第16話

 日は傾き、空の闘技場は昼間の熱気が嘘のように静まり返る。

唯一灯りが灯るのは、絢爛な貴賓室だけであった。

フレン、ライル、トラットは、その扉をノックし、中に入る。

 そこで待っていたのは王冠を被った青年。彼は満面の笑みで3人を迎え入れた。

 「やぁ~~! フレン卿! ライルにトラット! 良い夜だね!」

 ライルとフレンは、トラットに促されるまま膝を突いて首を垂れた。

 「まさかお一人でいらっしゃるとは……ところで、警備の者はどうされたのです?」

 トラットの言葉には恭しさの中にどこか責めるようなニュアンスが潜んでいる。だが、エイト王は気にする素振りも見せずソファに腰を下ろした。

 「知ってるだろ、私の脱走力を。そう怒るな、人払いの手間が省けただろ?」

 「……まあいいでしょう。二人とも、顔を上げていいよ」

 トラットは不服そうに顔を顰めつつ、エイト王の背後を守る位置に立った。

 「遠慮せず座ってくれ。そんな格好では疲れて話もできないだろ」

 王に促されるまま、ライルとフレンも対面のソファへ沈む。

 フレンは緊張が抜けないのか、まだぎこちない。反対にライルは酷く落ち着いていた。

 「エイト……王。この度のご拝謁は誠に……」

 「ああ、ここには堅苦しい臣下は居ないから、気楽に話して構わないぞ?」

 エイトに言われ、ライルがトラットの方へ視線を送ると、彼もコクリと頷き返した。

 「……ファンクラブの連中も知っていたのか? アンタが王様だって」

 敢えて言葉を選ばず投げてみる。するとエイトは自慢げに顔を綻ばせた。

 「ああ、もちろん。ただ彼らは同好の士だからね。上下関係は持ち込まないのさ」

 「……堅苦しい臣下、と言っていたが、それはアンタが緩すぎるだけじゃないか?」

 ライルの言葉に、エイト王の後ろでトラットは静かに頷いた。

 「はっはっは! では早速、本題に入ろうかな!」(笑って誤魔化しおった……)

 穴の空いた大窓から夜の風が吹き込み、エイト王の金髪を撫でる。

「二人を呼んだのは他でもない、ある極秘任務を任せたいのさ」

 「極秘、任務……」とフレンの詰まった息が漏れ出た。

 「そうだ。具体的な内容の前に、一つ聞いておきたい。統一国家ルートエスタにおける最大の脅威、”最後の魔人”について、君たちはどこまで知っている?」

 「……魔人災害の元凶?」「ええ、人類に害を成す存在……くらいにしか」

 「ああ。だが、それ以上の情報は知らないだろう? 彼がどこから来て、どうして魔人災害を引き起こしているのか、なぜ”最後の魔人”と呼ばれているのか」

 エイトは後ろのトラットへ視線を送る。話を引き取るように、老騎士が口を開いた。

 「これから語るのは、一般には知らされていない、抹消された暗黒の歴史だ。君たちには、それを知った上で、この任務に着くかどうか判断を委ねたい」

 そう言って、トラットは語り始めた。人類と魔人の、血みどろの歴史を。

 およそ100年前、この世界には二つの人種が暮らしていた。一つは人類種。大規模な共同体を形成し、広く深い叡智によって、最も繁栄した。もう一つが、魔人種。大地や森、風と共に生き、自然豊かな場所で慎ましくも繁栄していた。

