第14話

間話

 『いい? ママが呼ぶまで、ここでかくれんぼしててね?』

 その日は静かな夜だった。母は寝ている私を納屋まで運ぶと声を顰めてそう言った。

 『どうしたの、ママ? もう夜中だよ。寝なきゃダメなんでしょ?』

 夜更かししていたらすごく怒るのに、その日の母は酷く青ざめていた。

 『……ああ、可愛いフレン。ごめんね……愛してるわ』

 強く、強く、むぎゅっと抱きしめられて、少し苦しかったのを覚えている。

 『フレン、ママが呼ぶまで絶対にここを出ちゃだめよ。約束できるわね?』

 『うん』と頷くと、納屋の扉は固く閉ざされた。暗闇は少し怖かったけど、母が帰ってくると信じていたから、我慢できた。やがて数十分か経った頃、納屋の扉がノックされる。

 『ママ……?』『うふふふ、ママだよぉーー♡』

 明らかにママの声じゃなかった。不気味で、怖いくらいに艶のある女の声だ。

 『だ、誰……』

 『だ・か・ら、ママだってぇーー』

 『嘘……誰なの……⁉︎』

 『うーん、人の真似って難しいわねぇ。ここはご本人にお手本を見せてもらうかしら♡』

 扉が開け放たれた。そこには、瞳に光を失い、人形のように項垂れる母の姿があった。

 母を後ろ手に支えているのは、角が生えた不気味な女。

 『じゃあ、お母さん? お願いしま~~す!』

 角の生えた女はそう言うと、母を離す。すると母は、力なくドサッ、と落ちた。

 『ママ‼︎』と叫び、私は温もりを求めて母の冷たい体に抱きついた。

 『あは! ゴメンゴメン、人って弱いんだった! まさかもう死んでるなんてね!』

 嘲でも、憐憫でもないその声は、愉悦だった。さらに魔人は、蕩けた瞳を私に向けた。

 『それにしても君、とっっっても可愛いな~~。お名前はなんて言うんだい?』

 「……ン……レン……フレン、フレン‼︎」

 ライルの声に飛び起きると、フレンの茶髪がブワッとなびく。

 そこは勝ち残った者に与えられる控室。眠りこける彼女を、ライルが叩き起こしたのだ。

 「うなされていたぞ。次のオーレンとの試合、大丈夫か……?」

 「ふっふっふ。今までの雪辱、ここで晴らしてくれるわい……!」

 心配を拭おうとふざけるフレンに微笑み、ライルは彼女の頭に手を乗せた。

 「いや実際、お前さんはここまでよく頑張った。”後の先”も冴えているぞ」

 「……褒めるなんて珍しいじゃない。あんなにスパルタだった癖に……」

 そう言いつつも、フレンの頬は嬉しさ半分恥ずかしさ半分に染まる。

 「お前は褒めて伸ばすと調子に乗るからな」

 「フ~~ん、まあ? ”先”を習得した私なら? チョチョイのちょいで……あて!」

 頭に乗っていたライルの手が、チョップになって戻ってきた。

 「言わんこっちゃない。”後の先”は初歩も初歩。先の習得と宣える段階ではないわ!」

 数日ぶりのライルの雷。修行中は恒例だったが、今の彼女には懐かしくも想えた。

 すると、控室の扉がノックされる。

 「フレン卿、そろそろ入場のご準備を」と、外の警備から声がかかった。

 「ふふ、お爺ちゃんの怒鳴り声のお陰で元気出てきたわ。それじゃ、行ってきます!」

 「おう! ちゃっちゃと倒して都市級になってこい!」

 ライルの檄を背に浴びて、彼女は舞台へ続く長い通路へと足を踏み出した。

 彼女は寂然とした高鳴りに胸を抑え、舞台へ立ち、歓声を浴びる。

 『ーーこれより、決勝戦を開始します!』

