第19話

 ズオォォン……! 外の衝撃に塔が揺れた。

 塔に入ったフレンが上階を見上げると、螺旋階段と拡散魔力を集めるための装置が見える。装置から配管が地下へ伸びていおり、まるで常緑樹の内部にも似た構造だ。

 「ミストレア副団長‼︎」と、声が塔に反響させたが、返事はない。そこで今度は下を覗いた。そこには地下階へ向かう扉がある。今は無防備に開け放たれ、中は薄暗い。

事態は急を要している。フレンはいくつもの疑問を脇に置き、地下への階段を降りた。

 やがて下層までやってくると、錆びついた扉が目に写る。そこに耳をそば立てると、中からは男の声。小鼠の命乞いのようなか細い声だ。だが、声は一つの音で切断された。

 ザシュッーーという音の後は、事切れたような沈黙。フレンはもっと聞き耳を立てようとしたが、うっかり扉に体重をかけてしまった。ギイィ、と古い鉄の扉が軋み、慌てて剣を取る。そこに居たのは、見覚えのある妖艶な美女だ。

「あら……もう、フレンちゃんったら、こんなところで何をしているの!」

 「ふ、副団長……?」

 プンプン、と膨れたミストレアの頬には血が付いている。

 「副団長こそ……ここで何を……その倒れている人は?」

 「あら、ごめんね、勘違いさせちゃったかしら。彼がトラット卿監禁の犯人よ」

 そうして彼女は、血の滴る剣の先を男へ向けた。華奢な顔立ちをしたその人物は、フレンの同期であり、彼女の心底嫌いなライバル。オーレン卿である。

 「オーレン……⁉︎ まさか副団長もトラット卿の捜索に……?」

 「当たり前。さ、そこに居るお寝坊さんを助けてあげて。私はちょっと血を拭くから」

 促された先には、鎖で手足を拘束されたトラット卿が倒れていた。

 「トラット卿‼︎」そう叫んで駆け寄り、老騎士の半身を起こす。傷は無いが呼吸が細い。

 「全く、いつまでも引退しないからよ。でも良かったわ。これで民も安心できるわね」

 「ええ! 何より国王様が安心しますよ!」

 ズオォォォ……地上の戦いの余波か、薄暗い部屋の中が僅かに揺れる。


 地上では暴風が吹き荒れていた。ドラコの巨刃。それは一太刀で草原を掻き乱す、絶命必至の一撃だ。先を読んで躱すも、その余波すら恐ろしい。下手に間合に留まれば風圧に飛ばされてしまう。故に間合を広く取るしか出来ないのだ。これでは剣も拳も届かない。

 「どうしたぁ‼︎ 逃げるばかりが貴様の実力か‼︎」

 もう何度目かの横なぎの一閃を、後ろへ回避する。草原でなければ出来ない戦法だ。

 「逃げるも何も、どうしてワシらが戦わなきゃならんのです⁉︎」

 これももう何度目かという問いかけであったが、答えは変わらない。

 「トボけるな‼︎ 貴様が騎士団を裏切ってんのは知ってんだよ‼︎ 白斬の裏切り者と手を組み、師匠を隠しやがった事も、騎士団の情報を魔人へ流している事も、全部だ‼︎」

 「……な、何言っとんじゃ⁉︎ ワシらはそんな事……」

 「黙れ! 全てミストレアが集めた情報だ! 貴様の言葉なぞ信用するかよ!」

 ライルの胸にざらついた不安が過ぎる。

 (裏切り者、オーレン卿の恋人、逢瀬の場所、トラット卿を退ける戦力、男を虜にする妖艶な色香。そして、その人物とフレンは今、塔の中で鉢合わせている……!)

 不安はあっという間に焦燥に転じ、ライルは声を張り上げた。

 「団長! こんな事をしている場合じゃない‼︎ 今すぐフレンを助けに……!」

 それでも返ってくるのは大剣による一撃だけ。少年は歯噛みしながらそれを避けた。

 「トラット卿、今枷を外しますからね」

 フレンは、トラットの手にはめられた錠前を掴み、強化した指で強引に押し曲げる。

 なかなかに頑丈な錠前に格闘していると、背後からたおやかな足音が近づいてくる。

 「フレンちゃん、大丈夫? 手伝おうか?」

 「い、いえ! それより副団長は早く地上へ行ってドラコ団長を止めて下さい! どういう訳か、ライルに襲いかかってるんです!」

 ミストレアの色調は変わらない。慌てる様子などなく、むしろ愉しむようにこう言った。

 「それはダメよ~~、だって、ドラコをけしかけたの、私だもの♡」

 「……へ?」と意図が分からず振り返った。同時に、彼女の胸に剣が刺し込まれる。

 (……え? いた、い……?)

