第15話

 変な声が聞こえた。大勢の観衆の中でも、かなり、というか大分変わった人達の声援が。

 『フレフレフ~~レン♪ フレフレフ~レン♪ フレフレフ~レン♪』

 「プッ……!」変に間の抜けたリズムに、私は倒れたまま噴き出してしまった。

 食い縛った指が滑り、腰の力が抜ける。さっきまで絶望していた自分が馬鹿みたいだ。

 「……何を笑っている、貴様……」「あれ? 聞こえない?」

 オーレンの耳に入っているのは観衆の声、程度らしい。彼は不愉快に眉をひそめた。

 「とうとう幻聴でも聞こえ始めたか?」

 「そっかぁ……ふふっ、まあ、それでもいいわ。なんだか元気貰えたから……!」

 剣を握って立ち上がる。肩は脱力し、呼吸は一定。思考は戦闘へ切り替わる。

 「立ったかッ! では終幕だ。最高に屈辱的な敗北をくれてやろう!」

 バチィッ! とオーレンの魔力が煌めいた。電光を見て、私はオーレンを分析する。彼は雷のようなスピードだ。どう考えても、私にはまず捉えきれない。

 だが私の脳裏には、修行の時に散々聞いたライルの言葉が響いていた。

 『所詮、速さも力も通過点だ。極めれば全て”無”へ収束する。力を捨て、無に委ねろ』

 あの言葉を信じよう。私の道の先には間違いなく、彼の……師匠の背中があるのだから。

 「力を、捨てる……」そう呟き、魔力を止め、自分にかけている強化法術を解除する。

 全身の力も抜き、剣は手で支える程度。意識も空にし、自分の中の積載物を排除する。

 ライルは言った。『後の先は初歩の初歩だ』と。ならば、この景色にはまだ先がある。

 後の先を読んでいては、オーレンの速度には間に合わない。なら、さらに深く潜ろう。

 行動を生み出す起こりの先。起こりを生み出す意識の先。意識を生み出す無の先へーー。 

 途端に、私の睨む世界が一変した。音は消え去り、オーレン以外は闇に沈む。

 見えるのは、彼と私を結ぶ何本もの金の線。それらが細波のように宙に揺蕩っている。

 それがライルの言う、”先”そのものだと、私は直感した。

 やがて、オーレンから伸びた”先”の一本がピンと張り詰めた。そこに挙動も何もない。あるのは私を害するという敵の意思。私はゆっくりと、その金色の”先”に剣を滑らせた。

 それは、一合の決着だった。フレンはゆっくりと、オーレンは一瞬で交差した。

 両者は背中を向かい合わせに、無風の舞台で立ち尽くす。

 観客には速過ぎて、勝敗の見分けがつかない。だがライルだけは拳を握って歓喜した。

 「…………よくやった……フレン……!」

 ――バリン‼︎ 防護が、砕け散った。それと同時に審判の声が場内に響き渡る。

 『勝者‼︎ フレン・ジラソレ卿ーー‼︎』

 大喝采が、会場を踏み鳴らす。フレンは幼児のような惚け顔で空を見つめた。

 「か、勝った……? 私が……?」

 一方のオーレンも唖然としている。彼自身、何が起きたのか理解できていないようだ。

 

 ライルの居る観客席では、ファンクラブ達の歓喜と嗚咽で一杯だった。

 皆、涙と鼻水を拭き、エイトは興奮のままライルへ尋ねた。

 「うう……なあライル、どうして勝てたんだい⁉︎ ”後の先”ってやつで動きを読んだとしても、雷の速度には追いつけないと思うんだが……⁉︎」

 「ああその通り。だからフレンは先に動いたのさ。オーレン卿が通るであろう軌道へな」

 「それも”後の先”で読んだというのかい⁉︎」

 「……いいや、フレンは後の先よりさらに上の技……”先の先”を使ったんだ」

 ライルは、腕を組み直して言い放つ。

 「さっき言ったように、後の先は相手の意識を察し、挙動を読む技だ。そして先の先は、意識の先……もっと根源的な心を読む技術。だから相手より先んじて動けるのさ」

 「魔力も使わずどうやってそんな事が出来るんだ⁉︎」

 「そ、それは本人に聞いてくれ。とても説明できるような代物じゃない!」

 (……説明どころか指導できるような代物でもないわ。”先の先”という理論はあれど、結局は経験と練磨によって自然と体得するもんじゃ…………)

 少年はフレンへ目を向けた。ボロボロになりながらも、彼女は笑顔で拳を上げている。

 (武の才はある。だがそれ以上に、弛まず剣術を極めてきたからこその勝利だ……!)