 舞台に上がった審判員。鳴り止まない歓声の中、拡声法術でアナウンスを響かせる。

 『白斬騎士団所属、区画級騎士、オーレン・ディランダル卿‼︎』

 会場中が声援に染まる。騎士はそれを無視し、不機嫌そうな表情を彼女へ向けている。

『紅翼騎士団所属、区画級騎士、フレン・ジラソレ卿‼︎』

 その名が上がると、会場は爆発したように沸き立った。


 「はぁ~~、この数試合でこんなにファンが増えたのか」

 耳を軽く塞ぎつつ、ライルはエイトの隣の席へ戻ってくる。

 「うわああああ! 待っていたよぉ! それでそれで? 例の物は?」

 帰るなり、エイトは両手を擦り合わせて跪いた。

 「やめろ公衆の面前で……それとすまん、すっかり忘れておった」

 「おいおいおい! 話が違うだろぉが貴様ぁぁーー‼︎」

 彼の態度は豹変。ライルは襟首を掴まれて揺らされた。

 「はっはっは~~後でもらっておくから急ぐなって~~」とライルは笑って誤魔化した。

 「おい、エイトの旦那、ちょっと静かに!」「そうよ! フレン卿の試合が始まっちゃいますよ!」と、非難の声が後ろと左右の席から投げられる。

 ここで少年は気が付いた。周りの客がすっかり変わっている。

 「えっと、エイト? 彼らは一体……?」

 「お、そうだな。君にも紹介しておこう。彼らはフレン卿ファン倶楽部! 今日の試合で彼女に魅せられた者や、以前から彼女を応援していた者を私のツテで集めたのさッ!」

 エイトの紹介にファンクラブ達、総勢50名弱は一斉に不敵な笑みを浮かべた。

 「お、おおう……ありがとうな、フレンも喜ぶと思うぞ……」

 「うむ。もしそうなら我らも嬉しい。そう言う訳で、サインは彼らの分も頼めるかな?」

 ひな壇状に聳える席の最後尾までの全員が、猛獣のような眼光を向けてくる。

 「わ、分かったよ……! その代わり、全員しっかり応援頼むぞ!」

 ライルがそう言い放った途端、その一角だけ、無駄に大きな歓声が上がったのだった。


 「ん。なんだろう? あそこだけやけに騒がしいような……」

 フレンは2階席から聞こえた謎の歓声に首を傾げた。

今は試合直前、相対した騎士二人に防護法術をかけているところだ。

 「おい、この俺を前によそ見とは随分と余裕じゃないか」

 「あら、なぜ貴方を見なくちゃいけないの? 数秒でも勘弁して欲しいんですけど!」

 「……まだ分かっていないようだな。貴様はな、偶然勝ちを拾ったにすぎん。真の実力者であるこの俺と同じ舞台に立つだけでも幸運だと思えよ、下郎!」

 「白斬って、同じような台詞しか言ってこないのよねぇ~もしかして頭悪いのかしら」

 「コホン……私語は謹むよう!」と、聞くに耐えない煽り合いを審判が制止した。

 やがて3枚の防護法術が完成し、審判はゆっくりと一歩下がる。

 「先に3枚の防護を破壊された方が負けとなります。準備はよろしいですか?」

 「はいッ!」「おう」

 「よろしいッ! では、試合かいーー‼︎」という合図の途中、オーレンが動く。

 「――迅脚法術‼︎」そう唱えると、彼の両脚に魔力の白光が付帯する。

「思い知るがいい‼︎ 貴様程度の魔力では越えられぬ壁がある事を‼︎」

 怒涛のような魔力が脚を包み、オーレンは地面を一蹴した。たったそれだけでタイルが抉れ、突風が巻き起こる。それは、3間の間合を一瞬で越える驚異的な踏み込み。

 彼の刺突が、フレンの顔面を貫こうとしたその刹那、彼女も動く。 

