第24話
国土級同士の全面衝突。それは王都全体どころか、周囲の街までを震撼させた。
雲を穿つ炎柱と、大地を穿つ剣の雨。これぞ、一国を守護範囲とする国土級の世界だ。
(計算通り……いや、それ以上か……)
最後の魔人、その名もアーク。肌で感じる爆音も、魔力も、尋常ではない威圧感だ。であれば急がなければ。丹念に拵えた計画を、密かに、迅速に実行しなければ。
アークにはその責務がある。今も彼の家族、一族、種族全員が耳元で囁いている。
『奴らのした事を忘れるな。報いを受けさせろ。あの凶悪な生物を生かしておくな』
何十年と聞き続けた怨嗟の声が、彼の脳裏にこだまする。
◇
病室の窓は、外の衝撃に悲鳴を上げている。治療院からそれなりに離れているにも関わらず、国土級同士の剣戟は、一つ一つが雷号のように唸りを上げていた。
(……団長の使っていた魔装法術か)
以前立ち向かったドラコの姿をライルは頭に浮かべた。
意思を持った天災。それが今現在、王都の中心部でぶつかり合っている。状況は見えないが、聞こえる轟音が伝えてくるのだ。トラットも、そのことはよく理解していた。
「王よ、一刻も早く王城へお戻りを。臣下もさぞかし浮き足立っている事でしょう」
この老騎士を想ってか、エイトは逡巡の後、コクリと頷き立ち上がる。
「では行く。お前はここで眠っていろ。なに、ドラコはすぐに帰ってくるさ」
それが未だ若さを残すエイト王の精一杯の強がりだ。トラットは口角を緩ませる。
「それでこそ王です。ですが、私も寝ている訳にはまりませんよ」
包帯まみれでぎこちない老体が、ベッドから降りようと動いた。
「待て待て、どこへ行くつもりじゃ」と、銀髪の少年が彼の肩を押さえて止める。
「第一凝集塔へ行かなければ……国土級の衝突は予測がつかない拡散魔力が発生するだろう。過剰な魔力を集めれば王都全体の配管が発火するかもしれん」
「何もアンタが行かんでもいいじゃろう。部下なり研究員なりに任せれば……」
「ダメだ……! 停止のキーは私の魔力だ! 私が行かなくては……!」
声を荒げた老騎士は、ライルの手を払い除けた。
「……トラットの言う通りこのままでは危険だな。だが幸い、第一凝集塔はここからそう遠くない。フレン、向こうに車椅子があっただろう。持ってきてくれ」
エイトは冷静だった。確かに予期される危機は少ないに越したことはない。
「全く、今度から予備のキーも用意しておくんだな!」
「ああ、すまないライル。エイト様も、ご配慮に感謝します」
と、同時に廊下へ飛び出していたフレンが木製の車椅子を押して戻ってくる。
「持ってきました‼︎」と、彼女は病室へ駆け込むと、車椅子をベッドへ向けて固定した。
ライルもトラットを支えようと傍へ寄ると、ベッドが軋む。老騎士がゆっくりと起き上がり、少年の肩に支えられながらも車椅子に腰を沈めた。
「よし! 行くぞ!」
外の剣戟は激しさを増している。このままでは市民は混乱し、死傷者が出るだろう。
悪い想定はそれだけではない。仮にドラコが負ければ、紅翼の士気は失われ、一瞬で壊滅。魔人フォルマは正体を隠したまま、全ての罪は紅翼へ被せられる。
国王として、そんな事は許さない。エイトは一刻も早く陣頭指揮を取るべく、足早に病室のドアを潜った。だがその時、ライルが声を張り上げる。
「待て……‼︎」
神木老人は混乱していた。これまでいくつもの修羅場を潜り抜けてきたが、この時以上に戸惑った事はない。そう、彼は気付いてしまった。途方もなく恐ろしい事実に。
困惑の色を帯びた皆の視線と相対し、ライルは震える指で一人を指した。
「トラット卿……なぜ、怪我のフリなどしてる……⁉︎」