 四ヶ月間、フレンは根を上げながらも、諦めなかった。そんな彼女だから勝てたのだ。

そうして微笑むライルを、フレンファンクラブほぼ全員が取り囲む。

 「な、なんじゃ、お前ら⁈」

 「ライル~~、君、弟子なんだから、早くお師匠の所へ行った方がいいんじゃない?」

 「そうよ! 弟子なら誰より早く駆けつけなくっちゃ!」「僕らはフレン卿の活躍も見たいが、何より”喜ぶ姿”が見たいのだよ……!」

 意味不明な事を言われながら、ライルはジリジリと手すりへ追い詰められていく。

 「お、おい! なんのつもりじゃ! や、やめろ! やめるんだ……!」

 彼のすぐ隣に居たはずのエイトの声が、囲みの奥から聞こえてきた。

 「はっはっは! では存分に祝福してきたまえ! そして我らに彼女の笑顔を……!」

 「結局はお前らの私欲じゃねぇかーー」そんな断末魔も束の間。雪崩が襲いかかった。

 そうして少年は呆気なく担ぎ上げられると、そのまま2階席から放り投げられる。

 「貴様ら全員覚えてろーーーー‼︎」

 落ちたその先に待っていたのは「やあ、ライル」と、歳の割に軽い口調の老騎士だった。

「トラット卿⁉︎」

驚くライルをよそに、トラットは2階から見下ろすエイトに片手をあげる。

 「まさかアンタが連中の手下だったとはな」

 「……うーん、それは否定できないな。ま、今はとにかく、彼女の元へ行きなさい。先の事は表彰式後、あの貴賓室で話そうじゃないか!」

 ライルに話す隙も与えず、トラットは少年を振りかぶった。

 「え? トラット卿? な、何を……?」

嫌な予感に青ざめるライルだが、老騎士は謎スマイルのまま魔力を漲らせる。

 「君なら上手く着地する……そう信じているよ……」

 叫び出す暇もなく、少年はそのままぶん投げられたのだった。フレンの待つ舞台へと。

 貴賓室のガラスには、純白の騎士フォルマ・マ・ルルクの険しい表情が反射している。

 たった今、彼の部下であり弟子のオーレンが敗北したのだ。それも明らかに格下の相手に。フォルマの厳しさをよく知る彼の部下たちは、その背中に戦々恐々としていた。

 「やったわ~~‼︎ フレンちゃ〜〜ん‼︎」

 また、窓ガラスにへばり付いて歓喜している女騎士にも。

 「副団長! やめて下さい! 一応ここ、王族も使うんすよ!」

 「え~~だってぇ、少しでも近くで観たいじゃないの~~!」

 駄々をこねるミストレアに、彼女の部下たちも手を焼いているようだ。

 「……ミストレア卿、おめでとうございます。フレン卿の剣は見事でした」

 騒がしいミストレアへ、フォルマは粛々と声をかけた。

 「ふふ、ありがとう! でも、オーレン君も凄かったわよ? あの歳でもう覚醒しているなんて! 実力も申し分ないし、特別昇格枠は彼の物ね!」

 「いいえ、申し出はありがたいが、彼にはまだ不相応です」

 「……そう? あんまり厳しいと可哀想よ……?」

 「それが秩序です。正しく力を示す者が勝利する。でなければ世界は回らない」

