第4章 滅亡と救済
第22話
帰還したトラットは、真っ先に国王への報告と謝罪に赴いた。エイトは彼の生還に心底安堵し、新たな情報に頭を抱えた。ミストレアが魔人であったこと。紅翼の情報はフォルマ団長へ流されていたこと。さらに、魔人ミストレアが散り際に放った一言。
『最後の魔人は白斬にいる』
王とトラットは話し合い、フォルマ=魔人という仮説の下、動き出した。
まず、フォルマの監視を強化し、彼が魔人であるという証拠を探る。ボロを出す望みは薄いものの、トラットの諜報活動は引き続き行うという事だ。
肝心なのはもう一つ。最悪の場合、白斬騎士団という国内最高戦力を敵に回す可能性がある。必然的に、対抗戦力である紅翼騎士団の軍備強化は急務となった。
団長であるドラコには、最愛の人を亡くした悲しみを癒す暇すらない。
彼を心身ともに支えていた副団長不在のまま、ドラコは仕事に追われる事になった。
「次、王都への人員手配について」
もう何度目だろうか。書類を読み上げ、こうして頭を回すのは。
ドラコもライルもいい加減、互いの声すら聞き飽きている。
「……規模は各支部から50人だ。秘密裏に、ってなら招集日程はずらすべきだ」
「早急に、ってところはどう考える?」
ライルが問いかけると、ドラコはすっかり冷めた紅茶を一気に飲み干した。
「そもそもが無茶だ。早けりゃ派手に。秘密裏にやるならゆっくりっての軍備の常さ」
「無理か……?」
「……いや。要は王都に集めなきゃいい。ここら周辺の村落、草原、川辺。騎士が寝るにはそれで十分。事が起きたら速攻で王都に来れるよう、手配しとこう」
「うむ。決まりだな。ではその方策で兵站部、人事部には取り次ごう」
現在、ミストレアは療養中という事になっている。今は事情を汲めるライルが副団長の代役をこなしていた。あの夜から5日。包囲を作るべく、気の抜けない日々が続いていた。
「よっしゃ、次来いや!」
ドラコが頬を叩いて気合いを入れ直すと、外廊下からと急ぐ足音が聞こえてくる。
明らかに慌てたリズムなので、ライルもドラコも執務室の扉へ目を移した。
「たたた大変です団長ーー‼︎」と叫びつつ、フレンが扉を剥がす勢いで入ってくる。
「なんじゃ、そんなに慌てて」と、ライルは扉前で転けたフレンを引き起こす。
「そ、それが……星位議会で疑義の申し立てがあったようです……」
星位議会とは王政下における諮問機関のようなものだ。商業、農工、騎士団……あらゆる職種から選ばれた専門家が集い、国王への助言行っている。集まる代表者は紛れもない権力者達だ。当然、星位議会には国王に次ぐ権力があると言われている。
「ったく、こんな忙しい時によぉ! それで、今度はどんな内容だ?」
騎士団にしてみれば重大な話ではあるが、流石はアウトローを纏める紅翼の団長だ。
ドラコは頭を掻きながら、慣れた様子であっさりと聞き返した。
だが、彼の余裕はフレンの返答であっさりと消えてしまう。
「紅翼に魔人潜伏の疑いがかけられてます‼︎ それも、フォルマ団長からの申告で‼︎」
「何ぃぃぃーー⁉︎」
場所は変わってシンメル闘技場の貴賓室。この日は休場のため場内は静寂である。
「……一体どうなってんだ! 俺ぁ、訳がわかんねぇよ!」
黄金の頭を抱えながら、ドラコが呻いた。彼の後ろに控えるライルとフレンは何も言えない。二人もまた、ドラコ同様混乱の中にいるのだ。
「すまない。どうやら先手を打たれたようだ」と、エイトは沈痛な面持ちである。
「フレンから聞いているとは思うが、先の星位議会でフォルマが投げた疑義は、機密扱いとしてた内容だ」と、トラットは懐から書簡を取り出し、ドラコの前に開いて見せる。
そこには、嫌疑をかけるに値する記録と事実が長々と並んでいた。
要約すれば簡単である。この書簡が言いたいことはただ一つ。
『紅翼騎士団副団長ミストレア・アルソン=魔人ではないのか?』という事だ。
紅翼の三名は、それを読んで絶句した。
「……どう思う、ドラコ?」エイトがひっそりとした声でそう尋ねた。
「……この中の人間で、誰も機密は漏らしちゃいない。オーレンにしてもそうだ。先々日くらいにはメイルルートに入ったって支部から報告が上がってますし……俺ら以外にミストレアの秘密を知ってるのは、もう最後の魔人しか居なねぇ、です……」
「思った以上に冷静で良かったよ。そこに来てフォルマのこの告発だ。奴め……
私達に正体がバレても構わないと、敢えてやっているようだな」
エイトは片手を振って淡々と言った。既に感情は吐き出し切ったのだろう。よく見れば彼の手中にはくっきりと握りしめた爪の傷跡がある。
「それで、どう動く? 攻め手はまだあるのだろう?」
「そんなもん一つしかねぇ! 増強途中だが今ある戦力で白斬を襲撃しましょう!」
息を巻くドラコだったが、トラットがそれを制した。
「確証がなければ無駄な血を流すぞ。最悪の場合、紅翼が敵として処断されかねない」
「どっちに転んでも同じ事だぜ師匠‼︎ このまま黙って機密が露見すれば、紅翼騎士団は解体。兵権は奴の支配下に置かれちまう。それこそ最悪の状況だ!」