 胸に伝わる冷たい激痛。呼気に鉄臭さが混じり、身が硬直する。

 やがてゆっくりと傾く視界の中で、ミストレアは酷く妖艶な笑みを浮かべていた。

 その表情、息遣いを、フレンは覚えている。忘れたくても忘れられない、幼い頃に出会った”それ”にミストレアの表情は怖いくらいに一致していた。

 艶っぽい声。歪む口元、色を失った瞳。両親を殺した、あの残虐な魔人と同じだった。

 少年の絶叫は、ドラコの怒りに潰された。団長の耳にはもう、ライルの言葉は届かない。

 「人類の裏切り者がーー‼︎」そう叫んで振り翳す巨刃はまさにギロチンの刃。

 それを前に、もうライルは下がらない。避けるのは無しと割り切り、少年は体幹を締る。

 「話を、聞けぇーーーー‼︎」

 叫んだ刹那、ライルの拳がドラコの腹にめり込んだ。 

 拳から伝わる衝撃が、硬く強化されたドラコの外皮を突き抜け、臓物へと浸透していく。

――神木流拳法 一寸頸 その衝撃は、国土級騎士であろうと未体験。

 内臓をひっくり返されたような痛みに「ごはっ」と息を吐き、冷や汗が滲み出る。

 そんな状態で力が乗るはずもない。横なぎの大剣は弱々しく空を斬り、容易にライルの接近を許した。少年はもう一歩踏み込んで、項垂れたドラコの首へ手を触れる。

 途端、土の味がドラコの口に広がった。彼の頭はおかしな程容易に地面へ激突したのだ。

 ライルはまだ止まらない。次は流動する柳のように、ドラコの背から首へと組みついた。

 ――神木流柔術 裸締め落し! 首を肘関節の内側で挟み込み、頸動脈を圧迫するこの技は、完璧に決まれば相手がヘビー級世界チャンプだろうと一瞬で決着がつく、筈だった。

 「――龍の魔力……」そう漏れ出た声は、暴威的な魔を呼び起こす。ライルの締め上げる首から、端麗な鱗が茂り、押圧している肘を阻害する。少年の締める感触が、人から鉄骨へと変わっていく。それでもライルは力を落とさない。相手は国土級。王国最強の騎士である事など百も承知。だから勝機は今しか無いのだと、少年は渾身の締めを敢行する。

 「gggッ……!」と、ドラコが苦悶の声を漏らす。締めは効いているのだ。少年は僅かばかりの希望を込めて、さらに全身を引き絞った。だが次の瞬間、全てが変貌した。

 「×変身法術――!」

 ドラコの全身に刻まれた法術回路へ”龍の魔力”が流れ込む。

 全身を緑鱗で覆い、骨格も瞳も……男の全てを紛れもない怪物の姿へと変貌させる。

 膨れ上がる肉体にライルの腕は解け、少年は3メートル上から地面に落下した。

 受け身を取って見上げたそれに、ライルは思わず息を飲んだ。

 「……こいつは……」 

 ドラゴンそのものだった。6メートルを悠に超え、虫ケラのように少年を見下げている。

 「俺にこの形態を取らせるとはな。もし貴様が真っ当な騎士だったなら……」

 その野太い声色にもはや怒りは無い。純粋に、これから死する者への鎮魂がある。

 「さらばだライル・メーザー……今はただ黙して死ね」

 ドラゴンの顎が開き、灼熱の熱線がライル共々、草原を真っ赤に染め上げた。

 ズドオォォン……‼︎ 爆裂音が地下まで染み渡り、フレンはどうにか意識を繋ぐ。

 痙攣しかける手足を強引に動かし、胸に刺さる剣身を掴む。

 「ああ、ダメよフレンちゃん♡ これは私が抜かないと」

 蕩けた声に、フレンはキッと視線を上げた。そこには剣の柄を握るミストレアの狂笑。

 彼女が一気に剣を抜くと、彼女は「うぐっ」と小さく唸った。

 胸に広がる激痛には死の気配が漂っている。だから尚更、フレンは声を荒げた。

 「……どうしてっ……! どうして、こんな事を‼︎」

 そんな彼女に、ミストレアは艶かしい鳴き声を出す。

 「ンンッ……強がる姿も素敵よ……いいわ、思い出させてあげる。あの運命の日を!」

 声と共に、ミストレアの化けの皮が霧散する。まるで人の表皮を貼り付けていたように。現れたのは、巻き角の生えた魔人。妖艶な美貌は変わらず。禍々しさは明らかに倍増した。