 瞳に狂った色を宿し、フォルマはジワリとそう言った。

 「そ。騎士団経営も大変ね!」と、彼女は堅苦しい顔からそっぽを向ける。所属は違えど、彼女も経営陣の一人である。だがどうやらその自覚は全く無いらしい。

その証拠に、彼女は脚に強化法術を展開し始めた。

 「ちょっと行ってくる! フ、レ、ン、ちゃ~~ん‼︎」「ふ、副団長⁉︎」

 叫び、窓を突き破る。煌びやかなガラス片を纏いながら、彼女は舞台へ落ちていった。残された部下も、フォルマも、窓に空いた虚しい穴を見つめるしかなかった。 

 目と目が合う瞬間、ヤバイと気付いた 「貴方は今、何でここに居るの?」

 もう止まれない、二人だと分かっているけど 少しだけ、なるべく頭、ぶつけないで。

 ――ゴンッッッッ‼︎

 突如フレンの頭上で巻き起こった骨と骨の衝突。彼女の笑顔を凍らせるには十分だ。

 二人は頭を強めに打ち、ライルは気絶。ミストレアは痛みにもがく。

 「ちょ、副団長に……ライル⁉︎」

「ふふふ、フレンちゃん……おめで、とう」

 フラつきながらも立ち上がったミストレアは、フレンに弱々しいハグをする。なお、足に力が入っていないので、結局フレンが支える事になった。

 ライルもすぐに目を覚ましたが、惚けた顔で辺りを見回す。

 「ワシは、誰じゃ……⁉︎」「もうーー‼︎ 何しに来たんですか二人ともおおおおおお‼︎」

 あまりにも面倒くさい二人のせいで、フレンの疲労が加速した。


 数分後、ライルの記憶が戻る頃には観覧席はまばらになっていた。オーレンも既に退場し、式次第に乗っ取って、舞台では都市級騎士任命式の準備が進んでいる。

 「その……すみませんでした。ミストレア卿」

 フレンの隣で何故か頭を下げているのはライルである。

 彼は確実に被害者ではあるが、フレンの怒りを前に言い訳する暇も無かった。

 「ううん。私こそ……大人なのにはしゃぎ過ぎちゃって……」と、彼同様に頭を下げたのは紅翼騎士団副団長。彼女もフレン+他団員の説教を喰らい、すっかりしょげていた。

 ミストレアを尻目に、フレンはコホンと咳払いすると、話を引き取った。

 「副団長。改めて紹介致します。彼は私の弟子で、ライル・メーザーといいます。正式に昇級しましたら、彼を視界級騎士へ推薦します」

 それを受けて、ミストレアの表情に色が戻る。

 「……そう! 分かったわ。団長には私から話しておくわね! ライル君も、準備ができたら紅翼騎士団の本営にいらしゃい。そこで入団手続きをしましょうね!」

 「はい。ミストレア卿。どうぞよろしくお願いします」

 少年の返事に満足げな彼女だったが、部下の騎士に耳打ちされると途端に苦い顔になる。

 「フレンちゃん、ごめんね。もう行かなくちゃ。貴方の昇級式見たかったのに……」

 残念そうに俯きながら、ミストレアはフレンの手を握った。

だが余程に火急だったのか、彼女は部下に引っ張られ泣く泣く舞台を降りたていった。

 