フレンとエイトは老騎士の体を見た。全身に刻まれた傷跡は丁寧に包帯で包まれている。これは治癒師の処置だ。どこからどう見ても、この老騎士は重症だった。
だが、神木老人の見解は違う。彼はアルトを失った時の後悔からか、仲間の負傷に敏感だ。だからこそ、老騎士の動きに恐ろしい想像をしてしまった。
「ライル、一体どうしたんだい? 私はご覧の通り重症だよ?」
トラットの微笑み混じりの気さくな声が、今は無性に恐く聞こえる。
フレンもエイトも説明を求めるように頷いたため、ライルは身構えつつも口を開いた。
「……確認だ……今、アンタは車椅子に乗ろうと重心を両足に置いた。普通、負傷している人間がそんな事をすれば痛みに崩れる。たとえ一瞬だろうとそれが生理現象じゃ」
「……そう言われてもな……そうだ、不安なら怪我を実際に見てみるといい」
老騎士が脚の包帯に手をかける。布地を解き、素肌が見えかけたその瞬間、ライルはそこ目掛けて蹴りを放った。衝撃に傾く車椅子。咄嗟に椅子を支えたフレンの目に映ったのは、奇妙な腿だった。大きな切り傷がある。理解できないのがその傷の中心。まるで煤汚れを拭い去ったように、ライルの蹴りの跡らしき部分だけが、無傷の素肌を晒している。
あまりにも不自然な光景に、彼女は混乱した。同じくそれを見ていたエイトさえも。
「なんじゃその傷……! お前、一体何者だ⁉︎」
拳を握って構えるライルは、トラットの口角が静かに釣り上がるのを見た。
「……っは。はははは‼︎ いやはや、君はどこまで私の計算を超えてくるんだい⁉︎」
狂ったように笑う老騎士のこめかみ目掛けて、ライルは再びの回し蹴りを放った。
だが、問答無用と放った蹴り脚は、煤となって消える老騎士の残影を蹴り抜いた。
「やはり転生者は怖いな」と、トラットの冷淡な声がすぐ後ろに聞こえる。
煤煙にふわりと浮かぶそれは、もはや老騎士とは言えなかった。
フレンも王を背にして身構えるも、冷や汗が止まらない。
「これは……魔力なの……⁉︎」
濃い汚泥のような忌避感と、灼熱の溶岩のような理不尽さ。その両方が同居したような魔力だ。人としての本能がフレンへ訴えかける。
『これはあってはならないものだ。存在そのものが命を否定している』と。フレンほど明確でないにしても、ライルも近いものを感じ取った。故に確信する。
「……お前が最後の魔人だな……!」そう言うと、老騎士だったものを睨みつける。
「う、嘘だ……そんな訳ないだろ……!」
口を挟んだのはエイトだった。戸惑う彼は、硬直した笑みでトラットへ向かう。
「トラット、ふざけているだけだよな? 危ない危ない、騙されるところだったよ……」
「エイト! 奴に近づくな‼︎ フレンも止めんか!」
フレンはハッとしてエイトの肩を掴む。ライルも彼の前にせり出て盾になる。
そんな哀れな王を、異形になりかける老騎士は嘲笑った。
「……ハッキリ言ってやろう、エイト王。君は何者にも成れはしない。どれだけ恩情を振りまこうと、臣民と親しくなろうと、誰も君を愛しちゃいない。君の父親のようにな」
エイトの中で何かが砕けた。音にもならない呻きを上げて、彼はその場に跪く。
「ではさらばだ諸君。これより始まる終焉の時間を、精々足掻いてくれたまえ」
冷徹なトラットの声は、それを最後に病室から消え去った。
◇
無機質で巨大な空洞。そこに無色透明な魔力が流れ込んでいる。
第一魔力凝集塔、魔力貯蔵タンク。王都全体から集まった拡散魔力は、一度ここに集められ、配管を通して街中のインフラへと送られる。そこに男が一人、暗闇から迫り出した。
黒くヒビの入った頬はにわかに歪み、魔力に満ちた空間を見つめて歓喜する。
「素晴らしい! ドラコ、フォルマ、君たちは本当に素晴らしい弟子だよ!」