ドラコの怒号は虚しく響き、エイトは静かに懺悔する。
「……私達も散々議論を重ねたさ。だが、どう足掻いても、兵力的、政治的にもあちらが優位……足掻こうにも、もう……」
すると、項垂れるエイトの肩へトラットの片手がそっと置かれた。
「思えば、我々はあまりにも気付くのが遅すぎた。既に奴は国政の中心で信頼と実力を手にしている。今から事を起こせば、排斥されるのは我らの方だ」
「……トラット卿、考えを止めちまうのは、あまりにもアンタらしくないぞ」
ライルの信頼に、彼はふっ、と微笑みを零す。
「策はある……だから、少なくとも申し立てへの回答期日までの3日間は耐えてくれ」
「……今日は、それを伝えるために集められたのか……?」
「そうとも」と言って笑った皺だらけの風貌に、男の覚悟が詰まって見えた。
神木老人が生きた大戦の時代、死地へ赴く戦友は、皆決まってそういう顔をした。泣くでも、怒るでも、慄くでもなく……死人のように安らかに笑うのだ。
「ワシらに手伝えることはないのか⁉︎」
「今は待て。君らが動く時は必ず来る。今は牙を研ぐことに集中しなさい」
その言葉に、ライルは静かに頷く。自分の無力さに、心の中を黒く染めながら。
エイトも同じ気持ちなのだろう。彼は拳を握り込み、手から血の雫がこぼれ落ちた。
◇
紅翼騎士団の本営の執務室に入るなりライルは言った。
「……トラット卿はフォルマ団長を暗殺するつもりじゃ」
先に入ったフレンは驚いてライルに振り返ったが、ドラコは黙ってソファに腰を下ろす。
「ちょっと待ってよ! それって……」
「フォルマ団長……もとい最後の魔人は政治的、兵力的にも守られている。外部のワシらでどうこうする事は出来ない。白斬の相談役であるトラット卿を除いてな」
ドラコはソファにもたれて腕を組む。彼の落ち着き払った様子にフレンは声を上げた。
「なに落ち着いているんですか⁉︎ トラット卿を一人で行かせるつもりですか‼︎」
「フレン、よく考えろ。俺たちが行ったところで、師匠の邪魔になるだけだ。暗殺ってのはな、実行役が少なければ少ないほど、成功率が上がるもんだ……」
「そんな事は分かっています! でももし失敗したら、トラット卿はどうなりますか⁉︎ 最後の魔人が、あの方を生かしておく筈がりません‼︎」
ぐい、と団長に詰め寄るフレンへ、「おい」とライルの声がかかる。
彼女の後ろ襟が引き上がり、フレンは壁に叩きつけられた。
「いい加減にせんか。もしトラット卿が死んだなら、その時がワシらの出番だ。かの御仁の死因を糺し、道義と誅伐の下、兵を募って奴を討つんだ」
「……そんなの、ただの生贄じゃない……殺されるかもしれないのに、黙って手助けもしないなんて、間違ってるよ……」
壁にもたれたフレンの頬に、涙の線がくっきりと走った。
こうなるとトラット卿も考えたのだろう。だからこそあの場で暗殺の事は秘したのだ。
(死を覚悟した者の常だな。残る者の気持ちを考えているようで考えていない……)
アルトや前世の戦友達を含め、散々見送り続けた神木老人だ。だからこそ彼女には敢えて老騎士の思惑を伝えるべきだと考えた。然る時、しっかり剣を取れるように。
「……すまない、ライル。俺が言うべきところを」
「一応、この娘の師匠なんでな。団としちゃ、越権行為だったかな?」
「いや、ウチにそんな決まりはない」と少年の肩へ手を乗せ、ドラコは立ち上がった。
壁にもたれて静かに涙を流すフレンへ近づくと、目線を合わせるようにしゃがみ込む。
「……そりゃ、長年世話になった恩人だ。俺だって助けに行きたいさ。でもなフレン。今はこうして待つことが、師匠への一番の助けになる。師匠の後には俺たち紅翼が居る。それだけで、あの人は安心して戦える。だからな、生贄なんて言葉は使うな」
フレンは顔を上げて何かを言いかけ、やめた。
ドラコの濁った表情を見て思い直したのだ。弟子である彼が真っ先に助けに向かいたい筈。だが彼は師を信じて動かない。その苦悩が彼の瞳にはありありと映し出されていた。
「……はい。すみませんでした、団長」
「よし。この話は終わりだ」と、息をつき、ドラコは膨大な書類に向き合った。
彼にはやるべき事が山のように連なっている。西日のかかるドラコの椅子は物寂しさが漂っていた。いつも隣で支えていたミストレアはもう居ない。
ドラコは腹に力を入れる。唐突に溢れ出そうな感情をグッと堪えて、椅子に座る。
すると、白銀髪の少年が、どさっと書類が目の前に置いた。
「ほい。まずはこの処理からやってもらおう!」
「団長! 私は下から夕食を持ってきます。サンドイッチでいいですよね⁉︎」
空元気だが元の調子でフレンが立ち上がると、執務室に騒がしさが戻ってくる。
フレンとライル。今のドラコにはあまりにも有難く、あまりにも誇らしい部下二人だ。
「……おう、今夜も忙しくなるな!」
辛さを飲み込み、薄く笑うと、ドラコ・アルベールは筆を取った。
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