 「……本当に嵐のような人だな。居なくなったらやけに静かになったわい」

 「うん……まあ、早めに貴方を紹介できたのは幸運ね、お陰で推薦しやすくなったわ」

 「そうだね。でもその前に君の昇級式だよ、フレン」と背後から急に現れる老生した声。

 「わ! トラット卿! いらしてたんですか⁉︎」

 白髪混じりの頭髪の騎士は、むんずとライルを捕まえて持ち上げた。

 「お、おい! 何すんだ! また投げようってのか⁉︎」

 「ははは。また人聞きの悪いことを。すぐに式が始まるんだ、君は席に戻らないとね」

 飄々と言って、トラットはファンクラブの待つ2階席を指し示した。

 「ワシは忘れんぞ! 貴様らの連携プレー! エイトにも文句言ってやる‼︎」

 「じゃあフレン、終わったら貴賓室へ来てね。ライルも連れていくから」「は、はい‼︎」

 すっかり激昂しているライルを担いだまま、トラットは舞台を降りた。

 階段を登って2階席に到着すると、ライルの隣に座って式の様子を見守り始めた。

 昇級式は滞りなく進んでいた。壇上には数名の都市級騎士と、大臣やらが集っている。

 ちゃんとした式典だなと感心したが、偉いらしいトラットの方は隣でぼうっとしていた。

 「トラット卿も行かなくていいのか? アンタも結構な上役だろうに」

 「ああ、私の弟子が出てくれるからいいのさ。ほら、丁度今話し始めた彼だよ」

 舞台には、フレンを先頭に闘士全員が集っていた。彼らを見下ろすように壇上に立ったのは、純白の鎧を着込んだいかにも潔癖そうな騎士の姿。

 「白斬騎士団団長、国土級騎士フォルマ・マ・ルルクである。皆、健闘ご苦労であった。貴君ら有望な騎士達が、これからいっそう活躍してくれる事を切に願う」

 そう言葉を切って、フォルマは声のトーンを一つ落とした。

 「さて、少し現実的な話をしよう」そう言った途端、威圧感が増し、場内に緊張が走る。

 「最初の魔人災害からもう80年が経とうとしている。我ら人類は未だ、全ての元凶たる”最後の魔人”を捉えることすら出来ていない。この間、魔人災害は断続的に起こり続け、被害者数はとうとう70万人を超えた。諸君は、この数字を聞いてどう思う? 責務に囚われるか? 絶望に振り返るか? それとも、僅かな希望で前を向けるか?」

 フォルマの視線がフレンへ落ちる。彼女の滾った眼を一瞥し、フォルマは吠え立てる。

 「その程度では足りない! 命を救うのも、”最後の魔人”を打倒するのも、貴君ら一人一人の魔力にかかっている‼︎ その手に、人々の全てがかかっているのだ‼︎ にも関わらず、今大会のレベルは非常に低い‼︎ 今一度、己の使命に向き合い鍛錬を続けて欲しい。そして、いつの日か”最後の魔人”を打ち倒し、世界に平穏を取り戻そう!」

 まるで、魔力の少ないフレンの戦いが無意味だったような言い回しに聞こえた。

彼に煽られてか、背を睨む騎士達の熱量が上がったように、フレンは感じた。

何より恐ろしいのはフォルマだ。彼の瞳には、軽蔑の色がハッキリと浮かんでいる。 

 一方、2階席のライルのこめかみには青筋が立っていた。

 「なんじゃアイツ……フレンの事を言ってるんなら、直に話を聞こうじゃないか……」

 そうして剣を持って立ち上がろうとするライルを、隣のトラットが諫めた。

 「まあまあ、フレンだけじゃなくって、騎士全体の話だから」

 「……あの若造、トラット卿の弟子だったな。どんな教育しとんじゃ!」

 「おっと、その矛先は一旦収めてくれよ。ほら、フレンの授与式が始まるよ」

 軽妙に促されても、腹の虫が治らない少年だが、フレンの晴れ舞台のために剣は置いた。

 背後のファンクラブ一同も固唾を飲んで彼女の姿を見守っている。

 (……ん、そういえば、ここに着いてからエイトの姿が見えないような……)

 ふと、そんな事を思っていると、フレンが壇上にぎこちなく上がっていく。

 それを出迎えたのは、金の頭髪を後ろに束ね、豪奢な貴金属を身に纏った男。

 どこか見覚えのある顔に、ライルの思考は一瞬停止する。

 「……なあ、トラット卿……あれってエイトに似てると思わんか?」

 「似てるも何も、ご本人だよ」

 確かに数刻前まで一緒にいたエイトそのもの。唯一の違いは、頭に載った王冠くらいだ。

 「……またまた~~! トラット卿も人が悪い! エイトが王様な訳ないだろう!」

 「そ、そうだね。まあ度が過ぎるくらいに親しみやすいし、そう思うのも無理ないか」

 「いや、待ってくれ、まるでエイトが本当に王様だと言いたげじゃないか……」

 暗にそうだと、トラットは頷いた。だがライルには到底受け入れ難い。

 「まさか。試合に大興奮して、フレンのサインをねだりまくったあのエイトだぞ?」

 「うん。まさにそのエイト様だよ。ほら、見てごらん、君の言う通りだろ?」

 トラットに促されるまま再び壇上へ目をやると、エイトは羽織っていたマントを広げ、筆をフレンに押し付けている。サインを強請っているようにしか見えなかった。

 フレンは戸惑い、周りにいる臣下達も国王の異常な行動に頭を抱えている

 すると、ライルの背後から野次が飛んだ。

 「ずるいぞーー!」「そうよ! 抜け駆けよ!」「国王がそんなに偉いんかコラァ!」

 (……偉いわ)とライルは心の中で突っ込むと、トラットが粛々とこう告げてくる。

 「ライル、一つ教えておこう。我らが王は、大体こんな感じだ」

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