 この二つの種族は、生活場所が交わる事はない。人類にとって過酷な環境は魔人にとって豊かな場所であり、逆に魔人にとって過酷な環境は人類にとっては住み良い場所だった。

自然界に溢れる魔力に高い親和性を持つ魔人種は、必然的に魔力資源豊かな環境に暮らしていた。いつしか彼らは、魔力操作を生活の一部として身につけた。

 魔人は魔力を操り、人間が立ち入れない場所の資源を手に入れる。

 人間は資源を求め、農耕技術や作物を対価に彼らと交易を重ねていった。

 長い交流を経て、人類種もまた魔力の操作に到達した。また、より効率的な魔力運用の術として、回路へ魔力を流すだけで任意の現象を顕現させる”法術回路”も発明した。

魔力と法術。新たな叡智を得た結果、人間は新たな恐怖も抱える羽目になる。

 『もし魔人が、魔力を使って襲ってきたら?』と。

恐怖の熱に浮かされ、時の国王でありエイトの祖父にあたるシーク王は、王国軍へある指令を発布した。その名も”魔人廃滅令”。魔人種を絶滅へ追い込む、虐殺命令だった。


 「虐殺……」呟く神木老人の脳裏に、メイルルートで戦った魔人ヒューズが浮かんだ。

 少し合点がいった。魔人ヒューズや、ゴブリンやオークの、恨みの籠った瞳の訳が。

 「結局、廃滅令は完遂された。多くの血を流してね。だが唯一生き残った魔人が居た。彼は復讐の徒として最初の魔人災害を引き起こした。それは、とある英雄譚に残っている」

 ライルにはハッとして口を開く。「救世主グリッドか」と。

 「やっぱり知っていたな。フレン卿ももちろんそうだな?」

 「ええ。騎士を志した者で、あの方の逸話を知らない者はおりません」

 「ワシも拝花教の教会で育ったからな。御伽噺程度に聞き流しておったがな」

 救世主グリッドの物語。人類滅亡の危機を救った救世主とその仲間達の伝記である。

 すると、トラットは口を添える。

 「その御伽噺は事実だよ、80年前、救世主グリッドは間違いなく最後の魔人を阻んだ。外に見える救済の花も、その時に出現したものだ。まあ、多少の脚色はあるがね」

 80年前となると、トラットも当時の事は覚えているのだろう。

 しかし、ライルには解せない点がまだあった。救世主の逸話は誰もが知っている。だが、”魔人廃滅令”なんて虐殺の歴史は聞いた事がない。それは何故なのか。

 「……どうして救世主グリッドの逸話だけが伝わっているんだ?」

 ライルはエイトへ投げかける。重そうに見える彼の口が、躊躇い混じりに開かれる。

 「……父上の代に意図的に広められたのさ。80年前の歴史を隠蔽するためにね」

 そう答えたエイトの表情に影が落ちる。それ見て、ライルは少し安堵した。

 「なるほどな、英雄譚の影に隠れた真実は、王国が犯した大いなる罪か。一族郎党を皆殺しにされて、その上、無かったことにされる。そりゃ、最後の魔人も怒るわな」

 「ライル! 少しは言い方ってものが」

 叱責しようとしたフレンだったが、エイト王に片手で制止された。

 「すまないフレン卿。だが彼の言うとおりだ。我ら王族は誤った道筋を辿った。それどころか、その罪さえ抹消した。私に反論する余地も権利もない」

 エイト王の瞳は憂いと後悔に満ちている。その瞳をライルとフレンへ向け直し、語る。

 「元凶は我ら王族だ。だからこそ頼む。私に協力し、最後の魔人を止めてくれ……!」

 彼の直向きな視線に、二人は思わず息を呑んだ。

 (……魔人廃滅令も、その歴史の抹消も、エイトが起こした事態ではない。しかし、この若者はその事実から逃げず、真正面から受け止め、前に進もうとしている……)

