第23話
翌朝、ライルは執務室のソファで目を覚ました。
「グががががガガガがギギギギギギギギギギギいいいいいいいいいーー!」
どうやら、よほど疲れていたらしい。フレンの煩い寝息でさえ気にぜず眠れたようだ。
それは、デスクに突っ伏しているドラコでさえ同じだった。
ライルはゆっくりと身を起こして、団長のデスク側のカーテンを開いた。
窓の外、遠くに救済の花が朝日を浴びていたが、少年は花を見る余裕を失った。
正門から本館にかけて伸びる長い石畳に、一筋の赤黒い線が引かれている。
線の先をなぞるように、下へと目を動かすと、そこには、血塗れの老騎士が倒れていた。
「トラット卿ーー‼︎」
「な、なんだ、どうしたライル!」と、ドラコが飛び起き、フレンもすぐに身を起こす。
「下にトラット卿が! 血だらけで倒れておる‼︎」
聞くなりフレンは廊下へ飛び出した。ライルも窓を開け、外へ飛び降りる。ドラコもまた彼に続いた。二人が着地すると、老騎士へ駆け寄った。
「まだ息はある! だが、早く処置しなけりゃ死んじまう!」
ライルがそう叫ぶと、扉を壊す勢いでフレンが館の扉を開く。
「ライル、フレン、俺が治療院へ運ぶ! お前達は後からついて来い!」
ドラコはライルを押し除け、トラットを抱え上げた。魔力が背中に噴出し、瞬く間に龍の翼が大きく広がる。「団長!」とフレンが叫ぶと同時、ドラコは天高く舞い上がった。
朝の日差しは雲に隠れ、鈍色の曇天模様。ライルとフレンは大急ぎで館を出ると、北西の治療院へと駆け出した。”何故”。死にかけの彼を前に、そんな疑問はすっ飛んだ。だが、街を走れば嫌でも理解する。道に示された、長い長い血の線を辿っていれば。
「ライルっ、これは……!」「ああ、卿のものだろうな……」
やがて十字路から治療院の方向へ曲がると、その血痕とも別れた。
「あの血痕が来た道の先、何がある?」と、ライルは反対方向の血痕を見て尋ねた。
「……ハッキリどことは言えないけど、白斬騎士団の館はあの方向よ」
それ以上の言葉が無くとも、二人は全く同じ想像をした。だからこそ、より強く地面を踏み蹴り、治療院までは五分とかからず到着した。
ドラコはさぞかし早かったのだろう。既に、治療室の前で呆然と立ちすくんでいた。
二人を振り返ることもなく、木製の扉越しに処置を受けている師の無事を祈っている。
組んだ手に額を擦り付け、ドラコはポツリと燻るような声で言った。
「重体だそうだ……蘇生は五分五分だと」
「そうか……そうか……」ライルはそれだけ言うと、廊下に腰を下ろす。
フレンはそんな二人とは対照的に、トラットを想ってオロオロと動き回った。だがやがて思いついたように「国王様を呼んできます!」と言って治療院から駆け出て行った。
ライルとドラコは黙って見送り、ひたすら処置の終わりを待ち焦がれた。
◇
気味の悪い天気は午後になってもそのままだった。
トラットが治療室に入ってから既に半日。魔力と法術による治療とはいえ、あれ程の重傷の処置には相応の時間を要する。それもトラットは安心していい歳ではない。
魔力の事は点で分からないライルだが、経験上、繊細な治療が必要だと直感していた。
しかし、永遠にも感じたこの時は、あっさりと終わりを告げる。
ガチャ、と扉が開く。中から出てきたのは純白の衣服を血で染めた治癒師の男だった。
「ドラコ団長、とトラット卿の関係者の方ですね?」
廊下に居座っていた二人は、返事も忘れて同時に立ち上がった。
その慌てぶりを見て、治癒師の男は声を落とす。
「一命は取り留めました。どうかご安心を」
途端、ドラコは解き放たれたようにその場に崩れた。
「ああーー! 良かったぜーー! ありがとう、先生‼︎」
「……団長よ、そんな姿を見せるもんじゃないぞ」そう言ったライルの目も潤んでいる。
「それで治癒師どの。トラット卿とは面会出来るかい?」
「顔を見るだけなら問題はないかと。ですが、意識はまだ戻っていませんよ」
処置の終わったトラットは、そのまま病室へと運ばれた。二人は暫く待って入室する。
中は広い一人部屋だった。窓からは見えるのは、王都の賑わい。
(流石は王都の立役者。なんて良い待遇じゃい)
部屋の主は包帯だらけで清潔なベッドに横たわり、安らかな寝息を立てていた。