 その表情、声、姿形に、フレンは幼い頃の記憶を呼び起こす。起こさずにはられない。

 彼女の両親を殺し、母の亡骸をオモチャにした憎き仇敵。

 「やっぱり……お前はッ……‼︎」そう吠えたて、フレンは剣を構える。

 「思い出してくれたのね! とっても嬉しいわ、フレンちゃん♡」

 「貴様……副団長はどこへやった! いつからミストレア卿に成り代わっていた!」

 怒声を飛ばして切先を向けるフレンに、魔人は頬を緩ませる。

 「ブブーー、ミストレアっていう人物は、最初からいませーん♡ ぜーんぶ私よ♡」

 「う、嘘だッ! そんなの……そんなわけ……」

 動揺に声が上ずる。敬愛してきた恩人が両親を殺した仇敵であったなど、今のフレンには許容できない。やがて剣が震え、視界が涙で歪み始めた。

 その動揺に乗じ、魔人は一足で彼女に近づくと、その涙を舐めとった。

 「ンフ、ンフフふふふhhh……‼︎ 美味しい、美味しいわよフレンちゃん‼︎」

 「このッ!」と剣を振りかざすも、魔人の皮膚一枚で止まる。

 フレン自身の手が、それ以上の殺傷を躊躇ってしまっている。

 「どうして……! この人はミストレア卿じゃないのに……‼︎」

 その葛藤を、魔人は心底嬉しそうに見つめた。

 「大丈夫よ、フレンちゃん」その声はミストレアそのもの。

 「私はいつだって貴女を見てきたもの」その優しい表情も。

 「貴女なら、出来るわ。さあ、力を込めて……」フレンの剣身にそっと手を添える仕草も、息遣いも、輝く瞳も、彼女の大好きなミストレア・アルソンその人だった。

 「さァーー」その瞳に揺らめく狂気を、フレンは確かに垣間見た。そして、優しかった両親の微笑みを……気付けばフレンは振り抜いていた。

 切先が首を通り、血が噴き上がる中、魔人は変わらぬ狂笑を浮かべる。

 「――癒の魔力……”」

途端、魔人が淡い緑光を帯び、出血する傷はファスナーが閉じるように塞がった。

 「うふふ、大丈夫って言ったでしょ? 貴女の胸の穴も、もう治っているわ」

 そう言われ、フレンは初めて異変に気が付いた。刺された筈の胸の傷口が消失している。

 「癒の魔力。“私が負わせた傷”と”負った傷”。この二つなら一瞬で治せるの」

 フレンは咄嗟に距離を取った。幸か不幸か体は万全。それでも魔人の纏う異様さは殺意などという生やさしいものではない。まるで底なし沼のように重たく、湿っている。

 「私ね、人間が大好きなの」そう言いながら、だらりと構えた魔人の剣が地を這いずる。

 がりがり、と不吉な音を立てながら、ミストレアがゆっくりと近づいてくる。

 「子供の頃、母に連れられてよく人里へ降りたわ。子供は元気で、お年寄りは優しくて、大人達は差別しなかった。そうして手を取り合う事が幸せなんだって、母は教えてくれた」

 じわじわと近づくミストレアを前に、フレンは剣を構えつつ気押される。

 「でもね、私にとっての幸せはそれじゃなかったみたい。気が付けたのは、母が騎士に殺された時……今でもハッキリ覚えている。死肉の焦げる匂い、大勢の悲鳴、人間達の笑い声……生まれて初めてだったわ、あそこまで本当の愛と幸福を感じたのは……」

 理解できない。この魔人の口から出る言葉も、意味も。

 「フレンちゃん、私達ならもっと上にイケると思うの。あの時以上の幸福と喜び……痛みにの先に……‼︎ だって、私の魔力はその為にあるんだから!」

 魔人は叫声を上げ、斬りかかる。フレンは半足ズレて剣線を躱し、左袈裟に斬り返した。

 剣は確かにミストレアを捉え斬った。だが、傷口は事もなげに一瞬で塞がってしまう。

 「えい♡」と、フレンの斬撃が透過したかのように、ミストレアは何事もなく剣を放つ。

 本意気の”癒の魔力”を纏った切先が、フレンの腹部を斬り裂き、流血も許さず治す。

 「……ッ‼︎」

 しかして走る絶望的な激痛。皮を通り、筋肉を分断し、臓器を抜けた冷たい感触に、フレンは思わず息を漏らした。彼女の反応に、ミストレアは益々熱い視線を送りつける。

 「ほら……こうすれば永遠に痛みを分かち合える……ずっとずっと愛し合えるのよ‼︎」

 理解できない言動に、更なる怒りが込み上げた。

 「ふざけないで、遊び? 愛? 貴女の道楽の為に、私の両親は死んだんじゃない‼︎」

 「うふふ、そうよフレンちゃん、もっと怒って、もっと苦しもう? そうしたらもっともっと昂れる。もっともっと深淵にイける……♡」

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