線を合わせる事なく、ただまっすぐ進んでいる。歩調はそっくりそのまま同じなので、後ろを歩くエイトは思わず頬を緩ませた。

 「援軍は期待しないでくれ。防衛線を維持するために、兵力はこれ以上分散できない」

 「なぁに。ワシとフレンはあくまで保険。国土級の二人が何とかしてくれるさ」

廊下を抜け、城の広場に出る。鈍色の空の下、広場は今でも臣下達が駆け巡っている。彼らも戦っていると感じ、エイトの胸の奥から熱いものが迫り上がってくる。

 「全ては君らの尽力にかかっている。市民を救い、国に平穏をもたらすんだ……!」

 熱のままに吐き出した声は、騎士達に火を灯す。フレンは魔力の蔓を伸ばし、ライルの体を片手で抱えた。ドラコも魔力で作った翼を広げ、フォルマの腕をしっかりと握る。

 出立を整える4人の背中へ、エイトは呟くように「もう一つだけ」と語りかける。

 「……国王の我儘を聞いて欲しい。前線で戦う騎士、王都中を走る臣下達、この国に住まう人間、そして君ら。皆、僕の愛しい家族だ。だから絶対に生きて帰れ!」

 「……ははっ! なんて強欲な王様だ! こりゃ、臣下やるのも大変じゃのう!」

 「わ、笑うなっ! 僕は本気だ!」「……ああ、分かっとる」

 少年はゆっくりと頷くと、エイトへ人差し指を向け、言った。

 「それでいい。それでこそ、我らが王だ」

 蔓がしなり、翼が大きく広がった。二つの影は、鈍色の空を切り裂くように広場を飛び立つ。残影に希望を託し、王は奮い立つ。彼らを信じ、今は王としてやるべき事を。

 重厚な足取りで、エイト王は王城へと足を向けた。

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