ライルは「はぁ」と安堵のため息を吐いたが、ドラコは張り詰めたままだった。
「……師匠に何が……いや、考えるまでもないな」そう言うと頭を片手で抱えた。
少年も口にはしていなかったが、トラットを負傷させた者は間違いなくフォルマ団長だ。
「……ワシは今すぐにでも殴り込んでもいいぞ」
「いや、先に師匠の話を聞くべきだ。やりあう前に敵の情報は多いに越した事はない」
一見冷静なドラコの目は強かに燃えている。既に準備は万端。後は撃鉄を起こすだけのようだ。と、その時。ドタドタと慌ただしい足音が聞こえ、扉が強く開かれた。
「トラット‼︎ トラットは無事か⁉︎」
病室へ飛び込んだのはエイトだった。式典だったのか、絢爛な衣装を着込んでいる。
「エイト、落ち着け。卿は無事だ。今もぐっすり寝ておるわい」
そう言いつつライルは傍にどいてトラットのベッドへ促した。
寝息を立てている彼の枕元へ、エイトは縋る。
「トラット……なんて姿に‼︎」そうして泣き崩れるエイトの背中は随分と小さく見えた。
すると、開いたままの扉から今度はフレンが駆け込んでくる。
「戻りました……」「お疲れさん。一命は取り留めたよ」
ライルが労うと、フレンは安堵してへたり込んだ。
「……ハァ、良かった~~‼︎」
「それにしてもエイトよ、騎士であるフレンより疲れていないようだが?」
ベッドに突っ伏して泣いていたエイトが顔を上げる。
鼻水が光の架け橋を作り、ぐしゃぐしゃの表情でライルに向いた。
「ああ、フレンには無茶を言って運んでもらったんだ」
「そうかそれで……ところで他の護衛は⁇」
「すごく急いでいたからな。フレンには悪いが、式典中に誘拐してもらう形をとった」
結婚式に乱入する花嫁泥棒よろしく、フレンは颯爽とエイトを連れ去ったらしい。
「エイト王~~後でフォローお願いしますよ~~!」「ははは! 気にするな!」
「……いや、あなた、は、気にしなさい……」
ベッドから弱々しい叱責。その場の全員が、包帯まみれの老騎士へ顔を向けた。
「あなたという人は……いいかげんに、王という自覚を、ですね……」
辿々しく話す姿に、皆、目頭が熱くなる。
「トラット‼︎」
「……ちょうどいいですね、皆集まっているようだ」
彼を覗き込むメンツを見て、老騎士はどこか安心した様子だった。
「師匠! アンタをやったのは誰です⁉︎」と詰め寄ったドラコがベッドを叩く。
「……予期した通り、フォルマだ。すまない……」
”すまない”の意味を、皆が理解した。暗殺は失敗に終わったのだ。
トラットの弱々しい表情から、ドラコは目を背け、窓際へ向かう。
カツカツと強い足音がやがて止まると、彼は窓枠に足をかけた。
「団長、どちらへ⁉︎」「戦争。ライル、フレン。お前達には国王と師匠の護衛を命じる」
猛る瞳で二人を見ると、ドラコの背に燃える翼が広がった。
「勝てるか、ドラコ」と、男の大きな背中へエイトは問いかける。
「さあ? 知りません。今俺が考えてんのは、あの野郎をぶん殴る事だけですよ」
それだけ言うと、ドラコは力強く飛び去り、残る風圧が病室を少し揺らした。
◇
白斬騎士団本営。白磁の館。汚れ一つ無い純白の壁、タイル、門。
眩い白さで統一された外観は、この騎士団のあり方を象徴しているのだという。
即ち、『規律こそが至高であり、正しさこそ力』その信念に沿って運営される白斬騎士団は、貴族出身者を中心に有望な人材が多く所属している。ここに所属すると言う事は優秀な人材であることと同義。そんな、鼻持ちならない彼らは今、阿鼻叫喚の渦中に居た。
「第2陣より救援要請! 騎士の半数が負傷しています!」
「報告! 第3陣が壊滅! 地下からの強襲です!」
「第1陣より救援要請!」「またか! 今し方行かせた者たちはどうした⁉︎」
「既に敵の包囲の中です! 奴ら、味方に当たろうとお構いなしですッ!」
次々と上がる戦況は、散々たるものばかり。慌てふためく本営の指揮官達を尻目に、団長フォルマ・マ・ルルクは静かに自嘲した。『それもそうか』と。
白斬と紅翼ではそもそも戦闘・戦術に対する出発点が違う。
紅翼は集団での戦闘を得意とし、対魔人戦においても必ず連携を必須の戦術とする。
一方で白斬は個人の力量・魔力を評価し、相応の実力者一人が魔人を倒す。