国土級騎士同士のぶつかり合いは、途方もない拡散魔力を生み出していた。それこそ、彼が80年前に失った力を取り戻すには十分過ぎる程に。
「実に長かった、この80年は。だが、これで終わる……終われるんだァァァーー‼︎」
絶叫の途端、透明な魔力が魔人へと流れ込む。枯れた体を潤し、白髪は黒く艶のある色に染まり、老骨は元の頑健さを取り戻し、皺の入った表皮が黒く剥がれ落ちて魔人特有の色味を顕現させる。これこそが、最後の魔人、アーク本来の姿形。
そして彼は虚空へ手をかざし、魔力を起動する。
「――虚の魔力×映写法術……思い出すがいい、人間ども! 我ら魔人の怨念を!」
◇
『滅び行く君らへ、最後の恩情だ。我らの怨念全てを、その魂に刻むがいい……』
どこからともなく声が響き、ライル達の人の足元がドス黒い水へ変質した。
落ちた3人はもがいたが、無数の手が彼らの脚を掴んで離さない。
『私の故郷は豊かな森林にあった』再びトラットの声が聞こえ、風景が変化する。
3人は森に居た。暖かい空気が通り、木々が揺れている。よく見ると、所々の巨木には木製の壁や屋根が設けてある。すると、角の生えた子供がフレン目掛けて突っ込んでくる。
彼女は咄嗟に受け止めようと手を広げたが、子供はフレンを通り抜けて行ってしまう。
「ここは幻影……魔力で作った映像の中よ」とフレンは確信を持って言った。
『皆、幸せだった。穏やかな日々だった……だが、日常は一瞬で崩壊した……』
幻影が切り替わり、緑豊かな光景は一瞬にして火の海と化した。甲冑を纏った人間達が、次々と魔人達へ襲いかかり、殺された魔人は打ち捨てられ、足蹴にされている。
「これはまさか……」と、エイトが静かに呟いた。
『両親も、兄夫婦も、まだ幼い姪っ子達も、私は全てを失った』
言葉と同時に、再び幻影が切り替わる。
今度は煤と煙に塗れた戦場。人間の軍列が、地平線の向こうまで続いている。
対する魔人は数える程。女性や子供、年寄りも混じっている。この圧倒的戦力差を前に、どの魔人も狂った笑顔で武器を手にし、声を上げて突撃していく。
『生き残った者達は、自殺するように戦死した。皆、一族の怨嗟を奴らに刻むために戦場を駆け、容赦なく穿たれ、切り刻まれ、燃やされた。最後に残ったのは、私だけだった』
煤色の戦場に雨が降り始めた。血を洗い流すような、大粒の雨が。
その中で唯一人となった魔人が、果てない絶叫を響かせて軍列へと突進する。
無慈悲に立ちはだかる無数の槍。それは最も簡単に、魔人を穿ち、死肉へ変える。
『これで死ねると狂喜したさ。だが、先に死んでいった者達は許してくれなかったようだ。この時、一族の怨嗟の願いが死後も強まる魔力となって、私に宿った』
胸に穿たれた穴は、漆黒に塗りつぶされた。幾重も受けた火傷も、斬傷も、全てが最初から無かったように、黒く削除される。そうして男は再び立ち上がった。復讐の徒として。
『これこそが最後の魔人の誕生だ。私は人の世を終わらせるため、この世に存在しなくなった者達を呼び起こし、不死の軍列を成した……』
赤く光る瞳が、次々と起き上がり、人間の軍を蹂躙していく。刺しても、斬っても、燃やしても、彼らは歩み続けた。人の全てを破壊し尽くすまで、止まることは決してない。
膨大に膨れ上がった復活魔人達は、とうとう王都まで侵攻した。
『怒りに任せて破壊と殺戮の限りを尽くした。だが、それを阻む者が人間達の中から現れた。君らもよく知る救世主、グリッド・メイルだ』
燃え盛る王都の街並み。煤に塗れた魔人の軍勢が、彷徨うように人を殺す。
これもまた地獄の光景。魔人への蛮行が、今後は人に帰ってきたとも言えよう。
『救済の魔力――!』
地獄の幻影に浮かんだのは、青い長髪を靡かせた甲冑姿の少女。
(あれは、確か……自称女神!)