 神木老人は思い出す。1945年の敗戦から、日本はどうやって立ち上がったのか。

 それは間違いなく、前に進もうとする意思。失った物、嘆き、悲しみ、それらを全てを受け入れながら、人は前を向いて立ち上がった。エイトの瞳にも、前進する意思を感じた。

 「……エイト、元よりそのつもりだよ。フレンも、それでいいか?」

 「聞かれるまでもないわ。国王、いつだって守護騎士の願いは悲劇の無い世界です!」

 大窓から覗く星空と救済の花を背に、エイトは堪らず頭を下げた。

 「感謝する、二人とも!」


 「では二人とも、ここから話す内容は全て機密情報となる。いいかな?」

 そう念押しつつ、トラットは任務の内容を語り始めた。

 「王国は80年間、最後の魔人の消息を追っている。だが奴は未だに影すら見せない」

 トラットは王の後ろで不動のまま、驚くべき情報を言い放った。

 「そこで近年、ある説が浮上した。王都内部に最後の魔人が潜伏している可能性がある」

 「えええっーー‼︎」とフレンは驚嘆の声を上げるが、ライルは冷静に話を促す。

 「……トラット卿、どういう事ですかな?」

 「ああ、そもそもこの仮説が出たのは、魔人災害発生のタイミングだ。各地で頻発する災害は、ある種、人為的な計画性が窺える」

 「そりゃ、最後の魔人だって馬鹿じゃない。タイミングを見計らうのは当然じゃろ」

 「それが完璧すぎるんだ。異動や遠方での長期訓練など手薄な時期はある。これまでの災害は、殆どそこを狙って起きている。まるで我らの動きを完全に掌握しているようにね」

 「……つまりは、騎士団の情報が魔人側に漏れているって事か?」

 すると、エイトが口を開く。

 「その通り。それも情報の速さからして、王都での決定を先んじて知れる奴だ」

 トラットもエイトの言葉を補足する。

 「つまりだ、最後の魔人は王都に、それも騎士団内部に潜んでいる可能性が高い」

 「なるほど、それで情報が公に出来ないのか。下手に突けば不和が広がるだけじゃしな」

 「それもある。しかし、敢えて機密扱いにしているのは別の理由があるのさ」

 エイト王の目つきが変わる。頼もしい導き手から一変、獲物を見据えた獣のように。

 「王都、それも騎士団内部に居るというなら、ピンチであり、チャンスだ。奴に悟られず正体を暴き、逃れる前に確実に仕留める! そこで君らに与える任務は、王都に潜む最後の魔人を見つけ出す事だ!」

 ライルは逡巡の後、トラットへ視線を移す。

 「トラット卿、アンタ、この為にワシを導いてきたんだな?」

 彼は笑うと、ライルの視線を実直に受け止める。

 「ああ。この任務には隠密性が求められる。また同時に最後の魔人と戦えるだけの魔力……つまりは戦闘力も。だがそんな条件は矛盾している。強ければ魔力が目立つ。魔力が弱ければ戦闘は期待できない。そんな悩む私の前に常識を打ち破る者が現れた」

 「それがライルだったんですね!」と、フレンが声をあげた。

 「そうとも。単身で魔人を倒す都市級の戦力に、無色透明の気配。君以上の適任は居ない。それどころか、任命候補の一人だったフレンを都市級まで導いた。微弱な魔力で都市級へ上がった前例は無い。間違いなくライルの指導力による成果だろう」

 うんうん、と隣でフレンも首を縦に振っている。だが、ライルは頭を振る。

 「……いいや。試合で勝てたのはフレンの努力の成果さ。剣術に関しては、この娘には元々才があった。ワシはほんの少し背中を押したに過ぎない。トラット、アンタもそうさ。ここまで来る道筋を立てるのは大変だったろうに、アンタの後押しがなければ、ワシは今も、メイルルートで後悔しながら生きていただろう」

 ライルは深く息を吐きながら、俯く。

 「ワシは色々な物を貰ってきた。親友のアルトからは闘う覚悟と命を、育て親のシスターからは愛情を、フレンからは青春を、トラット卿からは責務を……」

 それらは、失うばかりの前世では考えられない程に重く、手放したくはない尊いもの。

 少年は顔を上げ、エイト王へ熱い眼差しを返す。

 「エイト、お前からは使命をもらった。この義に報いるため、ワシは任務を全うする!」

 滾った熱をそのままに、エイトとライルはがっしりと握手を交わした。

 そうして、たった4人の作戦会議が始まった。


 これまでの魔人災害の傾向から、魔人が潜伏している疑惑のある騎士団は、2つ。

 一つ、貴族界と繋がる白斬騎士団。ここには相談役として所属するトラットが内偵調査を続けている。もう一つ。地方に多くの支部を持ち、素養があればアウトローまで雇用する”紅翼騎士団”。主に魔人災害の対処に当たるのも、この騎士団だ。

 これには既に所属している事もあり、フレンとライルが内偵を任された。

 「緩い雇用条件に国中を網羅する活動範囲。魔人が潜むには好条件だ。この騎士団は一番可能性が高いと見ていが、立場上、私では手が出せなかったんだ」

 「ふむ。だが騎士団と言っても人数はかなり多いだろう? 誰に探りを入れる?」

 ライルの疑問にトラットは懐から数枚の似顔絵を取り出した。

 「この4名だ。団長、ドラコ・アルベール。副団長、ミストレア・アルソン。会計長、ジュール・イース。兵站管理長、クロッフ・ノア。騎士団の動きやスケジュールを先に知るのは彼らだ。恐らくはこの中に魔人、もしくは魔人へ情報を流している者がいる」

 テーブルに広がったそれを見て、フレンの表情が固まる。

 「……フレン、平気か?」

 「う、うん。ごめんなさい、まさか団長や副団長まで入っているとは思わなくて……お二人とも、素養の無い私を騎士に取り立ててくれた大恩人で、その……」

 見るに、不安というより動揺だろうか。身内へ内偵する事の意味を彼女は痛感しているようだ。そこでライルは、葛藤する彼女の背をパンと叩く。

 「しっかりせい。大恩人なら尚のこと、さっさと疑念を晴らすべきだろう?」

 ライルの檄にフレンははたと我に帰り、「そうね。ごめんなさい!」と息を整えた。

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