 突発してきた剣を顔だけで躱すと、その挙動をトリガーに右半身へと重心を揺蕩わせる。 

 流麗に剣を翻し、右足を踏み終える頃には、彼女は逆袈裟にオーレンを捉えていた。

 ――バリン‼︎ オーレンの防護1枚が破れ落ちる。

 「……っく‼︎ おのれぇぇぇい‼︎」

 そう喚きながらも、斬った直後のフレンの背を、オーレンは斬り返した。

 ――バリン‼︎ 今度はフレンの防護1枚が破れ落ちた。

 それでも彼女の心に動揺はない。斬られて低く前傾した体勢のまま、強化した脚で突進した。オーレンもそれを剣で受け止める。

 ガキン‼︎ と鈍い金属音が響き、火花が散った。鍔迫り合いの力勝負であれば、先に強化法術を使っている分が有利。また、体勢もフレンの方が低く攻めやすい。

 「ぐ、強化法術‼︎」と唱えた途端、オーレンの魔力が膨れ上がり、彼女は吹き飛んだ。

 「見たか、これが魔力の差だ……」と言いながらも、オーレンの額に汗が伝う。

 その時、彼の体から音が剥がれ落ちる。バリン‼︎ と。

彼は驚愕に目を剥いて、そして3メートル程先のフレンを見た。

 彼女は、よいしょと起き上がりつつ、不敵な笑みを見せている。

 「へへ……上手くいったみたいね」

 これには2階席で見ていたライルも目を見張った。

 「お、おいライル、今、彼女は何をしたんだい?」

 「……フレン優勢な鍔迫り合いを覆そうとオーレン卿は力技に出た訳だが、フレンはそれを読んで自ら飛んだ……事を成したのはオーレン卿が振りきった瞬間だ。その僅かな合間、オーレンの剣を持つ手首は無防備だった」

 「え。それを斬ったのかい⁉︎ 自分は飛ばされながら⁉︎」

 「まあ、そういうことだ」と言いつつ、ライルは口元を緩ませた。

 (……教えてもないのに”小手斬り”をやるとはの。しかも西洋剣風にアレンジした運用……ワシとの打ち合いでそこまで盗んでおったのか……)

 嬉しい誤算である。まさか技を転用までしてくれるとは、ライルも思っていなかった。

 何より、恐ろしいほど今のフレンは冴えている。彼は密かにフレンの勝利を確信した。

 しかし、そんな彼の想いとは裏腹に、闘技場のフレンは小さく冷や汗をかいていた。

 何か来る。そんな確信めいた怖さが全身に広がっていた。

 「……この俺を追い詰めるだと? あってはならない。絶対にあってはならない‼︎」

 オーレンの踏みしめた足元が稲光り、バチッ、バチッと電光が彼を巡る。

 ライルはその姿を見て想起した。魔人ヒューズの異様な姿と彼が使った特異な魔力を。

「……終わりだ……勝てない」と、隣のエイトが頭を抱える。

 「エイト、待ってくれ。何故そんなことを言う! それにあの電気は一体何なんだ⁉︎」

 「……あれが覚醒した魔力だよ。魔力は、人の願いで振る舞い方を変える。覚醒した魔力とは、使い手の願いが100%反映された状態だ。出力、能力、全てが通常の魔力とは桁違い! 剣術ではとても埋められない!」

 ライルにも覚えがある。魔人ヒューズの魔力は、明らかに通常の魔力運用ではなかった。彼の知る限り、魔力は法術回路に流すくらいにしか使えない。だがヒューズの魔力はそうではなかった。魔力そのものが地表を凍らせ、空中に氷塊を作り、領域内を冷凍した。

 「……じゃあ、オーレン卿の魔力は……」

 「見るに電撃系統。だがね、覚醒した魔力が厄介なのは、法術との掛け合わせだ」

 フレンは、汗を拭って剣を構える。

 (覚醒した魔力……ってことは、オーレンの本気はここから……!)