魔力を纏った剣が、次々と魔人を斬って倒す。復活するはずの不死の魔人達は、そのまま煤煙となって消えていく。少女は猛然と戦い続け、やがて場面が転換する。
そこは王都を見渡す丘の上。赤に染まった世界で、二人は相対していた。
剣を構える少女は透明な涙を流し、狂ったように笑う男は赤い涙を流していた。
『……知っての通り、私は失敗した。奴との戦いで深手を負い、私は魔力の大半を失った。だがむしろ幸運だった。80年前の戦争は、負けるべくして負けたのだから』
再び光景は切り替わり、ボロ布を纏った子供が足を引きずっている。怒りに痙攣した表情のまま、男の子は赤い空を見上げた。視線の先には、彼を見下ろす巨大な花。
そこから何千ものページをめくり続けるように、場面が次々と展開していく。
それはトラットの人生そのもの。守護騎士となり、弟子を育て、学術書に向き合う日々。
『この80年。私は人を研究した。騎士として、時には学者として、人界の育みを観察し続けた。全ては貴様らを根絶やしにするために!』
目まぐるしく変わる光景の中に、エイトは見た。初めて出会ったあの日、木漏れ日の下で眠っていた自分に手を差し伸べた老騎士の姿を。
『エイト様、王族がこんな所で寝てはなりませんよ』
世話係のような口調が気に食わず、エイトは手を振り払う。
『俺がどこで寝ようと俺の勝手だ。それにここは、堅苦しい城の中より気持ちがいい』
『そうですか。では……』そう呟くと、彼はエイトの横に寝転がると優しく微笑んだ。
『――確かに、これは心地よいですね』
息苦しい世界で育ったエイトは、そんな柔らかな笑顔に救われたような気がした。
「あれも、あの笑顔も、嘘だったというのか……トラットーー‼︎」
世界で生きる全ての人類が同じ光景を目にした。最後の魔人、アークの記憶。守護騎士トラットの人生。土地に刻まれた魔人の血を通して起動されたその法術は、人々を大いに動揺させた。それは当然、戦闘中の国土級ですら同じである。
「っ、何だ、今のは!」「……そんな、まさか師匠が」
魔装が消え失せた両者は満身創痍。二人にあるのは、絶望のみだ。
「まさか……師が教えてくれた紅翼の魔人とは……嘘だったのか?」
跪いたフォルマを前に、ドラコもまた声を静かに振るわせた。
「お、お前が最後の魔人じゃないのか……?」
二人の国土級は視線を交わらせ、互いに混乱の渦中に沈む。それでも、拒否したい真実だけがそこに横たわっていた。恩師、トラットが全ての黒幕という、紛れもない真実が。
すると、屋上にフォルマの部下が駆け込んできた。
「団長ーー‼︎ 大変です‼︎」「ああ、分かっているとも……今立つ、待て」
困惑している場合ではない。部下が来たことで、フォルマは自分を奮い立たせた。
「ドラコ団長⁉︎」と部下が困惑したが、フォルマは話を促した。
「分かっている。すぐに停戦し、捜索部隊を配備しろ。魔人を探す」
だが、フォルマの指示に部下の騎士は声を上げた。
「それどころではありません! 王都内部に魔物が湧き出しているとの報告が!」
「な、何⁉︎ どこからだ!」
ドラコは問いながらも、気が付いてしまった。屋上から見える王都の風景。東西南北、それぞれの方向から黒煙が上っている。その煙の意味を、フォルマも察して部下を見る。
「湧き出しているのは、王都の至る所です! 数の確認すらままなりません!」
「フォルマ! 紅翼は北東側を、お前ん所は南西側を頼んだ!」
そう叫び、ドラコは屋上から飛び降りた。下に居る紅翼の部下達の元へ、大急ぎで向かったのだ。フォルマも急がねば。彼は疲弊しきった体で階段を駆け降りた。
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