「軍としては奴らが上手……この結果も当然だ」「しかし、このままでは連中に……」
副官の男が縋り寄る。フォルマは軽くため息を吐き、立ち上がり言い放つ。
「だからどうした」
重量感のある言葉だった。慌てる士官達が一斉に動きを止めるほど。
「連携、戦術、工夫……そんなものは弱者が強者に挑むための技。いいか貴様ら。連中は最初から自身が弱者だと叫んでいるも同然だ。落ち着き、普段通りの力量で事に当たれ。白斬なら、それだけで連中を蹂躙できる。違うか?」
時に自尊心は強大な力だ。有望な人間を纏めるには特に。その証拠に、この檄によって士官達の瞳の色が変貌した。士気は統一され、地に足の着いた指示が戦場へと流れていく。
「さて」と立ち、フォルマは副官の肩を叩く。
「屋上へ行く。ここは頼むぞ」
「はい!」と元の清廉さを取り戻し、副官は指示支援へ向かった。
屋上への階段を登るフォルマにとって、下の戦場などどうでもいい。敵が多勢であろうと、単純な戦闘力は白斬が上。であれば当然、冷静になった白斬が優勢になる。
「だからこそ、自分の兵を囮として、この俺を直接狙う。そうだろ、ドラコよ……」
屋上に上がり、鈍色の空を睨む。彼の視線の先には粒ほど小さな黒点だった。
上空何百メートルの巨大なそれは、フォルマに狙いを定めて急降下し始めた。
「剣の魔力――」と、純白の鎧の騎士は、己が魔力の名を詠んだ。
「――×強化法術」腕に刻んだ法術回路が火を上げ、燃えるその手で剣を抜く。
抜き放たれた剣。その刃は瞬く間に巨大化し、降下してくる龍の背を捉えた。
「gaaaaaaaaaーー‼︎」
怒りの咆哮が虚しく響き、片翼を失った龍は空転する。フォルマは剣を構え直し、トドメを刺さんと龍を睨む。龍もまた睨み返し、怒りの眼光が空中で交差する。
「――龍の魔力×火焔法術!」途端、龍の顎から極大の熱線が放たれた。塵と化すには十分すぎる熱量を前に、白い国土級騎士は「この程度か……」と嘲笑する。
「――剣の魔力×創盾法術!」無数の刃が空中に出現し、折り重なって盾となる。赤い炎龍と白い魔剣。二つの衝突は空気を揺らし、衝撃に戦場が止まるほどだった。
熱線が途切れ、剣の大楯が溶けかけると、龍はドラコに戻ってふわりと着地した。
冷静なフォルマとは打って変わってドラコの表情には熱がこもって見える。
「フォルマ‼︎ 貴様、どういうつもりだ!」「どういうつもり、だと?」
フォルマは首をかしげて見せるが、すぐに言葉の意味を理解した。
「……そうかドラコ。ミストレアに惚れていたか」
そのセリフ、その名前が出た途端。ドラコは駆けた。激る感情に身を任せ、大剣をぶちかます。魔力全開の一撃は、途方もない威力だ。それをフォルマは真正面から受け止めた。彼もまた魔力を全開に、左右から大剣を創出して支える。だが、それでもドラコの剣は抑えきれない。二本の大剣にヒビが走り、砕けると同時。白い騎士は大きく後退した。
「……魔人に惚れるとは、貴様はどこまで愚かなんだ」
フォルマの挑発は意図的だ。彼の戦略は、素手の殴り合いから始まった二人の喧嘩の常套手段。逆上しやすいドラコを、冷静に観察して得たフォルマなりの必勝法である。
「黙れ。もうお前と言葉を交わす事はない」
しかし、怒りはピークを通り越し、既に静寂に入っていたようだ。
「――龍の魔力×魔装法術」吐き出す息は焔となって、ドラコの姿は瞬く間に変貌する。
沸る鎧が真紅に熱を発し、太陽のような熱線がフォルマの皮膚を焼き付ける。
しかし、フォルマは動じることなく剣を掲げた。
掲げた剣を中心に、フォルマの周囲に数本の剣が踊る。それらは白く鈍い輝きを放ちながら、全ての切先がフォルマへ向いた。
「剣の魔力×魔装法術――」と、唱えた言葉に呼応して、剣は主人を一斉に貫いた。
流血は一切ない。代わりに、膨大な魔力が渦巻いた。それは、純白の鎧を灰白色へと染め、騎士の姿を変貌させた。意匠は剣士というより、剣そのもの。洗練された刃の如く、殺意と責務を同居させている。その意を示すように、切先が灼熱の騎士へと向けられる。
「本当に大嫌いだよ。お前のそういうところが」
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