 フレンの警戒と鳴り止まぬ歓声の中、オーレンは一歩、動く。

 「――雷の魔力×迅脚法術……」膨れ上がった魔力が、電光が、彼の殺気を加速させる。

 フレンは先を読む。いつ、どこに、オーレンの一撃が降りかかるのか。それを捉えた先に勝機がある。やがて、腹部を叩く濃密な殺気。

(捉えた!)そう感じた時、既に彼女の腹部へ痛烈な蹴り足が突き刺さっていた。

 「……ごはッ‼︎」

 あまりの威力に4メートルは地面を転がり、やがて彼女は舞台の端で停止した。

 ――バリン‼︎ と、防護の一枚が割れる頃になってようやく、意識が追いつく。

 (速すぎる……剣を振りかぶる余裕もない。こんなの、どれだけ先が読めたって……)

 地面を握りしめ、彼女は息を整える。残る防護は互いに一枚。しかし、実際にはオーレンの勝利は確定したようなものだ。

 「……俺は寛大な男だ。立って剣を握るまで待っていてやる」

 腹立たしい嘲笑が騎士の顔面に張り付いていた。いつものように。

 (……いつもこうだ。私がどれだけ努力しても、恵まれた連中はあっという間に私を追い抜かしてしまう。諦めず頑張っても、開いた差は埋まらない……!)

 観客席のライルは、拳を握り締める。

 「まだ勝機はあるはずだ! そうだろ、エイト!」

 「……可能性があるとすれば、この場で魔力に覚醒することだ。彼女自身の願いを、完全に定めレバあるいは……だがそんな奇跡があれば、この世に悲劇は起こらない!」

 「そんなに難しいのか⁉︎ 魔力の覚醒ってやつはッ!」

 「覚醒している人間は国内の10%にも満たない。それ程に特別な力なのさ……」

 それでもライルは懸命に叫んだ。歓声にかき消えようと、懸命に、全力で叫び上げた。

 「諦めるな‼︎ フレン‼︎ 立って戦え‼︎ フレンーー‼︎」

 戸惑った表情を見せるエイトの胸ぐらを、ライルは掴んだ。

 「エイトよ! あいつはまだ戦ってるんだ! それなのに、ワシらが先に諦めてどうすんだ‼︎ フレンを応援したいっていうなら、今やることは一つじゃろうが‼︎」

 彼の想いを受けたエイトは、目を見開き、己の応援心を恥じた。

 「……そうだな、ライル。君のいう通りだ! 皆、声を出せ! 私たちも戦うぞ!」

 エイトの檄に押され、後列の会員達も懸命に声を上げる。フレンへの声援を。

 それでも会場の喧噪が強く、声援は簡単にかき消されてしまう。

 「くッ……みんな! バラバラに叫んでも彼女には届かん! アレをやろう!」

 エイトがそう言って振り返ると、後列の会員達は一様に眉を顰めていた。

 「え、あの掛け声やるの……? 流石にそれはちょっと……」「あれか……アレかぁ……」「応援したい気持ちはあるけど、アレはなぁ……」

 「彼女へ声を届けるにはアレ以外ないだろう! ライル、君からも言ってやってくれ!」

 肩を叩かれたライルは、微妙な表情の会員達に向き合った。

 (アレってのが何かは知らんが、士気が落ちるのも良くない! 何より、フレンのためにワシが今できる事はこれくらいしかないんじゃ‼︎)

 ライルはそう考え、頭を下げる。

 「皆さん、今はフレンのピンチなんです! 少しでも、力を貸して下さい‼︎」

 それをエイトが、ここぞとばかりに引き取った。

「弟子の彼がここまでしてるんだ! ここで動かなければ、何の為のファンクラブだ! 彼女を応援したくなければ立ち去れ! だが、彼女の勝利を願う者は私に続け! 叫ぶ声はただ一つ……! いくぞ‼︎ せーーの!」

 彼の言葉で会員達の瞳に光が戻り、一斉に息を吸った。

 なお、ライルが自分の言動を酷く後悔する事になるのは、数秒後のお話。

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